Episode.46:毀れる正義、毀れ得ぬ悪 〜第三段・アドリーナ半島広域制圧戦【急】〜
ケントが振るう剣の前に、立っていられる敵はいなかった。毒煙すらも晴らし、叛意を断罪するその剣。誰もがその剣に見覚えがあった。
「“毀れ得ぬ聖者の大剣”……!」
「バカな、“根源の大騎士”は討たれたはずだ!!」
「オマエらの中では、討たれてたんだろーな」
気だるそうに、敵達を一薙ぎで両断する。もはや、生き残った敵は存在していなかった。骸が船上に積み重なっている。
「いや、君は剣技に長けた偽物、そうだろう?」
さっきまで、アスカを嬲ろうとしていた艦長がゆっくりと立ち上がる。その手には連装式のピストルがあった。
「お前みてえなクズが一番見たくない、早々に消えてくれ」
刃を突きつけ、突進していく。艦長は軽い身のこなしで避けようと、上に飛んだ。
意識が突然なくなる。何が起こったか、艦長には理解できなかった。
縦半分になった艦長の体が、船に墜ちる。聖剣には一切血がついていなかった。
「何故、何故あなたがここに?!」
「おっと、美しい姉さんにそんな怒った顔はされたくないねぇ?」
ユリは面食らったように顔を赤くした。いつもピンと立っている耳が、すっかりヘタれてしまっている。
「お前さん、確かマッシリーナで討ち死にしたんじゃあないのか?」
「その辺の事情は気分が乗ったら話してやるよ」
ケントは快活に笑うと、そのままデュランダルを背負った。
「さて、そろそろこの身体の持ち主が壊れそうだ、返してやろう」
そう呟くと、途端にケントは膝から崩折れた。顔面が蒼白になり、茫然自失としている。
────健人が意識を取り戻した時には、目の前に死体が転がっている。
「け、健人……?」
珍しく心配そうにユリが声をかける。明らかにおかしい挙動だったのを察したのか、彼女の尻尾は少しヘタれていた。
ナエは、どうやらこの船に細工をしているようだった。甲板やらなんやらを文字通り跳ね回っている。
「な、な、ちょっと意識がなくなった間にこんなことが……」
「しょうがないわ、とりあえず、元の船に戻りましょ?」
フラフラとした足取りの健人を見かねて、アンドレが飛び乗ってきた。その顔は、化け物でも見たかのように驚愕の念を含んでいた。
「健人、捕まれ。飛び移るぞ」
「アスカは私が担ぐわ」
「ありがとな、それにしてもこの二人はなかなか秘密がありそうだな……」
敵艦の上には、ナエと死体しか残っていない。
「じゅんびオッケーだよ〜!!」
「そうか。じゃあ、出発するか。碇を上げろ」
いつもよりも冷静になったアンドレの指示。怪訝そうに航海士は出発させた。
しばらく航海すると、後ろの方で爆発音が聞こえた。どうやら、ナエは船を爆破する手筈を整えていたようだった。
「ユリさん、せいこうしたよー!! ほめて?」
「よくできたわね」
「んむぅ、ユリさん、テキトー……」
「スズが一緒に遊んであげるのにゃ〜」
甲板では、ナエとスズがじゃれ始めている。和やかな雰囲気になるはずが、やはり船内は重かった。
「どうして、”根源の大騎士“の能力を、彼が使えたのかしら」
「”根源“って奴はどうにも奇っ怪なものなのかもしれねぇな」
気を失っている健人とアスカ。その傍でユリとアンドレは、思考に耽っていた。
”根源の大騎士“とは、いわば勇者のような存在だった。
クルシケ島の大神殿にあるとされる”バステトの血泉“。その水を飲んだ者は、世界の果てを見ることができ、絶大な力を得ることができる。いわば、バステトの生ける化身となれる者だった。
その選定条件は厳しい。各自の能力は無論のこと、誕生日、親の家系など様々なモノをクリアしないといけない。
「そろそろ、陸が見える。上陸してから考えるか」
そうね、とユリが呟き船室に向かう。ここ最近ユリは何かを作っている時間が増えた。
アンドレは、珍しく一抹の不安を抱えながら、自室に戻った。
***
王城に、一人の男が優雅に歩いていた。その腰には金の柄を持つ剣を据え、紅のマントを翻しながら歩いていた。
「猛りたる地の星は無為に爆ぜ、賢しらな人の星は輝かずに堕ちた。だが、余が呼んだ星はもう一つある。そうだろう?」
「はい、他の星と比べて輝きを増していると」
「お前はよく知っている、ならば、ここで供物になるが良い」
はっ、と返事をした従者はそのまま男の下に跪いた。
無音ののち、骨を断つ音が響く。男は剣の血を拭い鞘に納める。
瓦解していく従者の亡骸を背に、男は部屋に入っていった。
ここは神託の間──と呼ばれる霊脈の集まった場所だ。その中央に、手足を合わせて十六本の鎖で固定された女がいる。
「自我を捨ててしまったか、天の星よ?」
「うるさい……私の名前はわしみ──」
女の声が遮られる。彼女は声を出すことができなかった。
女の唇は、男の唇により塞がれていた。女の苦しそうな喘ぎ声が、部屋に木霊している。
男は一通り女の口を愉しむと、そのまま離れた。
「お前がその自我と戦うその煩悶、高まれば高まる程に良い。その自我が消失した時、星は更なる輝きを持つのだ……」
女の涙は、地面に描かれた魔法陣に魔力を満たしていく。もう少しで、魔法陣全てに魔力が行き渡りそうだった。
「やだ、離して……他のみんなは、他のみんなはどうしたの?!」
錯乱するような叫び声が、広い神託の間に響き渡る。その刹那、妖しげな女の声と息遣い、水音が響き始めた。
「やはり、お前は美しき一輪の花だ。その初心さ、殊更に愛でたくなる」
彼女の背中を指でなぞる。それだけなのに、彼女は苦しそうに喘いでいた。何かに耐えるかのように、必死にもがいている。
「もがけばもがくほど鎖は締まる。だが、その苦しみすらも快感に成り果てると思えば……それも良しか」
ふと、男は顔を上げてゆっくりと扉を見やった。外から、何か光が見える。
彼女は救いの光に見えた。だが、それが決して自分に届く事はないことも知っていた。
「さて。一人、客が来たようだ、余が直々に出迎えよう」
残忍な笑みを浮かべて、神託の間を離れる。
「死んでくれるな、ミオ。いや、姫よ。それでは余がつまらぬ」
嬉々とした声で、部屋を離れる。
男の願いはもう間も無く叶う。その筈だった。
「我が宮にて余の首を狙うとは。大きくでたな、聖騎士よ」
王城の中庭、綺麗に整えられたその庭に、深緑の騎士は立っていた。
「私めは、この国を守る勤めがあります故、ご覚悟を」
ジェノは男に刃を向けた。彼の威風たるや、何者をも恐れさせる物だった筈だ。
それなのに、男は一切怯まないどころか、ニタリと口角を上げた。ゆっくりと抜かれる剣は、妖しい輝きを持つ剣だった。
「お前はここで死ぬ。それが人の子の定めだ」
ジェノは、何もできなかった。否、自分の胸をいとも簡単に妖刃が貫くのを、ただただ見届けるしかできなかった。
刃は抜かれ、処刑は完了する。込み上げるものを感じ思わず吐き出す。血の塊のようなものがジェノの口から吐き出される。
「忠誠あるならば、その身をも余の大願果たす供物とせよ」
その声に激しく憎悪を感じた。
────オレはこんな奴に忠誠を誓っていたのか。
足音が遠ざかっていく。今なら苦しみの叫び声が聞こえる。
自分で最期なんだ。彼は悟っていた。
もう、盃は満ち足りたのだろう。ああ、それならば。
「手は…………なしか…………」
故郷に残した娘に、妻に許しを求める。せめて彼女達は生き残るように、そう祈り────彼は命を閉じた。




