Episode.45:蒼銀の布石 〜第三段・アドリーナ半島広域制圧戦【破】〜
アスカが立ち回っていた時より船尾甲板は悲惨なことになっていた。
「もう、みんなもっとワタシとあそんでよ!」
ナエがもつ“忍刀”は、細工されたものだった。
近くにいる敵に対しては、普通に剣として使っている。元々忍びとしてやってきたナエは、そこまで剣技が上手い訳ではない。だからこれだけならば、敵も簡単に制圧できたはずだった。
「そらっ、みんなにげないでよー!」
彼女の忍刀が恐れられる理由、それは間合いが離れた時にあった。
彼女の刀は変形し、鞭のようにしなやかに長く相手を切り裂くのだ。ほぼ一瞬の事なので、どう言うからくりなのかが理解できない。
しかし、鞭のようにしなやかに伸びた刃は、正確に敵を捉えて切り裂いていく。
「クソ、兵をぶつけるだけ無駄か……!」
「ナエ、わらわは敵の船に向かう。ここは任せたぞ」
「アスカお姉ちゃん、気をつけて!」
ナエの尻尾にはクナイがついている。尻尾を器用に動かして飛ばされたクナイは、一人の喉元に深く刺さった。
「子供如きに手こずるな、取り囲み一斉射撃だ!」
「ひどいっ、みんなワタシのことをいじめないでよ!」
蛇腹刀を器用にスカーフへしまったかと思えば、どこに隠していたかわからないクナイを手にしている。そして、一瞬のうちに投擲したかと思えば姿を消す。
どこにいるかと探し惑えば、誰かしらの心臓を蛇腹刀が貫いている。まさに“刹那の境地”に達していた。
「わらわもあのような立ち回りが出来れば良いのだが、致し方あるまい。一刀にて花を咲かせようか」
鎖伝いに敵船に乗り移ったのはアスカとユリだった。ユリは敵の船に潜り込み、色々細工をしているようだった。
「その先に行かせるわけにはいかぬ。少しばかりわらわの相手をせよ」
鯉口を切ったかと思えば、船室への戸口の前に首のない死体が五つ並ぶ。
反乱軍の尖兵隊といえど、精強な者で編成している筈だ。だが、アスカの前には関係ない。
彼女の巧さに敵う者がここにいるはずもなかった。一合たりとも戦うことができずに死んでいく。
「む、この煙はなん────
突然巻き起こった煙、それを吸い込んだアスカは胸を抑えて苦しみ始めた。
異変に気がついた反乱兵が、勢いを盛り返したかのように攻め込んでいた。
視界が急速に狭まり、手足が痺れ始める。何者かに手と足を掴まれたのは錯覚ではないようだ。
「片方だけ使えば毒だが、合わせれば身体を熱り立たせる。とてもよい対の毒と思わないかい?」
「クソ……この外道……!」
もう一隻の艦長のような男が、ゆっくりとアスカの前に立つ。手足を兵士たちに掴まれた彼女は、抵抗を試みた。だが、毒の廻った身体では自由が効かなかった。
「ふむ、実に美しい顔立ちをしている。これは骨の髄まで愛でたくなるな……」
「は……な……せ……っ!!」
アスカの顎を指でつまみ、顔を上げさせる。弱々しくも眼前の敵を睨み、威嚇していた。喉は唸り、尻尾は太く逆立っている。
「私の口の中には解毒剤がある、欲しいと思わないかね?」
「それは……」
「そう、無論口移しだがね?」
口移し、その言葉に反応したのかアスカはまた抵抗を始めた。
見知らぬ男に、自らの体を嬲り者にされる。その屈辱たるや、万人に想像できないほどであった。
「いや……はな……せ……」
それに、”唇を重ねる行為“自体が、この王国では”婚姻の契約“を結ぶことになる。反すれば牢獄送りだ。
「が、我慢するのにゃ〜!!」
三条の矢が、アスカを抑える兵士を撃ち抜いた。隣の船の監視台には、顔を赤くしながらスズが弓を構えていた。
「すま……ない……っ!!」
地面に落ちている刀を取り、朦朧とする意識の中で抵抗する。だが、剣筋は明らかに鈍っており、男達に組み伏せられる。
スズの矢がなんとか抑えるものの、もう少しでアスカは敗北を喫しかけていた。
「あ、アスカさん!!」
意識の外から、健人の切実な叫びが聞こえる。
────ああ、何故だろう。死んではいけない気がする。
諦めてはいけない気がする。だが身体は動かない。
だが、信じることはできる、待つこともできる。
アスカは、曇りゆく空を見ながらゆっくりと目を閉じた。
***
「クソッ、俺は何もできないのか……⁈」
健人は苦悶しながら隣の船の様子を見ていた。毒で苦しむアスカが近くにいるのに、手を差し伸べてやることができない。
────何もしてやることができない。
そんな自分が、もどかしくて、醜く見えて、何か一手を打ちたかった。
『方法は一つだけあるぞ?』
どこからか、声がした。声の主を探すが、健人の周りにいる兵士は必死に戦っていた。
探しても見つからない声の主を無視しようとして、振り返った。
────その瞬間、激しい頭痛に襲われた。視界が奪われ霞み始める。
チカチカと、見える景色はどれも見たことの無いものだった。土の感触、鋼の感触、人を断つ感触。なのに、それら全ては身体に刻み込まれていた。
「はなせ……やめろ……」
『アスカが死ぬかもしれないぞ、いいのか?』
「いや……それは……方法……ってなんなんだ?」
『ああ、方法だ、アスカを助ける方法が一つある』
どこから聞こえるか分からない声に、健人は戸惑いながら反応していた。
「健人、なに独り言喋ってるのにゃ!!」
『スズだっていつも喋ってんだろ、お前さんは弓撃つことに集中しな!』
「にゃあっ……⁈ そ、そんなの当たり前なのにゃ、スズは集中してるのにゃ‼︎」
自分の体が勝手に喋っている。スズは目を丸くしながら見ていたが、また射に集中し始めた。
「待ってください、俺の体を使わないでください!」
『おいおい、落ち着いてくれ。お前さんがようやく“戦意”を持てたんだ。ちぃとばかり寝ててくんねぇか?』
「戦意って、いや、確かにアスカさんは助けたいですけど……!」
自分の思いは確かにあるのに、全く身体が動かない。
自分の体からの問いかけに、ただただ戸惑うのみだった。
『目を瞑れ』
「はぇ?」
『いいから目を瞑れ、瞑ったら深呼吸だ』
身体が勝手に声に反応する。視界が真っ暗になったかと思えば、深呼吸を始めている。
『お前さんは寝ててもいいし見ててもいい、だが怖いとか考えるなよ、考えた瞬間アスカは死ぬ。分かったな?』
「そ、そんなのひど────
『────我らが神、バステトよ。御顔を我らに向けたまえ』
身体が勝手に何かを祈るかのように話し始めた。
我は平和の為に剣を執り、
民の為に戦場を駆ける。
例え死に追われようとも、
我は逃げる事をせず。
地獄を目の当たりにしようとも、
人の為に敵を討つ。
いざ、我に猫神の加護を、
素晴らしき御業を此処に来らせたまえ……!
身体が急に重くなったかと思えば、突然夢でも見ているかのように軽くなる。
それと同時に、身体に何かが纏われていくのを感じた。
「これは、か、甲冑⁈」
『おうさ、俺の甲冑だ。よく見とけよ?』
白銀の甲冑に身を纏った自分の姿に、健人はたじろいでいた。だが、いつのまにか手にした蒼銀の大剣がずっしりと現実の重みを思い出させる。
健人が感じた事のない威圧感、その出所は紛れもなく自分だった。
『久しぶりにしっくりくる身体だな……よしっ!』
気合いを入れるように自分の頰を叩く。視界にいるだけで敵は二十人。
────この程度ならば、制圧するのに造作もない。
むしろ、不足すぎるような気がした。
『行くぞ、我らリリキャットに栄光あれっ!!』
声高らかに敵艦に飛び移る。先程まで立ち込めていた暗雲は彼方に流れていった。




