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Episode.43:紺碧の盤面 〜第二段・トータリア岬沖の海戦〜




 王国南部、アドリーナ半島の南西端であるトータリア岬。その沖合五〇マイルに六隻の蒸気艦隊が航行していた。

 彼らは、北方第三艦隊。王国北部の海を縦横無尽に駆け巡り、敵を撃滅している艦隊だ。その功績から、周辺国では”嵐の猫艦隊“と呼ばれ恐れられている。

 その先頭を航行する旗艦、アビシニアン号の艦橋に一人の女化け猫将校が立っていた。


「うぅぅ、やっぱり怖いです……」


 海軍の象徴である深緑の軍服に白の将校ズボン、白の二角帽をつけた彼女は、セリエ・ローゼンベルク本人だった。

 左腰には、姉の形見の望遠鏡、右肩には提督着任の際に下賜された最新式ライフルを提げている。


「あ、あの、な、なんですか……?」


 彼女は自分の尻を隠して後ろを振り向いた。そこには、セリエの尻をずっと見ていた水兵が、挙動不審にしていた。

 元々密着性の高い将校ズボンなのに、女性らしい腰回りをしている彼女。少し前までは、よくセクハラまがいの事をされていたが、そいつらは総司令官おとうさんに処断されていった。


「えっと、な、なんでもないです……」

「そ、そうです────きゃあっ?!な、なな、なに?!」


 突然悲鳴をあげたかと思えば、艦橋に入り込んだ蝶に反応しただけのようだ。恐ろしくビクビクしながら蝶を見ている。

 始終こんな調子の彼女だが、南方艦隊の水兵達は彼女を尊敬していた。それは────



「敵艦、二時の方向に視認しました、少将、指示を!」

「ふえっ?! え、えっと……」


 セリエは腰の望遠鏡を引き抜き、慌てて覗いた。そのレンズの先には、黒い蒸気を吐く敵戦艦が六隻。単縦陣を敷いて、真っ直ぐこちらにやってきているのが見えた。


「旗は反乱軍、甲板火砲や船速を踏まえると、サイベリアン号率いる南方第二艦隊と思われます!」


 観測手からの報告に、セリエはさらに狼狽えた。かつて、自分の配下だった艦隊と接敵している。


「このままでは丁字戦、しかも不利になりますっ。早めの決断を!!」


 船員達から、激しいプレッシャーがかけられる。彼女は、肩を震わせながら航海図を見ていた。敵艦隊と、こちらの艦隊の戦力差は一緒。ならば、本来ならば打って出るしかない。


「操舵班、六十、機関士は船速を一段階上げてくださいっ」


 思わぬ指示に、船員達はどよめいた。戦意高ぶっている中に出されたのは、”離脱命令“。気性の荒い海の男達はたちまち批判の声をあげた。


「バカかアンタ、あれは敵だぞ、なんで逃げるんだ!!」

「これじゃあ、南方艦隊が落ちぶれた理由も分かるわ」

「とっとと引っ込んでろ、この臆病者!」


 そう、ここは北方艦隊のテリトリーだ、セリエのやり方は通用しない。

 甲板に響く怒号に、セリエは怯え惑いつつどんどん隅に逃げた。

 ────私なんか、やっぱり意気地なしだ……

 セリエの心の中を、どんどんネガティブな思いが占めていく。


「うぅ……でも……」

「でもでもうるせぇ、ビビりはとっとと引っ込んでろ!」

「操舵士、面舵八十、船速は半速にして急旋回するぞ!!」


 男達の声にセリエの声が埋もれてしまう。彼女の頰には、恐怖からか終始涙が流れていた。


「馬鹿か、たかだか自分の船しか見えていないお前達に何が分かる」


 セリエの後ろから、毅然とした声が響いた。その声は甲板の怒気や困惑すらも押し流した。


「か、艦長!!」

「ローグハイム大佐、彼らは事実を述べているまでで────」

「提督閣下、私はこの船(アビシニアン)や後続五艦を、貴女に託しました。それは、貴女の卓越した作戦力を知っての事です」


 アビシニアン号艦長にして、北方第三艦隊司令。“北の海は、全て彼のモノ”とまで言われる程の実力を持つ軍人だ。

 そんな彼からも、畏敬の念を抱かれる程の実力をセリエは持っていた。


「カルタギア帝国海軍の北侵を防ぎ、敵戦力を完膚なきまでに叩きのめしたその手腕。私は信じています」

「ふぇぇ……す、すみません……」


 セリエは照れたのか、二角帽を目深に被った。だが尻尾の振り方は、満更でもない様子だった。

「総員、再度伝達する。北方第三艦隊は既に、ローゼンベルク少将に指揮権を移譲している。少将への誹謗及び命令背反は、私に対するそれらよりも重いと心得よ」


 ラジャー、と意気軒昂な声が甲板を包む。航海士は、針路の計算を再開した。


「提督、敵艦隊との距離はおよそ三五〇〇。戦艦六隻編成で丁字有利になりつつあります」

「…………取舵一杯、船速は最低。急旋回につき転落注意されたし」

「了解、艦橋より転舵室へ、取舵一杯で転舵せよ」


 セリエの指示を受けた航海士が、伝達用のホーンを使い各科に命令を伝達する。船上の信号旗では”旗艦に続け“との指示が出る。


「とぉりかじいっぱぁぁぁい!!!」

「関係ねぇ奴らはその辺捕まっとけ!!」


 蒸気戦艦が、尋常じゃない程の急旋回をする。六隻がほぼ八十度という、神がかった操船技術を見せつけていた。


「航海士さん、このあと、1-2-11で針路固定。その後、同航戦になります。右舷の船腹火砲全て、装填。距離七五〇まで近づいたら、砲撃を許可します」

「ラジャー!」


 砲兵達が慌ただしく、右舷の七センチ砲二〇門に装填していく。長い航海の疲れなど、一切見えなかった。

 やがて、敵艦隊と、ほぼ平行に並ぶ形になった。甲板が一瞬静まり返る。


「敵艦隊との距離七五〇!」

「……艦橋より砲術科へ、砲撃を許可します」

「ラジャー、右舷よーい、てぇぇぇっ!!」


 右舷船腹から黒煙轟音と共に砲弾が放たれる。それと同時に敵の甲板火砲、つまり主砲が火を吹いた。


「弾着確認っ、操舵部に損傷は見られませ────

「衝撃に備えろぉぉぉぉっっっ!!」


 後部甲板から轟音が聞こえる。甲板には大きな穴が開いて、食糧庫が丸見えになっていた。


「怯まないでぇ、くださいぃ……、次弾装填してくださいぃ……!」

「て、提督……」


 ホーン伝いに、艦橋の隅でブルブル震えながらセリエの指令が飛ぶ。

 砲撃戦は、熾烈ながらも与えた損害は、そこまで大きくなかった。


「そろそろ……そろそろ……」

「て、提督、大丈夫ですか?」

「ひっ! だ、大丈夫です!!」


 おどおどしながら、セリエはゆっくり立ち上がった。火薬と潮の混ざったような臭いが漂い始めている。


「ん……? んんっ?! 監視台から艦橋へ、所属不明の艦隊を視認!」

「は、旗は、旗はどうですか!!」


 アビシニアン号の十時の方向に、四隻の戦艦が単縦陣で航行している。


「旗は……紺猫旗こんびょうき、友軍艦隊です!」

「やっと……来ました!!」


 満面の笑みを浮かべて、セリエはピョンピョン跳ねていた。


「提督閣下、アレは”シャトルリュー号“ではないでしょうか」

「そうです、ここが“合流地点”なんです!」


 シャトルリュー率いる南方第二艦隊。反乱軍の襲撃を受け二隻は未だ大破しているが、残り四隻で出撃したのだった。

 既に、南方第二艦隊は丁字有利を取って、敵艦隊を追い詰めている。後続艦のうち三隻は大破撤退を開始し、サイベリアン号も針路を急転させ、全速で撤退し始めている。


「うぅぅ〜、でも、これで”チェックメイト“だからっ……!!」


 砲撃の音に耳をぺったり伏せながらも、彼女は凛とした目で敵を見据えている。


「あ、危ない!!」


 だが、その刹那。アビシニアン号艦橋に向けて、抵抗の砲弾が飛来した。

 ここまで来て、逆転されるのか────船員達は身も心も構えて備えた。


 だが、それが着弾する事は無かった。海面に大きな飛沫が起こる。


「ど、どういう事だ……?」

「砲弾が……急激に()()()ぞ?!」

「大丈夫です、し、心配しないでください、もう勝ちなんです!!」


 セリエの必死な叫びに、流石にローグハイム大佐も怪訝な顔をしていた。だが、監視台からの伝令は、セリエの”勝利宣言“を確固たるものにした。


「か、監視塔より艦橋へ。五時の方向、距離3000に北方第五艦隊旗艦、ラグドール号を確認。敵艦隊が友軍艦隊に……包囲されています……!!」

「じゃ、あ、あの、サイベリアン号を拿捕しましょう……!」


 セリエはオドオドしながらもウキウキした様子で、愛用の(ウィンチェスター)小銃(M1870)に弾を込める。


「では、艦橋から総員へ、移乗戦の準備をお願いします!!」



 予想以上に小さな声で、”最後の一手“が指示された。その時、ふと太陽を覆っていた雲が晴れたような気がした。


 


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