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Episode.41:答え見えぬ、切なる祈り




「まずはマッシリーナを奪還します」


 セリエが建てた作戦の、一番初めだった。南部の海岸の要衝にして第二の軍港、マッシリーナ。そこを奪還し、敵の海軍兵力を削ぎ落とす事が第一義だと彼女は説明していた。


「さて、あの軍港を陥落させるのに君なら何日かかる?」

「我々が今の兵力で挑んで五日程でしょうか」


 そうか、と呟いて一人の軍人はパイプをくゆらせた。髭が特徴的な化け猫は、そっと作戦図に目を戻した。


 『猫の雷霆作戦』。そう名付けられて送られてきた、一枚の機密文書だ。送り主は南方艦隊提督、セリエ=ローゼンベルク少将。

 送り先は、王国軍として活動している師団や旅団、連隊の長達。しかも、それぞれの動きが事細かに記されていた。

 ────始まる。

 誰もが、未来を賭した戦いの始まりを肌で感じていた。


「我々”東部歩兵旅団“に与えられた任務は、バニスの”処理“だ。あそこは、マッシリーナとついで、アドリーナ半島へ向かう要衝と考えられている。中央突破は、グレイホッファ湿地を越えなければいけないため、実質不可能。つまり、かなり重要な任務になってくる」

「では、今すぐに手筈を整えて出撃し────

「そういう事じゃない」


 見た目よりも若々しい声で、闘気を燃え上がらせる女化け猫将校を諌める。彼女は、出鼻をくじかれたような顔をして、ふてくされていた。


「奴らの逃げ場を全て破壊する。これがこの作戦の趣旨だ。それが読み取れないとまだまだ────こら、そのソファは高かったんだ、爪とぎをするんじゃない」

「いいじゃないですか、グラッセ大佐ならばまた買えるじゃないですか〜」

「これ以上やめないのであれば、実力行使だ」


 そう言って、彼──グラッセ准将は化け猫将校のお腹をくすぐり始めた。


「やめてください〜、そこは嫌です〜」

「なら、爪とぎをやめなさい」


 二人の攻防はすぐに終わった。彼女はしょんぼりしながら丸くなる。


「さて、本題に入るが、マッシリーナ攻略にはおそらく西部騎兵旅団が主体になる。あそこはおとなしい兵士が多いから、少し時間がかかるかもしれない。だが、もしもセルウィン率いる外征第一騎兵連隊が駆けつけようものなら、おおよそ三日あれば事足りるだろう。つまり我々のすべき事は一つだ」

「それは……?」


「バニスから、蟻一匹たりとも北へ抜けさせない、という事だ」



***



 健人たち一行は、マッシリーナから北西に一〇マイル行った所にある軍の野営地にいた。

 エイヴァンヌから次の目的地に向かう道すがらでで作戦会議をしていたその夜、顔を真っ青にして倒れていたアスカを見つけたのだ。


「アスカさん、起きてにゃ〜!」

「おきないとダメだよ〜!!」


 スズとナエの声ですら、アスカには届いていないようだった。まるで、思考の底から凍りついてしまったかのような眠り。規則正しく胸が上下している。


「一体どうしたらアスカさんは起きるのにゃ〜」

「いつかおきるよ〜、それよりもスズちゃん、さっきキレイなお花みつけたの!」

「すごいのにゃ、早く見にいくのにゃ〜」


 二人は、元気よく野営地から飛び出していった。残されたのは健人とユリのみだ。セリエは軍議に出ている。


「ねぇ、健人、あなた、本当に何も知らないの?」

「ど、どうしたんですか?」


 ユリは怪訝そうな表情をしながら、健人の隣にやってきた。その時、花の匂いがふわりと漂ってきた、ような錯覚に彼は陥った。


「貴方は、どうしてここにいるの?」

「どうして、って、姫様を助けて反乱軍を鎮圧する為じゃないんですか?」

「……貴方、元の世界に帰りたくないの?」


 なんて事のない、当たり前の質問だった。普通、元々いた場所と全く違うような世界に来れば、発狂してもおかしくない筈だ。

 なのに健人の“発狂”は少し違った。

 目的をなす為の発狂。無我夢中といったほうがいいか。本来、“異世界人”がすぐには持ち得ない感情が元になっていた。


「元の世界……帰れないような気がするんですよ、二度と」

「そう、それは、どうして?」

「それは、なんかダマレ」

「…………へ?」


 突然、健人の声色は変わった。その眼は、据わっており何者にも動じない眼をしていた。ユリは身の危険を感じて、咄嗟に防御術式を組み立て────


「オマエにナニがワカル?! このイタミが、クルシミが、ムネンが、コウカイが、ワカルか?! たかだか魔術師ゴトキのオマエにナニがワカル。ナニもワカリやしないだろう! なぜなら、オマエは、オマエはヒメをコロシタ!!」


 突然尋常じゃない膂力りょりょくにユリは押しつぶされた。首に手があてがわれ、どんどん締まっていく。彼女は必死に抵抗した。服はどんどん乱れ、その場にふさわしくない白い肌があらわになっていく。

 彼女は死を覚悟した。それと同時に、この国の罪をようやく理解した。

 彼女の物見の眼は、正しかった。それを死によって証明する事になるとは、彼女はひたすら後悔した。


「いや……離して……やめて……ころさないで…………」


 やっと、彼女の喉から命乞いが漏れる。だが、それは余りにも遅かった。

 パキリ、と音がした途端、事は終わっていた。



***



 俺は、ここで何をしているのだろう。


 自らの故郷を蹂躙され、滅却され、それでもなおこの国に従い続けている。

 俺は、いつ剣を置くことができるのだろうか。それは誰にも分からない。


 目の前に、村にいた魔術師がいる。俺はそいつの首を絞めた。

 コイツは、酷い奴だった。逃げ惑う友や家族を、燃え上がる土地に釘付けにしたのだ。だから、コイツは死んでも許されない。


 ────ああ、でもバカバカしいな。


 俺はソイツの身体を離して、また道を歩き始めた。

 俺はもう振り返れない。いや、振り返る事は出来ない。

 否、振り返りたくないのだ。

 俺の後ろには屍しか落ちていない。全て、全て俺が作ったものだ。


 どうしたら、許されるのだろうか。

 なぜ、死しても戦い続けているのか。

 いつ、俺は解放されるのか。


 ────見覚えのある少女が立っている。

 愛くるしい緋色の瞳に、キリッとした唇。朱鷺色の小袖は変わらない。

 だけど、心も身体も大きくなったみたいだ。俺としてはとても嬉しい。


 彼女に手を伸ばして、俺の胸にその華奢な身体を受け入れる。しっかりと、守るように両の腕で包み込む。

 いつもみたいに彼女は嫌がっているが、それでも構わない。


「アスカ、ありがとう」


 彼女の心臓の鼓動が、俺に希望を与えてくれる。

 彼女の呼吸する音が、俺に自信を与えてくれる。

 彼女の抵抗する声が、俺に安寧を与えてくれる。


 俺はとても安らかだ。こんなに血にまみれた手、罪にまみれた身体でも、アスカは俺にとって、掛け替えのない存在だ。


 ────そうだ、俺は彼女の為に戦っているんだ。

 彼女がこの国にいるから、彼女を死なせたくないから、彼女に幸せになって欲しいから、だから戦っている。


 ゆっくりと眼をつぶり、祈りの言葉を胸に浮かべる。



 ────天にいます、我らの母よ

 その御名を崇め、御心を地に為させたまえ。

 その息吹は、我らを責むる者を消し去り、

 その御声は、我らを犯す者を怖じ惑わす。

 我らに平和と安寧をもたらしたまえ。

 我らは醜く罪深き者、いずれ滅びる者。

 なればこそ主よ、我らの罪を赦したまえ。

 主よ、我らに悪しき者と戦う力を与えたまえ。

 その栄光、天に帰す為に力を与えたまえ。


 我らが母、バステトの御名をもって祈りを捧ぐ。



 ────アスカ、俺の大切な妹、決して不幸にはさせない。



 俺はそう誓って、また眠りについた。

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