Episode.39:火蓋は切られ
────陽光照らされる海面を、蒸気をあげながら五隻の戦艦が突き進んでいく。
船首には槍を持った化け猫の像が据えられ、マストには青地に美しい猫とマスケット銃が刺繍された旗が掲げられていた。
「もうすぐサルデリネアだ、気を引き締めていくぞ!」
甲板長の怒声に、船上は賑わいが増えた。水兵服姿の化け猫達は各々の持ち場につき、緊張した面持ちで水平線を睨んでいる。ふと一瞬、船が静寂に包まれた。
「二時の方向に敵艦発見、数は三隻!」
「全速前進、今度こそ反乱軍の補給路を断つぞ!」
ラジャー、と揃った返事で今度は船内の熱が上がっていく。
この艦隊はとある任務を遂行するために編成された、即席の艦隊である。
この艦隊の旗艦である「シャルトリュー号」には、前方甲板に十五センチ砲、後方には一六センチ砲を搭載した新型戦艦である。後ろに続く戦艦達と違い、船腹に多数の艦砲を並べるのではなく、高火力の物を二つ載せて“破壊”よりも“撃沈”を狙った物となっている。
「操舵手、敵艦に接近させろ、機関士は石炭をさらに燃やせ、速度を上げろ!」
「面舵四十、ヨーソロー!」
操舵手の指示で舵が切られ、船上が少し傾く。それと共に、黒煙の量が増し速度も上がる。
先頭の戦艦に続き、後続の艦も一斉に針路を変えた。その光景は、息を呑む物だった。
「主砲の射程圏内に敵艦を捕捉しました。船長、砲撃命令を」
航海士の化け猫が休めの姿勢で、上部甲板にいる海軍将校に報告した。艦隊の士気はすでに高まっている。
船長は大きく息を吸い、そして目を見開いた。
「砲撃を許可する、反乱軍どもに我々王国海軍の威光を見せてやれ!」
「ラジャー、敵艦は三隻。距離、方角は!」
「敵艦隊は十一時の方向、およそ一海里の位置を航行中。風は向かい風です!」
「主砲を仰角五十五、砲弾を装填せよ!」
二人掛かりで主砲の装填が行われる。砲術長がテレスコープにて敵艦の最終確認をする。
「距離よし、角度よし、風よし……!」
船内に緊張が一瞬だけ走る。
「前方主砲、てぇぇええっ!!」
号令と共に、砲術士が点火し静寂な海に轟音が響く。五隻から放たれた七十ミリの砲弾は放物線を描いて、敵艦隊へ向かって飛んでいく。
「だんちゃあああく、今っ!!」
船長の望遠鏡には、敵の甲板上で砲弾が炸裂する様子が見えた。
「初弾の着弾確認、後続艦に信号送れ、陣形は複縦陣だ」
信号旗がシャルトリュー号の海軍旗の下に三枚掲げられる。後続四艦はそれぞれ二手に分かれ、追撃を開始した。
撃沈こそしていないもの、着弾した艦では火災が起こっている。
────おかしい、なぜ輸送艦が3隻しかいない。
「ここは風下……まさか!」
「敵艦隊増援あり、数はおよそ……帆船十隻!!」
「前進しろ、この艦隊ならば風の利は関係ない!」
「石炭もっと焚け、じゃねぇと沈められんぞ!!」
輸送船を庇うように帆船が集まり始めている。だが、まだ技術はこちらの方が上である。蒸気艦隊はスピードを上げて、風上に向かい始めた。
「帆船が右船腹に突っ込んで来ます!」
「総員、衝突に備えろ!」
「畜生、面舵いっぱぁぁああいっ!!!」
「船員は移乗戦に備えろ」
シャルトリュー号は操舵長の掛け声と共に右へ急旋回した。激しく傾く甲板に煽られながら、マスケットを持った水兵たちが現れる。
何かがひしゃげるような音ともに帆船の衝角がシャルトリュー号の右後方に突き刺さった。
「総員、撃ち方始め!」
「怯むな、シャルトリューを沈めれば南方艦隊は死んだも同然だ!」
ピストルを持った袖なし軍服の海兵達がシャルトリュー号に乗り移ってくる。硝煙の匂いがたちまち立ち込め始める。海はゆっくりと紅くなり始めた。
向こうの方では後続艦隊が船腹の片側十門の火砲で帆船に一斉砲撃を浴びせていた。
銃声と剣戟の音が、凄絶な旋律を奏でている。波音なんてものは一切かき消されていた。
「敵艦まもなく…………あれは?!」
「ま、まさか…………」
シャルトリュー号の船員が目撃したのは、自分達の船よりも二回り程大きい戦艦だった。だが、掲揚しているのは反乱軍の旗だ。
「“メインクーン号”だ……噂は本当だったのか!」
「クソっ、戦線離脱するぞ、衝撃に備えろ!」
「取舵いっぱい、そのまま全速前進だ!!」
風向きが一瞬にして変わる。甲板が先ほどとは逆向きに傾き、黒煙と共にシャルトリュー号は離脱を始めた。
突如響き渡る轟音。それがメインクーン号に載せられている、前方二門の二〇センチ砲の発射音だと気づくまでに幾ばくかの時間を要した。
船員の体が宙に浮き、海面に叩きつけられる。シャトルリュー号は前方甲板から火災発生、右船腹はいくつかの損傷を追いながら左へ転舵した。
シャトルリュー号率いる蒸気艦隊が命からがら逃げ帰ったのを、反乱軍は追撃せずに見送っていた。
***
「さて、反乱軍をどうやって駆逐するか、それを考えなければね」
気を取り直したユリは、王国の地図を広げてじっくりと思案し始めた。
「今、反乱軍はおおよそ鎮圧されて、残りは南部戦線のみ。きちんと準備すれば勝てるはず」
「────そ、そんなことありませんっ!」
ユリの意見に、珍しく噛みついたのはセリエだった。少し肩をビクビクさせながら、じっとユリを見ている。
「あら、どうして?」
「南部戦線がここまで膠着しているのは、反乱軍の戦力が高すぎるからです。陸では高火力のカノン砲を保有する南方師団機甲科大隊、海では最新鋭の装備を揃えている『メインクーン号』を旗艦とした南方第一艦隊。これらが反乱軍の主力となっている為、今の私達では防ぎようがありません……」
「なら、打開策はあるの?」
ユリは、いつもの飄々とした声で質問しながら、セリエの隣に来た。彼女は、ゆっくりとセリエの耳をわさわさ撫で始めた。
「あぅ、やめてくださいぃ、考えはありますからぁ……」
「なんだ、考えなしに言っているのだと思っていたわ」
セリエの必死な抵抗に、ユリは手を離した。彼女は、また耳を触られないように、手を頭に当てて怯えている。
「セリエさん、王国の中で偉い人なのですよね……大丈夫なんですか?」
「あら、普段の彼女と今の彼女は違うじゃない。今は、私達と生死を共にする軍人であって、雲の上の猫じゃない。その辺健人は分からなかっ──
「そろそろ騒がしいぞ、ユリ」
アスカが珍しくユリに言葉で噛み付いた。彼女は面食らってしまい、少し大人しくなった。
「それで、セリエさんは何を考えてるにゃ〜?」
「あ、えっと、向こうの主力に立ち向かうためには、こちらもそれ相応の準備が必要だと思うんです!」
「それはなに〜?」
ナエが突然セリエの隣に、文字通り落ちてきた。どうやら、何かと戯れていたようだ。
「え、セリエさん?」
「セリエおねえちゃんど〜したの〜?」
白目を剥いて、まるで犬のように”降参のポーズ“をしているセリエ。それをナエはつつき続けていた。
それからしばらくして、セリエが復活すると、まず最初に麻袋に顔以外を入れられて芋虫みたいにビタンビタン跳ねているナエが目に入った。
「こんなのつまんないよー!!」
「うるさい、セリエの話を邪魔するな」
アスカの静かな声に、ナエはむっすりとして黙り込んでしまった。
「それで、セリエさん。俺たちはまず何をすればいいの?」
健人はセリエを真っ直ぐ見つめていた。その目が、どこかで見たことのあるような目で、何も喋れなくなっ──
「早く教えるにゃ、スズはお腹が空いたのにゃー!」
「は、はいっ。まず、今、王国軍として活動している中で一番の主力は────」
月輝く夜に、セリエの大人しくも聡明な声が通っていた。




