Episode.3:謁見式
「王様はすごく怖い人にゃ。だからきちんとした態度を取らないとダメにゃ〜」
「そう言いながら、俺の腕に頭をこすりつけられると、説得力に欠けるのですが…………」
二人は王城の廊下、赤い絨毯の上を歩いていた。国王との会食、本来なら激しく緊張するはずだった。しかし、隣の猫娘メイドによって緊張なんていう物は、きの字も残らない程に吹き飛ばされてしまった。
「ここが琥珀の間、みんなでお食事するところにゃ〜」
「そうですか……」
大きな扉の前に、二人は立っていた。扉の向こうから、強大な何かがひしひしと伝わってくる。健人は自然と背筋が伸びるような錯覚に襲われた。
「陛下、昨日保護した客人をお連れしましたにゃ!」
「入室を許可する」
部屋の中から若々しくも威厳のある声が響いた。二人は深呼吸をして琥珀の間へ足を踏み入れた。
「おはようございます、陛下。昨晩は、眠れ、ました……か?」
「ほう、始祖の化け猫特有の訛りを変えようとしているのか。ティアーヌが聞いたら、ひっくり返りそうな事よの?」
「ち、違いますにゃ! あ、あの、陛下の前で訛るのはよろしくないと思ったのですにゃ…………あっ」
「早速、訛りが戻ってきているぞ? 愛いやつめ、余の膝に乗る事を許す」
といって、赤髪に金の瞳の王はスズを抱き寄せて膝に乗せた。そして首筋や頭を優しく撫でていた。
「陛下、朝食は食べなくて良いのです……か?」
「たわけ、食べるに決まっておろう。そんな愚問を余の耳に入れた罪は大きいぞ?」
「にゃう……ごめんなさいにゃ…………」
「仕方あるまい、これで許そう」
すると、王は、スズが履いていたロングブーツを脱がせて、彼女の指の付け根辺りをフニフニと触り始めた。
「う〜、くすぐったいですにゃ〜」
「うむ、やはり柔らかいな…………そこの客人も特別に余の侍従の足に触れる事を許すぞ?」
「ダメにゃ、スズが許しませんにゃ」
スズは王の膝の上でもじもじしていた。だが、健人が呼ばれてスズに近づくと、彼女は唸り声をあげて威嚇し始めた。
「余の膝の上で唸るとは無礼よの。ティアーヌの代わりに、しかとその身に仕置せねばなるまい」
「お仕置きはいやですにゃ! そうにゃ、朝食をとるといいですにゃ!」
スズは王の膝の上からするりと抜け出して、そそくさとどこに立ち去った。
「客人よ、名はなんという」
「あ、あの、加賀谷 健人と申します…………」
金色の瞳が健人の方へ移った。その瞳は、そこはかとない恐ろしさが内包されていた。
「生まれはどこだ?」
「に、日本です…………」
健人はただ出身国を答えただけだった。それなのに王は、片眉を吊り上げて、興味深そうにしていた。
「ニホン、とはどこにあるのだ?」
「えっと、東アジア地域にある島国です…………」
「島国か、ヒガシアジアとはまた珍妙な名前よの。これはまた探検隊を編成すべきか?」
王が興味津々に話を聞いていると、いつの間にか、健人の前には豪勢な朝食が置かれていた。厚切りのトーストにコンソメジュリアン、スクランブルエッグとソーセージ、そして野菜。俗に言う”意識高い系”の人達が食べてそうなメニューだった。
「今日は特別だ。スズ、お前も余と共に食事をとることを許そう」
「ホントですか?! 最近の王様は優しいですにゃ〜」
「何を言っておる。全てはお、余が求めているのだ。慎んで受けよ」
王は少し戸惑い気味に話していた。王すら焦らせるスズのマイペースさに、健人は驚嘆せざるを得なかった。
「それで、客人よ、”ラーディクス・ベルラトール”という言葉に聞き覚えはないか?」
「────いえ、ごめんなさい。聞き覚え無いです…………」
健人は聞き慣れない横文字に首を傾げた。そんな健人を尻目に、スズは幸せそうに朝食にありついていた。スクランブルエッグの中には、チーズが入っていたようだ。
「まぁ、良い。謁見の場など余の手間を取らせる物は気に入らぬのだが、貴様は別だ。実に興味深い奴だ。詳しい話は、後々聞くとしよう。楽しみにしているぞ?」
王は、早々に食べ終えると手を拭き、部屋を出ていった。スズも食べ終わっているようで、王と自分の食器を既にまとめていた。
「ゆっくり食べていいにゃ、味わって食べるのがいいのにゃ〜」
「そうですか、そしたら、お言葉に甘えて味わいます…………」
食べ物は、今のところ一食しか出されていない。だが健人の胃袋はすっかり掴まれていた。
ただ、やはりこの国については何も分かっていない。それに、一番気になる事が健人にはあった。
「スズ、耳はどこにあるんだ?」
「耳? 耳はここにありますにゃ」
スズは頭に生えている猫耳を撫でていた。健人は手を伸ばしてフニフニと触り始めた。
「うにゃうっ、な〜に〜す〜る〜にゃ〜!」
スズは両の拳を握りしめ、顔を真っ赤にしながらぷるぷる震えていた。スズの喉の奥からは唸り声も聞こえる。
「ごめん、実際に見た事は無かったから、本物だと思えなかったんだ」
「耳はくすぐったいから絶対にやめてほしいのにゃあっ!」
スズは太くなった尻尾を立てて、目くじらを立てていた。少しかわいそうなことをしたな、と思いつつも、猫好きの健人の心はほっこりしていた。
「う〜、スズの事をいじめないでにゃあ…………」
「いじめてなんかない。だから、落ち着いてくれよ…………」
健人は何とかスズを慰めようと試みた。しかし、スズはそっぽを向いて、朝食の片付けを始めた。
申し訳ない気持ちになった健人は、部屋を出て少し城内を探索を始めた。天井には豪華なシャンデリアや荘厳なデザインの壁紙、ところどころに施されたお洒落な彫刻や絵画。全てが健人の経験を超えていた。
しばらくすると、向こうから彫りの深い顔の老化け猫が歩いてきた。背丈こそ小さいが、幾多もの困難を乗り越えて来たかのような頼もしさが、その表情にはあった。
「そなたは、この後王と謁見される客人であったかな?」
「えっ、あっ、そうです!」
「初めまして、私はローウェル=ヘンドリクソン。議会を運営する立場である、首席政務官を務めております」
「よ、よろしくお願いします……」
ローウェルはニコリと微笑むと、そっと握手を求めた。その手はやはり経験を積んでいる手ながらも、柔らかかった。
「本当なら、侍従に城内を案内させたい所ですが、今は有事の故、人員を割くことが出来ず申し訳ありません。どうかお気を悪くせずに、ゆっくりしていってください」
ありがとうございます、と軽い挨拶を返して、健人はスズに連れ去られた。その後ろ姿を、ローウェルはじっと見ていた。
***
「中から呼ばれたら、お返事をしますにゃ。それで玉座の前まで歩いたら、跪くのにゃ。分かったにゃ?」
「まぁ、何となく分かりました…………」
「顔を上げていいって言われるまで上げちゃダメですにゃ。分かりましたにゃ?」
スズが謁見式のマナーなどを健人に細かく教えていた。健人は胃が痛くなる程の緊張を味わいながら、じっと待っていた。
「加賀谷 健人、スズ=グランドハート。両名の謁見を許す。直ちに入られよ」
「し、失礼しますにゃ……」
目の前の重い扉がゆっくりと開いていく。少ししか開いていないのに、部屋の煌びやかさがひしひしと伝わってきた。
赤く柔らかな絨毯を見ながら前に進んでいく。ある程度進んだ所でスズが跪いた。それに倣って健人も同じ格好をとった。
「客人よ、面を上げよ」
朝食を取っていた時とはかなり違う、威厳のある姿。健人はそれにすっかり萎縮してしまった。
「まずは、我がリリキャットへよく来た。余がこの国の王、アレキサンダーだ」
「か、か、加賀谷、健人と、申します!」
「スズ=グランドハ────
「早速本題に入りますが、貴方達には反乱軍に攫われた、ティアーヌ様を救ってもらいたいのです」
スズの自己紹介を待たずして、彫りの深い老化け猫、ローウェルが話を始めた。むくれているスズをよそに健人は目を丸くした。
「ティアーヌ様とは…………」
「余の妻だ」
王はあっさり言ってのけた。だが、国王の妻といえば…………
「一国の姫君を救うだなんてむ、無理です! と、突然そんな事言われても! 何が何だか理解できません!」
「なるほど、あの方の申した通りですな…………」
ローウェルの一言は健人をさらに混乱させた。
「あの方、とは一体誰なんですか!」
「これは失礼、おっておはな────
「卿よ、余は発言を許していないぞ?」
失礼しました、とローウェルが下がっていく。健人は憤然とした様子で跪いていた。
「よいか? これは余の命令だ。それが聞けぬのならばこの国にはいらぬ。余の視界から、否、我が国から疾く失せよ」
アレキサンダー王は健人に対しかなり辛辣な態度をとっていた。いや、辛辣なのではなく、自分の決めたことに従わない健人に対して、厭悪を抱いているようだ。
「俺は断るとは言っていません。ただ、私はこの国の国民ではありません。ですから、そのような任務を俺がなぜ引き受けなければならないのか、説明責任を果たしていただきたい!」
健人は自分でも分からないくらいに胸が高鳴っていた。普段、この状況ならば言葉を発せなくなる。なのに今の自分は饒舌になっている。健人は自分の状況が掴めなかった。
「ほう、実に愉快だ。確かに余の臣民ならば即座に死罪であった。だが、お前は客人である。そして余は寛大である。よって、余に対する不敬を許そう」
しかし、王はその態度を崩すことなく、毅然とした態度で健人に言葉を返した。健人はそのオーラのせいなのか、頭痛に襲われていた。
「そ、そうですか」
「それ故、もう一度問おう。貴様は余の命に従う気はあるか?」
「……………………分かりました。全力で姫をお救い致します」
王からの圧力は大きかった。健人はその命令を受諾せざるを得なかった。
その後はローウェルから色々な話を聞いた。反乱軍は現在南部地方の港町マッサリヌから船で3時間の島、クルシケ島を拠点としている事。反乱軍以外に”紅のツバメ”という武装集団が各地で紛争を起こしている事。そして、”始祖の魔猫”なる化け猫が救出に必要な事などだ。
「な、何故その5人の化け猫が必要なのですか?」
「クルシケ島は元々神の島と言われております。本来ならば、神と通じれる権威を持った第一位の魔術師。それがいないと入島すら叶いません」
健人はますます背筋が伸びた。神の島に行かねばならないというのは、今までの人生の中で初めてである。
「それ故、この王国の守護神と言われるバステト神に許しを請わねばならないのです。しかし、バステトの子と言われる”始祖の魔猫”。その血を受け継ぐ者は島に入る事が許されるのです」
「それで、その目処は……?」
「一人は隣にいるぞ?」
健人は目を見張って隣を見た。愛らしい笑顔でスズが健人の事を見ている。
────マジで?そんな事あるの?
我ながらこれは運があるとしか言いようがない。健人は思わず黙り込んでしまった。
「とりあえず、余から話せる事は以上だ。疾く失せよ」
「し、失礼致します!」
二人は逃げ帰るように泊まっている部屋へ向かった。だが、帰ってからスズが得意げに甘えてくるという環境によって健人は寝れなかった。