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Episode.38:束の間の癒し




 

「わー、すっごーい!!」


 エイヴァンヌの中でも秘湯と言われる街外れの旅館。その浴場でナエが激しく走り回っている。確かに、自然の中に出来た程よい熱さのお湯に浸かりながら、リリキャットの壮大な自然を満喫できるのはとても良い保養になる。


「こら、浴場で走らないの、転ぶわよ?」

「だいじょうぶだも〜ん!」


 ユリの制止を振り切って、ナエは湯船に突っ込んでいった。

 ────だが、その夢は叶う事はなかった。

 ナエの身体は、湯船の一歩手前で綺麗なバック宙を繰り出した。そのまま着地、とは行かず、うつ伏せ&大の字でそのままビタンと床に叩きつけられた。


「あぁぁぁぁっ、いたいよぉぉぉおおおっ!!!」

「だから言ったじゃないの……アスカ、私は髪を洗ってるから代わりにナエを助けてあげて」


 本来いるはずのアスカに声をかけるが返事は一切ない。ユリが思わず振り返ると、口を開けて熟睡しているアスカが湯船にいた。少し沈みかけている彼女を、ユリは放置して一番頼りになりそうなセリエに──


「ううっ、なにこれ、こんなの溺れちゃうよぉ……」


 湯船の端っこ、石の縁にちょこんと座って湯船をつつき続けている。セリエも頼りにならなさそうだ。


「いーたーいーよ!!」

「もう、うるさいのにゃ、とっとと立つのにゃ〜」


 騒ぎ立てるナエを、宥めている、ようには聞こえない言葉でスズが介抱し始めた。その手際は流石メイドと言ったところか、もうナエには笑顔が戻っていた。


「元気になったのならいいのにゃ〜」

「ありがとう、スズ。これで落ち着いてお風呂に──


 ユリの言葉は一瞬にして消し飛んだ。彼女の顔はみるみるうちに蒼白になっていく。スズは不思議そうな顔をしながらその様子を見ていた。


「そ、その、た、タトゥーはな、な、なに?!」

「タトゥーなんか入れてないにゃ!」

「で、でも、そんな緻密で精巧な物……え、これタトゥーじゃない、なんなのこれ、文字?そんなわけない、こんな文字あるはずがない。どうして?私の知らないこんなものがあるなんて、いやだ、いやだいやだ!!」


 スズの身体を見たユリは突然発狂し始めた。それを止めるのは、誰もいな────


「大丈夫ですか?!」


 隣の男湯から、慌てた様子の声が届く。紛れもなく健人の声だった。その声を聞いて


「ひ、ひいっ──キャアアアアっ?!」


 セリエが驚きすぎて湯船に落っこちる。その派手な落下音を聞いたアスカは飛び起きるも、姿勢が悪かったが為に滑って沈んでいった


***



「どうして、スズがお風呂に入ろうとしたら、みんな溺れるのにゃ〜」


 スズは湯船の中で、一人ふてくされていた。アスカは我関せずと言った表情で、また、さっきと同じ姿勢でウトウトしていた。


「もう、お風呂くらいゆっくり入りたいに────」

「セリエおねえちゃん、おふろキライなの〜?!」


 ナエの元気良い声にまたしてもスズは遮られてしまった。すっかりふてくされたスズは、湯船の隅の方で体育座りしている。


「お、お風呂はに、苦手じゃないけど……深いから苦手なの……」

「じゃあ、いっしょに好きになろ〜!」


 と、言いながら激しい水音が響く。他の三人が慌ててそっちを向くと、いつのまにかセリエが溺れていた。


「“東方”にはならうよりなれろ、ってコトバがあるんだって!」

「ちょちょちょ、だからってセリエが死にかけてるじゃない!!」


 ユリが急いでセリエを引き上げると、彼女は涙目になりながらぐったりしている。


「もう二度とお風呂になんか入りたくないです……」

「まぁ、ナエが乱暴したせいだしね、しょうがない」


 ユリはゆっくりとセリエを湯船に座らせた。その際、セリエの項を甘噛みしていた為、セリエは全く暴れずに入浴することができた。


 五人並んで気持ち良さそうに入浴していた。流石に霊泉の効能は高かったようで、あんだけ怖がっていたセリエですら、慣れているようだ。


「束の間の休息ってところかしら、ね」

「はい……これから忙しくなりますし」

「セリエお姉ちゃん、”きゅうそく“ってなーに?」

「それは、みんなに配られるご飯のことなのにゃ」

「スズ、それは“きゅうしょく”。“きゅうそく”は、休む事よ」


 平和な会話が続いている。ゴボゴボと音を立てて沈んでいくアスカを、時々ユリが抱き上げていた。

 

「そういえば、そろそろスズはお腹が減ったのにゃ〜」

「はやくサーモンたべよー!!」

「食べるのにゃ〜」

「あなた達は、本当に食べ物の事しか考えていないのね」

「わらわも……空いたのだが」

「あ、アスカさん、起きたんですね〜」


 アスカが起きたことにより、浴場は賑やかさがさらに増した。

 そのまま、他愛もない話をして、彼女達はお風呂から出ていった。


「あの、どうしたらユリさんみたいになれます……か?」

「あー、私はずっと本読んで、男には負けないって気持ちで勉強してきたかしら」

「そ、そういうことじゃなくてですねっ……」


 セリエは自分でユリに質問して、勝手に赤面し始めた。その横では、


「身体を拭け、冷えるぞ」

「はやくごはんー!!」

「ちゃんとしないとご飯は無しなのにゃ〜」


 スズとナエ、アスカが珍しくわちゃわちゃしている。アスカは巻き込まれているだけに見えるが、少なくとも嫌ではないようだ。


「えっとですねっ、どうしたらユリさんみたいに女性らしい身体になるんですかっ!!」


 セリエが、眼をプルプル震わせてユリの身体を見つめている。その時、脱衣所の時間は一瞬凍りついた。


「まぁ、才能、かしら?」

「ず、ずるいです、お姉様もユリさんも、どうしてそんなに女性らしいんですか?!」

「あら、セリエもこの辺りは私たちよりも女らしいと思うけど?」

「ひゃあっ、さ、触らないでくださいっ」


 脱衣所がますます賑やかになる。温度は少し暑くなったようだ。


「ユリさんは大きくてとても気持ち良さそうなのにゃ〜」

「こーら、勝手に顔をめちゃダメよ」

「姫様より柔らかいのにゃ〜」

「さわりたーい!!」

「ひゃあっ、だからそこはダメですって〜!!」


 脱衣所の声が隣の部屋に漏れ始める。隣の部屋では……


「……どうすればいいんだろ」


 健人が悶々としながら着替えていた。

 鏡に映る大きな痕、過去の火災のせいだ。


「アスカおねえちゃんは〜、ちいさいな〜」

「別に、動くのに、邪魔だろう、そう、だろう?」

「耳と尻尾は嘘をつけないみたいね、アスカ」


「とっとと出よう、じゃないとどうにかなりそうだ……」


 健人は外套を羽織って、いそいそと脱衣所の扉を開けた。

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