Episode.37:仕切り直し
お久しぶりです〜
お待たせしました〜
「今からどこに行くのにゃ?」
「ここから少し行ったエイヴァンヌっていう町に行────
「やったああああああ!!」
スズの問いに答えようとしたユリを遮って、ナエが激しく喜んでいる。その傍らで碧眼の化け猫はビクビクしながら健人に隠れて、アスカはいつもの眠そうな表情で前に進んでいた。
「ナエちゃんは少し静かにするのにゃ」
「だって、スパだよ、温泉!お風呂!」
ぴょんぴょん跳ねながらナエは全身で喜びの感情を表している。それを今度はスズが止めに行っている。だが、それはただのじゃれあいになって行く。峡谷から離れて数時間のうちに出来上がった関係がなせる技だった。
「確かに、エイヴァンヌなら傷を癒す霊泉もあるし、いい場所だな」
「それに美味しい物も沢山あるよ!」
「ホントなのにゃ?!」
食べ物に反応したのはスズだ。スズとナエは相性がいいようで、今度は二人してわちゃわちゃし始めた。
「そこの姉さんはどうなんだ?」
「…………へぁ?! わ、私ですか? い、いいと思います…………」
碧眼の化け猫は震えながら恐る恐る返事をしていた。その返事を遮るように、アスカは口を開いた。
「そろそろ、お主の名を言ったらどうだ」
「あ、そそ、そうですよね! 私の名前は、セリエ=ローゼンベルグ、と申します…………」
場が一瞬で凍りついた。否、特定の化け猫がフリーズしてしまっている。アンドレは目を見開き、スズはひっくり返っている。
他の健人やアスカ、ナエは特に何も感じていないようだった。
「よろしくお願いします、セリエさん」
健人がセリエに握手をしようとしたその時、鳴き声と共に引っ掻かれた。引っ掻いたのはなんとスズだった。
「な、何するんだよ!」
「何するも何も、失礼すぎるのにゃ!!」
スズは肩で息をしながら健人を睨みつけていた。今にも食ってかかりそうな彼女をアスカが刀の鞘で制する。だが、彼女の怒りは収まっていないようで、猫独特の唸り声が聞こえてきた。
「いいんです、私がドジだったのでこうなったのですし…………」
「で、でも!」
「待ってください、説明してくださいよ…………」
すっかり弱気になった健人の弱々しい声が聞こえる。哀れに思ったアンドレはそっと健人に耳打ちした。
「王国軍総司令官、ヨハネス=ローゼンベルグ元帥の娘さんだ。海軍南方艦隊の提督をやっておられる」
「という事は……セリエさんは偉い人なんですか?」
「もちろんにゃ、この中で一番偉いのにゃ!!」
スズがさも自分が偉いかのように胸を張っている。そんな彼女を優しく撫でながら、ユリは健人を非難するような目で見ていた。こんなにも人の事を冷たく見れる人を健人は初めて見たような気がした。
「そ、そんな眼で見ないでもいいじゃないですか…………」
「健人がわらわ達の指揮を執るんだろう? ならば、そこまで責め立てては士気が下がってしまうではないか」
「アスカさんは静かにしてにゃっ!」
いつにもない怒り方をしているスズに対し、アスカは拗ねたような顔でまた歩き始めた。
「そういえば、スズはちゃんとやる事をやってきたの?」
「もちろんやってきましたのにゃ!」
そういうと、スズは一冊の分厚い本をを見せてきた。そこには、物騒な事が書き連ねられていた。
「反乱軍の動向記録……?」
「すごいのにゃ、沢山書いてあるのにゃ〜」
スズに促されるがままにそのページをめくっていく。そこには挙兵した当時からの詳細な戦歴が綴られていた。
反乱軍は、サルデリネア島で挙兵した後にクルシケ島を占拠。その後、王国南西部、ヴァンスコート海岸から、軍港マッシリーナに侵攻し、激戦ののちこれを陥落させた。そこから王国南岸、アドリーナ半島を除く南部地方を占領し、それと同時に西岸を北上して、北部ルクサーヌベルクまで侵攻した。
反乱軍の総大将はミハイル=カストラーノ公爵。宰相として尽力していたが、突如謀反を起こしたようだ。動機は不明と書かれている。
だが、ルクサーヌベルクで現地憲兵に敗北してから、西部地方での勢力圏は衰退し、今では南部地方に押し込められているという。
「え、これ、指揮官交代したの……?」
ユリが指をさした箇所には赤文字の文章が書かれていた。
『カストラーノ、反乱軍内急進派により暗殺された模様。急進派のトップが指揮権を掌握する』
その後の記述は、紅のツバメとの小競り合いくらいしかない。
「だけど、カストラーノが死んでから動きがないっていうのもおかしいわね」
「急進派のはずなのにね…………」
一行の間に深刻な空気が流れる。その空気を動かしたのは獣の唸り声だった。
「こんな時に空気の読めない獣たちなのね〜」
「獣だから、しょうがないのにゃ〜」
「ナエ、獣がどこにいるか分かる?」
スズとユリは既に“狩り”の準備をととのえている。ナエは目を輝かせながら、キョロキョロと見回していた。
「セリエさん……痛いです……」
「ああ、ごめんなさい!」
「どこにも獣はいないよー?」
セリエに腕をがっちり掴まれ、健人は顔をしかめながら辺りを探っていた。
「声が聞こえたし、何もいないって事はないと思うんだ」
「でも、変なやつなんてどこにもいないよ!」
ナエは頰を膨らませて、健人のことを睨んでいる。緊張感漂う中、また唸り声がさっきよりハッキリと聞こえた。
「こっちにゃ!!」
声の発生源を突き止めたスズが即座に矢を放つ。その矢は、アスカの頰を掠めて後ろの木に刺さった。
「スズ、無闇に矢を撃っちゃダメでしょ?」
「でも、確かに声はこっちからだったのにゃ!」
「そうか……アスカさんはどう思う?」
健人が場の雰囲気を壊さぬように、一番冷静そうなアスカに話を振った。しかし、彼女の様子はどこか変だった。
「わ、わらわの後ろに何かいるのではないか?」
「あら、そう、じゃあそっちの方行ってみる?」
ユリがニコやかにアスカへにじり寄っていく。彼女は、ユリから身体を避けて森の中に入っていこうとした。
「でも、私はここにいるような気もするのよね〜」
「なっ、やめろっ────
またしても、獣の声が森の中に響き渡った。全員身構えて、獣の出現に備えようとしているのを、何故かユリはにこやかに見ている。その傍らには、お腹を押さえて蹲るアスカがいる。
「アスカさん、お腹を壊したのかにゃ?」
「ち、違う、その、違うんだ、わらわは特段身体を悪くしているわけではないのだ」
「でも、アスカさん顔真っ赤にしてるよー」
「うるさいっ、お主には関係のない事であろうっ!」
アスカがさらに顔を真っ赤にしてスズとナエに対し大声を上げている。怪しく思った健人は、そっとアスカに近づいて行った。セリエは未だ健人の腕から離れていない。
「あの、大丈夫ですか?」
「ち、近づくな、やめろ、近づくな!」
打刀の鯉口を切り、威嚇してくるアスカ。そんな彼女の懐にそっと潜り込んだユリ。アスカはユリの事を認識できなかった。
その隙をついてユリはアスカの帯のあたりをグニグニと押し始めた。
その、押されるのに合わせて獣のような音が鳴り響く。
「まさか、アスカさ──
「黙れ、これ以上話す──
「アスカさん、お腹すいたのにゃ〜?」
スズが無垢な目で、緋色の剣士を見つめている。その目は、純粋に仲間を見つけたような目をしていた。
「わ、わらわが、そ、そそ、そんな感情を抱くと思うたか」
「化け猫は、食事をしないと生きられないのにゃ。お腹が空かない化け猫は怪物だから退治しなきゃいけないのにゃ〜」
しれっとスズはすごい事を言ってのけている。アスカは観念したかのように、しょげてそっぽを向いていた。
「さて、温泉で身体を癒してから作戦を立てましょう?」
アスカの事なんか知ったこっちゃないといった素振りでユリは勝手にサクサク歩いて行った。
────後ろからは、健人の悲鳴が聞こえていたが。




