Episode.36:堕ちる燕、昇る猫
「キサラギ、どうしてここに!」
「それは、父上の命を成し遂げる為。だから、我は断じて死ぬ訳には行かぬ!」
キサラギは二本の脚に力を込め、しっかりとハヅキを見据えている。しかし、身体は傷だらけで、とてもじゃないが、戦える状態に見えなかった。
「まぁ、そんな傷じゃ戦えないでしょう、どうか休んでいてください」
「ふん、父上を裏切った者の世迷言なぞ聞き入れるか」
彼はハヅキを睨みつけ、そのまま少し下がった。
「鎖の届かない間合いに行くなんて流石ですね。ですが、そんな事はどうでも良いです。裏切り者の銘を私に打つのなら、証を立ててください」
「ふん、貴様はどこまでも愚かなのだな…………“作麼生”!!」
キサラギの一声で、結界が周囲に張られる。他を寄せ付けぬその結界をハヅキは知っている。
「“説破”……!!」
色濃くなった結界はどの他をも排除した。その空間にはただ二人しかいない。息の詰まる様な感覚に包まれていた。
「この結界、無論のこと知っているな?」
「ええ。”東方“において使われた”問答を以て敵を斃す“結界。手を出すのも嘘をつくのも許されない結界、ですよね?」
二人の間に静寂が訪れる。しばらくの後、キサラギの方が口を開いた。
「此度の災い、貴様が引き起こしたものか」
「否、私は巻き込まれた側でありまする」
「此度の災い、貴様は何かを知っているか」
「否、突如起こったこの災い、確証はありませぬ」
淡々と二人の問答は続けられる。ハヅキとてこの結界の恐ろしさを知っている。
────だからといって、真実を全て話すつもりはない
「此度の災いに際し、父上を助けようとしたか」
「然り、我が心は”父上“に向いておりまする」
「では、何故父上を助けに来なかった」
「我の生存こそ、”父上“にとっての望みである。そう信じたからです」
結界に反応はない。いや、元々キサラギにはこの結界を、本来の目的で使うつもりは一切なかった。
この忍の化けの皮を剥がし、嘘を暴き、”負の因果“を確定させることだけが目的だった。
「では、問おう。貴様の行い、全て父上の御心を考えてのものか」
「──然り、この身は父上の物である。そのような事、其方にも自明でありましょう?」
「今、嘘をついたな?」
キサラギは不敵な笑みを見せた。確かにハヅキの身体に、結界から黒い靄が取り巻き始めていた。
「何を、この山にいる以上、”父上“に忠誠を誓った身、それに間違いはありません!」
「そうか、ならば問おう。何故貴様は父上を助けに行かなかった!」
明らかに怨みの籠もった問い。ハヅキは哀れに思った。
────忠誠なんてくだらない物なのに。
「それは、父上からの命でしたから。忠誠を誓った相手の命は必ずや守らないといけませんし」
「とうとう、化けの皮が剥がれたか」
黒い靄がハヅキの中にどんどん入り込んで行く。鎖のように、ハヅキの体を縛りつけながら靄が中に入っていった。
「うるさい、何故こんなことにかまけているんだ、山の再建の方が大事だろ!」
「その為にはまず裏切り者を粛清せねばならぬ」
結界が解呪され、辺りの景色がハッキリと見えるようになる。健人と”碧眼の化け猫“、ナエの他に、アンドレとユリ、アスカも到着している。
「最後に問おう、貴様は罪を認めるか?」
結界の効力が切れ、キサラギも立っているのが辛そうな状態だった。
勝負を決めるのならば今しかない。ハヅキは顔をあげた。
「────否、私は罪など犯していない!」
「そうか、そう言われれば致し方あるまい」
キサラギは間合いを開けた。戦闘準備なのかなんなのか、ハヅキには理解できなかった。
「俺はお前がもう信用できない。罪を認めればここで助けてやろうと思ったが、それも終わりだ。貴様一人で生き延びるがよい」
九字を切ってキサラギはまた消えた。
これで、一切の味方はいなくなった。ナエはハヅキの事を威嚇し続けている。
「ナエ様、私は“紅のツバメ”の事を思ってこうしたのです。決して見殺しになんてしておりません。ですから、私と一緒にまた立て直しませんか?」
「ハヅキ……ホントに?」
ナエは純粋な目でじっとハヅキを見つめていた。だが、その表情には逡巡の色が見える。それもそうだろう。
“命”を優先するか、“命”を優先するか。彼女にとってそれは重大な選択だった。
「でも、でも、お父様はみんなを守れっていってたもん……」
「それは、立て直してからでも遅くはないのでは?」
檸檬色の瞳がうるうると揺らぎ始める。小さな手はしっかり握られて、その細い腕はぷるぷると震えている。
「うう、もうどうしたらいいかわかんないよお!!!」
とうとう、ナエはプレッシャーの負けて泣き始めた。少女の可憐な鳴き声が岩山に木霊する。その声を聞くもの全ての心が、壊れてしまいそうな。かわいそうな泣き声だった。
「では、私がお守りいたしましょ──
「痴れ者が、童を泣かせる男を誰が信じようか」
ナエの前にアスカがかばうように立っている。ハヅキを軽蔑した目で見ていた。
「ああ、アスカさんでしたっけ、いつ見ても美しいというか。貴女になら殺されてもいいのかもしれませんね」
「無礼者、貴様の血でわらわの剣を汚すつもりは毛頭ない」
「へぇ、“血の幻想剣士”だなんて言われているから、やっぱり血の気の多い方なのかと思っていましたよ」
じゃらりと鳴ったのはハヅキの鎖の音。禍々しい気を纏ったその鎖は、今にも敵を捕まえようと首をもたげる蛇のようだった。
アスカは眠たげな瞳でじっとハヅキを見据えている。およそ三間ほどの距離、詰める事は造作もない。
「黙れ、駄物に抜く刀はない」
「でも、抜かなければ死ぬかもしれませんよ?」
「何を言う、貴様の鎖はわらわを捉える事はできない」
二本の鎖を簡単に躱し、鎖で編まれた仮の足場に華麗に立つ。彼女にはすでに一秒後の世界が見えているのだ。
”それが起こらないように行動すれば良い“。それが彼女の戦い方だ。
そっと舞うように地に降りたアスカ。その凛とした立ち姿は、荒野に咲く一輪の花のようだった。
「そうですか……あっ、そうだ、一つ謝らなければいけないことがありました!」
「ふむ、なんだ、言ってみよ」
申し訳なさそうな顔をしながらハヅキは様子を伺っていた。彼女の立ち姿から、殺気は見えない。
「玉ねぎの事ですよ、この間は本当に申し訳ありませんでした。決して悪気があった訳ではないんですよ〜」
「玉ねぎ、玉ねぎ…………ほぅ、あの時の狼藉は貴様であったか」
そうだ、と返そうとした時には遅かった。
ハヅキの脳内に響くカチャリと言う音。
それが鯉口を切る音だと認識した時、首筋に冷たい気配が通っていった。
後ろに聞こえる、一糸乱れぬ息遣い。その絹のような息に引き寄せられ、彼は振り向いた。
彼の目が捉えたのは、首の無い体を据え物切りをするかのような美しさで、アスカが袈裟に両断していく様だった。
────ああ、良い土産ができた。
急速に薄れる意識の中で、彼女の凛とした、たおやかな姿だけがはっきりと残っていた。
***
「すまない、終わったぞ」
血払いをして刀を鞘に収めながら、アスカは仲間の元へ戻った。
「うう、怖いよぉ…………」
「ったく、さっきまでカリスマに溢れてたのに今じゃただの仔猫じゃねぇか……」
ナエはアスカから隠れようと、アンドレの陰に隠れていた。アスカは、それを見て少し悲しそうな顔をしていた。しかし、少し考えてから彼女はナエの前に膝を折って立っていた。
「な、わ、ワタシはツバメの幹部だったから殺すんでしょ、やだ、死にたくないよぉ……」
「何を言っている、お主は健人を守るのであろう。ならば、わらわとお主は仲間だ。殺しはしない」
「ホントに?」
ナエは案外純粋な性格なようで、アスカの言葉を信じて顔だけ出していた。安全かどうかは、匂いを嗅いで確かめているようだ。
「ったく、こんなガキじゃ憲兵にも突きだせねぇ。それに、こいつも魔眼持ちと来た。これは諦めるしかなさそうだなぁ?」
アンドレはバツが悪そうに、ゆっくりと背を向けて歩き出した。
「アンドレさん、助けていただきありがとうございました!」
「いいのいいの、この報酬は勅令の完遂できっちりもらうからな!」
アンドレの豪放な笑いが峡谷に響く。一通り笑ったところで、アンドレは真面目な顔になった。
「そうだ、とうとう“始祖の化猫”が揃ったんだ。これからの道筋を立てないとな?」
「揃った? だってここには……」
ここには、アスカ、ユリ、ナエ。あとは……スズがいない。
「スズにはおつかいを頼んでるわ、心配しないで」
「じゃあ、もう一人は……?」
健人が挙動不審になってるところに、か細い猫の鳴き声が聞こえた。その声に振り返ると、碧眼の化け猫が、怯えきって震えていた。
「わ、わわ、わ、私です…………な、名前は────
「にゃああ!! アンドレおじさんこんなところにいたのにゃああ?!」
突如聞こえた素っ頓狂な声に、全員は思わず振り返った。その声の主は、紛れもなくスズだった。
「うるさいぞ、スズ。なんとかならないのか?」
「そんな事言われても、スズだってアンドレおじさん探してたからしょうがないのにゃ!」
頰をむっと膨らませて、スズはジト目でアンドレを見ていた。だが、健人を見つけるとそんな事お構いなしに、馬上から飛びついていった。
「健人は一体どこに逃げてたのにゃ、絶対に許さないにゃあ!」
「逃げてないよ、むしろ怖かったんだよ……」
馬乗りになられながら、健人はゆっくりと反論した。時折高速の猫パンチが飛んでくるので、スズはかなり怒っているようだ。そして、スズの肩越しに見えるアスカの目線が、凍りついているのも恐怖を感じていた。
「むぅ…………そうにゃ、アンドレおじさんに頼みたいことがあったのにゃ!」
「もう大丈夫よ、スズ、私から話すわ」
ユリはそっとスズを抱き上げると、そのまま馬に乗せた。
「とりあえず、場所を変えましょう。落ち着いて話もできなくなるしね?」
一行はゆっくりと歩き始めた。
峡谷の霧は心なしか赤く染まっていた。




