Episode.35:己が選択の先に
「はぁ、結構いい女の人だったのに、残念だなぁ」
何事もなく回る歯車達を見つめながら、ハヅキは鎖をまとめていた。床下が閉まり、また何事もなくからくり屋敷は動き出す────筈だった。
突如地響きと共に、床にヒビが入った。ハヅキが慌ててその場から飛び退くと、その床が抜けて、歯車があらわになった。
だが、歯車達の様子は明らかにおかしい。異常に速いのだ。あまりにも速すぎて、火花が散り始めている。
火花が飛んだ別の箇所が少しづつ燃え始めた。
────明らかに屋敷が暴走している!
ハヅキは急鐘のある“からくり炉心”へと急いだ。既に揺れは激しく、歩くのすらままならない。だが、ここにいる仲間達を見捨てるのは気まずく思えた。
「ハヅキ様、炉心の合わせ大歯車が急に暴走し始めました!」
「呪詛、術式、それらの類の攻撃ですか?」
「いえ、物理的工作もなく、突如高速な逆回転を始めています!」
「西殿が急速に沈降を開始、団員の避難は完了しております!!」
明らかな異常に、屋敷が騒然としていた。
ごく稀に、ちょっとした異常が発見される事はあったが、修正できる微小なものだった。ここまでの問題は初めてである。
「本殿地下に”父上“とキサラギ殿が行かれております。どうなさいますか!」
「北殿、南殿も沈降を開始、このままでは全員生き埋めです!」
「地下に潜っている暇などありませぬ、どうかご決断を、ハヅキ様!!」
ハヅキには統率力が一切ない。今は階級が高いが故に頼られているだけの事だった。
だが、キサラギや”父上“をこのまま見殺しにすれば、権力が手に入るのと引き換えに、孤独の道を突き進む事になる。
だからといって、ハヅキはここで犬死にするつもりはなかった。
「────分かった」
彼はゆっくりと口を開いた。
***
その頃、地下では一方的な死闘が繰り広げられていた。
息絶え絶えに立っているのはキサラギだ。全身にクナイが突き刺さっている。
「お主の魔眼、如何様な物なのだ……!」
「いやだ、教えたくないです……!!」
その先にはビクビク震えながら立っている碧眼の化け猫の姿があった。傷は一切負っていなかった。
キサラギに突き刺さっているクナイ、それは全て自分自身が放ったものだった。八条の死線はそっくりそのまま返って、彼の体を貫いたのだ。
「しかし、このままでは炉心室に向かわれた父上が心配だ、ここで手打ちにせぬか?」
「た、戦うのをやめてくれるんですか?!」
碧眼の化け猫は顔を上げて、キサラギをじっと見ていた。彼は、侵入者排除よりも緊急脱出の方が優先順位が高い事を悟り、既に戦闘をやめていた。
「でも、また外に出たら殺しに来るんですよね…………?」
「それは分からぬ。だが、早くしないとここで犬死にするのは既に明らかであろう」
「ゆ、悠太は、どこに行ったんですか……!」
健人はかつての友を思っていた。いくら敵に回ろうと身内が死ぬのは、身体が引き裂かれるような悲しみに襲われそうだった。
「“父上”は我の手で探してみせまする。そこの大階段を登れば、何事も無く門に出る筈だ」
「だけど!」
「よもや貴女の実力がこれまでとは思わなんだ。しからば、これにて御免!」
キサラギは九字を切って緊急退避した。揺れは激しくなっている。
「なんとか助かった……とりあえず逃げよう!!!」
化け猫の手を握って、健人は出口へと走り出していった。ところどころ、高速回転する歯車が見えてしまっている。それを臆せずに二人は走っていった。
階段を昇り、昇り、昇り続け、やがて二人は少し大きめの部屋に出た。そこには、大きな二つの歯車が火を吹きながら回っていた。その傍らに、見覚えのある人影があった。
「悠太、お前!」
「ああ、健人か、わりぃ。再戦はなさそうだわ」
悠太は、真剣な眼差しで、様々な機械を操作し歯車を落ち着かせようとしていた。だが、歯車は一向に止まる気配を見せない。
「おい、悠太、早く逃げるぞ!」
「いや、俺は残る、元々死んだ身だからな」
「バカ、何いってるんだ!!」
「それに、カッコよく死ねるんなら俺も本望ってやつだわ」
ふと、悠太は健人の方を向き直って、じっとかつての友を見据えた。
「どうせ死ぬんだから、ヒントは教えてやる」
「何言ってんだ!!早く逃げるぞ!!」
「”ここ“は案外”近い“ぞ?」
そう言って、悠太は健人を突き飛ばした。
「ナエ、これからはそのお兄さんに”遊んで“もらいなさい」
「いやだ!! ”お父様“となんか離れたくない!!」
「わがまま言っちゃダメだ、もっとたくさん遊びたいんだろ?」
ナエは声と共に突然現れ、悠太の言葉に必死に抵抗した。だが、彼の気持ちは変わらないようだ。
「だって、ナエには”お父様“しか遊んでくれる人はいないもん…………」
「いや、そんな事ない。そこのお兄さんはな、普段は臆病者で平和主義だけど、相手を思いやる優しい奴だ。お人好しっていうか、他人の幸せを見るのが自分の幸せとかいう、とんだ変態だ。しかも無自覚っていうのが、またやってられねぇ」
悠太はナエと目線を合わせ、褒めてるのか貶してるのかわからない口調で話していた。正直、健人は気まずく感じていた。だが、悠太はニッコリ笑うと、ナエと額を合わせた。
「だから、あのお兄さんを絶対に守るんだ。俺は、この”山“に来た時、ロボットみてぇなお前達に感情を、幸せを与えてやりたかった。だからせめて、ナエは楽しく生きてくれ」
「そんなぁ…………」
悠太の眼は真っ直ぐだった。火を吹く歯車も、その眼差しを歪められない。
「ナエ、これは最後の指令だ。健人を“最後まで守れ”」
そっと額を離し、悠太は優しくナエの頭を三回撫でた。
「ひぐっ、し、指令を、じ、受諾。ナエ・ドラクロワ、必ずや、完遂してみせます…………!!」
顔をくしゃくしゃにしながら、ナエは受諾した。その瞬間、風が巻き起こり始めた。
「お兄さんとお姉さん、これから“法”により外に出ます。身体が激しく痛くなると思いますが、それは許してください……」
泣きそうな声で、ナエは悠太に背を向けた。二人は、小さな仔猫の決意をそこに見ていた。
「“臨む兵、闘う者 皆 陣列べて前に在り、我の命、全て主人に捧げたり。いざ、第二忍法開帳。参る、修羅転身の術“!!」
二人は目を潰されそうな突風に覆われ思わず目をつぶった。そして、しばらくの浮遊感ののち、意識ごと風に吸われていった。
***
峡谷は砂塵舞う嵐に包まれていた。その中心には、巧妙に隠されていたはずのからくり屋敷があった。
ハヅキはその嵐を峡谷の上から見つめていた。
決断を迫られたあの時、彼はこう命令した。
『屋敷内の要救助者を回収したのち脱出せよ』
だが、言外では全く奇想天外な事を考えていた。
────皆を見殺しにするのが、自分にとって最善の策だろう。
果たしてハヅキの考える通りとなった。頭領を見殺しにした裏切りの事実は、屋敷ごと地中に没した。残っているのは、自分だけである。
よくもまあ助かった。ハヅキはそう残して立ち去ろうとした。
目の前に黒い旋風と共にナエと人間と化け猫が来たという誤算が起こるまでは。
「ハヅキ、他のみんなは?!」
「ざ、残念ですが……」
ナエは少し俯き、尻尾をしおれさせていた。
「“お父様”は、逃げられたの…………?」
「いえ、結局、脱出できずに……ですが、身を呈して私の命を救っていただきました」
「そっか、でも、ハヅキだけでも生きててよかった……」
少しだけ顔を上げたナエの眼は少し潤んでいた。いくら、リロンデルを率いていたといえど、ナエはスズよりも若いのだ。傍らにいてかわいがってくれていた“親”がいなくなってしまう事がどんなに辛い事か、想像するに容易かった。
「私は“父上”のそばを離れずにおりましたが、最後の最後までナエ様やミカエルさん、キサラギの事を心配しておりましたよ」
ハヅキも、そんなナエの姿が心配になって思わず慰めの言葉をかけていた。それが彼女の為になると信じていた。だが、現実は違っていた。
先程まで泣きそうになっていたナエの顔が、怒りに包まれていく。だがハヅキは、自分が犯した過ちを間違えて認識していた。
「申し訳ありません──ッ、出過ぎた真似を致しま──
「────ないで」
何かをナエが呟いた。ハヅキが聞き返そうとしたその瞬間、檸檬色の瞳が満月の様に光った。
「嘘つかないで!!!!!」
四条の死線が瞬間的にハヅキを襲う。何とかすんでのところで避けられたものの、次々と死線は放たれる。
「だって、だって、お父様は私の目の前にいたもん!!お兄さんとお姉さん助ける為に、頑張ってた! ワタシに“最後まで守れ”って言ったもん!!」
「し、しかし、それは──
「うそだ、うそうそうそうそ!!! その時ハヅキはいなかったもん!!」
ナエはもはや投擲をやめ、直接殴りかかっていた。それを必死に躱しながら、ハヅキはどうすべきか思考を巡らせていた。
「いえ、ナエ様の見落としでありましょ────
「私の眼、どんな眼か忘れた?」
ハヅキの背中に冷たい汗が流れる。
────そうだ、見落としなんかありえない、何故なら
「私の眼は、“空間認知”。目に入った物を目視で測ったり、同じ空間に何があるかを把握することができるんだよ。ずっと一緒だったのに、そんなの忘れてるわけないでしょ?」
「も、申し訳ありません!」
詰みだ。進む事も退く事もできない。ハヅキは打開策をひたすら考えた。
「確かに、私はあの場にはいませんでした。ですが、それがどうなのでしょうか。私は侵入者を処理していただけ、その行為に何も問題はないでしょう」
「いや…………きさま…………他の者に“救助”の命を出しただろ…………」
崖を這い上る者が、言葉を発した。その姿を見て、ハヅキは絶望するしかなかった。




