Episode.34:冷徹な歯車、叶わぬ心
精神的に、グロ注意です。
「立ちなさい、ここで死んでどうするの!!」
かつての教師の声で、アスカは目が醒めた。左胸には燃えたユリの手が置かれている。
「待て、わらわをどうするつもりだ!!」
「そんなの、どうでもいいから、とっととあのチビ猫を倒すわよ!」
火を消してユリは立ち上がる。その先には血を眼から流しているナエと、ボロボロのアンドレが立っていた。
「とっとと死んでよ、おじさん!」
「あいにく、アンナが嫁に出るまでは死ねないんでなッ!!」
アンドレの回し蹴りがナエの腹に突き刺さる。そこを吹き飛ばずに堪えるあたり、別の忍法を使ってるようだ。
「どうして魔眼が効かないのか気になってるようだな」
「そもそも、なんで私が魔眼を持ってるって知ってるの?!」
ナエは一気に飛び退いて、充分な間合いを置いてアンドレを見ていた。
「常識的にはあり得ない移動速度、重力法則に反した跳躍。それに、その眼からの出血だ。お前さん、眼を使うどころか、活性化させっぱなしだろう?」
「う、うるさいよ!!」
苦し紛れにクナイを放つが、先程のとは打って変わって死の気配が全くなかった。アンドレはゆっくりと、一歩ずつナエに近づいていく。
「やだ、来ないで、眼が痛いよ……やだぁ、来ないで!!」
「逃がさん!」
アンドレが猛虎の如き膝蹴りを繰り出し襲いかかる。洞穴に甲高い悲鳴が響き渡る。
「ぐっ、うぐぅ?!」
その後に聞こえたのは、鎖の音と男のうめき声だった。
「ナエ様、ここは私に任せて逃げてください」
ナエの前に立っているのは、鎖付きの短刀を両手に持ったハヅキだった。短刀に力を軽く入れると、鎖が揺らぎ、一気にアンドレの身体を引き寄せた。
「こんないたいけな少女を痛めつけるなんて、常識がない人なんですね──!」
二本の鎖を器用に扱い、アンドレの身体を次々に鞭打っていく。
「“貫山穿刺”!」
二本の鎖が絡み合い一本の縄に。いや、一本の槍となってアンドレの身体を貫いた。そのまま、鎖の先端は近くの岩に突き刺さり、アンドレの動きを完全に止めた。
「はぁ、流石に疲れました。私は帰りますよ」
「それは、私が許さない」
洞穴の中に散った火花、それと同時に鎖が地に落ちる音が聞こえる。
「お前は────!!」
「ミカエル=スタニスラフスキー、カラベラの丘から戻ってきたぞ」
白銀の細刃剣を構え、銀髪の麗人が立っている。マントをなびかせ、ハヅキの懐に駆け込む。彼は、その殺意をひしひしと感じながら、思考を回していた。
***
「何故、貴女は邪魔をするのですか」
「私は強い者を好む。あの時の彼奴の事しか考えられなくなってしまったからな」
「だからといって裏切るだなんて、頭大丈夫ですか」
「分からないが、彼奴に死なれては困るのだ」
ミカエルは少し頰を赤らめつつも、ハヅキから一切目を逸らさなかった。彼は、およその事態を把握し、思考を切り替えた
「とりあえず、裏切り者は死罪ですね」
「では、お前が執行して見せよ」
彼女の一言で突如として始まった戦い、ミカエルは仲間に対し刃を振るい始めたのだ。元々近間での戦いが不得手なハヅキは、彼女にとってはカモでしかなかった。
斬撃、刺突、打撃、投げ技。ありとあらゆる技術をもって彼を翻弄していく。
「ここで引くしかない、ようですね!」
洞穴の向こうへ走り去るハヅキを、ミカエルは追撃し始めた。昏い穴の中を、勝手知ったる動きで駆け抜けて行く二人。時折、鉄と鉄のぶつかり合う音が聞こえる。
しばらく駆けていると、洞穴の先に淡い光が見えた。二人はその光に向かって、己が殺意を抱えながら速度を上げる。出たところには、無骨な木の屋敷が建っていた。
二人の脚と共に、木屑が跳ねあげられる。月光に照らされた白銀の刃が、飛び交う鎖を両断する。
「“血科玉縛”!」
「小賢しい術なぞ使わずに、素直に戦え!!」
五芒星を描き妖しく光る鎖をものともせずに、彼女は刃で跳ね除けて彼に掌底を打ち込んだ。そのまま返す手で斬撃を飛ばした。
「いや〜、我ら”東方“の忍は戦闘を好みませんからねぇ」
「外来の化け猫風情が、浅ましいぞ」
歯車回る峡谷、その岩壁を二人は駆けて行く。その先には洞穴が一つ。二人は迷わず突き進んで行った。
くねる廊下、いくつもの角を越え、辻を越えても戦いは終わらない。
「恋心とかいうあやふやなものを土台に貴女は行動してるんですか!」
「バカな、こ、恋などしておらぬ!」
「でも、そいつの事が好きなんでしょ!」
「そうなのではない、好ましいのだ!」
レイピアが頭上から素早く振り下ろされる。疾風の如き二人の死合は、終わらぬように見えた。
しかし、予想と反して、数瞬で動き始めた。
「うう、ここで行き止まりか…………」
「さて、死ぬ覚悟はできたか?」
ハヅキが入った通路は行き止まり、袋の鼠になってしまった。
進にも進めず、退くにも退けぬ、まさに進退極まれり、といった状態だった。
「いえ、言ったでしょう、我々は戦闘が嫌いだ、と」
だが、ハヅキは不敵な笑みを絶やすことは無かった。
行き止まりの壁に拳を打ち付ける。
「何を、意味のな────
虚勢を張ったかに思えたその行動は違った。ミカエルの手首足首に鎖が絡んでいる。更に肩周り、太腿、肘や膝にもしっかりと絡みつき、彼女の身体を空中に、大の字で浮かせていた。
「ここがからくり屋敷だという事を忘れましたか、ミカエルさん?」
「クソ、卑怯者!!」
「何を言ってるんですか、計略謀略、罠工作。我ら忍の基本骨子ですよ?」
ミカエルの下の床が開く。その下は大小関係なく無数の歯車が回っていた。
「あ……や、嘘だろ……」
「このからくり屋敷の歯車は“妖車”と呼ばれております。潤滑油の代わりに血を求める生きた歯車なのです」
「──やめろ!!離せ!!!」
必死にもがくミカエルだが、鎖はゆっくりと、張り詰めたまま降下を始めた。歯車の回転が心なしか早くなったように見える。
「まぁ、反逆の罪により嬲り者にされるより、この屋敷に命を捧げる方が、ミカエルさんにとってもいい事だと思いますよ?」
その一言と共に鎖の緊張は解き放たれた。ミカエルの身体は歯車達の上に落とされた。
「や、やめろ、あ、ああ、あああ! 腕が、腕が! やめろおおおお、ワタシのヒダリウデヲカエセエエエ!!!!」
ゴリゴリと骨の砕ける音が響く。肉の潰れる音が混じり、女の狂った叫びが悲劇を奏でる。ミカエルの左腕は、付け根から挽き潰されていた。血がボタボタと流れる。それでも暗殺者は生を求めて走り続けた。決して歯車に飲み込まれぬように。
だが、血肉を得た歯車は更に加速する。
「ナゼダ、ドウシテ、ワタシはタダシアワセになりたかった。だから、タスケタのに!」
「それが間違いなんですよ。貴女は”ツバメ“の刃である事が許された幸せだった。だけど分不相応な物に手を出したから、こうなるんですよ」
ミカエルは上を向き、憎悪の眼差しで睨みつけた。だが、歯車は非情にも彼女のつま先を捉えてしまった。メリメリと音がなり、彼女の脛を、膝を、腿を、腰を砕き潰していく。
────私は幸せになってはいけなかったのだろうか。
神経を挽き潰して行く痛みが、彼女の記憶をより鮮明にした。これまでの人生がゆっくりと想起される。
幼き頃に、この”山“に捨てられてから、先代の頭領に育てられてきた。それ以来厳しい鍛錬に耐え、この山の中でも一、二を争う実力の持ち主になった。
初めて“仕事”をしたのは十五の時、南部地方の領主だった。
あれほど容易く死ぬ物だとは、一切想像が付かなかった。それ以来、幾千幾百もの屍を作り上げてきた。
彼女の心は“虚無”により満足させられていた。何も心を満たす物はない、ただひたすらに殺めるのみ。ひたすらに刃を振るい続けた。
だが、ザーツバーグの路地で、彼女は失敗した。ただの青年に敗れたのだ。
しかし、彼女の心には何かえもいわれぬ感情が湧き上がってきた。牢獄に入れられ、刑場に連れていかれるその時も、青年の事が頭から離れなかった。
目を上げて、目の前のギロチンを見た時、身体は反射で動いていた。
────彼奴に生きて会うんだ、絶対に!
ひたすらに野を走り、山を越え、自らの故郷に戻った。
だが、その山はかつての山ではなかった。先代は殺され、全く知らない者が頭領を名乗っていた。
唯一、日常会話をしていたナエですら、その男に懐いてしまっている。彼女は、虚無に心を支配されかけていた。
だが、”彼“への想いが、光を照らし続けた。カトワイスで唯一の友を裏切った時、後悔はなかった。
全ては”彼“の為、やっと見つけた小さな幸せを手に入れる為だった。
「やだ……アハハ……アハハハハっ、あはははははははははははははははははあははははははははははハハハハアハハハハハハハアハハハ!!!!!!」
狂い笑いと共に、彼女の上体は飲み込まれていく。その頰は血と涙で濡れていた。
自らがようやく得た小さな願い、それを為すこともなく、彼女は粉々に砕き潰された。




