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Episode.32:陽気なツバメ使い




 湿っぽい空気に胸を締めつけられて、健人は目が覚めた。石の冷たさが背中に直に伝わってきて、ゆっくりと身体を起こした。苔が少し生えた石の壁が三面、残る一面は鉄格子がはめ込まれていた。


「はぁ、捕まったのか…………」


 一言呟いて、彼はまた横になった。鉄格子の外では、背中に細身の刀をくくった化け猫達が、眠そうに徘徊している。

 ────一体ここはどこなのだろうか。

 飲み物は蓋のしまった壺に入っているようだ。牢の中は初夏のリリキャットとは思えないほど冷えていた。何か暖を取れるものはないかと、健人は牢の中を見回した。

 隅っこの方に毛布が丸まって置いてあった。ちょうどいい大きさに見えるその毛布は、綺麗そうだった。健人は何も迷わずに、目の前の毛布を取りに行った。


「へっ?」


 ボロボロの服を着た女の化け猫が中から現れ、彼は動きを止めた。健人と同い年くらいの女化け猫が、牢の隅で丸くなって怯えたように見ている。


「こ、殺さないでください、ごめんなさい、まだ死にたくないです!!」

「え、あの、待ってください、私は何もしませんよ?!」


 化け猫が、あまりにもビクビク震え始めたので、素っ頓狂な声をあげて健人は距離を置いた。

 短く切り揃えられた金髪に整った顔立ちが美しい。だが眉をハの字に傾け、牢の隅に必死に逃げようとしている姿は、どこかアンバランスさがあった。ひたすらにもじもじと丸くした身体を動かし、できるだけ小さくなろうとしている。


「やめてくださいぃ……」

「何もしてませんよ……」


 しばらく押し問答が続いたが、健人は誤解を口だけで解くことができなかった。彼は迷いに迷って、なんとなくそっと手を伸ばした。彼女はギュッと眼をつぶっているため、手を伸ばされているのには気づいていなかった。

 そっと頭に手が触れ、彼女の身体がビクッと震える。だが、震えは少し落ち着いたように見えた。


「驚かしてしまってすみません、決して敵意はありません。むしろ、こうして閉じ込められてしまっている事に焦ってたので、仲間がいることはとてもいいことだと、思うんですよ」


 そっと、静かに話しかけたが、彼女の震えは収まらなかった。優しく頭を何回か撫でてから、反対側の隅、鉄格子と壁の隅に座り込んだ。

 彼女はしばらく震えていたが、やがて寝息を立て始めた。健人は、彼女に毛布を掛け直してゆっくりと元の位置に戻った。


 ふと、彼は鉄格子の外を見た。旅の始めの方、紅のツバメに捕縛された時とは打って変わって静かな牢だった。廊下沿いにはいくつかの鉄格子が見える。その廊下の奥に二人の人影が見えている。


「それで、作戦は成功したか?」

「はい、二人は確実に捕獲いたしました」

「あとは、晩ご飯をつまみ食いしたお前も捕獲しないとな〜」

「もう、お父様、やめてくださいよ〜」


 奥の方から声が近づいてきた。一人の男に化け猫が肩車してもらっている。はたから見ると、兄妹のような姿に見えた。ただ、お父様と言われている所から、親子なのだろうといことは予測できる。

 健人はそっと鉄格子から離れて、彼らをやり過ごそうとした。だが、そうは問屋が卸さなかった。

 健人達の牢の前で二人は立ち止まった。鉄格子の錠が外される。


「元気にしてるか、君たちは私達にとってとても大事な切り札なのだよ」


 大仰な口ぶりで話しかけてきた男、健人はそれに違和感を感じていた。

 肩車されていた化け猫は、にゅるりと下りると腰に両手を当てて、胸を張って立っていた。まだ年端もいかない仔猫に見える。


「さて、少しお話をしようじゃないか、君たち」


 ────激しい頭痛に襲われる。

 聞き覚えのある声、見覚えのある態度、健人はこの男と関わりがあると感じた。だが、その確証はない。まるで、この間見た悪夢のようだった。


「あなたは一体何者なんですか…………」

「私はこの山を収め、“ツバメ”を飼う者だ。君達は我々にとって必要な存在なのだよ」

「そうだぞー、お父様にとって必要なんだぞ、光栄に思え!」


 にゃー、と叫び声をあげながら化け猫は男に連れていかれた。しばらくすると、男だけで戻ってきた。彼は牢に入ると、碧眼の化け猫の方に向かっていった。


「まずは君からだ。きちんと話をして、お互いに利益のある関係を築こうじゃないか」

「いやです、殺さないでください!!! やめてぇ!!!」

「少し煩いな、黙らせてやろうか?」


 男の殺気に彼女は黙ってしまった。目には涙を溜めて、いつ訪れるかわからない死の恐怖に震え続けていた。

 

「じゃあ、私と別の部屋に行きましょうか」


 男の手がゆっくりと伸びる。彼女は首を縮め、耳をぺったり伏せて避けようとしていた。尻尾も脚の間に挟み込んでいる。


『お前はそれでいいのか?』


 心の中から、自分を、臆病者の自分を責める声が聞こえる。

 戦う術を持っているのに、戦うべき理由を持っているのに。それでも、身体は動かない。


『俺はそんな“お前”に託したわけじゃない』


 何を言ってるのか一切理解できない。健人は自分が何を託されたのかが分からなかった。

 なのに、心の中は激しく燃えていた。ここで、戦わねば、助けなければ自分の中の何かが壊れてしまう。この度の中で何度も助けられたこの感情に、また包まれようとしている。

 男の手は碧眼の化け猫の手を取ろうとしている。


『戦え────!!』


 ────健人はいつのまにか手首を掴んでいた。

 そのまま伸ばしている方向に突き出させ、バランスを崩させる。男は、バランスを崩すまいと、跳躍し碧眼の化け猫の前に着地した。


「今だっ!!」


 彼女の手を引いて空いた牢の扉から抜け出す。怒号を気にせず一心不乱に走っていく。ここまでの動きに十秒もかかっていない。牢を出て、暗く湿った廊下を駆けていく。

 何回曲がったか分からないが、右手には確かに感触があった。後ろを向くと、碧眼の化け猫が苦しそうに手を引かれて走っている。だが、その眼は“生きる”事を切実に求めていた。

 その後ろ数メートルに、男がピッタリとくっついている。


「この”からくり屋敷“を生きて抜け出せるわけないだろ!!」

「うるさい、誰だか知らないが、逃げ切ってやる!」


 先の見えない無謀な逃走。だが、二人は一切足を止めなかった。止めれば、“死”が見えているからだ。


「いい加減に諦めろ、“健人”!!」


 健人の身体は一瞬にして止まった。そこで気がついた。

 この間と同じ、心が無くなり、乗っ取られるような気分に包まれていた。


「何故、俺の名前を知っているんですか…………」

「そんなの、一つしかないだろ……?」


 黒装束の男は口元をニヤリと歪め、頭巾に手をかけた。



 ────見てはいけない。

 ────見てはいけない見てはいけない。

 ────見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない。

 ────見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない見てはいけない!!!!

 


 いつぞやの狂気に取り憑かれる。この狂気はどうして起こったのか。まただ、また記憶がなくなっている。でもこの感じは身体に覚えていた。これは、何かが剥がれる狂気だ。

 男の頭巾がスローで取られていく。見覚えのある口元、鼻、そして────目。


 頭には“耳”が無い。“尻尾”も無い。だが、そんな事は当たり前だった。



「健人、まさか生きて会えるとは思わなかったよ」


「“悠太”…………!!」


 いるはずもない“人間”の存在に、彼は驚愕していた。


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