Episode.31:均衡無き大三角
「GKがどうしてこんなところに来ているんですか。お前達は政治犯をルクサーヌベルクにぶち込むのが仕事でしょう?」
抗議の眼差しを向けながら、ハヅキはクナイを両手に構えている。アンドレが引き金を引くのと、ハヅキがクナイを投擲するのはほぼ同時だった。威嚇の意味だったのか、両者の頬をそれぞれ銃弾とクナイが掠める。両者の間合いが詰まる事は無い。
「いや、俺達の仕事は王国の不利益になる分子を排除する、それだけだ。ようやっと邪魔な鳥を駆除しろと命令が下りたからな」
「そうですか、それはどうでもいいんです。我々は、”お山“の意向に従うまで。愚王の犬を始末しろ、なんて命令を出されているので、それはしょうがないんですよ〜」
ニコリと笑いながら、クナイの投擲をやめない辺りに彼の殺意が感じ取れる。だが、アンドレはその殺意を物ともせず、弾を再装填していた。
「外征第一連隊を壊滅させたのはお前達か」
「何の話ですか?」
ハヅキはアンドレの話が本当に分からないような表情を見せた。だが、アンドレはその表情を一蹴するようにまた銃口を向けた。
「反乱軍がクルシケ島を完全制圧し、本土に宣戦布告した頃だったか。“ガリル地方を本拠とする武装集団を討伐せよ”と勅令を受けた連隊が、ラ・シャリテの峠で謎の襲撃を受けて潰走した。本拠に戻れたのは一万二千人中たったの二百人だ。当時の事情を鑑みても、そんな大掛かりな事を証拠を残さずできるのは、お前達くらいしかいないだろう?」
「ああ、あの峠にいた犬の群れですか。入って来たから追い返しただけですよ」
「ふざけてんな、俺はお前のような男が一番嫌いなんだ」
殺意が濃くなる。だが周りには十人程の忍び、戦えるのはアンドレとユリしかいない────
「忍び風情がわらわの身体を汚すな…………」
銀の線が舞うように忍びの体を断つ。一太刀で二人斬って捨てられた事に、彼等は狼狽していた。
アスカは口から血をこぼしているものの、その両の足でしっかりと立っていた。表情は悟られまいと無理をしているようだが、玉ねぎの前には全てが無意味だった。胃を乱され腸を乱された彼女は息を荒げ、猫のように上体を丸めている。彼女の額には汗が浮かんでいた。
リリキャットにおいて、玉ねぎは猛毒だ。摂取すれば、食後三十分から数時間で下痢や嘔吐に襲われ、身体の倦怠感や悪寒を伴い、意識レベルが低下する。そして血液内の成分がことごとく破壊され、重篤な貧血を引き起こし、死に至る。
アスカが食べさせられた量は、致死量よりもほんの少し足りないくらいの量だった。だが彼女は時折えずきながらも、眼は敵を見据えていた。
「まだ生きてるなんて驚きですね。”幻想剣士“なんて異名が付いているものですから、早々に始末してしまいたかったのですが、これは少し面倒な事になったな…………」
ハヅキは手印を結び何かを考えているようだ。すかさずアスカが下段の構えから斬り込んでいった。
「”臨兵闘者皆陳列在前、天上天下にあらせられる神々よ。我等を護り給え“」
ハヅキの唱えた呪文と共に風が強くなった。そして、風の強さは数瞬のうちに建物を吹き飛ばす程の嵐となった。
「”Um das Fundament zu reparieren“、アスカ、私に掴まりなさい!!」
ユリは、身体を魔術によって地面と固定し、アスカに向かって手を差し伸べた。アスカは飛ばされまいと必死にその手にしがみついた。
「では、また会いましょうね、アスカさん?」
その一言で風が収まった。壁や屋根がほとんど吹き飛んでしまい、酒場はもはや営業できないレベルでボロボロになっていた。客達も血まみれになりながら倒れている。
ユリはところどころ破れた服を覆いながら身体を起こした。傍らには虫の息のアスカが倒れている。
「アイツらも派手にやったもんだ。こりゃ、隠密にやるのを生業としてる上層部から相当絞られるだろうな」
「助けていただきありがとうございます。ちなみに……ゲハイムニス・カッツェとは?」
「ああ、気にしなくていい。国のちょっとした何でも屋だと思ってくれ」
アンドレはぐったりしているアスカを抱え、ユリを背中におぶって歩き始めた。
「えっ。わ、あ、私は普通に歩けます……」
「いいんだいいんだ、お前さん達と大体の目的は一緒だ。ゆっくり身体を休めて次の町に向かおう」
黙ってしまったユリをよそに、アンドレは一歩一歩確実に進み始めた。
***
「それで、貴様は逃しただけではなく、我々の存在を露見したというのか」
「いや〜、キサラギさん、ホントすみませんね〜」
二人の忍が、和風の部屋で睨み合っている。一人は顔を露わにした短髪の男、もう一人は背の高い眼帯をつけた男だ。
「我らリロンデルは水面下にて全ての難題を解決する。それが命題であり、戒律だったはずだ。それにも関わらず名乗りをあげた上に、任務を失敗する。これを“お父様”が知ったら、貴様は打ち首だろうな」
「それは困りますね、まだ私は目的を果たしていない」
ハヅキは目の前にいる男にニヤリと笑いかけた。目の前にいる男──キサラギの表情は一切読み取れない。彼は口元を覆う頭巾を被っており、一切の表情を見せなかった。
「目的なぞ関係無い。必要なのは結果のみだ」
「いえ、“東方”にある言葉のように、終わり良ければすべて良し、なんて事にはならないのですよ。手段が確立するから、結果がついてくる。次こそは予想を超えた結果をお持ちしましょう」
淡々と、混じり合う二人の会話は、部屋に冷たい殺気をもたげさせていた。
「もー、ハヅキはまたやっちゃったのー?」
それを切り裂く少女の声。二人が声の主人の方を向くと、そこには赤毛の仔化け猫がいた。
「ナエ様…………」
「これはお見苦しいところを見せてしまいました……」
二人はナエの前に片膝ついて、頭を垂れた。ナエは満足そうに床の間にあるレバーを上げる。すると、部屋の中央にある畳が突然開き《・》、コタツが出てきた。ナエはもそもそと潜り込んで顔だけ出している。
「二人も入りなよ〜、あったかいよ〜」
気持ち良さそうな声を出して、ナエはくつろいでいた。さっきまでの冷え切った空気が一変している。
「いえ、そのような無礼は働けませぬ」
「ワタシが入ってって言ってるのー!!」
ナエは猫パンチを繰り出してそのままキサラギをコタツに引きずり込んだ。ちなみにハヅキは勝手に入っている。
「あったかいでしょ〜?」
「ええ、そうですね、確かにこのような時間もいいかもしれません」
「あー、なんだか眠くなってきたな〜」
「こら、ハヅキ〜、寝るな〜!!」
化け猫三人がコタツの中でわちゃわちゃしている。彼らが王国を揺るがす武装集団の幹部達だ、と言われても誰も信じないだろう。それだけコタツの威力は凄まじいのだ。
「そういえば、あの女の人はちゃんと連れてきた?」
「ええ、そこの出来損ないと違い、完遂いたしました」
「よくやった、キサラギ、大好きだよ!」
頭を撫でながらナエは嬉しそうな顔でキサラギを労っていた。目尻が少し下がっているように、見えたのはあながち気のせいでもないかもしれない。
「ナエ様、私も頑張っていますよ!」
「んん〜、ハヅキはポンコツだけど、ワタシと遊んでくれるもん!」
「それに、お前は計略や罠に長けている。今回の落ち度さえなければ、優秀な忍びであったのにな」
なんか悔しいな〜、と言いながらハヅキはナエと遊んでいた。否、じゃれついてくるナエを上手くいなして、逆に楽しんでいるように見えた。
こうして、何事もなければ、コタツで寝て、起きて、食べて、遊んでを繰り返しているのがナエの正体である。何かに興味を持ったら、たとえ任務の途中であろうとも一目散にやってくる。まだまだ仔猫だ。
「では、ゆっくりお眠りください、私は牢を見て参ります……ハヅキ、滞りなく果たすのだぞ」
「分かってますよ…………」
ロウソクの炎が消えて──もなお、部屋は静かにならなかった。代わりに聞こえたのは、ハヅキの悲痛な鳴き声だった。




