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Episode.30:忍ぶ猫、潜む猫



「アスカ、早く起きなさい。もう朝よ」

「んんっ……分かった」


 ユリの声と共にベッドの布団が膨らんだ。そのまま膨らんで出て来たのは、白い襦袢を着たアスカだった。


「もう朝の九時よ、早く目を覚ましなさい」

「うるさい……」


 襦袢を整え小袖を着て、アスカは支度を済ませた。軽い朝食をとってから二人は厩に向かう。シャンゲンに着くまでに既に三十頭の馬を乗り換えている。


「これからどこに向かうんだ」

「あと七日かけて、モナブラーニ山の麓に向かうわよ」

「…………嫌だ」


 眠たげな三白眼を擦りながら、アスカはのそのそとホテルに戻ろうとしていた。ユリは、そんな彼女の項をつまんで、無理やり馬に乗せた。


「別に、あいつのことだから、自分で脱出するに決まっているだろう」

「だからといって、健人が万が一死にでもしたら、困るのは私たちなのよ?」


 二人は、馬を早速走らせて目的地へと向かった。


「それにしても、何故モナブラーニの山に向かうのだ。人がいそうな所ではないだろう」

「来ればわかるわ」


 アスカは無愛想な声で、ユリを責めていた。そんな言葉も意に介さず、ユリは淡々と言葉を返した。



***



 それから三日、二人は目的地まで半分ほどにあるラングレーの村に辿り着いた。王国西部、ガリル地方の街並みは牧歌的な建物の造りで、住人もとても穏やかな性格だった。


「わらわは、流石に腹が空いたのだが……」

「そうね、この辺りはエスカルゴの有名な養殖地でもあるしね」

「エスカルゴとはなんだ?」


 あら、知らないの、という顔をしてユリはアスカの事を見つめている。アスカはふてくされて少し馬の脚を早めた。

 村の繋ぎ場に馬を留めて、二人は村を歩き始めた。


「あら、いい匂いがするわね」

「腹が減っては戦はできぬ、という言葉が“東方”にはあるようだ。だから、早くあそこに入るぞ」


 不機嫌なアスカに急かされて、ユリはとある酒屋に入っていった。

 ────だが、後ろを取り囲む黒い影には一切気づいていなかった。



「いらっしゃい、おお、べっぴんさんが来たねぇ!」

「エスカルゴに合うワインが丁度入ったんだ、十二個とグラス二杯で銀貨一枚でどうだい?」


 酒場は昼間なのに大繁盛していた。勢いのある店員に勧められるがままに、真ん中辺りの二人がけテーブルに案内された。


「ずいぶん安いのね、どうしたの?」

「今年はエスカルゴ達が元気に育ってくれたもんで、この繁盛っぷりですよ!」


 まだ若そうな店員が快活に笑って、水を出す。アスカは喉が渇いていたのか、一気に飲み干した。それとは対照的に、ユリは一切水に触れなかった。


「そういえば、この辺りは天気がいいって聞いたわよ」

「もうカンカン照りなくらいですよ。もう夏も始まるんだなぁ、って思ってますよ〜」


 店員は愛想よく答えワインとエスカルゴをテーブルに置いた。


「エスカルゴとは、なんだ?」

「ああ、カタツムリの一種で、食べられるカタツムリなんですよ」

「カタツムリなのか…………そんな物食べられる訳無いだろう!!」


 アスカがキレ気味に立ち上がり、店員は目を見開いていた。


「でも、美味しいですよ?」

「もしも何かが入っていたらどうするのだ!」

「まぁまぁまぁ、座って座って! これは美容や健康にぴったりなおつまみなんですから。はい、どうぞ」

「自分で食べるから、その箸を下ろせ」


 今にも斬ってしまいそうな剣幕で睨みながら、アスカは自分で箸をとった。勧められるがままに食べ始めると、アスカは不思議そうな顔をして食べ始めた。案外行けるな、そう言いたげな顔をしていた。


「美味しいでしょう? ねぇ、ニンニクの味がなかなか効いてて、プリプリの食感がやみつきになるだろう?」

「その手で触るな、不快だ」

「そんな事言わずにさ──

「触るな、と言った筈だ」


 アスカの凍りついた殺気に、店の中が一気に固まった。アスカがこうなった以上、彼女が感情の刀を鞘に収めない限り事態が収束することはない。ユリは内心おどおどしながら成り行きを見守っていた。


「ま、まぁ、あの、すみませんね、どうしても美人さんには声をかけたくなるんですよ〜」

「うるさい、そのカタツムリのようなジメッとした性根はどうにかならぬのか」

「ジメッとした性根……流石に傷つきますよ?」


 店員はホントに傷ついているのか、悲しそうな顔をしながらアスカのことを見返した。


「第一、カタツムリは湿った大地に棲むものだ。そんなものを好んで食し、好んで育てているような輩が快活な性格な訳無いだろう」

「そんなことを言わないでくださいよ、この村の取り柄はそれしか無いんですから」

「煩い、今すぐその滑った口を閉じろ」


 アスカは立ち上がり、店員の目をしっかりと見据えた。その眼は、既に“斬るべき者”として視認している。


「斬りたいのなら何故斬らないのですか?」

「煩い──ッ!!」


 鯉口を斬ったかと思えば袈裟に払われた銀の刃は、テーブルを両断していた。店員の身のこなしは思ったよりも早く、アスカはすかさず二の太刀を繰り出した。その間一秒も無い。


「あまり騒がれては困りますよ、お客様──ッ!」


 いつの間にか懐のうちに入っている店員にアスカは眼を丸くした。だが、うろたえることなく二間の間合いを取り、下段に構えた。


「貴様、何者だ?」

「ただのしがない傭兵上がりの主人ですよ」


 アスカの知らない構えをとる店主。彼女は一抹の不安を覚えていた。

 ────身体に起こりのない動き、この男ただ者ではないぞ。


「腑抜けた事を。そんな男が何故カタツムリを育てている」

「まぁ、後学の為ですか──

「白状しなさい、あなた、カタツムリの養殖農家じゃないわね」


 突然投げ込まれたユリの一言に、店主の顔色は少し引きつった。


「何のいいがかりをつけてるんですか、農家だからこの店を開いている──

「嘘よ、だってここ最近“カンカン照り”だったんでしょ?」


 ユリは自信があるようで、一気に畳み掛けている。店主は少し笑って否定しようとした。しかし、それはできなかった。


「ああ、そうか。カタツムリはそんな天気が続いては生きられまい。貴様の言っていたことは辻褄が合わなくなる……成る程、これで斬らぬ理由がなくなった」


 アスカが一転して上段に構える。二間を一瞬にして詰め、身体を両断しようとしたその時、店の周りから炸裂音が聞こえた。


「んん、まさかバレてしまうとは思わなかった。では、死ね」


 鎖のついた手裏剣が男の懐から放たれた。アスカは難なくそれを刀で叩き落と


「“黒絡”!」


 せなかった。男の合図とともに鎖が四方八方から飛んできて、アスカの身体を瞬く間に取り囲んだ。

 普段のアスカならば造作もなく躱せる鎖だった。だが、彼女の様子はどこか変だった。


「ぐうっ……身体が……痺れる……?!」


 顔をしかめ、息を荒くしながらアスカは悶え苦しんでいた。喉や胸をひたすらに掻き毟っている。


「まぁ、さっきのエスカルゴに玉ねぎの絞り汁を入れておきましたからね」

「玉ねぎって、ふざけないで! “Explodieren“‼︎」


 ユリは、持っていた魔導書を開き、簡略化した詠唱により男の地面を吹き飛ばした。威力こそ小さいものの、簡略化しただけあって連発できるのが強みだ。


 しかし、男は怯まずにむしろ炎の中を突き進んできた。手には細身の刀が握られている。


「遅すぎるなぁ?」


 鞘でユリの腹を突いている。彼女は目を見開き悶えた。よく周りを見ると、黒装束の化け猫達が二人を取り囲んでいた。


「我らは”紅のツバメ“、愚王の犬を駆逐しに参ったしがない兵である」

「紅のツバメが何の用だ……」


 苦しそうにアスカが声を出す。男はそれを一瞥し、話し始めた。


「俺は“紅染めのハヅキ”、リロンデル(執行部隊)副隊長だ、まぁ、名前なんて覚えとけないだろうけどね!」



 数本のクナイが、アスカめがけて投擲される。余力の無い彼女に、避けるすべは無かった。



「はぁん、リロンデルが出しゃばってくるとはなぁ?」



 否、一つだけあったようだ。肩幅の広い化け猫がテーブルを投擲してクナイを薙ぎ払う。


「なんだ、お前……」


 呆気にとられたハヅキの様子を気にせず、男は黒いマントを直して何かを構えた。


「銃……にしては短すぎるな……」

「あたりめぇだ。お前らと違って俺はこんなもんを”手に入れる“仕事してるからな……!」


 轟音とともに、ハヅキの忍者刀が折れる。周りの化け猫達は一斉に怯んでいた。


「一体お前は何者だ!!」



 ハヅキの怒鳴り声に、男は不敵な笑みを見せ、被っていたフードを取った。



「アンドレ・マイヤー=ランドルート。王都の武器商人改め、“ゲハイム(秘密)ス・カッツェ(憲兵隊)”隊長だ、別に覚えなくていい」



 持っている不思議な銃(コルト・パイソン)の撃鉄を起こしながら、アンドレは笑みを崩さなかった。


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