Episode.28:明晰夢
「さて、疲れた?」
「さすがにわらわも疲れたぞ……」
ユリとアスカは、王都からの権威が届くようになったゲルジニア地方を経由して、西部ガリル地方に入った。ガリル地方に入ってすぐの村、シャンゲンで二十日目の夜を過ごしていた。ここまで一切の異変はなかった。あくまでも、ここまでの話だが。
「そう、これからは危ないから、これをあげるわ」
ユリがアスカに手渡したのは、紅い鉱石のペンダントだった。
「これは一体なんだ?」
「これは、“ソウルディーラー”っていうペンダント。この世界に七つ在るもので、つけている者が死ぬ時に誰かに魂を託す事ができる。私が知る限り、この世界で一番強い”魔術式“よ」
「こんな石ころにそんな力があるのか、世の中は不思議なものだな」
アスカは、受け取ったペンダントを首にかけてからベッドに入った。
***
────夢を見ている。
目の前には燃え盛る農村が見える。村人達は逃げ惑い、泣き声が響き渡る。
どうして、わらわはここにいるのだろうか。
戸惑いながら、村へと足を進める。肌を刺すような痛みを感じながら、アスカは歩を進めた。
「人外はここで殲滅せよ、お上の安泰を揺るがす不届き者は滅せよ!」
男の方向が聞こえる。振り向けば見慣れた甲冑ではなく、不思議な鎧を身につけた兵士が整列していた。その手には火縄銃、その近くには大砲、抜刀した兵士も見受けられる。
アスカはその場で抜刀しようと、腰に手をやった。だが、どうだろうか、打刀の感触はどこにもない。
「お兄、どこ、お兄!!」
空気をつんざく子供の叫び、アスカが振り向くと、黒髪のまだあどけない子供の化け猫が叫び、逃げ惑っていた。生を求めるその姿は、アスカの心を惹いた。
否、どこかで見た事のある姿、覚えのある声だ。さて、誰であろうか。
アスカはその小娘を助け出そうと踵を返した。だが、既にその必要は無くなっていた。
「アスカ、お山に逃げなさい、“風間”の御仁が助けてくれる」
精悍な顔つきの化け猫が子供の前に、庇うように立っていた。群青の小袖に、鉄紺の袴。黒の羽織を身につけ、腰には二尺三寸の打刀が一振り。そして、一尺六寸ばかりの脇差が一振り。
その目つきは“斬る物”を見据え、決して逃さぬ狩人の目であった。
「でも、お兄、わらわは一人では逃げられませぬ!!」
涙目で叫ぶその姿、アスカはようやく合点がいった。
────あれは、幼きわらわなのか。
「ならば、摩利支天様の真言をお唱えなさい。そうすれば護られるでしょう」
「わわ、分かりました!」
「そして、これを持って行きなさい。この先、必ず道標になる」
兄は幼きアスカに脇差を渡した。それを受け取り、彼女は心配そうに駆けていく。
「待て、小童!」
追おうとした武士は、それを果たす事が出来なかった。五人の武士は、瞬きの間に斬り伏せられた。
「やはり、化け猫は退治せねばならん、構え────
「待たれよ」
怜悧な声と共に一人の老武士が、黒の甲冑に身を包み前に進み出た。腰には化け猫と同じく二尺三寸の打刀の一本のみを据えている。
その武士から放たれる凄まじい剣気は、その場を文字通り凍りつかせた。
「お上に楯突くその意気は認めよう。しからば、我が剣の筋、見切れるか」
抜刀一閃、老武士の得物は“猫”の首を断たんと神速の如く放たれる。だが、その筋は半ばで止められた。
火花を散らし、その刃を受け止めたのはまたもう一つの刃。だが、老武士とて伊達に鍛錬を積んでいない。受けられた刃を素早く引き、そのまま刀を突き出す。
猫の鳴き声が聞こえたかと思えば、化け猫は既に老武士の間合いから離れていた。剣聖と崇められ、如何なる事にも不動の心を持ち合わせし老武士にすら、この離れ方は気にかけるべき物であった
「いくら剣の道を極めようとも、所詮は人の身。人風情が妖に届くなぞ、思っておるまい」
「うむ、確かに妖に人が追いつけるとは思わなんだ。だが────
言葉の間に三合の打ち合い。一切の隙を見せぬ相手に、両者共に敬意の念を抱いていた。
「こと剣の道に於いて差は無い。斬るか斬られるか、その他の思念は雑念であろう」
老武士の眼差しは氷そのもの、それに相対する化け猫は炎のような眼差しをしている。
決して混じり合う事がないであろう、氷と炎の眼差し。それが密に混じりあっている。
「ならば、お主が至ったその境地、見せてもらおう」
化け猫は中段に構え、老武士は下段に構える。
鋭い鉄の音響いたかと思えば既に五合打ち合っている。化け猫が振るう刀が疾風の如きなれば、老武士は迅雷の如くその刀を返す。二十合打ち合い、勝負はつかない。
「よもや、人の身でここまでの技の冴え、見事だ。これでは、たとえ我が村を守るという役目があろうと、この“死合”を果たさねばならぬ」
「そうか。いや、煉獄に生を受け、剣の道のみを進み続けた。だが、よもやここまでの相手に出会うとは思わなんだ」
互いに一切の隙を見せず、己が気を当て、間合いを保っている。一触即発とはまさにこの事だろう。気の釣り合いが少しでも外れようものなら────勝負は決する。
「この“死合”、我が生において“果て”に至るものぞ。これが求めた“果て”ならば、我が命を賭してでも辿り着いてみせよう。■■■家十六代目、左馬之介■■。いざ、推して参るッ!!」
化け猫が当てた剛の気は、老武士を呑みかけた。だが、この程度で呑まれる程の男ではない。
「我が剣生において、ここまで心滾る事があっただろうか、いやない。■■■左馬之介■■、貴様との死合は、もはや天運といえよう。小野次郎右衛門忠明、全霊を以て決死の剣を振るおう。いざ尋常に────勝負!」
老武士の口上と共に近間となる。小競り合いから、死合が動いたのは二十合の打ち合いののちだった。老武士が、足払いをかけ化け猫の態勢を崩した。そこに容赦なく白刃が襲いかかる。
しかし、その刃はやはり届かない。一切の隙を見せぬ攻防、周りの兵士はもはや見とれていた
それは、アスカもまた同じだった。 互いに譲らぬ無我の境地、一歩も退かぬ剣気が混じり合い、死合は高みに登っていた。アスカとて、剣の道を進む者。その死合から目が離せなかった。
三十合打ち合い、化け猫側に変化が起きる。何故か、後退していくのだ。間合いに呑まれつつあると、老武士は見据えた。そこで、老武士は何故か刀を鞘に収めた。
化け猫が耳を立て、目を見開きつつ機をうかがう。
老武士の一太刀は、戦場を抜ける一条の閃光だった。身体に起こりなし、一切の邪念なく、ただ“斬る”為に放たれた必殺の一撃。どのような武人とて、この一撃を躱す事は出来ないだろう。
それは、化け猫も例外ではなかった。腹の辺りを斬られ、鮮血が噴き出る。
しかし、化け猫が立っていたのは、老武士の後ろだった。その足元には折れた刀の刃。紅に染まっている。
「まこと、俺が人の身であったらば死んでいた。全く、斬るには惜しい男だった……」
腹から血を流し、ゆっくりと息を吐く。老武士は何かを理解し、満足そうに倒れ伏せた。
だが、戦いは終わっていない。目の前には、自分達の将を斬った“死にかけ“の化け猫がいる。
「────かかれ、小野様の勲を踏みにじるな、化け猫を殺せ!!」
一切の温情なき刃が振るわれる。いくら武芸に秀でていても、凄絶な死合を繰り広げた後では生き延びる術は無い────筈だった。
「先程の化け猫は、どこに行った!」
何故か、そこに立っていたはずの化け猫は、霧散していた。燃え盛る里の何処にも形跡がないのだ。
血の跡を辿ろうとしても、辺り一帯が血に塗れている為、それは出来ない。
「そこにまだ化け猫がいるぞ、追え、殺せ!」
一人がアスカを見つけ、太刀を持ったまま突撃していく。
「ま、待て、わらわは何も、していない!」
腰の打刀は今どこにもない。何も武器がない状態では、ただのうら若き乙女だ。益荒男達に対抗出来るはずもない。
「やめろ、触るな、やめろおおおおお!!」
────全力で叫び、逃れようとしたその時、意識が明転した。




