Episode.27:夢幻の現
────夢を見た。
自分の身体が凄く熱い。何かに焼かれているようだった。
わらわの身体は何に焼かれているのだろう。
とても熱い。このままでは死んでしまう。
アスカは苦しみから逃げようとした。
嫌だ、熱い、痛い、熱い、痛い、痛いよ、やだ────
「────お兄ちゃんっ!!!」
絶叫する。切な叫びは誰にも届かない。
夢でしか会ったことのない兄に、助けを求める。
「もう、大丈夫だぞ、アスカ」
優しい声と共に、手が差し伸べられる。その手はとても暖かかった。
どうして、この温もりを忘れてしまったんだろうか。
今となっては思い出せない。
思い出せない程に人を斬り過ぎた。
「ああ、だからか」
そうか、人を斬っているうちに、“自分”の事も斬ったのか。
「すまぬ、わらわが間違えていた」
「いや、間違えてなんかない!」
妙に心に響く声で叱られる。だが、アスカはそれを聞き入れなかった。
この身体は、既に血で汚れている。拭いても、洗っても、どうしようもないくらいに汚れている。こんな化け猫が、どうすれば生きられるのか。
今までも刀を振るい続けた。だからこれからもそうするしかない。
「アスカ、自分が本当にしたい事をしなさい」
本当にしたい事、一体なんだろうか。他の化け猫の為に生きる、そんな大層な事は考えていない。
────ならば、何故わらわは生きている。わらわのしたい事とはなんだ。
その問いの答えをアスカは出せなかった。
「わらわのしたい事、とはなんでしょうか」
こんな質問、本来ならすべきではない。それは、自分で考える事だからだ。
見上げた兄の顔は、何故かぼんやりしていた。だが、優しく笑っているような気がした。
「その答えは、もう得ているよ」
兄は、そう残してゆっくりと、アスカの元から離れようとした。
「────イヤです! わらわは“兄さん”ともっと一緒にいたい、だったら、それがわらわのしたい事です!」
必死に兄の姿に追いすがる。何度も何度も、全力で飛びつく。しかし、それすらも叶わなかった。
「…………そしたら、それはもう出来ているよ」
そう言って、彼は姿を消した。アスカの手の甲に滴が落ちる。
「どうせ、兄さんはわらわの前にはいない、でも、わらわは…………」
こみ上げる感情の一切を抑え込んで、歯を食いしばる。そんな現実を見たくなかった。
「兄が死んでいる」こんな事実を受け入れたくなかった。
必死に虚構の世界にしがみつこうとしたが、意識は現実に引き戻された。
***
アスカが目を覚ますと、野営地は霧に包まれていた。初夏に珍しく冷え込む森の中、彼女は何か違和感を感じた。ここに何かが足りない。それを突き止める事が彼女にはできなかった。
「健人がいないのにゃ、逃げちゃったのにゃ!!」
その違和感に真っ先の気づいたのは、スズだった。それに気づいてアスカは、急いで探しに行こうとした。だが、その肩を押さえ込まれた。
「私と彼女は、彼の居場所を知っています。どうか私達二人にお任せください」
「スズも行くにゃ、逃げたのは良くないのにゃ!」
「スズは、ここに行って来てちょうだい?」
今にも飛び出しそうなスズに、ユリが何かの紙を渡す。それを読んだスズは、
「分かったにゃ〜、アンドレおじさんに頼むのにゃ〜」
と言って、馬にまたがった。
「ファラデー博士、勅令の放棄はこの国の法規により重罪に処される。だが、彼の人柄からして、そのような事はないのだろう。内密な解決を頼む」
「勿論ですわ、グランドハート少佐。決して陛下の御顔に泥を塗るような事はいたしません」
セルウィンの不安を払拭するように、ユリが優しく答える。彼はホッとした表情で馬にまたがった。
「これより俺の大隊は王都に戻る。一切の油断をせずに行軍をせよ」
猫の鳴き声と共に騎兵隊が、王都へ続く街道を闊歩し始めた。それにはスズもついていっている。
「さて、こっから長丁場になるけど、用意は出来たかしら?」
「何故、二人なんだ?」
アスカは、全員が出発したのを見届けてユリに質問した。
「まぁ、相手が相手だからねぇ、それに“開眼”して全てを見たから?」
ユリの答えは想像を超えるものだった。そういえば、アスカはユリの魔眼の能力を知らない。
「な、開眼だなんて、何を見たんだ!!」
「“過去”よ。そもそも、私の眼は元々【状態可視】って言って、相手の身体の状態を詳らかに見る事ができる。だから、女性じゃなかなかとれない医学博士の肩書きがとれたの」
「それで、開眼すると……?」
「活性化すれば、心の状態まで見る事ができる。だけど開眼すると、その人間の過去を見る事ができるようになるの」
とてつもない能力に、アスカは目を見開いてしまう。過去まで覗き見られるのはそれこそ嫌だと、彼女は逃れようとした。
しかし、ユリはアスカの項をつまんでどこかに連れて行った。
「この間、健人の過去を見たの。だけど、まさかこんな事になっているとは思わなかった。だから、貴女には伝えられない。ただ、私について来てちょうだい」
アスカは不満そうに一鳴きするが、大人しく馬にまたがった。
「戦況分析ができるのはとても良いことよ。じゃあ、そろそろ行きましょうか」
ユリは灰色の長い髪をたなびかせて馬を走らせた。アスカはその後ろに黙ってついていった。
***
「クソッ、敵はどこだ、仲間は撃つな!」
二週間前、西部のガリル地方にある港町マッシリーナと王都を結ぶ街道。その途中を行軍している軍勢がいた。彼らはとある任務を遂行するために動員された、規模およそ一個連隊の兵士だ。その兵種は、マスケットを装備した歩兵やランスを装備した重騎兵、そしてガトリング砲やカノン砲を扱う機甲兵など、様々な敵がいた。
彼らは「リリキャットに外征第一連隊あり」と言われるほどの精鋭が集う部隊、外征旅団第一連隊だ。
近衛兵団に所属し、敵の侵攻があれば王の号令を受けて戦場に赴く。そして必ず勝利を収めて帰ってくるという、リリキャット陸軍において“虎の子”とも言える部隊だ。
そんな部隊が、正体不明の敵に襲われていた。周りの木々は焼けて、その煙で視界が塞がれている。時折銃声が響くが、兵士たちの間には混乱しかなかった。
「ここは撤退するぞ、軍勢を立て直し、再度作戦を立てるぞ!」
連隊長はあくまでも冷静だった。流石は歴戦の将だ。このまま抵抗を続けても勝ち目はない、そう判断しての退却命令だった。しかし、その声は届かなかった。
唐突な炸裂音。馬は驚き、逃げ出してしまう。その馬たちに蹴られて機甲兵達は無残にも命を落としてしまう。
完全にパニックに陥っていた。連隊長は近くにいる兵士に声をかけ、その場から潰走した。
もはや、指揮系統が機能しなくなった軍勢は、敵の良い餌だった。
ダガーで喉を貫かれ、身体を吹き飛ばし、一切逃げる隙を与えずに歴戦の兵士達を壊滅させた。完全なる奇襲だった。
「よし、この程度にして我々も山に戻りましょう、ナエ様」
「うん、そうだねー!」
辺り一帯には、忍び装束を来た十五人ほどの化け猫が立っていた。彼らは反乱軍の手先ではない。
“リロンデル”。紅のツバメの精鋭部隊にして、偵察や破壊工作、撹乱や情報戦をいとも簡単にこなす者達だ。彼らは、国内のみならず諸外国からも“リロンデルに向ける刃、未だかつて無し”と畏れられるほどの部隊だ。
「これで、王都の連中も兵を送っては来ますまい」
「うにゃ〜、それはまだ分かんないから、こことアルゼース峠を塞ぐよ!」
そのリロンデルの隊長を務めるのは、十二歳という桁違いに若い少女、ナエだった。彼女は“目視測量”の魔眼を持っている。目で見たものとの距離、大きさ、質量、これら全てを視覚化することができる。
「御意、手筈を整えて来まする…………」
ナエのそばに控えていた黒装束の男は、言葉を残して“消えた”
西の果ての空は黒雲に包まれていた。




