Episode.17:狂い咲く魂
「来て、しまったにゃ…………」
「ここが…………ルクサーヌベルク牢獄…………」
“無間の牢獄”の異名の通り、黒いレンガ造りのような建物が前方に見えてきた。時は夜半、辺りの闇とも相まって、その黒さが侵入者を必ず拒み、脱獄者を必ず拒む。そう感じさせる出で立ちをひしひしと感じさせる洋館に挑む侵入者が、現れようとしていた。
「スズ、お主はこの距離から衛兵を射抜けるか?」
「で、できるにゃ…………でも…………」
「出来ぬのなら死ぬだけだぞ?」
アスカが低い声でスズに声をかける
うにゃ、とスズは重い返事をして弓を構えた。その距離、およそ七百メートル程。
「い、いきますにゃ!」
スズが漆黒の闇に弓を放った。弓は綺麗な放物線を描いて飛んでいる。
しばらくして遠くの方から男の悲鳴が聞こえる。
「わらわが先に行く。お主らはわらわの後を付いてくるがよい」
アスカが馬を降り、そのまま門へと駆けていく。
ふと健人は、首元にかかっているネックレスを、シャツの中にしまった。小さい頃に貰った蒼い結晶で作られたネックレスは淡い光を発していた。
「スズ、そろそろ行こうか」
「う〜、分かりましたにゃ〜」
健人は震える足に鞭をうち、スズはか弱い心を無理矢理奮い立たせて門へと向かった。
「は、はやく、殺してくれ!! 頼む!!」
「わらわの父上はどこだ。ニコライ=フェルゲンハウアーはどこにいる」
二人がたどり着くや否や、冷酷な声と共に月明かりに照らされた、銀色の刀身が闇の中に走った。
「やめてくれ! お願いだからもう殺してくれ!!」
「話せば介錯する。話さぬのなら次は右の膝から下だだ」
アスカの目の前には兵士がいた。しかし、その兵士は歪な形をしていた。両手首から先は無く、左足は膝から下が、右足は足首から下が無くなっていた。
「切り落とした物はどうせ犬が食う、ならば話してしまった方がお主にとっても楽であろう?」
「やめろ、そんなの嫌だ、俺はまだ死にたくない!!」
彼女の瞳には光がなかった。月明かりに照らされた刀身は紅く染まっていた。
「傷が痛むのか? おかしいな、わらわはきちんと肉を断っているのだがな…… 血があまり出てないのはその証拠であろう?」
「や、やめてくれ、もう生きれなくなっちまう!!」
「話せば、介錯すると言っているだろうに…………」
押し問答をしているうちに、月が完全に雲から顔を出した。光は強くなり、男の様子がハッキリと見えるようになった。男の脚は寸分のズレもなく綺麗な断面をしていた。血は吹き出しておらず、じわじわと滲むように地面に染みていった。その光景は、現実ではないと信じたくなるほど生々しく、鮮やかなものだった。
「うっ、うえっ…………おぇええええっ!!!」
健人は四つん這いになって嘔吐きはじめた。胃がひっくり返るような苦しみとともに現実を見始める。アスカの”尋問”は、今までの健人を突き動かしていた、高揚感や使命感を全て剥がしてしまった。
「け、健人、大丈夫にゃ?」
「だ、大丈夫、だと、思う…………うぇええっ!」
視界が歪み、吐き気がより強くなる。スズの声が遠く感じ、牢獄も手の届かぬくらいに遠く感じる。足音だけが鮮明に聞こえる。
「衛兵が喋ったぞ。父上は地下の特別牢にいるようだ。健人、お主は立てるのか?」
「は、はい…………なんと────
「今更後戻りなどできぬ。ここで腹を括らずに軟弱な気持ちを引きずるのならばここで貴様の首を刎ねる。どうする?」
「そんなことダメにゃ!!」
スズが自分の前に立っているのは分かった。だが、一度得てしまった恐怖は健人の身体を迅速に蝕んでいった。
「ついて、いきます、約束、ですから」
なんとか健人が立ち上がると、アスカは不敵に笑ってから刀を振るった。どうやら衛兵の首を刎ねたようだ。
「負ければ死ぬ。だが、勝てば生きれる。わらわはまだ死ぬわけには行かぬ。必ず勝つぞ」
と言って、アスカは門に入っていった。スズと健人もついていく。
「敵襲だ!! 急鐘を鳴らせ!! 北区画を完全封鎖、模範囚及び通常囚は南区画三階に誘導、特別牢は籠城体勢を整えろ!!!」
一斉にガス灯が付けられ、けたたましく鐘が鳴る。奥の方からマスケットを持った憲兵達が出てくる。
「敵性分子、三名、即座に射殺せよ!!」
「撃ち方始めっ!!」
門の周辺から三人に向けて、鉛弾の雨が降り注がれる。鐘の音と同時に、作りな頑丈な守衛の詰所を占領し、スズと健人は立てこもっており、スズが時折、鏃に火薬を詰めた仕掛け矢で応戦している。
そして、外ではアスカが次々に憲兵を斬り伏せている。その様子は据え物切りでもしているのではないかというくらいに正確無比な物であった。しかし────
「クソが、殺してやる!!!」
アスカが討ち漏らした敵兵が、詰所の中に身体ごと突入してきた。
「はーなーしーてーにゃあああああああああ!!!!!」
「うるせぇ!! ここで女を殺してから次はお前だ!!」
鉛弾の雨は確実に弱くなっているが、目の前の脅威は大きくなっている。スズはマスケットの銃身を使って首を絞められている。
健人の心は悲鳴をあげていた
────やめろ!
外では悲鳴と銃声、怒号が響いている
────やめろっ!
スズはジタバタもがいているが力で圧倒されている。
────やめてくれっ!!
「けんとぉ、しにたくないよぉ…………」
「いやだ、おにいちゃん、たすけてぇ!!!」
「死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!」
「殺さないで!!娘を連れていかないで!!」
「───を離せ!! やめろっ!! 俺が代わりになる!!」
────なんなんだよッ、クソがァ!!
健人の頭の中で聞いたのことのない声が、ひっきりなしに響く。健人の体に寄生した恐怖心は、宿主を食い破ろうとしていた。
────やめろ、やめろよ、クソっ! みんな死ぬ。俺も死ぬ。そんなの嫌だ! 俺は!元の世界に帰るんだ! なんでここで死ぬんだ! ふざけるな!! やだ!! 死にたくねぇ!!! 俺は、俺は俺は、生きなきゃいけない!! 何のためにここまで来たんだ!! 俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は!!!!!ここで死んでたまるか!!!やめろ!!!!みんなを殺すなァ!!ヤメロォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!
健人の脳はもはや恐怖の二文字に支配されていた。理性すら支配下に置かれている。
ふと、健人に静寂が訪れた。目に入ったのは、スズが潰えそうな命を振り絞って抵抗している姿だ。
────死んで、たまるか
その一言が脳内を走る。最後に見たのはスズと憲兵の、驚愕した顔だった。
「やはり、あれはファントムキラーだ!! 全員でかかれ!! ここで怯んだら終わりだ!! 奴は射殺しろぉおおおお!!!」
守衛隊長の怒号が耳に入る。これで何度目か分からない。アスカは刀の柄を握り直して、飛びかかる敵に刀を振るい続けた。
だが、アスカの”眼”を持ってしても、一対百の戦闘は至難の業である。既に鉛弾が身体の至る所を掠めている。鴇色の着物は、ところどころ紅に染まっていた。
「わらわに傷をつけたのはこれが三度目だ。貴様らに敬意を払わねばな!」
縦横無尽に刀身を走らせる。彼女の周りには、一つ、二つと屍が増えていく。
────しかし、一人で戦況を優勢に傾けた慢心が、刀筋や立ち姿に入ってしまった。
首筋に走る冷たい感触。それはすぐに温かいものに変わった。
────しまった。やられた。
右を薙ぎ払うように斬り伏せると、その兵士のサーベルには血がついていた。周りは完全包囲。だがこのままなら、この傷で死んでしまう。
「万事休す、か…………」
“眼”の活性化という手段もある。だが、それには魔眼にかけられた”七つの拘束”のうち、三つの拘束を解く呪文を詠唱しなければならない。その時間は残されていない。
こうなっては仕方あるまい、自らの命を捨ててでも、二人の活路を開く。その決死の覚悟を決め、息を吐いたその時、
二人がいる詰所が一瞬蒼い光に包まれた。
「おい、自爆したか!?」
「なら、そこの女にトドメを!」
憲兵達も戸惑っているようだが、戦意はむしろ上がったようだ。アスカは殺意をひしひしと肌で感じていた。
「────わらわはここで死なぬ、死んで……たまるか……」
静かに歯を食いしばり、刀を振るわんとしたその刹那、夜闇に怒声が響いた。
「この賊共め! この俺がお前らを殺してやる!!!」
白いワイシャツを着た青年が、ソードを持って憲兵に突進していた。
アスカはもとより、周りの憲兵ですら何が起きたか把握出来なかった。
「殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!!!」
ソードを一心不乱に振り回し、青年は憲兵を叩き斬っていく。
アスカは、その青年を見て、人生初めてと言っても過言ではないほどの恐怖感に襲われた。
「け、けけ、健人、な、なな、何故お主が…………?」
「元よりこの身は死ぬ運命、ならば他の命を助けて死ぬのが俺の本望だァ!!」
その目に宿るのは、殺意を超えた”闘志”だ。一切の邪念を捨て、己が信念に基づいて剣を振るうその姿。それはまさしく騎士であった。
「我が名は加賀谷 健人、ヤマトの武士を侮るなよ!!!」
青年が名乗った名前は確かにアスカも聞き覚えがあった。しかし、それでは説明がつかない。
「アスカさんっ、健人が大変な事になっちゃったにゃあああ!!」
「落ち着け、スズ。わらわにも分からぬ」
「健人が怖いにゃ〜」
スズはひたすら震えていた。アスカは優しく頭を撫でる。健人────と同じ姿をした狂戦士が次々と兵士を薙ぎ倒していく。
────例え、その身が冷酷な刃によって傷つけられようと、不屈の精神を持って孤独な進軍を続けていた。
「ダメにゃ!! 健人が死んじゃうにゃ!!」
「すまない、健人があの状態ではわらわもどうしようもできぬ。とりあえず、この状況を突破するぞ」
「ううっ、分かったにゃ…………」
狂戦士の後を追うように、化け猫二人は加勢する。夜半に始まった”命のやり取り”は、ますます激しくなっていた。
その戦いを、混沌の沼へ引きずり込まんとする"戦士"の瞳に、火の手上がるルクサーヌベルクが入ったのもその頃であった。




