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Episode.15:優しく嫋やかな

 ハイメルンに辿り着いた日の夜、スズは旅館の屋根の上で、丸い月を見ていた。

スズは身体を丸めて、夜風の心地良さに目を細めていた。


 スズは今までの人生を振り返っていた。深い意味は無い。ただ、楽しかった事や印象に残っている事を思い出しているだけだった。


「最近は楽しい事ばかりにゃ〜」


ふと、ここ最近の出来事を思い出す。始まりは、健人に出会う一年前だった。


────その日は、カストラーノ公爵が自らの地元であるゲルジニア地方西部、ロートルダムに拠点を置いて挙兵した日だった。

 混乱極まる王城だったが、二つの部屋は平静を保っていた。一つは王の間、もう一つは王姫おうきの間だった。その王姫の間では、甘い声が響いていた。


「うにゃっ、何するんですか、姫様〜」

「ダメよスズ、私はまだ寂しいわ?」


 ベッドの中でスズはティアーヌ姫に喉をくすぐられたり脇腹をくすぐられたりと、好き放題やられていた。だが、スズにとって、嫌なものではなく、寧ろもっと撫でて欲しいと思うくらいだった。


「にゃおっ、いつになったらやめるのですかにゃ?」

「スズの語尾が治った時かしらね」

「そんなの無理で、す、にゃあ〜」


 くすぐられ続けて流石に疲れてきたのか、スズはうとうとし始めた。

 そこで、ティアーヌ姫は尻尾を軽く握って起こそうとした。しかし思いの外、力が強かったようで、スズは大きな声で一鳴きした。

 そして、キッとした表情で姫の事を睨んでしまった。すると、目の前にいる姫が一瞬、猫に変わってしまったのだ。


「にゃにゃ?! どうして姫様が猫になりましたにゃっ?!」

「うふふ、そろそろお話しないと行けないわね〜」


 だが、姫はスズを優しく撫でて落ち着かせた。そして、ゆっくりと話し始めた。


「スズのお家はね、特別なお家なの。それでね、スズのお家以外に特別なお家が四つあるの。その五つのお家の中で血の繋がった女の子はね、特別な”眼”を持ってるのよ」


 姫に優しく頭を撫でられながら、スズは話を聞いていた。


「他のお家の子達がどんな”眼”を持っているかは私には分からないわ。でもね、”眼”には三段階の能力があるの。”恒常”と”活性化”、そして”開眼”。活性化状態は、恒常状態の時よりも能力の効果が強い。開眼状態は活性化状態よりも強い効果を発揮する事が出来るわ」

「スズの目は、姫様やみんなと違うんですにゃ?」

「ええ、そうよ。でも、悪い事じゃない。寧ろ、私はスズを敬わなければいけないわ」

「そんなのっ……」


 スズは感情を発露させようとして、押し殺した。自分は、誰かに尽くすことによって存在価値が初めて出来上がる者、そう思ってティアーヌ姫に忠義を尽くしてきた。それが、自分の目が特別だからって、自分の主を謙遜させるなんてことは────


「だ、ダメですにゃ!! スズは、スズが死んじゃっても、姫様のメイドなんですにゃ! だから、姫様がスズを敬うなんて、そんな失礼な事をさせてしまうなら、スズが目を潰しますにゃ!!」

「そんな事言わないで、その方が不敬ですよ、スズ?」


 不敬、スズが一番言われたくない言葉だ。他人に言われようものなら、突き飛ばして引っ掻いてるであろう。しかし、言われた相手は、自信が絶対の忠誠を誓った相手、ティアーヌ姫にその人だった。


「も、申し訳ありませんにゃ……」


 スズは耳をぺったり伏せて陳謝した。すると姫は彼女を優しく抱きしめた。


「この王国にはね、ある言い伝えがあるの。猫神の魔眼を持つ五人は、いずれ王国を滅ぼしかねない大きな災厄を鎮める役割がある、ってね。だから、スズはもっと訓練して立派な化け猫になりなさい。それが、お父さんに近づく第一歩だし、私にとっての最大の忠誠よ」


 優しく、優しく背中を撫でられながら、姫はスズに声をかけた。それ以降のあの日の記憶は無い。多分寝てしまったのだろう。だが、その日を境にスズは必死に鍛錬した。全ては姫様の為に、そう心に誓って生き続けた。



***



 コトリ、と物音がしてスズは顔を上げた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。物音の方を向くと、そこには一昨日知り合った化け猫、アスカがいた。


「おや、起こしてしまったようだな。すまない」


 アスカは、スズの隣で香箱座りをして、月を見ていた。


「今日のお月様は真ん丸ですにゃ〜」

「ああ、そうだな、綺麗だな……」


 スズは、丸くなっているアスカに近づき、頭をすりつけようと思って止めた。昼間の健人のことを思い出したのだ。


「どうしたのだ、神妙な顔をしおって」

「あ、アスカさんに甘えたくなったのにゃ」

「ふふ、別にわらわで良いのならば良いぞ?」

「ホントにゃ?!」


 スズは目を輝かせて、アスカの首筋に自分の頭を擦り付けた。


「会った時から思っていたが、お主は本当に愛いやつよの」

「うにぃ、嬉しいにゃ〜」


 スズはお腹を見せるようにころんと寝転がった。アスカは目を丸くしてスズを見ていた。


「お主は何故そこまで無防備なのだ?」

「スズは、優しい人にしかお腹を見せないにゃ〜」

「そうか、わらわが優しいか……」


 アスカは、少し困ったような顔をしてスズの事をじっと見ていた。腹を見せるというのは、アスカにとって絶対服従の証だ。それを、相手が優しいからと言ってすぐに出すと言うのは、今まで生きてきた中で信じられない出来事だった。

 さらに、優しいという言葉。今までの半生では、辻斬りの悪魔、血の幻想剣士として恐れられてきた彼女である。初めて言われた三文字の言葉に、彼女はかなり動揺していた。


「わらわは優しさとは真反対の化け猫だぞ? わらわにはそのような言葉は似合わないと思うぞ?」

「でも、スズが甘えても怒らなかったにゃ。だから優しいのにゃ〜」


────そっか、わらわは優しいのか。

 アスカの口からポツリと、ため息のように言葉が漏れた。

 アスカは慣れないながらも、優しくスズの事を撫でた。


「わらわは、父上を殺した憲兵が憎くて、刀を振るい続けた。お主のように、忠誠を具現化したような化け猫とは真反対の存在なのだぞ? 今まで何百も、何千も、命を刈り取ってきた。今回の旅だって、あの健人とやらはわらわを捕らえに来たのだろう。彼奴あやつはファントムキラーとしてのわらわを探していたのだぞ?」

「そんな事ないにゃ、健人は嘘がへたっぴにゃ〜」

「嘘が、下手?」


 人間とは嘘をつく生き物だと思っていたアスカにとって、その一言は新鮮味のある一言だった。


「そうにゃ、この前もスズが爆弾を背負ってたのに、健人は誤魔化してたにゃ!」

「そんな事があったのか??」

「そうなのにゃ! でも、スズには最初っから嘘がバレバレだったにゃ!」


 信頼しあっているのか、それともスズが特殊なのか。スズの話を聞いていると、二人は恋仲なのではないか、とも思えてきてしまい、無性に腹が立った。だが、年下の化け猫に怒りを出すなど、幼稚さにも程がある。だから、アスカは押し黙った。


「アスカさんは撫でられるのが嫌いなのにゃ?」

「────まぁな、出来る限り触られたくない。人間ならもっとだ」

「撫でてもらえるのは凄く気持ちいいのにもったいないにゃ〜」


 そうか、と一言アスカが呟く。すると、スズは甘えるのをふとやめて、さっきと同じように丸くなった。


「スズは王様のご命令で、健人と旅をしてるにゃ。でも、スズはすっごく楽しいのにゃ! 美味しいものも食べられるし、今まで行けなかった場所にも行けるにゃ。戦うのは大変な事だけど、いい事をしたら健人が撫でてくれるから、嬉しいのにゃ〜」

「この旅が楽しいのか?」


「人生は楽しいことを沢山やってこそ、いい人生なのにゃ!」


 スズの目は希望と期待に満ちて、輝いていた。

 ────自分はこんなキラキラした目で笑う事は出来ない。

 アスカは少し切なくなって、自分の身体に頭を埋めた。


「何か、雨が降ってきたにゃ〜」

「そうだな、部屋に戻るか」


 二人は急ぎ足で三人で泊まっている部屋に戻った。しばらくして、アスカはゆっくりと眠りについた。

 そして、スズはいつもの通り健人と同じベッドに、アスカは隣にある別のベッドにそれぞれ入った。

 窓からは月明かりが射し込んでいた





 ────ふと、アスカが目を開けると、和風家屋が並ぶ村にいた。自分より背の高い化け猫や人間が、にこやかにこちらを見ている。その中にはアスカに声をかけるものもいた。しかし、その声はアスカの耳には届いていなかった。


 一体、この村は何なのだろう。ただただ、疑問だけがアスカの胸に残っていた。

 アスカは、周りの音を聞こうと耳を立てて警戒した。しかし、辺りは無音だった。

 どこかで何か分かる人がいるかもしれない。そう思ってアスカは路地に入っていった。


 しかし、何がわかるどころか、余計に混乱は深まっていく。

 深まる疑問に困り果てそうになった時、後頭部に鈍痛が走った。

 あまりの痛みに声を出すが、その声がきちんと出ているのかすら分からない。視界が紅く染まり始める。

 そしてアスカは、泥に沈んでいくような感覚に包まれながら意識を手放した。



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