Episode.14:触らぬ猫に祟りなし
健人の遥か前方を行くアスカは大門の守備兵達と交戦していた。否、既に交戦は終わっている。アスカは、死体の懐から大門の鍵を探していた。
「クソッ、こいつでもない!」
喉を捌かれた兵士の亡骸を放り投げる。大門を守備していた兵士は五人、この死体は四人目だった。
アスカは、最後の一人の死体の懐を探す前に、気配を感じてふと目を上げた。耳をぴょこぴょこと動かし辺りの音に耳を澄ませる。
────ここに向かってくる気配が四つ、そのうち集団は三つ。ベアリーンの大通りを駆けているのは先程の男と化け猫だろう。大体三十秒位で着くだろうか。そして、城壁沿いを走ってくる集団二つは憲兵のようだ。二個分隊程の規模であと五分くらいで到着するだろう。
「アスカさん、大丈夫ですか!!」
「ああ、もちろんだ。えっと、あった。大門を開けるぞ!」
アスカは健人の姿を視認しつつ、死体を探って大門の鍵を手に入れた。
鍵を使って、かんぬきを三人で上げた。
せーの、の掛け声で重い木製の大きな扉を開ける。後ろには銃声や怒声が聞こえ始めていた。
一人抜け出す隙間が出来た瞬間、アスカはそのままするりと出ていった。スズと健人もそれに続く。
「このまま厩舎を襲って馬を奪うぞ! もうお前達は、憲兵に追われてるんだ。今更、王に仕えてるからとかいう御託を並べるつもりは無いだろうな?」
「も、もちろんです!」
「なら、厩舎まで走れ、衛兵はわらわが始末しておこう」
健人が返事をする間もなく、アスカは数百メートル先の厩舎へ駆けていった。
「健人は走るにゃ! あの人数ならスズが止められるにゃ!!」
「なっ、バカ言うな!! スズ一人で二十人以上相手できるわけ────」
「出来るにゃ。スズのお父さんを誰だと思ってるにゃ?」
珍しく不敵な笑みを浮かべ、スズは一本の矢を憲兵達の前方の地面に放った。
「全然当たっ────
突如、辺りに響く轟音。熱風に吹き飛ばされそうになった身体を何とか守り、落ち着くまでしゃがんでいた。
「な、何が起きたんだ!!」
「秘密にゃ! だから走るのにゃ!!」
目的地の厩舎でも銃声が鳴り始めた。どうやらアスカと衛兵が交戦しているようだ。
「でも、置いていくわけにはいか────
「行かないなら引っ掻くにゃ!!!」
言葉とは裏腹に、切羽詰まったスズの声に背中を押され、健人は厩舎へと走っていった。
爆発音を二度ほど背中で聞きながら、彼は目的地へ駆けていく。
「遅いではないか。既に終わってしまったぞ?」
息も絶え絶えに厩舎に辿り着くと、既にアスカの目の前には四体ほどの死体が出来ていた。
「そろそろあの小娘も来るだろう、そうしたら出発だ」
「わ、分かりました…………」
アスカは冷静に、一本結びをしている自分の黒髪をまとめ直していた。この状況でよくここまで落ち着けるな、と健人は乱れた思考を整えていた。すると、しばらくして、
「お待たせしましたにゃ!!」
と、スズがいつもの声で息を切らしながらやってきた。
「よし、揃ったな? とりあえずここから、途中でハイメルンを経由するが、アンテルワープに向かう。よもや馬に乗れないなんて事は無いだろうな?」
「一応、乗馬の心得はあります。小さい時から乗馬クラブにいたので」
「ふむ、ならば遠慮はしない。半日でハイメルンに向かうぞ」
というと、アスカは颯爽と馬に跨り、走り始めた。スズと健人も、彼女の後を追うように馬で駆けていった。
「ふう、ここまで来れば、そう簡単に憲兵には会わないだろう、少し馬を休ませるぞ」
アスカの掛け声で、一行は馬を降りて、街道脇の小さな湖の畔で休む事にした。三人は木陰に座り疲れた身体を癒しながら涼んでいた。
馬達は嬉々として水を飲んでいる。湖はかなり深いであろう底がハッキリと見えていた。
アスカは、愛刀の手入れを静かに始めた。その姿は少し見とれるものがあった。
邪念を振り払い、健人はいつもの通り読書を始めた。読み始めたのは、元の世界から持っていたカバンの中に入っていた、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」だった。
スズは尻尾をゆらゆらと振りながら湖をじっと見ている
「この湖は凄いにゃ! お水が美味しいにゃ!!」
そう言うと、スズは手で水をすくって、舌で舐めるようにチロチロと飲み始めた。
「────化け猫ってやっぱり猫みたいな行動をするんですね」
「いや、あれは若いのと、出自が特殊だからだろう。子猫やまだ成熟してないうちは、猫の方に行動が偏っている。性格は猫のまんまだがな」
「じゃあ、アスカさんはどうやって飲むん────」
「お主は刎頸をご所望か?」
さりげなくアスカが刀に手をかけているので、健人はそれ以上墓穴を掘るのを止めた。
すると、今度はアスカが口を開いた。
「そう言えば、お主の名は何というのだ?」
「ああ、そういえば自己紹介をしていませんでした。加賀谷 健人と言います。この旅ではお世話になります」
「カガヤ……ケント……どのような字を書くのだ?」
「字、ですか……こう書きますよ」
と、落ちていた木の棒で地面に『加賀谷 健人』と書いて上にカタカナで振り仮名をつけた。
「ほう……なかなかいい名前じゃないか。加賀谷、カガヤ、どこかで聞いた事のある名前だ。まぁ、良い」
「そういえば、アスカさんは漢字が読めるんですか?」
「カンジ? それはなんだ?」
「えっと、この名前の字体というか……」
健人は突然の質問に戸惑った。さらに、アスカの口から斜め上を行く質問が来た。
「…………それはリリキャット語だろう?」
「えっ? これは日本語と言って…………あっ!」
健人の声に、少しビクッとしていたアスカを尻目に、彼は思考を始めた。
どうして健人が異世界に来ているはずなのに、言語が通じているのは何故だろう、と。
「そうか、アスカさんから見たら、俺はリリキャット語を喋っているように聞こえるんですね!」
「あ、ああ、えっ、お主は別の言葉を喋れるのか?」
「いや、まぁ、喋れる事には喋れますよ」
「ゲルジニア語か? それともガリル語? ボヘマイン語もいいかもしれないな…………」
アスカの口から訳の分からない言語が飛び出て来たため、流石に健人もこれには面食らった。
「い、いえ、あの、他の言語と言っても俺は、他の世界から来たので、その世界で使われてた言語なんですけどね」
「すまない、わらわには到底理解出来ぬ話だ。その話はアンテルワープに着いてからでも話してくれ。ところでそれは何を読んでるのだ?」
「ああ、これはその世界での小説だよ、読んでみるかい?」
健人は読みさしていた小説を開いてアスカに見せた。健人は基本的に原文で読んでいるので、これもドイツ語で書かれている。ただでさえ、健人の知り合いもそう読めないのに、異世界の化け猫が読めるとは思わ────
「この博士、死んだのか?!」
読めている。何故か読めている。健人は得体の知れない頭痛に襲われた。
「てか、何で読めるの?」
「何でって、これはゲルジニア語じゃないか」
もう、何が何だかさっぱりだった。この世界の言語の仕組みは一体どうなっているのか、全くわからなかった。
健人が混乱しているとも知らずに、アスカは尻尾をゆらりゆらりとさせながら、いつの間にか健人がまだ読んでいないページまで読み進めていた。
「アスカさんは小説が好きなんですね」
「父上が小説家だったからな、本はたくさん読んできた」
心なしかアスカの声が弾んでいた。ぴょこぴょこ耳を動かしながらじっと読んでいるアスカの頭に、健人はそっと手を伸ばした。そして、撫でようとしたその瞬間。
視界が暗転し、意識が闇に落ちた。
────けんとぉ、しなないでにゃあ…………
「うわあっ!!」
頭の中で、小さい女の子の悲痛な叫びが木霊し、健人は飛び起きた。
辺りを見回すと、スズが健人の顔を覗き込んでおり、近くの木には不機嫌そうな顔のアスカがもたれかかっていた。
「えっと、俺に何が起こったんだ?」
「分かんないにゃあっ! スズが水を飲み終わったら倒れてたにゃあ!」
「わらわにも分からぬ。もう起きたなら行くぞ?」
アスカは何故か、ずっと不機嫌そうだった。
草むらで草を貪っている馬達を呼び寄せて、三人は馬に跨った。
「…………健人、次にわらわを撫でようとしたらば、今度はタダでは済まさぬぞ?」
アスカがふと隣に来て、重い、重い声で威嚇するように唸りながら呟いていた。
健人はアスカと出会ってから、何度かいたも分からぬ冷たい汗が背筋を流れた。
「今日はいい天気だにゃ〜」
スズはそんな事お構い無しに、五月の暖かい風を堪能しながら手綱を引いていた。




