Episode.13:危急存亡の契り
健人達が病室を飛び出した頃には、既に血の匂いで満たされていた。
本来、命を救う目的を持つ聖域であるはずの病院が、今は命を奪う戦場に様変わりしていた。
憲兵達は、一人の麗人に強烈な殺意を持って取り囲み、その緋色の花を押し潰さんとしていた。
だが、彼女の剣技の前にはその殺意も儚い夢となり散っていった。
「クソッ、銃撃はダメだ! 流れ弾で味方を殺すくらいなら、己の肉体をもって制圧しろ!! 敵は一人だ!!」
指揮官の声が空気を震わせる。その震えに呼応して、憲兵達は腹をくくって、サーバルやレイピアを構えて突進していった。
だが、ある者は喉を捌かれ、
ある者は袈裟斬りに斬り伏せられ、
ある者は心臓を貫かれていた。
「スズも…………撃たなきゃいけないにゃ…………」
隣からスズの声が細々と聞こえる。健人がスズの方を向くと、彼女は震えながら弓を構えていた。それを見た健人は、スズの前に庇うように立った。
「スズ、怖い事は無理しちゃダメだ。目をつぶっていろ」
「で、でも、健人が死んじゃ嫌にゃ!」
スズが健人のシャツをぎゅっと摘む。その姿を感じ取って、健人は優しく笑った。
「戦いが苦手なのは俺だって同じだ、血を見るのだって嫌だし、今すぐ逃げ出したい。だけど、何で分からないけど、この現状から逃げちゃいけない気がするんだ。何も出来なくても、逃げるのはダメだって。だから、俺はスズを守る。スズは俺の後ろから出てきちゃダメだぞ?」
うにゃ、とスズは心配そうな返事をした。彼女なりの決心をしたんだろうと思い、健人は憲兵の死体からサーベルを抜き、構えた。
しかし、健人が目を逸らした隙に、戦いは終わりかけていた。
「…………退却だ!」
残り七、八人と言ったところで、相手指揮官の号令が飛んできた。
彼はようやく、この戦いに勝ち目がないと判断したのだろう。憲兵達が文字通り尻尾を巻いて潰走していった。
アスカは、音と匂いで全員撤退した事を確かめていた。猫耳をぴょこぴょこと動かしている様は、先程までの血戦にはいい意味でふさわしくない。健人にはそう感じられた。
彼女は、着物の懐から紙を出し、丁寧に血を拭っていた。
「あの、これから、どうするんですか?」
「────わ、わらわにそんな事を聞いてど、どうするのだ?!」
「ほえっ?!」
あまりにも過剰な返答に、健人は自分では出した事の無い素っ頓狂な声が出てしまった。
「なっ、何故、そんなに驚く! 男に予定を聞かれたら、十中八九口説き落とそうとしているんだ、って師から聞いたんだ!」
「その師匠も凄い人ですね……ただ口説こうとしたわけでは無いですよ! ほら、言ったじゃないですか! 用があったから探してたって」
健人が困りながらも話題を切り返した。すると、アスカは顔を真っ赤にし、口を真一文字に結んで彼を睨んでいた。健人は、燃えるような緋色の瞳が、自分の身を焼き尽くすような錯覚に陥った。
「す、すみません、ホントに他意は無かったんです。ただ、用事があっ────」
「用も何も、わらわをこうして辱めた罪はどう償うのだ? 言うてみよ」
と、冷酷な目線を健人に投げかけながら、アスカは彼ににじり寄った。
もう、既にアスカの間合いに健人は入っている。
────怒らせてしまった、殺される。
健人の本能がそう告げていた。”鉱石”によって周りの仲間が消えていった時や神殿での出来事、ミカエルと対峙した時、それらよりも遥かに命の危機が迫っている。
しかし、健人の体は恐怖のあまり膝から崩れ落ちてしまった。
「わらわが介錯するから、辞世の句だけは詠ませてやろう」
アスカが長物をゆっくりと鞘から抜いて大上段に構える。
「あ、あの、ホントに、辱める気なんてな────」
「ダメにゃあっ!! 健人は死んじゃダ────ふぎゃあっ!?」
健人は震えながら命乞いを始めた。その時、彼の横をさっと通り過ぎる影と聞き覚えのある叫び声が通り過ぎた。彼が何事かと目を見張るとアスカの隣で、何故かスズが目を回していた。
「い〜た〜い〜にゃ〜!!」
スズは頭を強打したのか、頭を隠すように身体を丸めて、しくしく泣いていた。
健人とアスカの間に微妙な空気が流れる。
「あの、その、すまない。飛んでくるものは避けるのがわらわの性なんだ。泣き止んでくれぬか?」
「い〜や〜にゃ〜!!!」
スズがあまりにも号泣する為、アスカはたまらなくなって刀を鞘に収めた。
健人はその隙を見て、スズに駆け寄った。
「ごめんな、うん、ホントにごめん」
健人が戸惑いながら謝罪の念を伝えるも、スズはにゃーにゃー泣いて、聞く耳を持たなかった。
困り果てた二人は、各々の考えを口に出した。
「どうしたら、許してくれるんだ?」
「どうしたら、許してくれるのだ?」
どうやら、二人共同じ考えだったようだ。すると、スズは丸くなったまま顔を上げた。何故かその表情は思っていた泣き顔と違って、少し笑っていた。
「健人に撫でてもらって、お姉さんが一緒に戦ってくれたら許すにゃ」
────この猫、王家直属のメイドなだけあって、よく出来た猫である。
健人は、眉を八の字にしながら優しくスズの背中を撫で始めた。しかし、アスカの方は悶々としていた。
「すまない、わらわはお主らと共に戦う事はでき────」
「じゃあ、健人もお姉さんも許さないにゃあ〜!! うにゃー!! いたいにゃー!!!」
────この猫、侍従長なだけあって、なかなかに強情な猫である。
再び大泣き(?)し始めたスズに、アスカは困り果ててしまった。
「ううっ、分かった、共に戦おう。ただ一つ条件が────」
「やったにゃ! これで二人目に────」
「小童、人の話は最後まで聞くものだぞ?」
突如、アスカから発せられた凄絶な殺気に、スズは鳴き止むどころか、尻尾を脚の間に挟み、耳をぺったり頭に伏せさせてぎゅっと丸くなってしまった。正直、今の殺気は、向けられていない健人ですら、一瞬心臓が止まりかけた。
「よいか、一つだけ条件がある。お主らがわらわの目的を果たす事が出来たらば、これからのお主らの旅に付き合おう。それで良いな?」
「も、もちろんにゃ…………健人はそれでいいにゃ?」
「目的って、言うのは?」
恐る恐る、健人は質問をした。すると、アスカはきっと睨んで、
「ルクサーヌベルク牢獄にいる父上を助ける事だ」
と、重苦しく言い放った。
「ルクサーヌベルク牢獄って、”無間の牢獄”の事にゃ?!」
今度はスズが驚いてピンと立ち上がった。
健人は、いつも通り全く分かっていなかった。だが、現地人であるスズとアスカの間には緊迫した空気が流れていた。
「分かった、一緒にお父さんを助けよう」
「ふふ、何も聞かずに返事を寄越すとは、わらわは気に入ったぞ? ならば、手伝ってもらおう。わらわの名はアスカ=フェルゲンハウアーだ。よろしく頼む」
アスカは自分の名を名乗ると、姿勢を正して一礼した。その丁寧な礼に、思わず健人も頭を下げていた。何故だかわからないが、スズは隣で首をかしげていた。
「それで、どうしてルクサーヌベルクにお父さんが捕まってるにゃ?」
「第四憲兵から、大逆罪の疑いをかけられて投獄されたんだ。わらわは父親しか家族が…………おらぬ、多分」
「えっ、多分って?」
「い、いや、何でもないっ、少し考え事をしておっただけだ!」
アスカがかなり動揺していたが、そこを突っ込むとまた首が離れかねない為、健人は少し話を変えた。
「そ、そういえば、さっきから話してるルクサーヌベルク牢獄って、どんな所なんだ?」
「リリキャットには牢獄が七個あるにゃ。それで、その七個のうち、犯した罪によってどこに入るのか変わるのにゃ。今話してるルクサーヌベルクは、反乱を起こしたり、王様を殺そうとしたり、特定の街の人からお金をもらう代わりにその街の人にいい事をする悪いやつ、ええと、なんだっけにゃ……」
「政治犯か?」
「そうにゃ! 政治犯が閉じ込められる所にゃ」
────という事は、アスカの父親は政治犯なのか?
それでなっ、と少し怒気のこもった声をアスカが発していた。自分の考えを読み取ったのかも知れない、と思った健人は気まずそうにアスカに向き直った。
「ルクサーヌベルクが”無間の牢獄”って呼ばれてる理由は、政治犯は、最低でも30年、最大で終身刑になる。だから、実質ルクサーヌベルクから出所する事はほぼほぼ難題なんだ。だけど…………」
「だけど?」
アスカが俯いて口ごもる。その表情は、出会って半日の間に見せてきた気丈さとは違った一面だった。
「わらわの父上は、ただ、本を書いただけなのだ。ある男が、どんな圧力にも屈さずに、権力という名の巨悪を倒す、そういう小説を書いただけだった」
アスカの顔が苦痛に歪む
「だが、二年前の夏の日、わらわが散歩から帰ってくると、父上は既にいなかった。いや、家すら無かったという方が正しいな」
「それって、まさか……
「そのまさかだ。家が燃えていた。わらわは必死に家に入ろうとした。まだ父上がいるはずだ、だから助けねば、と。しかし現実はもっと非情だった。わらわの事を止めた憲兵が言ったのだ。『この家の主人は大逆を犯したから、捕縛された。彼奴の著書は全て焼却処分となった』とな。その時、わらわは何をしたのか覚えておらぬ。だが、一つ言えるのは、気がついたら目の前にその憲兵の死体が転がっており、わらわの刀には血がついていた。それで、大方察したのだ。わらわは憲兵を斬り殺してしまったのだ、と」
「アスカさん…………」
アスカは、身に起こった惨劇を話している筈なのに、涙を流さないどころか、表情が変わっていない。健人はそれがとても心配になった。だが、その心配をよそにアスカは言葉を続けた。
「だが、こうも思った。憎き憲兵を、斬って、斬って、殺して、殺し尽くせば、父上に会えるはずだ。だから、わらわは刀をとり、己を苛む罪の意識をも斬り伏せ、ここまで憲兵と戦い続けたのだ。これからもわらわの気持ちは変わらぬ。お主らが王家に仕える者であろうと、共に戦うことになろうとも、わらわの敵は憲兵でしかない。それでも良いな?」
「…………ただ、アスカさんのお父さんを助けましょう。話はそれからです」
こんな惨劇を経て、一人の少女は復讐という名の鉄仮面の内側に、全ての感情を押し込めてしまったんじゃないか。そうやって今まで生きてきたのではないか。そんな悲哀なのか、同情なのか分からない感情が、健人に曖昧な返事をさせた。
────そして、自分の心境の変化なのか、受け入れられていない。そのしがらみも感じていた。
「…………良かろう、ならば、支度をするぞ。ルクサーヌベルクは当然一筋縄では行かぬ。情報を集めなくてはな?」
「その前にベアリーンを出るにゃ!! 憲兵がいっぱい来てるにゃあ!!」
────そうだった、ここはさっきまで命のやり取りが行われていた場所だった。援軍が来るのは当然の事だ。
「アスカさん、だいじ────
「心配はいらぬ、盟友が煎じてくれた薬のおかげで大方の傷は治った。さて、我が剣技を開帳しよう。見失うこと無く付いてくるのだぞ?」
アスカは菅笠を被り直して、そのまま外に駆け出した。路地の両側には無数の憲兵。本来なら万事休すが、アスカの前には据え物切りのわら人形が乱立しているのと同じ事だった。
「わらわの刀筋が、貴様らの凡庸な眼に見切れるか?」
三歩で憲兵達との間合いを詰める。その三歩は、一人の憲兵がまばたきをするのとほぼ同じ速さであった。そして、鞘から抜くと同時に、集団の中央にいる憲兵を壱ノ太刀で斬り伏せる。太刀筋返さず、そのままアスカは大通りへと駆けていった。
「クソッ、逃がすなァ!! その仲間もつ────」
「けんとっ、目を瞑るにゃあっ!!!」
聞きなれた叫びに呼応して、目蓋が勝手に閉じる。その瞬間、炸裂音と共に男達の悲鳴が聞こえた。
「今のうちに逃げるにゃ!!」
「すまない、ありがとう!」
「後で撫でてにゃ!!」
二人も急いでアスカの後を追っていった。
ベアリーンの青空に、急を告げる鐘が甲高く響いていた。




