Episode.12:闇の先、光の在処
月が西に沈みつつある夜中、ベアリーン。その大路を何百条もの死線が駆け抜けていく。建物は鉛弾によって粉々にされ、石畳も無残な姿になる。
緑の軍服に二角帽を被った髭面の化け猫が手を上げると掃射が終わった。彼は煙の中をじっと睨んでいた。
「ファントムキラーを仕留めたか?」
「まだ分かりません、ですがこの掃射で生きてるとはとても思えません…………」
「そうだな…………」
次第に煙が晴れていく。そして、月明かりが完全にその闇を払う。
「ええい、松明を持ってこい!! 早く照らせ!!」
髭面の軍人のがなり声と共に、兵士達が松明に火をつけた。辺りが今度は真っ赤な光に包まれ、変わり果てた街の姿を映していた。
石造りの建物にはところどころ穴が開き、ガス灯は倒され、石畳は弾丸で削られていた。
しかし────
「あの小娘はどこだ! どこに行った! 探せ!!」
そこには、無機質な瓦礫しかなかった。先程まで鬼神のごとく、兵士を斬り捨てていった化け猫は姿形もなかった。
「あの射撃の中で生き延びるとは…………」
髭面の軍人はボソリと呟いてから、その場を離脱した。
***
化け猫剣士は裏路地をよろよろと歩いていた。
右肩に一つ、左脇腹に一つ、そして右太ももに二つ、穴が開いていた。
「ハハハ、”眼”があっても、流石に、無理か…………」
彼女は壁にもたれかかってそのまま座り込んだ。
路地の奥に見える月を見ながら、今までの生き様を振り返る。
燃えるような緋色の瞳から透き通った雫が溢れ、頬を一つ、二つと伝っていく。
「そっか、わらわは、もう、死ぬのか…………」
人に素性を見せず、ただ孤高なる剣士として生き続けた果てが、この路地裏だと思うと、彼女の涙は止まるどころか、さらに流れていった。
「ああ、せめて、兄上には、会いた……かっ…………た」
この世に対しての未練を一つ残して、彼女は永遠の眠りにつく
────はずだった。
「────スズ! 先に病院に行って、重傷者がいるって伝えてきてくれ!!」
二人分の足音と、男の声が耳に入り、混濁していた意識はまた覚醒した。
力を振り絞って顔を上げようとしたが、それは叶わなかった。
「突然すみません、すぐ助けますから!」
ぐったりしている彼女の身体を持ち上げ、自分の服が血で汚れる事も躊躇せず、男は彼女を背負った。
「絶対に生きてて下さい!」
男の懸命な言葉だけが聞こえてくる。
男の背中の暖かさ、優しい声、見ず知らずの自分を躊躇わずに助ける気持ち、それらを受けながら彼女は背中でぐったりしていた。
ふと、彼女はおぼろげな記憶の中の兄を思い出した。
共に剣の道を極め、好敵手として互いに研鑽を積み、いつしか憧れの存在になっていた兄の姿。夢にしか覚えの無いその姿が、自分を背負っている男と重なった。
「おにぃ…………さま…………」
そのまま、彼女は意識を手放した。
***
健人は、息を荒くしながら路地を歩いていた。意識のない人間を背負うというのは想像よりも遥かにきついもので、彼女の体重が右や左に触れる事で、自分の重心も持ってかれてしまう。だが、倒れてはいけないという強い気持ちで、健人は一歩一歩、歩を進めていた。
普段のスピードなら歩いて五分ほどの、小さな診療所に十五分かけて到着した。
「すみません、あの! スズが話してると思うんですけど!」
「知ってるわ、そこに彼女を寝かせて?」
白いタイトなワンピースに黒いコートを着た化け猫が、妖艶な笑みを浮かべて椅子に座っていた。
「そこの坊や、ちょっと出ていってくれる?」
健人は紫髪の化け猫のこぼれそうな胸元に思わず見とれていた。しかし、妖艶ながらも落ち着いた物腰の声のお陰で、健人は現実に戻ることが出来た。
「は、はい、すみません! あっ、お金はどうす────」
「後でいいわ、とにかく今は出てちょうだい?」
女性の冷静な声に後押されるようにして、健人は診察室を出ていた。
診察室の外には、心配そうな顔でスズが座っていた。
「お姉さん、助かるかにゃあ?」
「どうなんだろうな…………」
「大丈夫ですよ、本当に偶然でしたが、ファラデー先生がいらしてたので助かりますよ!」
二人が心配そうにしていると、受付の看護婦が身を乗り出して話し始めた。
「ファラデー先生って言うのは?」
「あら、王立医科院のユリ=ファラデー教授を知らないの? リリキャット王国で一番のお医者さんでね、でも、研究が忙しいらしくて診察を受けるのが難しいのよ〜」
「そうなんですか。でも、そんな高名な先生がどうしてここに?」
「さぁ、それは分からないけど、明日の朝には出発する予定だったからね〜」
受付の看護婦はウキウキした様子で話していた。
スズは何故か安心したようで、健人にもたれかかって眠ってしまった。
「診察が終わったわよ、私はもう寝るから後は好きになさいな、坊や?」
重く軋むような音を鳴らしながら扉が開くと、先程の妖艶な化け猫が現れた。
「先程はありがとうございました!」
「患者を救うのが私の仕事よ?」
「そうですか……えっと、ユリ先生でしたっけ?」
「ええ、そうよ? どうかしたの?」
「こ、今度、お、お礼をさせてください!」
健人は、それなりに異性と付き合ってきた経験もあるし、女性耐性は割と高かった。しかし、ユリのあまりの見目麗しさに、健人は思わず魅了されてしまったようだ。
そんな健人をみながら、彼女はいたずらっぽい微笑みを浮かべた。
「なら、私は東部のボヘマイン地方、ワルソーに住んでるから、いつでもいらっしゃい?
「は、はい!」
ユリは長い髪をたなびかせて二階へ戻っていったが、健人はしばらくその場に固まったままだった。
「あっ、あの化け猫の女の人の様子を見ないと…………」
硬直が解けて、健人がようやく本来の目的を思い出したのは、それから十五分ほど経ってからだった。
***
────お帰り、アスカ。
意識の外からの声で目が覚めると、そこは草原の真ん中だった。
自分を覗き込む影が一つ。黒く短い髪に眼鏡をかけた青年が立っている。
「────お兄様」
「アスカ、長旅で疲れただろう。久しぶりに一緒に麓の温泉に行くか?」
目の前にいる自分にとってもっとも大切な肉親がいる。夢の中にしかいなかった
「わ、わらわが、お、お兄様と、お風呂なんて入れる訳ないじゃないですか!」
いけない、家族の前だとやっぱり素が出てしまう。
孤独に戦う女剣士ではなく、ただの女化け猫に戻ってしまう。
「ハハハッ、アスカは恥ずかしがり屋だなぁ? 家族同士、ライバル同士なんだからいいだろ?」
「そういう問題じゃないっ!!」
私は頬を赤くしながら、目の前にいる兄の肩をバシバシと叩いた。
「ほら、とりあえずご飯は出来てるぞ、いつまでも寝そべってないで家に帰るぞ?」
兄がそっと手を伸ばして、引き上げようとする。
「大丈夫だよ〜、自分で起きれ────」
その刹那、自分の身体に言葉に出来ない衝撃が走った。痛覚が悲鳴をあげる。
「う、うわああああああっ!!」
私は、あまりの痛みに目を見開いた。
────そこは、さっきまでいた草原ではなく、ベッドの上だった。
アスカが目を覚ますと、窓から朝日が射し込んできていた。眩しいくらいの茜色の光に思わず彼女は目を閉じた。身体の節々が焼けるような痛みに襲われる。
「はぁ……わらわはなんで……ここにいるんだ?」
自分の身体を見下ろす。当然、掛け布団に包まれて自分の身体の状態は分からない。
しかし、傍らに人が眠っているという事実に気がついた彼女は、痛みを忘れて硬直してしまった。
「お……お、お兄様……?」
ベッドに頭を乗せて寝ているその寝顔が、おぼろげながら覚えている兄とそっくりであった。
優しそうな面影はまさしく兄のものだったが、どこかに違和感を感じた。
「ど、どうしてお兄様が? いえ、そんなはずは…………」
自分が故郷で名乗っていた名字も思い出せない。フェルゲンハウアーの家に養子として来る前の名字が思い出せない。
────そもそも、自分の過去もまともに覚えてない。
否、覚えてないのではなく、刀のみで生きてきた彼女に過去というものはただの雑念なだけなのかもしれない。
「────お兄様がいるはずが無い。わらわはアスカ=フェルゲンハウアー。この地に復讐を果たしに来ただけというのに…………心を乱すとはわらわも未熟だな」
ボソッと呟き、アスカはまた布団に戻った。一切の雑念を振り払い、また眠りにつこうとしたその時、
「んんっ、あっ、起きたんですね」
黒髪の青年が、アスカの瞳を見つめていた。
────何故だ、何故わらわは固まっている。目の前にいるのはただの青年だろうに。だから、落ち着け…………
アスカは青年の瞳から目を離すことが出来なかった。ただただ、見つめているだけだった。
「とりあえず、助かって良かったです。怪我も治るみたいですし、ゆっくりして────
「失礼するっ!! 昨夜、この診療所に手負いの化け猫がいたはずだ、今すぐ引き渡してもらおう!!!」
突然鳴り響く怒声に健人の言葉は遮られた。
アスカはこの声に聞き覚えがあった。
「────憲兵だ、やはりわらわを追ってきたか…………」
「えっと、何か悪い事をしたの?」
「…………わらわを知らぬのか? まぁ、良い。此度の親切、感謝してもし尽くせぬ。いつか巡り会えたらば礼をしよう」
そう言ってアスカは傍らにある刀を手に取った。まだ傷口が閉じていないのか、立ち上がったその表情は、苦悶の表情に近かった。
「────何故です、何もしてないのなら憲兵と話せばいいじゃないですか!!」
「………………ふん、血の幻想剣士、いわゆるファントムキラーの噂は聞いたことないのか?」
「ファントム、キラー…………まさか!」
「だから、貴様とはもう会うことが無いと言ったのだ。此度の礼として、わらわが血路を開いて見せよう。だから、逃げ──」
アスカが痛みをこらえて、病室を出ようとしたその刹那、
「無理をしないでください、俺たちにはあなたが必要なんです」
健人はアスカの腕を掴んでいた。一切の躊躇なく、真剣な眼差しで彼女の腕を掴んでいる。
「────そ、そうか、貴様らの都合など知らないが、わらわはここで死ぬわけにはゆかぬ。ついてくるなら勝手についてこい」
そう言うなり、アスカは、腕を振りほどいて病室を飛び出した。
「あのお姉さん、顔真っ赤だったにゃ、緊張してたのかにゃ?」
「そうかもしれないなぁ、よし、スズ、俺達も行くぞ?」
「もちろんですにゃ!!」
アスカを追うように、健人は病室を飛び出して行った。




