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Episode.11:苦しみの一夜


 気がついたら、健人は天文台にいた。

 自分の身体を確かめるように触る。少なくとも幽体では無いようだ。

 次に周りを見回す。後ろを向くと、見覚えのある顔が立っていた。


「鷲宮…………」

「加賀谷君、久しぶりだね」


 そこに居たのは大学の同級生の澪だった。傷だらけの身体で、顔を俯かせているため、表情が読み取れない。

 ────ああ、そういえば、あの時一緒に消えた。自分だけ助かってしまったな。

不意に訪れた胸の痛みは、すぐに絶望に変わっていった。


「すまない、本当にすまな────

「どうして、どうして逃げなかったの?」


 消え入るような声が健人の耳に刺さる。

 彼女の声は恨みに満ちていた。

 今、この場所、天文台にいた時の話をしている。あの時健人は、危険を察知していながら、黙っていた。それで全員消滅して、自分はこうして生きている。

 他の三人は、どうなったのだろうか。生死すら分からない状態なのに、何故俺は世界を救うだなんて、大層な事をしようとしているのだろう。

 健人の頭の中は陰鬱な思考で埋め尽くされ始めた。


「ねぇ、帰りたくないの?」


 澪は、その思考の湖に一石を投じるかのような問いかけをした。

 帰りたくないかと言われたら嘘になる。

 住み慣れた土地、ありふれた毎日、全てが懐かしかった。


 ────どうして、今まで帰りたいと思わなかったのだろう。


 今は世界を救うという理由があるからだろうか。いや、そうではない。

 もっと根本的な所を突き詰めなければいけな────


「健人って、ホントに不思議だよね〜」


 澪の澄んだ声によって、思考の湖から引き上げられた。


「不思議? そうか?」

「だって────


 澪は、ゆっくりと顔を上げた。その瞬間、健人は何かを察知した。


────見ちゃいけない!

見ちゃいけない!

見ちゃいけない見ちゃいけない!!

見ちゃいけない見ちゃいけない見ちゃいけない見ちゃいけない!!!!


 健人が逃げ出そうとしたその刹那、澪は飛びかかるように健人の両肩を押さえて、彼と目を合わせた。その瞳は光が無く、深い闇と化していた。


「おい、澪っ、やめろっ!!」

「なんで? そっか、健人は自分の事しか考えられない臆病者だもんね〜」

「はっ? 何を言って────


 ふと、喉の焼ける感覚に襲われる。いや、喉だけじゃない、全身が焼かれる感覚に襲われていた。


────この感覚はどこかで……


「違うの? 健人はぁ、意気地無しでぇ、人の事より自分の事がかわいくてぇ、そのくせ人にはいい顔をする────

「やめろっ、やめてくれっ、やめてくれよぉおおお!!!」


 いつもと違う、無機質な澪の声が頭の中で響いている。健人が知らず知らずのうちに隠してきた、負の側面が、白日の下に晒されている。それをかき消すように健人は叫んだ。




「ふにゃあっ?! 何があったにゃ〜?」


 だが、その後に耳に入ったのは、ふわっとした猫娘の寝ぼけた甘い声だった。

 健人は何が起きたか分からずフリーズしてしまっていた。その金縛りを解いたのは、


「一体どうしたのにゃ〜」

「ああ、スズ、起こしちゃってごめん……」

「もう、うるさかったにゃ〜」

「ごめんな……」


 むくれているスズを宥めながら、健人は呼吸を整えた。そして、思考を落ち着かせて、状況を整理し始めた。

 今は、アンドレの情報を元にして、ゲルジニア地方の連邦首府、ベアリーンで情報を集めていた。


「ファントムキラーか……実在するのかな……」


 健人のボソッと呟いた言葉が部屋に響いた。

 ベアリーンの住民の誰に聞いても、名前は聞いたことがあってもどこにいるか分からない。一週間に一回は必ずどこかの街の憲兵を襲っているという情報しか手に入っていなかった。どこにいるかはおろか、どこが襲われるのかすら分からずに一週間。まるで雲を掴んでいるかのような手応えのなさに心折れつつあった。


「────すまない、ちょっと怖い夢を見てたんだ」

「怖い夢を見る事は誰でもあるにゃ〜、だからそういう時は誰かと一緒に寝るのが一番にゃ〜」

「それはスズが一緒に寝たいだけだろ?」

「ば、バレたにゃ〜」


 健人はスズのベッドに向かい、馬乗りになってお腹や喉、頭をわしゃわしゃと撫でた。スズは嬉しそうにベッドの上で喉を鳴らしながらくねくねしていた。

 それにしても、化け猫とは不思議な存在である。この世界に転移してから一ヶ月、色々な性格の化け猫に出会った。

 甘えん坊の寂しがり屋、これはスズの事を指すのだが、それだけでなく、臆病な子や好奇心旺盛な子などがいた。

 ただ、化け猫に共通する性格としては”自由”である。化け猫がやっているレストランに行くと、四分の一の確率で料理をウェイターが食べてしまっている。そして、三分の一の確率で料理長がつまみ食いしている。

 ただ、その分サービスが手厚い所は、化け猫達の知恵を読み取る事も出来る。それに、この王国の国民は貴賤を問わず、心が広いのかもしれない。


「スズは撫でられるの大好きだな〜?」

「撫でられるのは気持ちいいし嬉しいのにゃ〜」

「じゃあ、これからはスズが何ができたらご褒美にするか〜」

「やったにゃ、スズはいっぱい頑張りますにゃ〜」


 よほど嬉しかったのか、スズはもはや一人でくねくねし始めた。そんなスズを横目に、健人は自分のベッドに戻ろうとしたその時だった。

 ────二人の耳に凄まじい音が聞こえてきた。


「な、なな、何が起きたにゃ?!」


 スズが急いで窓を開け、下を見下ろす。そこには信じられない光景が広がっていた。


***



何故なにゆえわらわの計画がバレたんだ…………」



 大路には黒い軍服の憲兵達が数多いる。憲兵達はマスケット銃や、エンフィールド銃、サーベルを持ち、大通りを駆け抜ける一人の化け猫を圧倒的な火力で殺害せんとしていた。

 銃声や鉛弾、怒号が美しきベアリーンの街を飛び交い、殺意がみるみるうちに濃くなる。

 しかし、その一人の化け猫を殺す事は出来なかった。

 ガス灯に照らされる白銀の刃が、化け猫の周りにいる憲兵達の胴を、腕を、そして喉を正確に捉えていた。鴇色ときいろの着物姿の化け猫が、憲兵を斬り伏せながら駆けていく様は”死の旋風”と言ってもあながち間違いではなかった。


「わらわはまだ死ぬわけにはゆかぬ、たといここが死地であろうと、生き抜かねば…………」


 駆けながら笠を直し、さらに速度を上げる。ベアリーンの南門まで後数百メートルと言ったところか。力を込めて地面を蹴ったその時───


「小娘一人殺せず、何が機甲大隊だ! 総員、撃ち方始めぇっ!!!」


 化け猫の前には車輪のついた大きな銃(ガトリング砲)が十門並んでいた。



「き、機甲化連隊………だと…………?」


 化け猫剣士は躊躇した。


 ────本当なら街中にいては行けない奴らがいる。


 その躊躇が仇となった。


「────まずい!!」



 その刹那、ベアリーンの夜空に無機質な轟音が放たれた。

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