もしも生まれ変わることができたなら
2017年冬-北海道札幌市。まだ雪も解けぬこの大都市を俺田中 雅司は何の当てもなくただ一人ブラブラとさまよっていた。
高校はカトリック系の私立男子校。今は共学となってしまったが、北大や東大、早稲田・慶応などの俗に言う一流大学に進むものもいれば,道内私大止まりの奴までいる所謂“自称進学校”であった。
当然女との出会いなんてもんはない。しかも体育会系の脳筋バカや異性を愛せない≪ゲイの楽園≫と言われてもおかしくないような所であった。
青春を謳歌することができずにただ単に授業を受けて弁当を食って帰るだけの生活なんて俺には堪えられない。
俺は高校三年間を吹奏学部でのトランペット吹きと読書に時間を食いつぶしてしまった。
当然希望していた大学の指定校推薦をもらうことはできず、一浪して札幌近郊の三流私立大学に入学するハメとなってしまった。
大学時代の初めは勉強したものの、次第に映画サークルの活動に時間をさくことが多くなり、酒やギャンブルに溺れる始末となった。
そのため俺はまともな会社に就職することができず市内にある小さな古本屋の一店員として今の今まで淡々とした日々を過ごしてきた。
仕事で得た給料はすべて酒や本を買ったりギャンブルなどに使い果たしてしまうことが多く、挙句の果てには借金まみれとなってしまう有り様だ。
その一方でお袋には非常に迷惑をかけた。
家庭はあまり裕福ではなく本当は公立に行ってほしかったのに、本州の難関大学に行きたいからと無理を承知の上でその男子校に行かせてくれたものの、難関大学を目指す特別進学コースに上がることができなくなってしまったことから勉学に意欲が入らなくなってしまい、お袋を泣かせるようなこともたくさんした。
また一浪させてくれて大学四年間の学費を出してくれたお袋には非常に感謝している。
俺は今もそのお袋と二人暮らしで、食う・風呂・寝ると大変世話になっている。
16の時に親父が亡くなり、兄弟2人を高校から大学まで私立に行かせてくれたお袋には非常に感謝している。
俺も一旗挙げてお袋を楽にさせてやりたい。
でも借金が増え貯金も減るばかりでかえってお袋を悲しませている。
俺という人間はこの世に生きる価値がないのかもしれない。
こんな人間は苦しみをかかえて生きるよりも自殺したほうが数倍マシだ。
今すぐにでも死んでしまいたい。
死んで罪を償ったほうが自分としても本望だ。
そう思った俺は今この時間、自宅に戻らないことに決め、創生川に身を投げうった。
創生川の水は冷たい。冷たい水だから身を投げるのにもっても適している。なんと冷たくて気持ちが良いのだろう。
周りは気に止める様子もなく車道ではただ車が走り去っていく。
本当に俺はこの世から必要とされていない存在なのかもしれない。
いやどうせ俺なんか社会から必要とされてないような存在だ。生きるに値しない。
俺は本当に馬鹿な奴だった。
人間のクズと呼ばれても仕方のないような生き方をしてきた。
もし生まれ変わるとしたらどんな人間になろうか。
聡明でなおかつ意志強固、自己犠牲すらいとわない献身的な人間に生まれ変わりたいものだ。
そして日々何かに向かって精進し、幸せな家庭を築くのが一番の幸せであり、真の理想そのものであろう。
俺の肉体はこの世から消えてなくなる運命だ。
しかしながら次に生まれて存在があるとするならばしっかりとした人間としてたくましく生きてほしい。
2017年春-その日の天気は晴れがましく非常に暖かい気温であった。
北海道大学附属病院産婦人科-この一室で新たな命が産声をあげた。
体重は3㎏,身長は約50cmと非常に元気な女の子だ。
「元気な女の子ですよ」
この病院に勤務して一年近くたつ年若い女性看護師が待合室に居合わせていた30歳代くらいの男性とその両親に告げた。
分娩室には20代後半と思われる年若い女性の横に産まれたばかりの新生児が可愛いらしい笑顔で父親の方を向いて微笑んだ。
「この娘の名前はどんなのがいい?」
「寒い冬を乗り越えて暖かい春に咲いた花をイメージして“涼花”という名前はどうだろう」
「“涼花-すずか” いい名前ね。厳しい環境や逆境を乗り越えることのできる立派な女性に成長してほしいわね。」
生まれたばかりの娘の命名に際して,女の子の父親となった眼鏡をかけたスーツ姿の男性と母親である長い黒髪と色白い肌が特徴的な清楚な風貌の若い女性が穏やかかつほのぼのとした雰囲気でやりとりをおこなっていた。
「俺が産声を上げてたときもこんな感じだったんだろうなあ。」
女の子の叔父と思われる20代半ばから後半ぐらいの若い男性がその横でつぶやいた。
その男性は土木関係の仕事をしており,普段は仕事の関係でアフリカや中南米の国々に行くことが非常に多い。
そのためこうして家族との貴重な時間を過ごすことができるのは彼にとっての一番の楽しみである。
「横山勇といいます。初めまして。」
叔父の自己紹介に反応するかたちで涼花は優しい笑顔を見せた。
「涼花ちゃんかあ。兄さんなかなかネーミングセンスあるね。」
「お前だってもう結婚していい年頃だろ?婚約者とか彼女とかはいるのか?」
「それよりも母さん。兄さんの名前は横山松年で、僕の名前は横山勇だよね。そもそも名前の由来ってなんなの?」
「2人とも開業医の傍らで郷土史家をやっていたあなた達のおじいさんが名づけ親なのよ。」
「松年は“日本昆虫学の父”と呼ばれた松村松年からおじいさんが命名したし,勇という名前は小樽防波堤の建設に携わった廣井勇博士から来ているのよ。」
兄弟は自分たちの名前の由来が趣味人で物好きであった祖父が名付け親だったことに改めて関心した。
横山 清一郎-兄弟の祖父にあたり涼花の曾祖父にあたるこの人物は、札幌二中(現在の札幌西高等学校)から北海道帝国大学(現在の北海道大学)医学部に進んだのち、産婦人科初代教授で日本スキー界の発展にも貢献した大野精七博士門下の俊秀として、北大病院などでキャリアを積んだあとに札幌市北区界隈でも三本の指に入る産婦人科病院を一代で築き上げた傑物であった。
“札北の横山”“産科に横山あり”と札幌市内はもとより道内の医療関係者の間においても非常に令名が高かった。
また郷土史家としてもアイヌ人類学研究の権威である児玉作衛門や北海道における医学・医療史の研究家としても知られたほか北海道開拓使やアイヌ研究の大家であった高倉新一郎とも交流があった。
清一郎には、涼花の祖母である次女を含め3人の女の子を授かったものの男子の跡継ぎには恵まれず、3姉妹も産婦人科医とは別の道に進んだ。
そのため婿養子として入ったのが涼花の祖父武司である。
武司は1978(昭和53)年4月に北大医学部を卒業後、母校でのインターンを経て清一郎の病院-横山産婦人科病院に就職。
理事長兼院長であった清一郎に縁談を勧められて当時札幌市内の音楽教室でピアノ講師をしていた清一郎の次女秋子と結婚、2人の息子を授かった。
口髭と眼鏡がトレードマークの武司は現在横山病院の2代目院長として病院経営や治療・研究にあたっているほか、学生時代は1年間フランスで農業に従事していた経験があり有機農業や環境問題にも非常に関心が高いようである。
ちなみに出身は和歌山県田辺市であり、プロ野球では阪神タイガーズの大ファンである。
そのため日本ハムファイターズの活躍ぶりには若干嫉妬しておりようなところがあり、野球の話ともなると病院内でも浮いてしまうようなことが非常に多い。
しかしながら病院の評判は非常によく、院長自身も人当たりが良くスタッフとの仲も良好なのでそのようなことは気にしていない。
ここで涼花の父親である横山松年とその叔父横山勇について話すとしよう。
横山 松年-よこやま まつとし。
1984(昭和59)年5月7日出生。北海道札幌市出身。
中高一貫の北嶺中学・高校を経て京都大学農学部卒業。同大学大学院農学研究科博士課程修了。
専攻は家畜繁殖学。
現在は北海道大学農学部に専任講師として勤務。年齢は33歳。
2015(平成27)年10月に当時23歳の藤堂静香とお見合いの形で結婚。
静香は幼稚園から短大まで東京のお嬢様学校を出たいわゆる“深窓の令嬢”であり、実家も東京・自由が丘では名の知れた良家である。
両者が結ばれたいきさつを見ると非常に面白いもので、お見合いの時に静香の両親から“どんなお仕事をしているのか”と聞かれたときに松年が「家畜繁殖学の研究をしています。簡単に言うならば牛や豚をどう殖やしたり育てたりするころができるのかということについての研究をしています。人類の命の源を産み増やしていく必要不可欠なお仕事です。」と即座に返答したことに静香が反応して「この人となら案外うまくやっていくことができるかもしれない」と静香の方が松年の方を好きになり、運よくゴールインするかたちとなったのである。
静香は身長が162cmで、和服姿とかなりマッチングする長い黒髪の持ち主でなおかつ弓道や華道・茶道などをたしなむいわゆる大和撫子である。
その奥ゆかしい人がらからもみてとれるようにほんわかとしたオーラを醸し出しながらも非常に芯の強い一面も持っているまさに才色兼美・良妻賢母を絵に描いた女性といっても過言ではない。
そのため夫婦仲も円満で、産まれたばかりの愛しいわが娘の命名に関するやりとり一つを見てもそのようなことが伺うことができる。
また松年自身もクラシック音楽鑑賞を一番の趣味としており、ルーマニア生まれの名指揮者セルジュ・チェリビダッケや旧ソ連のドイツ・ユダヤ系作曲家アルフレート・シュニトケなどがお気に入りである。
要するに涼花の両親-松年と静香の夫婦は、文化的水準の高い環境に育ち、精神的にもかなりゆとりがあるといってもよい。
こうした環境においては、親が子供に「勉強しろ」と強制するようなことはなく子供自身が進んで勉強するものであり、人間本来が学ぶべき姿としてのぞましいといえよう。
横山 勇-よこやま いさむ。
1988(昭和63)年12月3日出生。兄松年と同じ北海道札幌市出身。
北海道内では中堅上位の進学校である北海道札幌手稲高等学校を経て室蘭工業大学工学部建築社会基盤系学科土木工学コースを卒業した後、北海道大学大学院工学院修士課程土木系コース修了。
大学院修了後は、国際協力機構(JICA)の土木関係の専門スタッフとして中南米やアフリカ大陸の国々でダム・河岸工事のプロジェクトに従事している。
勇が土木関係の仕事を志したのは、自分の名前の由来でもある土木工学者の廣井勇と日本統治時代の台湾で鳥山頭ダムの建設などに携わり現在も多くの台湾人から尊敬を集めている八田與一の2氏からの影響である。
また勇は誰からも頼りにされるタイプであり、高校時代はESS部の部長をつとめ大学時代には自治会の会計係をつとめていた。
社会人になってからも周囲に頼りにされることが多く、つい先月までパナマ共和国での河川プロジェクトにおいてサブリーダ的ポジションを任されていた。
勇には高校時代に付き合いはじめ現在遠距離恋愛中の常岡真弓という恋人がいる。
真弓は手稲高校から現役で千葉大学園芸学部に進学し果樹園芸学を専攻。
卒業後は横浜に本社を置く国内最大手の種苗メーカーに就職して日々新種の研究・開発にいそしんでいる。
真弓はボブカットの髪型が特徴の活発な女性で、高校・大学時代と陸上部に所属し長距離ランナーとして鳴らしたスポーツウーマンである。
真弓との遠距離恋愛をはじめて10年近くたつ勇であるが、最近では両者とも仕事が忙しくなっているため連絡すらまともに取り合っていない。
しかも真弓は押しも押されぬ肉食系で、勇のほうがいつも奥手に回ってしまうため未だに結ばれる形には至っていない。
このため勇も年を追うごとに結婚願望が強くなってきており真弓との遠距離恋愛をあきらめて婚活に取り組むことも視野に入れているという。
「ところで勇、高校の時から付き合っている真弓さんとは最近どうなんだ?」
「最近あっちの方も忙しいようだから話す暇すらないよ・・・・」
「それで勇、お見合い結婚とかも考えて見る気はないか?」
「お見合いかあ~。相性が合っていたら別に問題はないんだけれど・・・・」
「お見合い結婚というのも案外悪くないぞ。兄さんなんかこんな綺麗な人をこちらから好きになって結ばれることができたんだから(笑)」
「でも来週からまたホンジュラスで仕事があるんだ。もしふさわしい相手がいたら教えてくれよ。」
病室のべッドの横では松年と勇によるやりとりが行われていた。
「いや恋愛とか結婚なんていうのはそんな簡単なもんじゃないぞ。僕なんか女運に恵まれなかったから結局結婚しないまま逝ってしまっちゃったし・・・」
ふと誰かが小言をもらしたのか、それに気づいた赤ん坊は何やら気にかけていた様子だった。
「どうしたの涼花? お母さんの母乳がほしいの?」
静香がそう言っても涼花は母乳なんか欲しくはない。声の主が気になるようだ。
「すずかちゃんって本当にいい名前ですね。なんともかわいらしい笑顔も素敵ですわ。」
50代後半から60代前半の年齢と思われる物腰がやわらかそう総婦長が優しい声でそうささやいた。
「本当にいい名前だな。立派に成長してくれよ。」
「ん!涼花どうした?」
松年は少し落ち着かない様子で産まれたばかりの娘に問いかけた。
「そういえば最近、この病院に幽霊が出るらしいわよ。」
「なんでも今年の2月に創生川で投身自殺した男性の幽霊なんですって。」
「あの赤ちゃん、霊感が非常に強いんじゃないのかしら。」
「もしかして霊能力者ってこと?」
「そうよ絶対霊能力者よ。生まれつき霊視能力というものを持っているに違いないわ。」
分娩室の片隅では産婦人科担当の看護師たちによるひそひそ話が盛り上がりを見せていた。
「私、幼い時から霊感が強かったものですからその幽霊のことがよくわかるんです。その幽霊の人、いかのも風采の上がらないような印象で人生のすべてが中途半端に終わってしまった感じのような人なんです。
でも本当はとても心の優しい人なんです。」
タレントの小島瑠璃子似の看護学校を卒業したばかりの20代の女性看護師が発した突然の一言により、周囲が凍りついた。
「でも本当に霊能力者なんているのかしら?もしいるとするならばこの娘にはそんな素敵な人と一緒にいられるのだから本当に幸せな人生が待っているかもしれないわ。」
「そうだね。この娘は本当に心優しくまっすぐな人間になると思うよ。」
看護師たちの半信半疑の態度をよそに、女の子の両親が優しそうな笑顔で微笑みながら生まれてきたばかりのわが娘を温かなまなざしで見つめていた。
「そうだな。この娘は間違いなく立派な人間に成長する。どんな困難も乗り越えることのできるそして自分よりも他人のことで一生懸命になるこことができる人間になれる。そしてこの娘は将来絶対に出世する。たとえ出世しなくてもいいから誰からも尊敬される人間になってもらいたいもんだな。」
分娩室の蚊帳の外ではその幽霊田中雅司が新しく誕生した命にかすかな期待を寄せていた。