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否定する女【5】












『お前にこんなことはさせたくなかった……言い訳をする気はない。ただ、誤らせてくれ。すまない』



 私は手に持った剣を彼の首筋に添えたまま息をのんだ。彼は鋭い視線で私を射抜く。



『お前なら、そう判断してくれると思っていた。信じていた。お前は、私には過ぎた娘だよ』



 ――――違う。



『本当に賢い、お前は……お前なら後を、託せる。私は幸せ者だ』



 ――――違うっ。私はそんなんじゃない。賢くなんかない。あなたを、




 殺しに来たんじゃないっ!




 訳を知りたかった。聞きたいことがあった。あなたを追いかけてきたのは、こんなことをするためじゃない!



『お前は立派に成長してくれた。惜しむらくは、お前の花嫁姿を見られないことだな……』



 彼はいつくしむように私を見た。やめて。そんな目で見ないで。



『お前なら、賢明な選択をしてくれるだろう。過去は、すべて私が持って行く。未来を頼んだ……。幸せになれよ、ウルシュラ』



 私が握った剣の刃が、彼の頸動脈を切り裂いた。吹き出す血が、私の服を赤く染めた。



『お父様……』



 こと切れた彼を、父親を見て、私はおびえた。そして、同時に思う。



 こんなことをさせて、私が幸せになれるわけがないじゃない。



 部屋に、軍がなだれ込んできた。
















 ウルシュラはばっと起き上がった。自分の屋敷の寝室のベッドの上。ウルシュラはほっとして息をついた。まとっていた寝巻は汗びっしょりだ。


「やな夢見た……」


 ウルシュラは痛む頭をおさえながら着替えるべくベッドから降りた。そのままふらふらとクローゼットの方へ向かうがその前に吐き気がこみ上げてきて、自室に設置されている洗面台に向かった。蛇口をひねり、水を流しながら吐く。

 レドヴィナ王国は、魔法と科学が程よく融合し、発展してきた国だ。水道が整備され、水が引かれるシステムは、魔法石と呼ばれる魔力をはらんだ石と、魔法陣によって構築されている。つまり、魔法がなければ蛇口から水が出ないこともありうる。


 惜しみなく水を流していたためか、音を聞きつけて侍女が洗面所に顔を出した。そして悲鳴を上げる。


「ぎゃあぁぁぁああっ! ウルシュラ様、大丈夫ですか!?」

「あまり大丈夫じゃないわね……というか、もう少しかわいらしい悲鳴をあげたらどうなの、ダーシャ」

「そんなことを言っている場合ですか! ロマナさんーっ! 大変ですー!」


 侍女のダーシャが走って援護を求めに言った。ちなみに、ロマナはこの屋敷の女官長である。ダーシャはウルシュラ付の侍女。

 しばらくしてダーシャがロマナを連れて戻ってきた。ロマナは慌てふためいたダーシャを叱りつつ、ウルシュラは再びベッドに横にさせた。


「ウルシュラ様。ご気分はいかかですか?」


 心配そうにロマナが顔を覗き込んでくる。父親殺しの噂があってもウルシュラに使えてくれている優秀な女官と侍女。あ、考えたらまた気分が悪くなってきた。

「あああぁぁああっ。ウルシュラ様、顔が真っ青です! 死なないでください!」

「死なないわよ。失礼ね……」

 あまりにもダーシャがあわてるので、むしろ落ち着いてくるウルシュラである。しばらく横になって何も考えないようにしていたら、だいぶ回復した。


「着替えるわ」


 ウルシュラは起き上がってそう宣言した。ロマナとダーシャが着替えを手伝ってくれる。今日は外出するつもりはないので、シンプルな紫のドレスを着た。ダーシャに髪を梳いてもらっているウルシュラにロマナが尋ねた。

「朝食は取られますか?」

「いらない」

 だいぶ治まったとはいえ、気持ち悪い。食べるのは無理。


「わかりました。ジュースと紅茶を用意いたしますね」


 ロマナはそう言うと、厨房にそれらを取りに向かった。ジュースが出るのは荒れか。気分が悪くても栄養は取れということか。まあ確かに、夕食は取らなくても大丈夫だが、朝食は取れ、というが。

 使用人たちが心配してくれているのがわかる。少々煩わしく感じることもあるが、自分の屋敷にいるときは心が落ち着いているのは事実だ。

 ロマナが持ってきたジュースは、何が混じっているのか緑色をしていた。

「何これ」

「ジュースです。朝食を取られなくても栄養は取るべきだと料理長が主張しまして、五種類の野菜と三種類の果物をミックスしたジュースです」

「すでに野菜の方が多いじゃないの。何なの。ここ私の屋敷のはずなのに、みんな私に厳しくない?」

「愛ゆえです」

「……」

 文句を言いつつも、ウルシュラはそのジュースを飲んだ。思ったより飲みやすくてびっくりした。味を調えてはいるだろうし、当然か。

 今日は特に予定もなく、屋敷でのんびりしようと決めていたのだが、リビングで本を読んでいると、下働きの恰好をした少年が入ってきた。


「なあ、大公閣下」

「部屋に入る前にノックをしなさいと言っているでしょう。何?」

「あ、大公の敬称は閣下であってるんだな」

「まあそうね。それで、何の用かしら、イルジー」


 少年イルジーに適当に返事をしながら用向きを尋ねると、彼は「大公閣下に来客」と言った。

「誰?」

「ヴィレーム様」

「ああ……やっぱり来たか」

 ウルシュラは本を閉じて立ち上がるとイルジーに指示を出した。

「客間で会うわ。ヴィレームをそこに連れてきて。あと、お茶の用意をお願い」

「わかった」

 イルジーが素早く部屋を出ていき、ウルシュラの指示を伝えに行った。少々礼儀に問題がある少年だが、機転が効くし、なかなか賢い。ウルシュラは彼を割と気に入っている。


 さすがに従兄とはいえこの格好で会うのは失礼だろうと、ウルシュラはダーシャを連れて着替えに部屋に戻った。部屋着よりはちゃんとした濃い緑のドレスをまとい、ウルシュラが客室に行くと、すでに客人は待っていた。


「ごめんなさい。お待たせしたわね」

「いや、そうでもないよ」


 ニコッと笑ってヴィレームが言った。ウルシュラは彼の向かい側のソファに腰かける。ロマナはお茶を入れると、部屋から出ていった。すると早速ヴィレームが口を開く。

「早速だけど、昨日はリビエナが悪かったね」

「別に気にしてないわ。慣れているし」

 ウルシュラはそう答えたが、彼女の今朝の夢は絶対にリビエナの発言のせいだとは思う。



『あなたなんて、父親殺しの恥知らずのくせにっ!』



 ウルシュラはその言葉を否定しない、否定する気もなかった。真実はどうあれ、その言葉は、確かにウルシュラの中では事実なのだ。

 三年前、まだ先代の女王の治世末期、ウルシュラがまだ女王候補だったころ、当時のフィアラ大公であるウルシュラの父アルノシュトが女王に対して反乱を起こした。宮殿に乗り込んだ父を追いかけ、近衛や軍よりも早く、ウルシュラは剣を持って宮殿に入った。


 そして、玉座の間で父と対面した。周囲には父に同調したはずの兵や貴族がこと切れた状態で転がっていた。父がやったのだと、一目でわかった。


 そして、言葉の出ないウルシュラの前に膝をつき、父は彼女の剣を自分の首筋に当てさせた。



 言いたいことだけ言って、父はウルシュラの剣で首の頸動脈を切り裂き、果てた。



 その直後に軍が入ってきた。父はウルシュラに剣を持たせたまま自分の頸動脈を切り裂いた。ウルシュラの服には父の返り血がべったりとついており、血に濡れた剣はどう見てもウルシュラが父を殺したようにしか見えなかった。彼女も否定しなかったから、現場の目撃者たちはそう考え、そして、そのように処理された。

 果たして、ウルシュラが父を殺したことになるのだろうか? おそらく、意見の分かれるところだろう。ウルシュラが剣の柄を握っていたのは事実で、彼女は止めようと思えば父の凶行を止められたはずである。だから、ウルシュラが父を殺したともいえるし、父が無理やり剣を引かせたのだから、自殺だという見方もできる。


 しかし、ウルシュラの中では紛れもなく、自分が父を殺したのだという思いの方が強かった。あの時の感触がまだ手に残っている。今でもきっかけがあれば夢に見る。

 ヴィレームの父親は、ウルシュラの父、先代のフィアラ大公の弟だ。王宮図書館で働く学者で、思慮深く温厚な人で、父を失ったばかりのウルシュラを気遣ってくれた。そう言えば、彼が父を殺したのはウルシュラではないと言った人だったか。ウルシュラの父は、彼の兄でもあるのに。

 ウルシュラの父が亡くなった時、フィアラ大公位をどうするかでちょっともめた。前大公アルノシュトには娘のウルシュラはいたが、彼女は当時十八歳で、父親を殺した少女が大公になるとは考えにくかった。


 ということで、前大公の弟、つまりヴィレームの父が大公になる案が出された。出された、と言うか、ヴィレームの父がスティナに対してそう言ってくれたのだ。若く、そして父親を失ったばかりの少女にいきなり大公位を継げと言うのは酷だと思ったのだろう。

 ヴィレームの父には、アルノシュトがフィアラ大公位を継いだ時に従属爵位の一つだった、イルコフスキー男爵位を相続させている。事実上、別の貴族になっているとはいえ、親族だ。前大公の弟であれば不足なしとみられた。


 しかし、それに否を唱えたのはウルシュラだ。自分がアルノシュトの娘だ。自分がフィアラ大公になる、と。かくして、その訴えは受け入れられた。その結果が現在である。

 ウルシュラは、フィアラ大公を継ぐ前に、叔父と……ヴィレームの父親と話をしている。自分が大公位を継ぎたいと訴えたのだ。叔父はウルシュラにどうしても大公になりたい事情があるのなら、なればいい。自分はサポートする。ただし、無理はしないように、と優しく言ってくれた。

 叔父の息子のヴィレームも、大公の息子はめんどくさいと思ったのか、ウルシュラに同意してくれた。しかし、大公令嬢になりそこなったリビエナは納得しなかった。もしかしたら、公爵家か大公家にでも好きな人がいたのかもしれない。男爵家では、公爵家以上の相手と基本的に結婚できないから。


「まあ、女王陛下の御前で、ああいうふるまいをするのはどうかと思うけどね」


 ウルシュラはそう付け足した。自分は気にしていないが、公の場での振る舞いとしては好ましくない、と。ヴィレームも苦笑した。

「ぐぅの音も出ない正論だね。議会でもそうやって相手を言い負かしているのかい?」

「悪い?」

 ウルシュラはあっけらかんとして言った。それがフィアラ大公ウルシュラのスタイルなのだから仕方がないだろう。

「……父上も言っていたけど、あんまり無理はしないようにな。つらくなったらいつでも言ってくれ」

「申し出は受けておくわ。叔父様にもありがとう、って伝えておいて」

「……君はいつもそうだね」

 あきらめたように微笑みながら、ヴィレームはお茶を飲んだ。つられてウルシュラもカップに口をつける。

「ウルシュラ。やっぱり私と結婚しないかい?」

「嫌って何度も言ってるでしょ」

 ヴィレームは自分と結婚しないか、とウルシュラに持ちかけることがたびたびあった。理由を問えば、



『そうすれば、私はイルコフスキー男爵にならなくて済むからね』



 とのことだ。ついでに、大公位が行くはずだった叔父の息子である自分と結婚すれば、ウルシュラに対する風当たりも弱まるのではないかとのことだ。

 イルコフスキー男爵位は、父が叔父に譲り渡したものだ。ヴィレームとウルシュラが結婚しても、フィアラ大公の従属爵位に再び組み込まれることは無いだろう。何しろ、ヴィレームには妹のリビエナのほかに、もう一人弟がいるのだ、彼に男爵位が受け継がれるだけだ。


 あ、でも、そうなるとヴィレームは爵位を継がなくて済むのか。フィアラ大公はウルシュラだから。


 最も、先ほども述べたように、一般的に公爵家以上の身分の者と男爵家の身分の者が結婚することは少ない。ウルシュラとヴィレームの場合は、いとこ同士なのであり得るかもしれないが。

「名案だと思うんだけどな。ウルシュラも一生結婚しないわけには行かないだろ?」

「そうでもないわ。あなたが結婚したら、あなたの子を養子にもらって養育すればいいし」

「……前から思ってたけど、すごい女だよ、君は……」

 ばすっと言い放ったウルシュラに、呆れ気味にヴィレームが言った。確かに、年ごろの女性、しかも爵位を持つ人間のいう言葉ではないかもしれないが、これが今のところ最善ではないかと考える。

 貴族が養子をもらって爵位を継がせることは、よく有ることだ。しかし、未婚の貴族が養子をもらって後継者に育てることはあまりない、と言わざるを得ない。どうしても子供が生まれなかったり、伴侶が亡くなってしまったりした場合は別だが。


「なぁ、ウルシュラ。どうして君はそんなに頑張るんだい? どうして大公になったんだ? あの時、父にすべてを押し付けて、逃げることもできたはずだ」


 ヴィレームの直接的な問いに、ウルシュラは少し考え込んだ。なんだか最近、似たような質問をされた気がするが、どうだっただろうか。


「……まあ、逃げたくなかったからでしょうねぇ。たぶん、私の思いを理解してくれる人はいないと思うけど……簡単に言えば、父の真意を知りたかったのよ。どうして反乱を起こしたのかしらって。それを知るためには、父と同じ場所に立たないといけないと思ったのよ」


 父の反乱は不自然だった。父も貴族院議員で、やはりウルシュラと同じく宮廷内で官職を持っていたが、女王によく使える良き臣下だったと思われる。先々代の女王である父の母にそう教育されてきたのだろう。

 だからこそ、不自然なのだ。何故、女王にはむかう道を選ぶことになったのか。ウルシュラは、父が見ていた世界を見てみたいと思った。


 まあ、フィアラ大公位を継いだのはそれだけが理由ではないのだが……。


 ウルシュラは一度目を閉じると、ヴィレームをまっすぐに見た。


「それに、私はこの国が好きなのよ」


 それだけで、ウルシュラが頑張る理由になる。

「もしも私の存在が迷惑になるというなら、縁を切ってもいいわよ」

「だから、迷惑になってると思うなら結婚してくれ」

「それは嫌」

 不毛な言い争いが再開されたが、ウルシュラは朝よりもずいぶん気分がよかった。












ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


次から第2章です。


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