否定する女【4】
夜会、舞踏会、パーティー……呼び名はなんでもいいが、こういった社交の場に女性が訪れるとき、同伴者として男性がともにあることが多い。その相手は伴侶だったり、恋人だったり、兄弟だったりと様々だが、女性が一人で現れることはほとんどないと言っていい。むしろ、女性は同伴者がいないと社交界に出られないと言ってもいい。
しかし、何事にも例外は存在するものだ。それは女王、もしくはかつて女王であった人であり、爵位を持つ女性もそうだ。
エリシュカは護衛であるエルヴィーンとラディムを連れ歩くものの、彼らを同伴者として扱ってはいない。つまり、エリシュカは女王として一人で社交界に参加していることになる。
そして、ここ数年はもう一人、堂々と一人で社交界に出てくる女性がいる。言うまでもなくフィアラ大公ウルシュラだ。
もちろん、大公であるウルシュラは一人でもとがめられることは無い。しかし、その姿があまりにも堂々としているため、招待客たちが眉をひそめるのはもはやおなじみと言っていい。
彼女は必ず女王に「お招きくださり、ありがとうございます」と言うのだが、それ以降は誰かと話すでもなく踊るでもなく、ずっと壁の華に徹している。今日の夜会でもそうだった。
壁の華となりながらも周囲の視線を集め、なのに誰も声をかけない彼女の存在は異様だった。はっきり言って浮きまくっている。そんな彼女を見つめる一人になっていたエルヴィーンは、そんな自分に驚いた。そして、あわてて眼をそらす。
「エルヴィーン、気になる? ウルシュラが」
それをしっかり目撃していたらしいエリシュカにからかうような口調で言われ、エルヴィーンはこの場から全力で逃走したくなった。
「……いえ。目立っているな、と」
苦しい言い訳をしてみる。休日の王都の大通りで遭遇して以来、エルヴィーンがウルシュラを気にしているのは否定できない事実だった。気が付けば彼女を追っていることに、自分自身も戸惑うばかりだ。
宮殿で見かける彼女に、あの時の面影を見つけることができない。王都で出会ったウルシュラを、エルヴィーンは探しているのかもしれない。
「ウルシュラ。美人だものね」
そんな苦しい言い訳をしたエルヴィーンに、エリシュカはちょっとずれた反応をくれた。ラディムが何か言いたそうな顔をしているが、ウルシュラのことを悪しざまに言うのは鬼門であると学んだのか、何も言わずに口元をひきつらせていた。
確かにウルシュラは美人だ。エリシュカと系統が違う、と言うか真逆のタイプの美人と言っていいだろう。エリシュカが太陽のような美しさならウルシュラは氷のような冷たい美しさ。それくらいは違う。
「見つめてるだけじゃなくて、踊ってきてもいいのよ」
エリシュカが楽しそうに言う。エルヴィーンは口の端をひきつらせ「私は陛下の護衛ですので」と断る。うまく断ったと思ったのだが、駆け引きに関しては女王陛下の方が上手だった。
「あら、そう? なら、伝言を頼んでいいかしら。ウルシュラに、『今度、オペラでも一緒に見に行きましょう』って伝えてきてくれない?」
「……」
エルヴィーンと、ついでにラディムがエリシュカを見た。すなわち、この人は何を言っているんだ、と言う目で。
「何か言われたら、わたくしに頼まれたのだと言えばいいわ。ダンスをしながら密談するのは、貴族のお約束でしょ」
ね? とばかりに小首を傾げられた。ふわふわとした外見からは想像もできない強引さに、エルヴィーンは自分の警護対象に対する認識を改めた。これくらい強かでないと、女王は務まらないのかもしれない。
エリシュカの護衛であるエルヴィーンがウルシュラに声をかけるのは外聞が悪い。外聞と言うか、主にウルシュラに迷惑がかかる。何もたくらんでいなくても、『女王陛下の護衛に何を吹き込んだ』と言うことになるだろう。エルヴィーンも護衛から解任される可能性がある。
それをまるっと解決できる魔法の言葉が『女王の命令』である。一歩も引かない様子を見せるエリシュカに、エルヴィーンは「御意」を示し、女王がいる壇上から降りた。基本的に女王の側にいるエルヴィーンは、最近は壇上にいることが多い。とはいえ、エルヴィーンも貴族の息子。しばらくご無沙汰とはいえ、踊ることくらいはできる。
壇上から降りても、周囲に妙な空白ができているウルシュラの下にはすぐにたどり着いた。周囲の貴族どころかウルシュラにも胡乱気な目で見られ、エルヴィーンは口元をひきつらせた。
今日のウルシュラは、いつもよりは派手目だ。いつもはかっちりした濃い色のドレスをまとっているが、夜会である今回はさすがに広く肩の開いたドレスを着ている。上半身から下半身にかけて、紫から深紅へのグラデーションがかかっており、最近はやりのふんわりドレスではなく、スレンダーなタイプのドレスだ。相変わらず眼鏡だが。
「……お相手願えますか」
引きつりながらも何とか笑みを浮かべてエルヴィーンはウルシュラに手を差し出した。ダンスに誘う時の定石だが、周囲は不思議なものを見るような目でエルヴィーンの方を見ている。たしかに、ウルシュラは舞踏会に参加しても壁際にいて踊らない。誘う人がいないからだ。少なくとも、エルヴィーンは彼女が踊っているところを見たことがない。
ウルシュラは眉をひそめてエルヴィーンの手をたっぷり十秒は見つめたあと。
「よろしく」
そう言ってエルヴィーンの手に手を重ねた。そのほっそりした手に少し驚きながら、エルヴィーンは彼女をホールの中央へ導く。それだけのことにかなりの注目を浴びることになった。
「そんな顔をするなら、誘わなければいいでしょう」
音楽に合わせてステップを踏み始めた途端、ウルシュラが嫌味っぽく言った。どちらかと言うと、すねているように聞こえるかもしれない。
「……なら、あなたも受けなければいいだろう」
エルヴィーンも言い返した。それこそ、「あなた、何言ってるの?」という感じで誘いを断ればよかったのだ。それはそれでエリシュカの方から何か言われそうな気もするが。
「冗談よ。エリシュカから頼まれたのでしょう。あなたが彼女の護衛である以上、断りにくいのはわかっているつもりよ」
何か言われたら、すべて私のせいにしてもいいわよ。と、ウルシュラはエリシュカと似たようなことを言った。根本的なところはこの二人、似ているのかもしれない。ウルシュラはエルヴィーンが声をかけてきたのはエリシュカの命令であるとわかっていて、断るとエルヴィーンに悪い、と思ったのだろう。
実際のところ、断られても断られなくても何か言われるのは間違いないので、どちらでもよかったのだが。
「で。エリシュカからの伝言は何かしら」
華麗にターンを決めながらウルシュラは言った。実の所、彼女はかなり躍らせやすかった。変な癖もないし、頼るところはしっかりパートナーに頼り、ステップも完璧だ。
エルヴィーンはエリシュカの言葉を伝えた。
「今度、一緒にオペラでも見に行こう、だそうだ」
「……それだけ?」
少し驚いた表情になったウルシュラに、エルヴィーンは無言でうなずいた。ウルシュラは「ふうん」と適当にうなずく。
「相変わらず面白い人ね、エリシュカは」
「俺としては、あなたの方が面白いと思うが」
思わずそう言うと、ウルシュラは不機嫌そうにピクリと眉を動かしたが、何も言わなかった。
「日にちはエリシュカに好きに決めていいわよって伝えて。私への連絡はいつもの通りにって」
「いつもの?」
「ええ。いつもの。聞きたかったらエリシュカから聞いてちょうだい」
ウルシュラはあっけらかんとして言った。エルヴィーンもさすがにむっとしたが、何も言わなかった。
しばらく沈黙が続き、二人の足がステップだけを踏む。先に口を開いたのはエルヴィーンだった。
「希望の日はないのか?」
「どう考えても、女王陛下の方が忙しいでしょ。私がエリシュカに合わせるわ」
「……」
大公も忙しいだろう、というツッコミはしないことにした。こんな小さなことで、ウルシュラはエリシュカに遠慮している。議会では遠慮を知らないような態度なのに。そのことが、何故か印象に残った。
「とりあえずそう伝えておいてちょうだい。エリシュカが相手なら、話しは通じるでしょ」
だから、このウルシュラとエリシュカの間にある妙な信頼関係のようなものはなんなのだ。ウルシュラはエルヴィーンに言ったように「信用はしているけど、信頼はしていない」というかもしれないけど。
曲も終盤に差し掛かるころには、二人とも無言だった。それはちょっと異様な光景だったと思われる。
「ダンスは久しぶりだけど、楽しかったわ。ありがとう」
唐突に、本当に唐突に礼を言われて、エルヴィーンは面食らった。そんな彼に微笑み、ウルシュラは軽く手を振って身をひるがえした。
「あの」
ウルシュラが立ち去るとほぼ同時に、二十歳前後の女性に声をかけられ、エルヴィーンは彼女と一曲踊ってからエリシュカの元に戻った。彼はうんざりした表情で言った。
「何なんだ、あの女は……」
「当たり前だろ。相手はフィアラ大公だぞ」
「いや、そっちじゃなくて、二人目の方だ」
妙に端折った言い方だったが、ラディムには通じたようだ。「あの金髪の?」と確かめられた。その金髪の女だ。
話を聞いていたエリシュカが振り返り、会話に参加した。
「ウルシュラの従妹のリビエナ嬢の事ね。ウルシュラのお父様の弟君のご令嬢なの。弟君はウルシュラのお父様にイルコフスキー男爵位を譲られているから、男爵令嬢ということになるわね」
さすがは女王陛下。末端の貴族の事まで頭に入っているらしい。
イルコフスキー男爵位はもともと、フィアラ大公の従属爵位の一つだ。ウルシュラの父は、それを弟に与えたらしい。
「それで、エルヴィーン。リビエナ嬢に何を言われたの?」
「……簡潔に言えば、フィアラ大公の悪口と文句を延々と聞かされました」
エリシュカが顔をしかめた。ウルシュラに良い感情を持っていないラディムも「うわぁ」と言わんばかりの表情で引いていた。やはり、これはないよな。
リビエナ・ヴァツィークはまず、「従姉がご迷惑をおかけしました」という挨拶から始めた。この時にエルヴィーンは彼女がウルシュラの従妹であることを知ったが、名前までは思い出せなかった。
ここで終われば、ちょっと勘違いした従妹が謝りに来ただけ、で終わらせることができるが、リビエナはそこで終わらなかった。
いわく、「ウルシュラは性格が悪い」だの「人が困るのを楽しんでいる」だの「遊び人の悪女で、自分たちも迷惑している」らしい。性格が悪いのは否定できないだろうが、後ろ二つはリビエナの思い込みのような気がする。いや、でも、人が困るのを楽しんでいるのはちょっと否定しきれないかもしれない。
最後に「たぶらかされないように気を付けてください。私からも言っておきます」ときた。これで何なんだ、とならない方がおかしい。そもそも、ウルシュラに声をかけたのはエルヴィーンである。
エルヴィーンの話(愚痴?)を聞き終えたエリシュカとラディムは何とも言えない表情になった。
「……で、そのお嬢様は何がしたいの?」
まったくである。エルヴィーンはラディムに激しく同意した。
「……まあ、リビエナ嬢は昔から少々思い込みの激しいところがあったから。彼女、女王候補の教育が始まったころ、自分も女王候補にしてほしいと頼みに来たことがあるのよ」
「ええっ? いくらフィアラ大公の従妹でも、彼女自身は男爵令嬢ですよね?」
ラディムの問いにエリシュカはうなずいた。
「そうよ。でも、彼女も先々代の女王陛下の孫だし、ウルシュラが女王候補になれるなら自分もなれる、と思ったのかもしれないわね。フィアラ大公家の血は引いているしって」
「それと、たぶん、フィアラ大公へのコンプレックスだな」
「あら、お兄様」
突然聞こえた第三者の声にも驚かず、エリシュカは楽しげにそばに現れた男を見上げた。彼は生真面目そうな顔に笑みを浮かべる。
「女王陛下。ご機嫌麗しく。本日はお誘いくださりありがとうございます――元気だったか、エリシュカ」
「ええ。お兄様も、相変わらずね」
マクシム・ハルヴァート。ソウシェク大公の長男だ。エリシュカの兄にあたる。年は二十六。ふわふわした印象の妹とは違い、同じ金髪碧眼でも硬質で鋭い印象を与える顔立ちをしている。背はさほど高くはなく、いかにも文官、といった様相だ。
いくら兄妹と雖も、エリシュカが女王になった以上、兄は妹に臣下として接しなければならない。そして、実際に間接的な臣下でもある。マクシムは国家につかえる官僚なのである。
「それで、リビエナ嬢はウルシュラにコンプレックスがあるの?」
「私の想像だがな」
ほんわかした雰囲気は一瞬にして消え去った。エルヴィーンはこの兄妹の切り替えの早さに何故か慄然とした。すごい。
「フィアラ大公は私から見ても優秀だからな。頭も良ければ身体能力にもすぐれ、おまけに美人だ。しかも、女王候補になれる身分を持っている。自分と血がつながっていて、一つしか年の変わらない彼女に、リビエナがコンプレックスを持つのは自然なことだ」
「……なるほど。女王になっても、大して面白くはないけど」
エリシュカはまじめな顔をしてそんなことを言ってのけた。ラディムがエルヴィーンの隣でびくっとした。女王の心の闇を聞いてしまった。
「ほかの人にはそうは思えないんだろ。女王といえば、この国では女の至高だ。なりたいと思うやつがいても不思議ではない。ましてや大公家の親族ならな」
もしかしたら、得られていたかもしれない地位、権力。そう言ったものがリビエナの思い込みを形成しているのだろうか。
「コンプレックスがあるから、リビエナはフィアラ大公を貶めたい、彼女のものを奪ってやりたいと思うんだろ」
ちらりとマクシムに見られ、エルヴィーンは緊張した。背筋に冷や汗が流れる。意味ありげな視線だったが、まさか一度踊っただけで、リビエナはエルヴィーンとウルシュラは仲がいいなどと思ったのだろうか。
「それにしてもお兄様。そんなことよくわかるわね?」
「そりゃあ、私もお前にコンプレックスがあるからな」
「わたくしに?」
心底不思議そうにエリシュカが首をかしげた。彼女にとって、兄はよくできた兄なのだろう。マクシムが口元に皮肉気な笑みを浮かべた。
「お前もよくできた妹だからなぁ。私が爵位を継ぐ前に女王になられたとあっては、嫉妬するなという方が無理だ」
「……そうなの……」
少し困惑したようにエリシュカはうつむいた。エルヴィーンには何となく、マクシムの気持ちがわかる気がした。エリシュカを見ていると、「ああ、この人は自分なんかと違うんだ」と思わされる。
「ま、でも、私にとってお前はかわいい妹でもある。困ったらいつでも頼ってくれ」
「! はい!」
一転、うれしげにエリシュカが返事をした。エルヴィーンもラディムもほっとしたその時。
「ふざけないでっ! 偉そうにわたくしに指図しないで! あなたなんて、父親殺しの恥知らずのくせにっ!」
甲高い、耳障りな声が響いた。周囲の視線がそちらに集まり、オーケストラが手を止め、辺りはしん、と静まり返った。声のした方を見ると、例のリビエナと、その向かい側にはウルシュラが無表情で立っていた。
「何よ! わたくしが間違っているとでもいうの!? あなたなんて、父親を殺して大公の地位を得たくせに! 親を殺すなんて、とんだ恥知らずだわ! そんな女と親族のわたくしたちのことも考えなさいよ!」
ヒステリックな叫び声は、静まり返ったホールにこだました。リビエナの罵倒を聞いても、ウルシュラは顔色一つ変えなかった。ゆっくりと眼鏡のブリッジを押し上げ、言った。
「リビエナ。女王陛下の御前よ。言葉を慎みなさい」
本当は行動も慎んでほしいけどな。妙に冷静に、エルヴィーンは思った。ウルシュラの落ち着いた言葉に、リビエナが逆上する。
「言葉を慎むのはあんたの方でしょ! わたくしは間違ったことを言っていないわ!」
「そうね。だけど、場所を考えなさい。ここは女王陛下の御前なのだから」
ウルシュラがもう一度言った。リビエナは再び口を開こうとしたが、その前に第三者が介入した。
「リビエナ、そこまでだ。ウルシュラ、失礼する」
「ええ。ヴィレーム、リビエナに何がいけなかったのか教えて差し上げてね」
「ははっ。厳しいな」
ヴィレーム・ヴァツィークだ。エルヴィーンは介入した男の顔を見て彼の名前を思い出した。専攻が違ったのであまり交流はないが、ヴィレームはエルヴィーンと同級生のはずだ。そう言えば、彼ももフィアラ大公の従兄だったか。ということは、リビエナの兄あたる。
リビエナがヴィレームに連れて行かれると、エリシュカは立ち上がって笑顔を振りまいた。
「みなさん! どうしましたか? 思わぬ余興が入ってしまいましたが、夜会はまだまだこれからです! 楽しんでお帰り下さいね!」
女王陛下のお言葉に、招待客たちが拍手を送る。音楽が再び奏でられ、すぐにホールは騒がしくなった。
「上出来だ、女王陛下」
「お兄様……やめてちょうだい」
妹をねぎらう兄から目をそらし、エルヴィーンはウルシュラがいた方を見た。彼女は、まだそこにいた。周囲から視線を浴びまくっている。
目が合った。
彼女はいつものように笑みを浮かべるでもなく、ただただ無表情でドレスの裾をひるがえした。
広がった赤い裾は、まるで血で染まったようだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この話は7000字超えてるんですよねー。半分に分けるには微妙な数字。