否定する女【3】
女王の執務室に戻ったエリシュカがまず行うのは、今日の議会の議事録を見直すことだ。その間、護衛であるエルヴィーンとラディムは部屋の隅で待機する。
「……やはり、目先の問題としては貧困対策と学校政策かしら」
エリシュカはふっと息をつきながら頬杖をつく。政治は門外漢であるエルヴィーンとラディムは、意見を求められなければ口をはさむことは無い。
「……二人はどう思う? 貧困対策は社会省生活部、学校政策は教育省教育課の協力が不可欠になるけど……」
こうしてエリシュカが護衛の二人に意見を求めることはたまにある。何もわからない自分たちでいいのか、と尋ねたところ、政治に関わっていない人の一般的な意見が聞きたいのだと言われた。
「……貧困対策は財政面で厳しいのではありませんか? 私は専門的なことはわかりませんが……」
「そうなのよね……もう少し経済をまわすことを考えたほうがいいのかしら」
エルヴィーンの意見に同意しつつ、エリシュカはため息をつくようにつぶやいた。その様子を見ながら、エルヴィーンはふと尋ねた。
「……フィアラ大公は、何と?」
この国で現在、エリシュカとまともに議論を行えるのはフィアラ大公、つまりウルシュラだけだ。そう思ってエルヴィーンは尋ねたのだが、その問いに隣の男が過剰反応した。
「ええっ。エルヴィーン、何言ってんの!? あの女がまともな意見を出すわけないだろ!」
「……反論はするが、言っていることはまともだと思うぞ……」
どうやら、ラディムのウルシュラに対する偏見は激しいようだ。議会での発言を聞いていれば、反論はしつつも言っていることは正当で、的を射ていることがわかる。言い方が腹立つだけだ。……おそらく。
そう思ったのだが、奇異なものを見る目で見られた。
「エルヴィーン……お前、どうしたの。まさかあの変人女にほだされたのか!?」
ほだされたって、何だ、それは。
「議会での発言を聞いていれば、言っていることはまともだとわかるだろう。もう二年経つんだぞ。俺達が議会での議論を聞くようになってから」
女王任期の切り替わりは九月からだ。今は六月なので、あと三か月でエリシュカが女王になってからまるまる二年、と言うことになる。
一年と九か月。それだけの間ウルシュラの発言を聞いていれば、彼女の意見がまともであることはわかる。だが、何故それに誰も気づかないのだろう。先入観か、それとも、意図的に気づかないようにしているのか。……気づいても、気づかないふりをしている可能性もある。ウルシュラの言葉は事実をついているかもしれないが、言い方がきつく耳に痛い。そのため、彼女は間違っている、自分は正しいと思う方が楽なのだろう。一般的に、自分の間違いを認めるのは人の謝罪を受け入れるより難しいことだと言われている。
そう言うエルヴィーンも、地面に膝をついて子どもと視線を合わせ、説教をするウルシュラに出会わなければ、『彼女の主張は正当である』と言う事実から目をそらしたままだっただろう。
エリシュカの方を見ると、彼女は心なしか嬉しそうだ。エリシュカはウルシュラを好いているような振る舞いをしているし、エルヴィーンの発言がうれしかったのかもしれない。
「そうなのよ。だれと話しても『フィアラ大公はかならず議案に反論してくる性悪』って言われるし、やっと話の通じる相手を見つけたわ……!」
エリシュカの心からの笑みを向けられ、エルヴィーンは「うれしい」と思う前に「やばい」と思った。このままでは、エリシュカの「ウルシュラの話」をするときの相手にされてしまう。
「……それで、フィアラ大公は経済をまわすことに関して、何とおっしゃっていたのですか?」
何とか無理やり話を軌道修正する。何故こんなことになったのか……そうか、ラディムの発言のせいか。訓練で負かしてやるから覚悟しろ。
話を戻されたエリシュカははっとした様子で「そうでした」とうなずいた。
「ウルシュラには、まず公共施設を整備して雇用を増やせ、経済をまわすのはそれからだ、と言っていたわ」
「公共施設……ですか」
「公共施設を整備すると、どうして雇用が増えるんですか?」
ラディムがまっすぐに尋ねた。頭があまりよくないことを自覚しているエルヴィーンだが、ラディムは自分より頭が悪いのではないか、とときどき思う。ラディムには申し訳ないが。まあ、彼は深く考える、と言うことをしないたちではある。
「正確には、公共施設を整備するから雇用が増えるのではなく、公共施設を整備するのに人を雇うから雇用が増えるの。つまり、国庫で国を整備するのに、貧民層を雇えばいい、と言っているのね、ウルシュラは」
雇われればお金が入る。お金が入れば買い物に行き、経済が回る。つまり、そう言うことなのだそうだ。ついでに雇い先で食事が出れば人も良く集まるだろう、と言うのがウルシュラの意見らしい。
と言うか、そんな会話を、エリシュカとウルシュラはいつかわしているのだろうか。エルヴィーンはこの会話を聞いた覚えがないので、二人っきりで会ったことになる。よく見とがめられなかったものだ。
「でもあの人、いつも『予算が云々』って言ってますよね」
「各政府機関に渡せるお金は決まっているもの。公共事業なら、女王の予算から出すこともできるわ。女王が支出するのなら、ほかの貴族も寄付しないわけには行かない。よく考えたと思うわ。彼女、経済学は専門じゃないはずなんだけど」
ラディムの不機嫌そうな質問に、にこにこと答えるエリシュカ。この二人がウルシュラのことで分かり合える日は来るのだろうか。
「とにかく、経済が回るようになれば税収が増えるはずだわ。そうなれば、貧困対策にも教育制度にもより力を入れることができるわ……と言うか、この公共施設の整備自体が貧困対策ね」
と言うことは、あとは教育制度の改革か? まあ、考えるのはエリシュカたちの役目だ。意見を求められれば言うが、そうでなければ口は挟まない。それがエルヴィーンの方針だった。
「それ、と。もうすぐ社交シーズンね……第一回目の夜会が二週間後……はぁ。憂鬱ね……」
大公家の令嬢であり女王であるエリシュカは、派手な場所を好まない人だった。無論、女王主催の夜会ではホスト側だし、夜会が地味ではなめられるため、会場も自分も派手にきらきらしく着飾る。しかし、本人はそういったことにあまり興味はないらしい。宝石を送られるよりも花の方がいい。花よりも本を贈られた方がうれしい、と言う人だ。
夜会と言うのは、ホストが違うと内容も大きく違う。先代の女王のときの夜会は上品さが目立ったが、エリシュカが手配する夜会はどことなく優しげな雰囲気がある。
夏場は社交シーズンであり、いつもは各領地に暮らしているような貴族たちも王都に出てくる。一時的に、王都が貴族であふれかえることになる。
社交シーズンの幕開けは女王主催の夜会だ。女王主催の夜会が終わると、その後は大公、公爵家、そのほかの貴族、と順番に夜会を開くようになっている。つまり、身分の高いものから順に夜会を開く、と言う妙な伝統があるのだ。
夜会はその家の富を表すので、みんなが見栄を張る。女王であるエリシュカもそうだ。女王は仮にもこの国のトップである。見くびられるわけには行かない。エリシュカが頭を悩ませているのはそのためだ。
「こんなことにお金を使うくらいなら、教育や福祉に回したいものね……」
ぶつぶつとエリシュカはつぶやくが、社交界は交友関係を広げたり、思いがけない噂を拾たりする格好の場所なのだ。避けられない。女王であるエリシュカは、他家の夜会にもお呼ばれして出ていくことがある。その時の護衛もエルヴィーンたちの役目だ。
とはいえ、まずは目先の女王主催の夜会の心配が先である。
招待状はすでに送ってある。毎年、女王主催の夜会はすごい人数が集まるので、宮殿で最も広いホールが会場となる。そのホールの飾りつけなども大変なのだが、そう言ったことは門外漢のエルヴィーンたちは関われない。飾りつけは個人のセンスの問題だし、実際に手配するのは女王ではなく内務省宮内課になる。
「やることが多いわね……ああ、もう」
エリシュカがごん、と机に額をぶつけた。議会の議案をまとめ、夜会のことも考え、女王は大変である。
次の議会でも、議員たちの議案はウルシュラの鋭い指摘を受けた。屁理屈のようにも聞こえるが、やはりウルシュラの言うことはまっとうである。まあ、まっとうな意見が通るかは別問題だが。
そして、エリシュカが嫌がった夜会の日がやってきた。白とオレンジのふんわりしたドレスに身を包んだエリシュカは、まさに『慈愛の聖女』と言った感雰囲気だったが、その表情はいつになく憂鬱そうだ。
「大丈夫ですよ、陛下。今日もおきれいです!」
何を勘違いしたのかわからないが、エリシュカを元気づけようとラディムがエリシュカの装いをほめた。エルヴィーンもよく似合っていると思うが、ラディムの考えは少々見当違いである。
「陛下。盛り上がってきたら、こっそり抜け出すことも可能かと思いますので」
「……そうね。ありがとう、エルヴィーン、ラディム」
エリシュカに礼を言われて、ラディムは嬉しそうに照れた。彼女は本当に何でも受け入れてくれる。だから、エルヴィーンたちも思わず甘えてしまうのかもしれない。
基本的に、女性は夜会などの会場に、男性同伴で入る。男性のみの人は多いが、女性のみの人はあまり見かけない。爵位を持つものが男性の方が多いから、当たり前だが。
つまり、一人で来る女性は爵位を持っている可能性が高いということだ。
爵位ではないが、女王も同じだ。女王は女性だが、一人で会場に入れる。後ろに護衛をつけていても、それはただの護衛なので同行者にカウントされないことが多かった。
「じゃあ、二人とも。今夜もよろしくお願いね」
エリシュカはそう笑って言った。護衛の二人も深くうなずく。エリシュカは表情を引き締めて夜会会場に足を踏み入れた。
主催ではあるが女王であるエリシュカの入場は最後だ。ホールに顔を出した瞬間、とたんに、エリシュカが拍手に包まれた。エリシュカは微笑んで参加者に礼を述べた。
「まず、わたくし主催の夜会にご参加いただき、ありがとうございます」
おっとりと、しかしはっきりと聞こえる声で彼女は会場の招待客たちに話しかけた。
「今日はどうぞ楽しんでいってくださいませ」
女王の挨拶が終わると、夜会が始まった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
元の原稿に書き加えている状況なので、話によって文章量がかなり前後しています。この話は4000字ちょいなのに、次の話は7000字を越えています。どうしてこうなった。