否定する女【2】
現在のレドヴィナ王国の女王はエリシュカ・ハルヴァートと言う。年は二十三歳。ソウシェク大公の娘だ。二年前に即位したばかりなのだが、彼女の人気は絶大だった。
腰元まで届く緩やかなウェーブを描く淡い金髪。優しげな淡い空色の瞳。優しげな顔立ちで、見た目はふわふわしているのにしっかりとした意志を持った女性だ。
見た目だけではなく実際の性格も温厚で優しく、どんな相手でも受け入れる度量を持っていることから『肯定する女王』もしくは『慈愛の聖女』と呼ばれていた。
エリシュカ女王が『肯定する女王』なら、ウルシュラは『否定する女大公』だな、とエルヴィーンは思った。思考も姿も、正反対を行くような二人だ。
「ムシーレク公爵の議案は無理があります。確かにアビーク湖周辺を観光地にすれば、他国から避暑に訪れる方もいるでしょう。しかし、この計画の開発完了まで何年かかるとお思いですか。開発期間が不明ですし、この内容ではあいまい過ぎて計画を立てることができないでしょう。段階を踏んで開発計画を立てるべきかと。それと、費用はどこから出すおつもりですか。この内容では予算捻出は不可能ですから、ムシーレク公が出してくださるのですか? さらに、この辺りは多くの人が住んでいるはずです。住人から反対され――」
「もうよい!」
ムシーレク公爵はフィアラ大公を睨み付けると、自身が提出した議案を回収した。フィアラ大公はにっこり笑うと追い打ちをかけた。
「当地を観光地にしたなら、ご自分で開発されるのが一番安全だと思いますよ」
ムシーレク公爵はにらむだけで人を殺せそうなほど凶悪な視線をフィアラ大公に向けたが、彼女はひるまなかった。まあ、こういったことが三年も続いていれば、慣れもするだろう。
そもそも、このリゾート開発議案はフィアラ大公ではなくムシーレク公爵の方が悪い。公爵が開発を進めようとしたアビーク湖はムシーレク公爵領にあるのだ。確かに自然豊かないいところだし、リゾート地となれば多くの観光客が見込まれる。そうなれば、潤うのはだれか? 土地を貸し出した形になるムシーレク公爵だ。
彼は国の金を使って自らの領地に収入源となる観光地を作ろうとしたのである。国に金を出させて自分は甘い汁を吸おうとした。あまり頭がよくないことを自覚しているエルヴィーンでも、それくらいは理解できた。
そもそも、彼は前回の議会で『観光地にしたなら、その土地を国に売り渡せ』とフィアラ大公に言われている。それを拒絶したのに更なる開発議案を持ってくるとは、むしろいい度胸である。彼女にやり込められるとは思わなかったのだろうか。
「それと、女王陛下」
「あ、はい」
フィアラ大公ウルシュラの発言は続く。今度は矛先が女王エリシュカに向いた。エリシュカはこれまで問題点を指摘されてきた議員たちとは違い、さほど動じることもなく返事をした。この二人は女王候補として教育を受ける以前からの付き合いらしい。
「陛下が民間に教育環境を普及させたいのはわかります。しかし、地方の農民にとって、子どもたちは貴重な労働力でもあるのです。そのため、多くの子どもに学校に来てもらうのは難しいかと。そのあたり、どう対応するおつもりですか?」
「……そのあたりはわたくしも懸念していたところです。王都では子どもたちの働く場はあまりなく、ゆえに学校にも人が集まっていますが、確かに、地方での子供たちは働いていますものね……フィアラ大公はどう思われますか?」
こうしてフィアラ大公に問い返せるあたり、エリシュカ女王はすごい。
「私は先に、農民、および鉱夫たちに対する援助を強化すべきと考えます。もともと、わが国は植物を育てることに向いているとは言えませんし、有限資源である鉱物だけに頼るのも危険です。子どもたちに教育を与えることも重要ですが、その結果、収穫が減るようになってしまっては、食料を輸入するしかなくなります。そうなれば、鉱山資源からの収入に頼ることになり、鉱夫として子供たちが駆り出されることになれば意味がありません」
「なるほど……農民や鉱夫らの負担を軽くすれば、その分、子どもたちの自由度が増すのではないかという考えですね。確かに税を下げれば、子供たちを仕事に駆り出すほど切迫することはないでしょうね」
「あるいは、授業時間を一日の仕事が終わってからにする、などでしょうか。農家などでは夏場は遅くまで働いていることが多いので、あまりいい案とは言えませんが。もしくは冬場に学校を開くのもいいと思います。北部では、やはり雪が深く、難しいかもしれませんが」
「冬場に開くのはいいですね。税率も少し軽くして……」
「農民や鉱夫への税を下げ、貴族や富裕層から税を多く取ればいいかもしれませんねぇ」
フィアラ大公は居並ぶ貴族院議員たちを横目で見てにやり、としか形容できない笑みを浮かべて言った。貴族たちは視線をそらす。ちなみに、フィアラ大公はこの国で五指に入る身分の高さだ。そのため、議席では女王に席が近い。二人の間でポンポン会話がなされるのはそのためだ。もう、この二人がいればこの国は成り立つのではないかと錯覚してしまう。
なぜなら。
「陛下っ! このようなものの讒言に惑わされてはなりませんぞっ!」
と、このようなことを叫ぶ輩がいるからだ。自分の利権が削られようとすると、貴族たちは一気に反旗を翻す。それがわかっているから、エリシュカ女王は貴族を取り締まる法律を作らない。作れないのだ。この国は、曲がりなりにも貴族たちの力で成り立っている節がある。そのため、貴族の力に頼らない行政の体制を作るのが好ましいのだが、まあそううまく行くはずもない。
だん、と鈍い音がした。見ると、扇子を立てに持ったフィアラ大公が、その扇子の先を机にたたきつけていた。エリシュカ女王がびくりとする。
「私は『意見している』だけですわ。あなたの方こそ、陛下に妙なことを吹き込まないでくださらない?」
「何を言うか! いつもいつも女王陛下や我らのなすことに文句を言いだして!」
あからさまではなかったが、その意見に賛同するような声が多く上がった。フィアラ大公はピクリと眉を動かしたが、それ以上動揺を見せることは無く、その整った顔に冷酷とも言える笑みを浮かべた。
「ここは議会でしょう。自分の意見を述べて、何が悪いというのかしら」
悪びれないともとれるフィアラ大公の言葉に、議会は紛糾した。
議会は、フィアラ大公のせいで紛糾したが、フィアラ大公のおかげで落ち着きを取り戻し、閉会した。その手腕の見事なこと。彼女にいい印象を持っていないエルヴィーンも感心したほどだった。
『私に口を開いてほしくないのなら、私が反論できない議案を持ってくれば良いのです。簡単でしょう』
と、彼女は言ってのけた。一応、それなりの常識のある貴族院議員は、フィアラ大公のその言葉に納得し、今、女王陛下の前で乱闘騒ぎを起こすより、次の議会で隙のない議案を持ってきて彼女に恥をかかせた方がいいと判断した。
しかし、その言葉で余計にいきり立つ議員もいた。そう言った議員は、良識ある議員たちに取り押さえられる事態となった。その隙を見てエリシュカ女王が閉会を宣言した、と言うわけである。
「ウルシュラ!」
議会閉会後、エリシュカ女王が去ろうとするフィアラ大公を呼び止めた。振り返ったフィアラ大公は薄いレンズの奥の吊り上り気味の目を細めた。
「いかがなさいましたか、女王陛下」
「あ……いえ」
冷静なフィアラ大公の声に、エリシュカ女王はそっと周囲を見渡した。議員の目があることに気が付いたらしい。エリシュカ女王はそっとため息をついた。
「……いえ。何でもないわ。言われたこと、考えておくわね」
「ええ。私の方でも何か案を出しておきましょう。では、失礼いたします」
フィアラ大公はそう言って微笑むとエリシュカ女王に一礼し、さっさとその場から立ち去った。その瞬間、女王の周囲には議員たちが集まってくる。
「陛下。フィアラ大公の言うことなど、気になさることはありません」
「そうです。あの女、人を貶すことを生きがいとしているような輩ですぞ」
口々にフィアラ大公の悪口を言う議員たちに、エリシュカ女王が口元を引きつらせるのがわかった。自分も聞いていて気分がよくなかったエルヴィーンはエリシュカ女王と議員たちの間に入った。
「すみません。陛下はお疲れのようですので」
「ああ……そうですよね。まったく、フィアラ大公は……」
そうか。エリシュカ女王が疲れているのも、フィアラ大公に関係あると思われるのか。むしろ感心したエルヴィーンであった。
「ホントに! 何のつもりなんですかね、あの女! 何様だと思ってるんだ!」
「……フィアラ大公閣下だろう」
「冷静に返さないでくれよ!」
エリシュカの背後を歩きながらウルシュラの悪口を言うのはエルヴィーンの同僚ラディム・ハラトキーだ。ニェメチェク公爵の次男で、エルヴィーンと同じく、女王の護衛という名の夫候補としてエリシュカに献上された男だ。
彼の場合、ウルシュラと同じ二十一歳だということが彼女の否定につながっているのかもしれない。はるか昔に婚約者候補だったこともあるらしく、ラディムは「あの時受けなくてよかった」としきりにつぶやいていた。
背後で騒いでいる護衛たちの言葉を聞き、エリシュカがため息をついたことに気が付いた。
「どうかなさいましたか?」
エルヴィーンが声をかけると、エリシュカははかなげに微笑んだ。
「いいえ。何でもないの……ウルシュラは、そんなに悪い子じゃないんだけど……」
ため息の理由はそれらしい。だが、エルヴィーンが口を開く前に、ラディムが言い切った。
「何おっしゃってるんですか! あんなに性格のひねくれたやつ、自分、ほかに知りませんよ! 人が困惑する顔見てあざ笑ってるんですよ!?」
「……それは偏見だろう、さすがに」
エルヴィーンが再び冷静なツッコミを入れると、「そうよ」とエリシュカが困ったように微笑んだ。
「ラディムのそのまっすぐな気性は美点だと思うけど、思い込みが激しいところは直したほうがいいと思うわよ?」
エリシュカは優しく小首を傾げて言った。これがウルシュラなら、『その思い込んだら単純一直線な性格を何とかしたらどうなの』くらいは言うだろう。うわぁ、口調が想像できるところまで来ている。ちょっと嫌だ。
「エルヴィーン、どうしたの?」
思わず顔をしかめているのを、エリシュカに下から顔をのぞきこまれていることに気が付き、エルヴィーンは少々焦った。
「いえ……私もフィアラ大公は噂ほど悪い人間ではないと思いまして」
腹黒くはあるだろうが、悪人ではない。と思う。たぶん。
「そうなのよ。わかってくれてうれしいわ」
エリシュカが花咲くような笑みを浮かべるのを見て、エルヴィーンは良心の呵責に悩まされる。今嘘をついたこと、そして、前回の休日にウルシュラに遭遇したことを黙っていることが後ろめたく感じさせた。
『慈愛の聖女』。人々にそう呼ばれるエリシュカは、確かにやさしげで、思わず罪を告白したくなる聖女のような容姿と、それに見合う心の広さを持っている。その人の罪を聞いたとしても、エリシュカは優しくその人の心を受け入れてくれる。責めることはしない。
だから、だれもが彼女に甘えたくなる。彼女について行きたくなる。それがエリシュカ・ハルヴァートのカリスマ性だ。
その反対を行くのがウルシュラ・ヴァツィークなのではないかとエルヴィーンは思う。
切れ味の鋭い言葉で断罪し、その人に罪を認めさせ、その上で改善方法を提示する。一見冷たく思えても、その言葉はエリシュカと同じくらい優しいはず。
エリシュカの言葉は過去を受け入れ、
ウルシュラの言葉は未来を認めている。
その違いがあるから、二人のやり方は交わることは無い。
だが、その違いがあるからこそ、この二人はお互いを認め合えるのかもしれない。
人々は過去を許す方が優しく思える。きっと、エリシュカとウルシュラの違いはそこにある。
まあ、エルヴィーンも、あの日ウルシュラに偶然出会わなければ、この違いには気づかなかっただろうけど。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
手を加えているだけとはいえ、久しぶりに内政系の話を書くと疲れます……。