星空のノクターン【7】
翌日。朝、と言ってもかなり暗い。時間を見ると午前六時ごろだが、外の風景からは時間がわからん。せいぜい、星の位置から大まかな時間を把握できるくらいだ。
事前にエリシュカとウルシュラに、六時になったら起こしてくれと言われていたので部屋に行ったら、エリシュカとウルシュラが仲良く並んで眠っていた。確かに、レドヴィナの冬は寒いので誰かと身を寄せ合って寝たいのはわかる。
「眠い」
「眠いわね」
眠いと言いつつ、ウルシュラもエリシュカも意識がしっかりしている様子だった。別邸に備蓄してあった保存食を拝借し、腹に収める。後でちゃんとヴェセルスキー公爵に報告しなければ。
「それで、ウルシュラ。何か考えはあるの? わたくしたちは、宮殿に入らなければならないわ。都落ちも考えたけど……」
「それはダメね。一度王都を出たら、戻れなくなるわ。でもおそらく、昨日の時点でエリシュカが逃げたから、捜索を出してると思う。私は指名手配中かしらね」
「と言うことは、大公と一緒に行動する方が危ないってことか?」
ラディムが指摘した。ウルシュラがうなずく。
「でも、ウルシュラも一緒に宮殿に入らなければ、意味がないわ」
エリシュカがため息をついて、マグカップを傾けて白湯を飲んだ。
「宮殿には、女王候補にのみ教えられる秘密の抜け道があるわ。また、女王になった時点で教えられる抜け道もある。でも、たぶん、見張られているわね……」
女王候補が知っているのなら、知っている人が多い可能性がある。女王候補は、少なくとも五人はいるからだ。エリシュカの時は、エリシュカ、ウルシュラを含めて全部で八人の女王候補がいた。
女王候補からその親戚へ情報が流れる。ありえなくはない。
「しかし、陛下のみがご存知の通路ならばどうでしょう? 私たちは入れずとも、陛下だけは安全に宮殿に入ることができるのでは?」
カレルが提案した。正直に言うと、エルヴィーンは反対である。女王に飲み教えられるのなら、おそらく、その通路は女王にしか使うことができないのだ。きっと、そう言う魔法がかかっていても不思議ではない。
「中に入ることができても、わたくしだけではどうにもならないわ。わたくし、戦闘力はほぼ皆無だし、おそらく、バシュタ公爵も拘束されてしまっているでしょうし」
首を左右に振りつつエリシュカは言った。宰相が捕まっているのなら、彼は犯人ではないだろう。それにしても、結構本格的な謀反だ。
謀反でふと思った。エルヴィーンはウルシュラの方に顔を向けた。
「ちょっと聞きたいんだが、『赤の夜事件』の話は大丈夫か?」
ウルシュラはちょっとびくっとしたが、「平気よ」と答えた。エルヴィーンは彼女の様子を注意深く見ながら、できるだけ優しい言葉を選んで尋ねた。
「あなたは確か、あの事件の時、一人で宮殿に入ってきたな。どうやって入ることができたんだ?」
あの時、近衛の見習いとしてエルヴィーンと同じく宮殿にいたカレルが「そう言えば」と言う表情になる。女王候補であったウルシュラは顔が知られていて、反乱者の娘であるから簡単には通してもらえなかったはずだ。
しかし、実際には彼女が一番に反逆者のもとに、当時のフィアラ大公のもとにたどり着いた。
改めて考えてみると、彼女はどうやって宮殿の警備を潜り抜けたのだろうか。まさか、警備の騎士全員が先代フィアラ大公の反乱に乗じて宮殿に乗り込んだ反逆者に殺されていたとは思えない。
「どう、と言われても困るけど。正攻法で入るのは無理だと思ったから、魔法を使って強行突破したの」
まさかの強行突破であった。ウルシュラは空になったカップのふちを指先でなぞりながら言った。
「そもそも、あの時とも状況が違うわ。今回はいきなりの武力行使の反乱ではなく、人事を尽くした計画的反乱だわ。多くの人の目を潜り抜けなければならない。と言うことで、提案があるんだけど」
提案があるなら、最初から言ってほしかった。だが、話を聞いてみると彼女の提案も正直うまく行くか微妙なところであった。
しかし、ほかに特にいい案が浮かばなかったため、ウルシュラの案に従うことにした。朝八時の時点で、エルヴィーンたちはすでに宮殿の近くにいた。周囲はやはり、まだ暗い。しかし、何人か活動を開始している市民はいた。みんな、エルヴィーンたちを気にするそぶりは見せない。
「すごいわね、この魔法」
エリシュカが後ろで馬の手綱を握るウルシュラを振り返って言った。体重の関係で、エリシュカとウルシュラが相乗りなのだ。この中で一番乗馬がうまいのはカレルなのだが、馬にかかる負担を考えた時、女性であるエリシュカとウルシュラが一緒の方が馬の支える体重が軽いのは否定しようがない。
エリシュカの視線を受けたウルシュラがニコリと微笑んだ。
「でも、実は二人以上に使ったことがないのよ。みんな、あまり離れないでね」
あまり距離を置かないようにしてついてくるエルヴィーン、ラディム、カレルを見て微笑んだウルシュラを見て、エルヴィーンは少々複雑な思いを抱いた。理由は二つある。
一つ目。エリシュカが絶賛したこの魔法のことだ。精神感応系認識変化魔法と言うらしい。簡単に言えば、自分の印象を変えて見る人に伝える魔法だ。朝から仕事をしている市民たちは、確かにエリシュカやウルシュラを見ている。この二人は有名なはずだ。しかし、騒ぎは起こらない。
それは、ウルシュラの魔法で、エリシュカたちが眼に入っても、その人物を『女王陛下』だと、見る人、つまり市民たちが認識できないからである。人の印象、認識をあやふやにするのが、精神感応系認識変化魔法だとウルシュラは説明していた。
ちなみに、『赤の夜事件』の時に城門の門番を突破できたのも、昨夜、サムエルがエリシュカとウルシュラを間違えた理由も、この魔法を使っていたからだそうだ。便利な能力である。
とはいえ、ウルシュラとエリシュカを取り違えるのは無理がある。外見から雰囲気まですべてが違うからだ。ウルシュラは黒髪だし、エリシュカは金髪。この時点で、闇の中でも見間違いは難しい。その辺を問えば、ウルシュラは『あの時は、髪の色を気にしないように認識変化をかけていた』と言った。なるほど、と思ったものだ。体格だけなら、シーツをかぶっていたらわからない。
それと、もう一つ。ウルシュラの髪だ。背中の半ばまであった髪は、肩に触れるほどでバッサリ切られていた。彼女が自分で切ったのだ。
認識変化にも限界がある。できるだけ、印象を変えたほうがいい、とウルシュラは思ったらしい。思い切りが良すぎるのも問題だ。髪を切ったウルシュラと見て、エリシュカが悲鳴を上げていたし。
しかし、確かに印象は変わっている。どちらかと言うと、ウルシュラは大人っぽい印象なのだが、髪が短くなったからだろうか。実年齢よりやや幼く見えた。
宮殿に近づくにつれ、巡回の兵士が多くなっていった。ウルシュラの認識変化が効いているからか見とがめられることはなかったが、いつ見つかるかと思うと緊張する。そもそもウルシュラは魔力があまり強くない。彼女より魔力の強い人間には見破られる可能性が高かった。
「ご苦労様」
しかし、ウルシュラはたった一言そう言うだけで城門を突破してみせた。これにはエリシュカもさすがに驚いたようだ。ウルシュラに馬を降りるのを手伝ってもらいながら言った。
「その魔法、多用しちゃだめよ」
「わかってるわよ」
ウルシュラは苦笑して宮殿の方を向いたが、そのまま立ち止った。宮殿の方から兵士や騎士を率いて出てきた人物がいた。すぐさまラディムとカレルがエリシュカを引っ張って自分たちの後ろに押しやる。エルヴィーンはウルシュラの前に立とうとしたが、彼女は片手をあげて彼を制した。指示に従ってエルヴィーンは彼女の斜め後ろで剣の柄に手をかけて身構えた。
ウルシュラはいつも通り不敵な笑みを浮かべると、首を傾けて言った。
「ごきげんよう。オルシャーク大公。ご機嫌麗しく。私の屋敷を囲んでいたようだけど、何のご用かしら」
「相変わらずのようだな、フィアラ大公。女王陛下をかどわかすとは、とんでもないことをしてくれる」
「……」
「……」
二人は無言でにらみ合った。笑みを浮かべながらも目が笑っていないウルシュラも、真顔で目を細めるオルシャーク大公も怖い。
オルシャーク大公。レドヴィナ王国には大公家が三つある。フィアラ大公家、ソウシェク大公家、そして、オルシャーク大公家だ。
現在の当主であるオルシャーク大公は四十代半ばの男性だ。女王候補に娘を二人輩出した。エリシュカが女王であることを見ればわかるように、二人とも女王にはなれなかった。
オルシャーク大公は内務省の長官であり、この国の内政的な部分を担っている。この状況から言って、彼が反乱を起こそうとしているのだろう。エリシュカとともにいる時間の長いエルヴィーンだが、全く気付かなかった。
「……とりあえず、聞かせてもらえるかしら。どうして私たちが宮殿に入ったと気が付いたの?」
ウルシュラの認識変化魔法が見破られていたのだろうか。確か、五人に一度にかけるのは初めてだと言っていた。しかし、違った。
「私の許可なく宮殿内に入った場合、私のもとへ警告が来るように魔法をかけておいた。いくら魔法で認識変化をかけていても、侵入した事実は隠せないからな」
「なるほど。だけど、この城は女王エリシュカ陛下の物。むしろ、侵略しているのはあなたよ」
傲然とこの言葉が出てくるあたり、余裕である。さすがだ。やられた方は腹が立つけど。
オルシャーク大公がさっと手を上げると、騎士たちがエリシュカをラディムとカレルから引き離し(その際にカレルが蹴倒された)、ウルシュラの首筋に剣を当てた。軍部もオルシャーク大公の支配下にあるということだ。
「ウルシュラ! オルシャーク大公! やめてください!」
エリシュカが非難の声をあげたが、オルシャーク大公は彼女に微笑んで見せた。
「陛下。さぞ怖い思いをしたことでしょう。すぐにこの不届きものは始末しますから」
「やめなさい!」
珍しくエリシュカが怒りの声を上げる。しかし、オルシャーク大公どころがウルシュラまで彼女を無視した。
「さて、まず、武器を捨てていただけるかな」
ウルシュラはふん、と鼻を鳴らすとベルトから剣を鞘ごと引き抜き、地面に落とした。さらに魔法道具のブレスレットを両手首から外し、首の後ろに手をまわしてネックレスも外した。どれだけ魔法道具を持っているのか。
「後ろの三人もだ」
「……」
ひとくくりにされたエルヴィーン、ラディム、カレルも剣を地面に置いた。彼らは拘束されているわけではないが、現状ではエリシュカとウルシュラが人質にとられている状況だ。オルシャーク大公は素直に従ったのを見て満足げにうなずいた。
「君たちが賢くて助かった。では、フィアラ大公」
何故か、オルシャーク大公がウルシュラに持っていた剣の柄を向けた。先ほど武装解除させておいて、何のつもりだろうか。
オルシャーク大公はにやつくのを隠せない様子で言った。
「これで、女王陛下を殺してもらおうか」
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