星空のノクターン【4】
エリシュカ女王の緊急議会による衝撃的な宣言から二週間たったが、捜査は一向に進まなかった。エリシュカは何かを待っている様子で、最近は届いた手紙や書状を見てため息をついている。
ちなみに、空いている時間にウルシュラにその原因を知っているか聞きに行ったが、「知らないわ」と一蹴された。
だが、地下賭博場の情報は着々と集まっているようだ。売買されていたと思われる少女も保護している。当たり前かもしれないが、どうやら裏で貴族が関与している様子だ。
ちなみに、ウルシュラは地下賭博場へ一人で行こうとして二度ほどエルヴィーンに捕まっている。不安なので、あまり交流はなかったが一応、騎士学校時代の同期であるウルシュラの従兄ヴィレームに監視を頼んでおいた。そうしたら、「過保護すぎ!」とウルシュラから苦情が来た。それを見てエリシュカが笑うのである。
それからさらに三日後。昼過ぎにエルヴィーンは突然、ウルシュラの屋敷に行って来いと言われた。
「は? 何故ですか?」
「今日あの子は休みなの。今からちょっと郊外の孤児院まで行って来なければならないんだけど、わたくしが王都にいない間に無茶しないように見張っていてちょうだい」
にっこりして言われた。なんだか腑に落ちないが「わかりました」と返答する。
「じゃあよろしくね~」
エリシュカに手を振られて、執務室の外で控えていたカレルと勤務を代わる。カレルに「がんばってね」と声援を送られた。
よくわからないことはウルシュラに聞いてみよう。自分で考えるよりは確実だろう。と言うことで、エルヴィーンはまっすぐフィアラ大公邸へ向かった。
「あら、どうしたの?」
執事に案内されてリビングに行くと、ウルシュラが部屋着でソファに座ってくつろぎながら本を読んでいた。と言うか、相手が仮にも婚約者候補だと言うのにその格好はくだけすぎだ。
「……女王陛下に行けと言われた」
「あらまあ。エリシュカも職権乱用が多くなってきたわねぇ」
ウルシュラは議会の時とは違うのんびりとした口調で言った。宮殿に上がるときは結い上げている髪も背中にたらしており、眼鏡もない。穏やかな表情に細められた目を彩る泣きぼくろが非常に色っぽい。化粧気はなく、そのためかいつもより若干幼く見えるが、これはこれでかわいらしいと思う。
「エリシュカに私の監視でも頼まれてきたの?」
「……まあ、そんなところだ。郊外に行くから、あなたが無茶しないか見ていろと」
「ふぅん。そうなの。なら、そろそろなのね」
「何の話だ?」
「秘密」
ウルシュラがにっこり笑って人差し指を唇に当てて首をかしげた。その様子が思いのほか妖艶でドキッとした。
何となく言葉がかけづらくなり、しばらくウルシュラが持っている本のページをめくる音だけが響く。しばらく彼女の顔を眺めていたエルヴィーンだが、近くのテーブルの上に置いてあった新聞を手に取って読みだした。
「昨日も、また一人行方不明者が出たみたいね。この時期は暗くなるのが早いから、犯行にも及びやすいのね」
ウルシュラが本から目も上げずに言った。ちょうどそのニュースを読んでいたエルヴィーンはふと尋ねた。
「どうして、行方不明者がここまで増えるまで、そのことが問題にならなかったんだ? 一斉にいなくなれば、普通は拉致や人身売買を疑うだろ」
ほかには殺害とか。そう思い、エルヴィーンは尋ねたのだが、逆に問われた。
「そうねぇ。家族が行方不明になった時、どうすればいいか知っている?」
不思議な問いかけに顔を上げると、ウルシュラがこちらを見ていた。エルヴィーンは考えつつ口を開いた。
「それは……国に相談する、とか」
エリシュカならそんな嘆願も受けてくれそうだ、と思い言ったのだが、ウルシュラが言うには、宮廷にはそう言ったことを専門に受け付ける役所があるのだと言う。
「総務省に相談窓口があるわ。それに、軍務省でも行方不明者の捜索はしているわね」
「……」
それ、意味があるのか? 総務省は、他省の業務ではできないあぶれた、しかし、やらなければならない業務を行う部署だ。そのため、相談窓口なども置かれているらしい。
「まあ、そう言うわけでね。どこもそうだけど、お役所仕事って結構雑なのよね。宮廷は国の機関でしょ。一応、出向事務所はあるけど、そこに寄せられた不明者の届け出などが総務省や軍務省に上がってくることが多い」
総務省は出向機関として、いくつかの事務所を地方の街などに置いている。また、王都は広いので、等間隔でその事務所が置かれているはずだった。その相談窓口に情報が寄せられる、と言うことらしい。
「でも、そう言う小さい事務所から上に報告が上がることってめったにないの。だから、定期的に監査を入れるわけ。数か月前に、バシュタ宰相が一斉監査を入れたでしょ」
そこまで聞いて、エルヴィーンは納得した。
「それで発覚したのか……」
「もともと、ある程度情報は入ってきていたけどね。それと、まあ、この情報を流したものがいるんでしょうけれど」
こともなげにウルシュラは言ったが、それは気になる発言だ。行方不明者増加の情報を流したとは、どういうことだ。
「まあ、すぐにわかるわよ」
そう言って彼女が微笑むので、エルヴィーンは探るのをあきらめた。彼女がパニックになっていない限り、ウルシュラの方が明らかに上手だ。エリシュカもウルシュラも、その内心がいまいち読めない。
「ところで、何の本を読んでるんだ?」
「法律書」
話を変えたエルヴィーンに見せられた本のタイトルは、見たことがあるものだった。どこで見たって、法務省に勤める兄の本棚で見たのだ。
なんでこんなものを読んでいるんだろうと思ったが、やはり深く突っ込まないことにした。覚えていれば、今度聞こう。一年後くらいに。
沈黙の中、紙をめくる音だけが響く。そわそわと控えているメイドがこちらを見てくるが、二人とも気にせず本と新聞を読み続けた。
「ウルシュラ様。お客様です」
「また? 今度は誰?」
執事に来客を告げられ、ウルシュラはやや不審そうな表情になる。外はすでに夕暮れであった。時間自体はまだ三時ごろだが、冬場は日が暮れるのが早いのである。日照時間は六時間にも満たないだろう。
「リビエナ様です」
「……」
ウルシュラもエルヴィーンも沈黙した。エルヴィーンは久しぶりにその名を聞いた気がした。ウルシュラの従妹であるリビエナは、ウルシュラに夜会で暴言を吐いた女性である。ウルシュラは持っていた本にしおりを挟んで閉じた。
「どうする? あなたが会いたくなかったら、私一人で相手をするけど」
「大丈夫なのか? 何か言われたりしないか」
「暴言を吐かれたくらいで気にするほど、私は繊細じゃないわよ」
「時々不安げに俺を見上げてくるのはどこの誰だ」
言い返すと、ウルシュラが頬を赤くした。自覚はあるようでよかった。初めてウルシュラを言い負かしたことに、エルヴィーンはこっそり感動した。
「客の前でいちゃつかないでちょうだい」
いつの間にか、リビエナが部屋に通されていた。正確には勝手に入ってきたようであるが、まあ、どっちでも一緒だ。
「これは失礼したわ。でも、先触れもなしに尋ねてくるなんて、あなたも十分失礼よ」
悠然と足を組んだウルシュラに言われた言葉は、エルヴィーンに対する非難でもあった。エルヴィーンは立ち上がり、少し離れて従姉妹同士の対面を見守る。
「うるさいわね。あなたの所にカラフィアート公爵の三男が来てるっていうから、見に来たのよ。悪い!?」
開き直ったかのようなリビエナの発言を聞いて、ウルシュラは噴出した。エルヴィーンの方に顔を向けて言う。
「ですって。あなた、顔はいいものねぇ」
それまで悪女的な笑みを浮かべていたウルシュラは楽しげに笑った。それを見てリビエナがちょっと驚いた顔をしている。
「あなたも、そんなふうに笑うのね。意外だわ」
「何言ってるのよ。嫌味を言われたくなければとっとと座りなさい」
「それはこちらのセリフだわ!」
むっとしながらリビエナは先ほどまでエルヴィーンが座っていたソファに腰かけた。
「ぼうっとしてないでお茶くらい出しなさいよ! 客よ、私は! 使えない使用人ね!」
リビエナは近くにいた女官長のロマナに勝手に指示した。彼女は無表情で頭を下げる。
「ああ、ロマナ。私が焼いたタルトを持ってきて。ついでだから食べましょう」
「ついででこの私にお菓子を出すの!?」
「わかってないなら言っておくけど、あなたと私は確かに従姉妹同士よ。でも、私はフィアラ大公。あなたはイルコフスキー男爵令嬢。どちらが偉いかわかるわね?」
「っ! あなたのそんなところが嫌いよ!」
これは完全に同族嫌悪だな、とエルヴィーンは二人を眺めていて思った。ウルシュラの方が機転がきくため、今のところウルシュラの勝ちに終わっているだけだ。
エルヴィーンも食べさせてもらったが、ナッツが大量に乗ったウルシュラの趣味としか思えないタルトはとてもおいしかった……。しかし、ナッツのタルトは初めて見た。
リビエナとウルシュラの言い争いを微笑ましく聞いていると(若干微笑ましくない内容のものはあった)、また執事が飛び込んできた。今日は執事が大忙しだな。
「今度はどうしたの」
ウルシュラが冷静な口調で尋ねた。執事は今までになく焦っている気がする。基本的にフィアラ大公邸の使用人は洗練されているので、ここまで焦りをあらわにするのは珍しい。
「それが……。孤児院からの帰り、エリシュカ女王陛下が何者かに襲われ、連れ去られたとのことです!」
「なっ」
声をあげたのはエルヴィーンとリビエナだった。ウルシュラは目を細めただけで何も言わなかった。
しばらく沈黙が続く。誰も身動きしない。そこにいるだれもがウルシュラの指示を待っていた。
「……リビエナ。あなた、私と仲が悪いわね」
「い、いきなり何言いだすのよ」
リビエナが動揺して声を震わせていた。ウルシュラの声は低く鋭いもので、言い返せただけでリビエナはすごいと思う。だが、声の調子からして、彼女は本当はウルシュラと仲良くしたいのかもしれない、とも思う。
「じゃあ、今から叔父上に手紙を書くから、それを叔父上に渡してちょうだい」
「い、いいけど」
「よろしくね。あと、うちの私兵の精鋭を集めておいてちょうだい」
「かしこまりました」
指示を受けて落ち着きを取り戻した執事が一礼して部屋から出ていく。嫌な予感がするのはエルヴィーンだけだろうか。
ウルシュラは便せんに叔父、つまりリビエナの父であるイルコフスキー男爵メトジェイに手紙をつづると、リビエナに持たせた。
「いいこと? 寄り道しないで、まっすぐ帰りなさい。後をつける者がいても、振り返ってはダメ。何も気づかないふりをして家まで帰るの。護衛はつけるわ。確実にその手紙を叔父上に渡して」
「わ、わかった」
真剣なウルシュラに押されて、リビエナはうなずいた。
「あ、でも、危ないと思ったらその手紙を相手に渡してすべて私に指示されて何も知らないと言い張りなさい」
「どっちよ!」
リビエナはツッコミを入れながらも手紙をなくさないようにしっかり持つと、二人の護衛を連れて屋敷を出た。
ウルシュラが手紙を書いている間に窓の外を確認していたエルヴィーンはウルシュラに言った。
「見張りがいるぞ」
「わかってるわ。ねえ。もし、エリシュカが女王でなくなったら、次に女王になるのは誰だと思う?」
「次? 次……あー……」
女王が任期満了前に女王位から降りざるを得ない場合。その場合は、急遽女王選挙が行われる。その選挙は、女王と同世代の元女王候補たちを対象として行われる。はずだ。何事にも例外はあるだろうが、過去に一度だけ女王が任期中に急逝したことがある。その時は、そのような対応策が取られたはずだった。
「やっぱり、この状況で陛下がいなくなって、真っ先に疑われるのはあなただな。だが、あなたは女王選挙前に女王候補を降りている。エリシュカ女王が亡くなっても、次の女王選挙に参加できないだろう?」
「だから、謀反を起こした、とか言われるに決まってるでしょう」
ウルシュラはさらりと言った。エルヴィーンはそれもそうだな、と納得し、ウルシュラの次の言葉を待った。
「この国は、エリシュカが女王だから成り立ってるの。そして、私は女王になる気はさらさらない。もちろん、殺される気もないわ。だから……」
この時のウルシュラの笑みは、今まで見た中で最もイイ笑みだった。
「エリシュカを助けに行きましょうか」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
当たり前ですが、日本の総務省とレドヴィナの総務省では仕事が違います。
日本の総務省は行政の管理とか、地方自治に関する仕事をしているそうです。
念のため補足です。




