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星空のノクターン【3】











 フィアラ大公、つまりウルシュラの馬車が襲われたと聞き、エリシュカは政務を投げ出して宮殿に連れ戻されたウルシュラのもとに向かった。もちろん、護衛のエルヴィーンとラディムもついて行く。


「フォジュト子爵!」

「これは陛下」


 フォジュト子爵が困惑したような笑みを浮かべて軽く頭を下げた。両腕にウルシュラを抱えているため、礼が取れないのだ。


「ちょうどよかったです。頭を打っているようなので、中に連れ戻してしまったんですが、医務室に連れていけばいいのか迷っていて……」

「部屋を用意します。エルヴィーン」

「はい。フォジュト子爵、すみません」


 エルヴィーンは手を差し出してフォジュト子爵からウルシュラを受け取った。身分の高い女性と言えば、たっぷりとしたドレスのスカートだが、ウルシュラが好んで着るドレスは、ドレープスカートであるもののあまり膨らんでいない。何が言いたいかと言うと、非常に抱えやすいのである。エルヴィーンは落とさないようにしっかりとウルシュラの体を抱えた。


「では、フォジュト子爵。後で何があったかお聞きしてもよろしいですか?」

「もちろんです。と言っても、私もすべてを見ていたわけではありませんが……」


 そう言ってフォジュト子爵はウルシュラの方を見た。エルヴィーンは思わず体をひねってウルシュラを隠すが、そうすると、エルヴィーン自身がフォジュト子爵と目が合った。



「……」

「……」

「……何をにらみ合っているのですか、あなたたちは……」



 どうやら、エリシュカにはにらみ合っているように見えたらしい。


「とりあえず、フォジュト子爵がわかる範囲で構いませんから。それと、バシュタ宰相と護衛のカレルを呼んでおいてもらえますか?」

「御意に」


 フォジュト子爵はエリシュカに礼を取ると、早歩きで去って行った。宮殿内で走るのはマナー違反なのだ。


「……陛下、今、フォジュト子爵を追い払いましたよね」


 歩き出したエリシュカに続きながら、ラディムが言った。エリシュカはふふっと笑う。


「ばれた? なんだか、そうした方がいいような気がしたの。女の勘よ」


 こういう場合の『女の勘』は異様によく当たるらしいので、もしかしたらフォジュト子爵には何かあるのかもしれない、と思ってしまった。エルヴィーンもすっかり疑り深くなっている。



 エリシュカは以前ウルシュラが宮殿に泊まった時に使っていた部屋を解放すると、女医を呼んだ。エルヴィーンはベッドに寝かせたウルシュラの顔を覗き込む。エリシュカが頬をつねったりしていたが、それでも起きないため、気を失っているのは確かなようだ。


「う~ん。軽い脳震盪だと思うんだけど……」


 エリシュカはウルシュラを見て眉をひそめた。彼女と並んで不安げにウルシュラを見つめていたエルヴィーンだが、やってきた女医に「軽い脳震盪です」と言われてほっとした。医者ではないのだが、エリシュカの診断は当たっていた。


「しばらくすれば眼を覚まします。まあ、二・三日は激しい運動は禁止ですが」

「エルヴィーン、見張ってね」

「私が見張るんですか」


 エリシュカに笑顔を向けられたエルヴィーンは思わず突っ込んでしまった。少し年かさの女医が面白そうにエルヴィーンとエリシュカを見比べる。違う。


「陛下、カレルです」


 ノックがあり、部屋の外からカレルの声が聞こえた。ここは女王の私室の近くであるため、護衛など、許可があるものしか近づくことができない。そのため、フォジュト子爵は来ていないようだ。もしかして、エリシュカはそこまで考えていたのだろうか。……そうかもしれない。


「じゃあ、エルヴィーンはしばらくお休み。ウルシュラが起きたら知らせてね。ルツィエ、行きましょう」

「はい、陛下」


 ルツィエと言うのは女医の名前らしい……と言うのはともかく。エリシュカは護衛にラディムとカレルを連れて政務に戻ってしまったため、本当にウルシュラと二人きりになった。まあ、外にメイドが控えていると思うが。



 ……いいのか? 男と若い娘を二人きりにして……。そう思わないでもなかったが、信用されているのだ、と前向きに考えることにした。なんだかどんどん思考回路が変革させられている気がする。



 見ていて、と言われても、ウルシュラはひたすら眠っているだけで目覚めないし、何をしろと言うのだろうか。


 暇すぎてなぜか近くにあった雑誌を開いて眼を通していると、視界の隅でウルシュラが身じろぎしたのが見えた。


「目が覚めたか」


 声をかけると、ぼんやり天井を見上げていた翡翠の瞳はすっと動いてエルヴィーンの手元の雑誌で止まった。


「……その雑誌、くだらない中傷ゴシップでいっぱいのやつね」

「初めに言うことがそれか。まあ、否定はしない。あなたも載っていた」

「馬鹿な奴らには好きに言わせておけばいいのよ」


 ウルシュラはそう言い捨てて身を起こそうとした。エルヴィーンはその背中に手を添えて起き上がるのを助ける。


「ありがと……っていうか、あなた、なんでここにいるの?」

「……女王陛下の命令だ」

「ああ、そう」


 その一言でウルシュラは納得したようだ。その女王陛下に、エルヴィーンはウルシュラが目を覚ました、と言う旨の伝言を送る。ちなみに、やっぱり部屋の外にメイドがいたので、彼女に頼んだ。


 しばらくして、本当にエリシュカが見舞いにやってきた。エルヴィーンは座っていた椅子から立ち上がり席を譲った。


「ウルシュラ。頭を打って軽い脳震盪を起こしたようだから、頭は動かさないようにね」

「ああ……なるほど、わかった」


 ウルシュラは本当にわかっているのかわからない口調で応えた。エリシュカはそれでも微笑む。


「ねぇ、おなかすかない? お茶にしましょう」


 そうして、何故かエルヴィーンたちは追い出された。護衛をすべて追い出してどうするのだろう。いや、ウルシュラが何かするとは思えないが。むしろ、ウルシュラがいることで護衛にもなる。


 そんなわけで現在、エルヴィーン、ラディム、カレルの三人で客間の扉の前を護っているという不思議な状況になっている。


「いやぁ、前からエルヴィーンに聞きたいことがあったんだよね」


 天使の美貌に笑みをのせ、カレルは言った。何となく嫌な予感がしながらもエルヴィーンは「なんだ」と尋ねた。


「フィアラ大公と婚約するって聞いたんだけど、実際のところ、どうなの?」

「……悪くはない話だと思う」

「まあ仲はいいよな。何気に」


 無難に答えたエルヴィーンに、ラディムが訂正を入れる。ここで睨まないくらいには、エルヴィーンも大人だった。カレルは「へえ」と面白そうな声を上げる。


「フィアラ大公、君のどこが良かったんだろうね。顔?」

「知らん」


 どこがいいのか、などはお互いに聞いた事がない。ただ、顔ではないと思う。たぶん。趣味があっている、とかだろうか。


「いやあ。でも、面白いことになってきたね。結婚することになれば、エルヴィーンがフィアラ大公家に入るんでしょ?」

「そうなるな」


 ウルシュラはフィアラ大公でエルヴィーンはカラフィアート公爵家の三男。どう考えてもエルヴィーンが婿入りすることになる。


 と言うか、人の現状を面白がるな。いや、エルヴィーンも当人ではなく見ているだけなら面白がったかもしれないが。ウルシュラという人間は非常に面倒くさい性格なのだ。いや、そこがかわいらしいのだが……。



 そう思って、本格的に自分はダメかもしれない、とも思った。



 そこに、部屋の中からぱしん、と言う高い音が聞こえた。数秒後、中から人が駆け出てくる。黒髪だから、ウルシュラだ。


「!?」

「エルヴィーン、追って!」


 たぶん、ウルシュラが部屋から駆け出ていった原因であろうエリシュカがエルヴィーンに向かって命令した。そろってぽかんとしていた護衛たちだが、エリシュカの言葉で我に返った。名前を呼ばれたエルヴィーンはあわててウルシュラを追う。すでに姿が見えなかったが、全力疾走するフィアラ大公の姿は使用人たちに目撃されていたので、すぐに彼女にたどり着くことができた。


 彼女がいたのは、冬の間は閉鎖されている薔薇園だった。レドヴィナでは冬場に雪が積もる。積もった雪の中、建物に寄りかかるようにしてウルシュラは膝を抱えていた。彼女のまわりだけ雪がないのは、魔法で溶かしたからだろうか。


 エルヴィーンは彼女のそばまで行くと、丸まっているウルシュラの肩に途中で確保してきたコートをかけた。


「風邪ひくぞ」

「……引かないから、平気」


 その自信はどこから? と言いそうになったが、飲み込んだ。ウルシュラは膝に伏せていた顔を上げ、エルヴィーンの方を見た。泣いていなかったのにはほっとした。しかし、今にも泣きそうに瞳は潤んでいる。


「……どうした?」


 できるだけ声音が優しくなるように頑張ったが、地声が低いエルヴィーンには難易度が高かった。しかし、ウルシュラはあまり気にしていない様子で言った。


「エリシュカと、喧嘩した。彼女と喧嘩したの、初めてだわ……」

「あー……」


 エルヴィーンはなんといえばいいかわからず、意味のない音を発した。

 ウルシュラが一方的に怒ったのではなく? と思ったが、よく見るとウルシュラの左頬が少し腫れていた。


「陛下にたたかれたのか?」

「うん。あんまり痛くなかったけど……」

「そ、そうか」


 確かに、エリシュカはあまり力が強くなさそうだ。しかし、脳震盪を起こしたばかりの人間をはたくのはいかがなものか。


 どうしたのだろうか。なんだか立場が逆転している。おそらく、この感じでは責めたのはエリシュカの方なのだろう。


「……喧嘩の原因を聞いても大丈夫か?」

「……うん。やっぱり、エリシュカは私が賭博場へ行くのは反対らしいわ」

「ああ。それには俺も反対だ」

「……そう。やっぱり?」


 ウルシュラはやはり、みんながどういった反応をするか理解していたのだ。その上で、提案したのだろう。


「反対されるのにやろうとするな。子供か、あなたは。心配されるのを分かれ」

「わかってるよ。わかってる……うん。でも、自分の目で見ないと落ち着かないと言うか」

「……まあ、その気持ちはわからないではないが」


 エルヴィーンも自分でウルシュラの安全を確認していないと落ち着かない。だから、ウルシュラが現場を確認しに行きたいと思う気持ちはわかる。だが、そこにウルシュラを行かせたくないと思うジレンマ。


「大公。頭はもう大丈夫か?」

「自覚症状は特にないわよ。三日は激しい運動は禁止だけど」

「それはよかった」


 ウルシュラは平気で屋敷を走り回っていそうなので、激しい運動禁止、は堪えるかもしれない。と言っても、さっき走っていたが。


 エルヴィーンがぐっとウルシュラの肩を抱き寄せると、彼女はびくっと体を震わせて恐る恐ると言う風にエルヴィーンの顔を見上げてきた。


「何かしら」


 声まで震えていないのはさすがである。ちょっと感心しながらエルヴィーンは言った。



「何でも一人でやろうとするなよ。相談してくれれば、助けてやれることもあるかもしれない」



 何故そんなことを言おうと思ったのかわからない。しかし、現状から考えて、ウルシュラが危険につっこんでいく可能性は高いと思われる。



 だから、この忠告も無駄ではないだろう。



 ウルシュラはエルヴィーンの言葉に目を見開き、それから眼を細めて微笑んだ。


「わかった」









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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