大帝国の皇太子【2】
この章はあまり手を加えない、予定。
社交界シーズンも後半に入ったころ、スヴェトラーナ帝国からロジオン皇太子が来訪した。
ロジオン・ヴァジーモヴィチ・スヴェトラーナは現在二十九歳。エルヴィーンより五歳年上になる。美しい金髪にエメラルドグリーンの瞳をした美男子で、玉座の間に入ってきた瞬間、ご令嬢たちのため息を誘った。
それにしてもこの人。気づいた人は少ないだろうが、ウルシュラによく似ていた。どこがって、目元が。吊り上り気味の切れ目。これは関係性を否定できないレベルで似ている。
数人の侍従とともに、玉座の手前で待ち構えるエリシュカのもとに、ロジオン皇太子はたどり着いた。スヴェトラーナ帝国の礼服をまとったロジオン皇太子と、ふんわりとした青のドレスをまとったエリシュカは、並んでいると絵になる。まあ、ロジオン皇太子の笑顔は胡散臭いし、エリシュカの笑顔は引きつってるけど。
「お久しぶりですわ、ロジオン皇太子殿下。ご来訪、心より歓迎いたします。ご存知と思いますが、女王エリシュカ・アデーラ・ハルヴァートと申します」
「お久しぶりですね、エリシュカ女王陛下。ロジオン・ヴァジーモヴィチ・スヴェトラーナです。あなたの戴冠式以来でしょうか。あの時より美しく、そして王冠が似合うようになられましたね」
「まあ」
エリシュカは照れたように微笑んだが、やはり引きつり笑いだ。まあ、エルヴィーンとラディムも緊張気味に顔をこわばらせているので人のことは言えない。
「実は、エリシュカ女王に贈り物をお持ちしました」
「まあ……お気を使わせてしまってすみません」
「いえいえ。私が好きで用意しただけですので。大したものでもありませんし……どうぞ」
と、ロジオン皇太子が差し出したのは、満開の紫の薔薇だった。確かにレドヴィナ王国の国花は薔薇だが、どちらかというと赤薔薇だ。しかし、紫の薔薇には『王座』の意味もあるらしいので、一概に嫌がらせとは言えない。
「とてもきれいな薔薇ですね……ありがとうございます。気に入りました。どうぞ、我が国でのご滞在をお楽しみくださいませ」
「気に入っていただけてよかったです。もちろん、滞在を楽しむつもりですよ」
ちょっと茶目っ気を出してロジオン皇太子が言った。それから、彼は視線をエリシュカからそらし、彼女の近くにいたウルシュラを捕らえた。
「君も久しぶりだね、オリガ。ますますエレオノーラ叔母上に似て来たんじゃないかい?」
一瞬、誰だオリガというのは、と思ったが、そう言えばウルシュラのフルネームは、ウルシュラ・オリガ・ヴァツィークだった気がする。オリガ、というのはレドヴィナ王国ではオルガ、と発音されることが多いが、母親がスヴェトラーナ帝国人であるウルシュラは、あえて『オリガ』と読ませているらしい。これはエリシュカから聞いた話だ。
「お久しぶりです、ロジオン殿下。再びお会いできて光栄ですわ……それと、私のことはどうぞ、ウルシュラとお呼びください」
言ったぞこの女。大帝国の皇太子相手に、自分の名前の呼び方を訴えた。その不敬ともとれる言葉に、こそこそと周囲の貴族たちがざわめく。
しかし、ロジオン皇太子は特に気にした様子もなく彼女に言った。
「いいじゃないか、特別な感じで。それに、そんなに堅苦しい態度はよしてくれ。従兄妹同士だろう?」
貴族たちがどよめいた。今更ウルシュラがロジオン皇太子の従妹であることを思い出したのだろうか。遅いぞ。にしてもロジオン皇太子。いくらウルシュラが不遜な女でも、それは難易度が高いと思う。
「そうだ。愛する従妹殿の為にも贈り物を用意したよ」
「……私のようなものにお気を使われる必要はありませんわ」
彼女は何とか絞り出すようにそう言ったが、ロジオン皇太子は気にせずにまた花束を差し出した。何故か、桃色の百合だった。花粉処理はしてあるが、エルヴィーンたちのところまで甘い香りが漂ってきた。
「……ありがとう、ございます」
「喜んでもらえたならうれしいよ」
ロジオン皇太子はそう言ったが、ウルシュラは顔が引きつっていた。それから、ロジオン皇太子は宰相のバシュタ公爵や主だった貴族たちに挨拶すると、女王エリシュカに案内されてゲストルームへと入った。そして、エルヴィーンはエリシュカに耳打ちされた。
「ウルシュラのことをよく見ていてあげて」
とのことだった。とりあえず、明日はロジオン皇太子の来訪を歓迎する舞踏会が開かれるため、その時のことを言っているのだろうと思った。
その夜、何となく眠れなかったエルヴィーンは、いくつかの本と望遠鏡を持って、近くのバルコニーに出た。エルヴィーンは基本的に宮殿で寝泊まりしており、特に、ロジオン皇太子が来ている今、宮殿を離れるわけには行かないのだ。
そんなエルヴィーンの趣味は天文学だ。家族には散々、そんなことをしてどうするのだと言う。まあ、自分でも勉強したから何なのだろうとは思う。単なる趣味だ。
しかし、エリシュカは特に否定することもなく、宮殿のバルコニーの使用を許可してくれた。こういうところが、エリシュカ女王の人気の秘密なのだと思う。一見役に立たないようなことでも、認めてくれる。
「……何してるのよ」
声がかかって振り返ると、宮殿の廊下に黒髪の女性が立っていた。ウルシュラだ。寝巻の上にガウンを羽織り、黒髪を三つ編みにしている。足元はミュールだ。その姿でなぜか仁王立ちしていた。
「……寝なくていいのか? 真夜中だぞ」
そろそろウルシュラの突飛な行動になれてきたエルヴィーンは冷静にそう切り返した。ウルシュラはバルコニーに出ながら、「腹が立ったから散歩してたの」とよくわからないことを言った。
「……何に腹が立ったんだ? 珍しい気がするが」
いつもはウルシュラが腹を立たさせる方であり、彼女自身が腹を立てているのを、そう言えばあまり見たことがない気がする。
「ロジオン殿下からの花束よ。桃色の百合だったでしょう?」
「ああ。むしろ印象的には、あなたと女王に送る花が逆だったな」
エリシュカは清楚な百合っぽく、ウルシュラは存在感を主張する薔薇っぽい。それだけだ。他意はない。
「エリシュカに贈られた紫の薔薇は、特に意味はないと思うわ。薔薇はレドヴィナ王国の国花だし、女王に送るから、紫を選んだんでしょう。『王座』の意味があるものね。まあ、嫌味も混じってたかもしれないけど、私の場合は完全に嫌味だわ!」
ばしっと、ウルシュラはバルコニーの手すりをたたいた。痛くないのだろうか、とエルヴィーンはいらぬ心配をした。
「桃色の百合の花言葉は『思わせぶり』『虚栄心』。ちなみに百合自体の花言葉は『無垢』! 嫌味よ嫌味! あ~、腹立つ!」
「……」
むしろ、ここまで彼女を怒らせるロジオン皇太子はすごいかもしれない。エルヴィーンにはいまいち、彼女が何に腹を立てているのかがわからなかったが。
「……というか、フィアラ大公家の紋章は『百合』じゃなかったか?」
「そうよ。カサブランカよ。花言葉としては『高貴』とか『威厳』とかね。だから、贈り物としては間違っていないのが一番腹立つ」
エルヴィーンは「そうか」とだけ答えた。下手な返答をすれば、彼女の癇癪に巻き込まれる気がしたのだ。
しかし、言うだけ言ったら彼女はすっきりしたのか、バルコニーにおかれたベンチに勝手にすわり、望遠鏡に触れた。
「これ、望遠鏡よね。星を見てたの?」
「ああ」
特に逆らうことはせず(口論で勝てる自信がない)、エルヴィーンはうなずいた。ウルシュラはへえ、とばかりにうなずく。
「もしかして、天文学がわかったりする?」
「趣味で調べてはいるな。よくそんなことをしてどうするんだ、と言われるが」
「まあ、それはそうよね。でも、やりたいなら続ければいいと思うわよ」
思わぬ肯定的な言葉に、エルヴィーンは驚いてウルシュラを見た。ウルシュラの眉がピクリと動く。
「何よ」
「いや、思わぬ肯定がなされたから驚いただけだ」
彼女のことだから、そんなこと調べてどうするの、馬鹿なの、もっと有益なことしなさいよ、とかいうと思った。
「失礼ね。まあ、私も天文学にはちょっと興味があるから。この世界がある星は太陽のまわりを回っていて、太陽系を構成する惑星の一つなんでしょう? 太陽からこの星まで、どれくらいの距離があるのかしら。月は公転周期がこの星の自転周期と同じだから、私たちが見ている月はいつも同じ面だって言う話は本当なの?」
矢継ぎ早に質問が繰り出され、エルヴィーンは唖然とした。
「……詳しいな……」
「かじった程度だから、私の知識ではなくて論文集に書いてあったことをそのまま尋ねているだけよ」
それでも十分すごいと思うが。かじっただけで論文が理解できるのか? 自分とレベルが違いすぎて嫉妬心も起きない。
「やっぱり、あなたも数式で軌道を計算したりとかするの? どこかに論文載ってたりする?」
「さっきも言ったが、俺は天文学の専門家じゃないからな。どっかの雑誌に俺の学生時代の研究レポートは載ってると思うが……まあ、星の角度や軌道を計算したりすることもできるな」
「ふぅん。すごいわねぇ」
ウルシュラはそう言ってまた空を見上げた。そのまましばらく彼女は無言だった。そのため、エルヴィーンは彼女を気にしつつも天文学の本を開き、望遠鏡をのぞいて星図に今日の星の位置を記入していった。
「……それ、のぞいてもいい?」
ウルシュラに尋ねられて顔を上げると、彼女は望遠鏡を指さしていた。望遠鏡で星を見たいのだろうか。
「いいぞ」
減るものでもないし、とエルヴィーンはあっさり許可した。ウルシュラはちゃんと礼を言ってから望遠鏡を覗き込んだ。発言が癇に障ることが多いウルシュラだが、礼儀作法はしっかりしている。さすがは大貴族の女だ。
「へえ。星って、一色じゃないのね」
少しずつ望遠鏡を動かしながらウルシュラが言った。エルヴィーンは裸眼のまま空を見上げ、「そうだな」と相槌を打った。
「温度や燃える物質によって炎の色は変わるだろ。それと同じ原理だ」
「じゃあ、光っている星は燃えているってこと?」
「太陽とかはそうだな。そう言った燃えている星の光を反射して明るく見える星もある」
「そうなんだ。確かに、光は熱だものね」
納得してくれたようで何より。この説明を人にすると、理解してもらえないことが多いのだ。さほど難しいことではないと思うのだが。
ウルシュラは望遠鏡から目を離すと手で口元を覆ってあくびをした。真夜中過ぎだし、まあ、普通に眠いのだろう。腹立ちが解消されたのもあると考えていいのだろうか。
「じゃあ、私は寝るわ。お休み。邪魔したわね」
「部屋まで送っていくか?」
「別にいいわよ。部屋はこの近くだし。エリシュカの私室の隣の隣よ」
なんでそんな微妙な位置なんだ。まあいいが。確かに、女王の居室はここから近い。護衛が護衛対象の近くにいるのは当然だから、必然的にエルヴィーンたちの私室からも近いことになる。
「そうか。お休み。よい夢を」
「あなたもね」
ウルシュラが少し微笑んで身をひるがえした。その後ろ姿を見たながら思う。
本当に不思議な関係だ、エルヴィーンとウルシュラは。友人であるわけではないし、利害関係があるわけでもない。身内でもない。なのに、たまにこうして二人で話をする。それが、意外と楽しい。
エリシュカがウルシュラを気に入っているのは、こういうところがあるからだろうか、と最近、たまに思う。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ちょこちょこ文章を追加していますが、大筋は前のものと同じですね。次の章(ロジオン編後半)はちょっと変えようかなって思っています。




