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大帝国の皇太子【1】

第3章です。











 通常、女王の護衛であるエルヴィーンは宮殿で寝泊まりしている。しかし、今日は長兄に呼び出され、久しぶりに実家のカラフィアート公爵邸に来ていた。



「エルヴィーン。最近、フィアラ大公と仲がいいようだな」



 どこぞでウルシュラが言われたのと同じようなセリフを、エルヴィーンも言われていた。実の兄に。

 エルヴィーンの長兄ルドヴィーク・ラシュトフカ。年は三十でエルヴィーンよりも六歳年上。カラフィアート公爵の長男で跡取り。背は高いが、眼鏡をかけているため知的な風貌に見える。彼の場合はどこぞの大公とは違い、本当に目が悪くて眼鏡をかけている。


 カラフィアート公爵の三人の息子の中で一番整った顔をしているのはエルヴィーンだが、ルドヴィークもなかなか顔立ちが整っている。とにかく『きれい』としか言いようのないエルヴィーンとは違い、『頭がよさそう』な顔の整い方である。系統としてはウルシュラに近い理知的なインテリ風だ。


 まあ、それはともかく。


「……だから、街に出るとよく会うんだって」

「ああ。そう言っていたな」

「……」

 冷静に切り返されたが、この人に本当に話が通じているのだろうか? エルヴィーンはルドヴィークと話していると時々不安になるのだ。頭のいい奴の考えることはわからん……。

 なので、直球で尋ねることにした。


「何が言いたいんだ、兄上」

「……いや。できればお前には女王陛下と連れ添ってもらえたら、と思ったのだが……フィアラ大公でも構わんかもしれんな」


 ……うん。何となく言われるような気はしていた。女王エリシュカもフィアラ大公ウルシュラも若く、未婚である。現在最も権力を持つのは女王エリシュカ。カラフィアート公爵家は女王候補を輩出できず、苦肉の策として女王エリシュカの最も近くに三男エルヴィーンを配置した。分類すれば美形に入るエルヴィーンを、エリシュカが見初めないかと考えたわけだ。今のところ、うまくいっていない。

 対して、フィアラ大公はこの国の筆頭貴族である。この国には大公家が三つ、公爵家が五つ存在し、この八つの家が女王を輩出する権利を持っている。いわば、貴族の中でも上位に位置する家になる。その中でも、フィアラ大公家は頭一つ抜けている状態だった。


 現在のフィアラ大公ウルシュラの父方の祖母は先々代のレドヴィナ女王。ウルシュラの母、つまり前フィアラ大公アルノシュトの妻はレドヴィナ王国の隣国、スヴェトラーナ帝国の皇女だった。現在の皇帝の同母の妹にあたるらしい。

 そのため、『赤の夜事件』が起こるまでは、ウルシュラが次の女王になるだろうと言われていた。先々代の女王は評判がよかったし、大帝国から嫁いできた皇女は美しかった。先々代の女王の孫娘であり、美しい隣国の皇女に似たウルシュラは、女王候補筆頭だったわけだ。


 そんな要素が集まって、現在のフィアラ大公家がある。まあ、ウルシュラの評判が(貴族内では)あまりよろしくないので、筆頭貴族、というのはちょっと語弊があるかもしれないが。だがそれは最近の話であり、歴代の大公・公爵家を見ていくと、やはりフィアラ大公家が他の貴族を率いている印象が強い。


「女王は任期二十五年だが、大公に任期はないしな」


 ルドヴィークがさらに言った。不覚にも「なるほど」と思うエルヴィーンである。女王の配偶者の家族として権力を振るえるのは二十五年だけ。エリシュカは即位二年目なので、実際にはあと二十三年か。しかし、大公に任期はないので、ずっと大公の配偶者の家族、でいられるわけか……。

「まあ、無理にとは言わんが、考えておけよ。女王にもフィアラ大公にも婿入りさせなくても、お前は必ずどこかの家に入れるからな。悪いがお前のその無駄に整った顔を使わせてもらう」

「……覚悟してるさ」

 エルヴィーンはあきらめ気味に言った。息子とはいえ三番目のエルヴィーンの立場は、貴族の令嬢とあまり変わりはない。政治の道具だ。娘しかいない貴族の家に、次男三男が婿養子に入るのはよくある話だ。



 でもまあ、できれば気性の激しくない娘と結婚したいものだ。たとえば女王エリシュカのような……。



 たとえにあげたものの、エルヴィーンはエリシュカと自分が添い遂げる未来を想像できなかった。たぶん、エルヴィーンはエリシュカを『女王』としか認識できていないのだと思う。それくらい、エリシュカは女王だった。

 それに、女王の夫ほど複雑なものはないだろう。女王は未婚で任期を終えるものも多い。先代の女王などはそうだ。先々代の女王は夫がいたが、彼女は夫にほとんど権限を与えなかったようだ。

 つまり、夫となっても権勢をふるえるわけでもなく、ただ飼い殺しにされる可能性が高いとエルヴィーンは思っている。先々代の女王の夫はどうだったのだろうか……そう言えば、先々代の女王はまだ生きているが、その夫は孫であるウルシュラが生まれる前に亡くなっている。確かめようがない。


 変に女王の夫になったり、変な家に入れられるよりはフィアラ大公の夫になった方がマシなのかもしれない……ちらっとそんな考えがよぎった時、エルヴィーンは執事から「女王陛下がお呼びです」という報告を受けた。


「何かあったのか? 兄上。何か知っているか?」


 ちなみに、ルドヴィークは宮廷につかえる官吏だ。司法省に所属しているので、ウルシュラの裁判にも関わっていた。

「……いや、知らんな。女王の周辺のことはむしろ、お前の方が詳しいだろう。何か問題があったら報告してくれ。私はたいてい司法省にいるからな」

「了解」

 エルヴィーンは兄に一つうなずき、すぐに宮殿に向かった。





 宮殿に戻ると、すぐに女王の執務室に通された。中に入ったエルヴィーンだが、一瞬あっけにとられた。女王の背後に控える男がひらひらと笑顔で手を振っていたので、我に返ってその男の隣に並んだ。

「……なんなんだ?」

「すぐにわかるよ」

 男は人懐っこそうな顔でニコッと笑った。

 彼はアレクサ侯爵の孫でカレル・フォルティーンだ。年齢はエルヴィーンの二つ年下で二十二歳のはず。近衛騎士の一人だ。


 このカレルは優しげな外見で、はっきりと聞いたわけではないが、エルヴィーンやラディムと同じ目的でアレクサ侯爵に女王の護衛として送り込まれたのだろう。だって外見が整っているからな。

 蜂蜜色の髪に澄んだ茶色の瞳。背丈は低めだが、全体的に細身なのでバランスは取れている。エルヴィーンは「きれい」としか言いようがない外見、と言われるが、カレルは「天使のような」外見と言われているらしい。


 基本的に公爵家の出であるエルヴィーンやラディムが女王の側に控えていることが多いが、二人がいないときや、ほかに人が必要なときは必ずカレルが来る。今回はエルヴィーンが長兄に呼び出されて宮殿を出ていたため、エルヴィーンの代わりにラディムと護衛を務めていてくれたのだろう。「天使のような」外見のカレルだが、騎士になれるくらいの技量は持ち合わせている。これがギャップと言うやつか。

 再び扉が開き、今度は外務省長官のチェルーストカ侯爵が入ってきた。

「遅れて申し訳ありません、女王陛下」

「いえ。急に呼び出したのはわたくしですから、これで全員そろいましたね」

 エリシュカが周囲を見渡すのに合わせて、エルヴィーンも視線を走らせて執務室にいる人を把握する。


 まず、女王エリシュカとその護衛である三人。ラディム、カレル、エルヴィーンだ。さらに宰相のバシュタ公爵と宰相補佐のフォジュト子爵。ちなみにフォジュト子爵はまだ若い官僚で、三十歳手前だ。

 次に遅れて入ってきた外務省長官のチェルーストカ侯爵。その隣にいるのが内務省長官のオルシャーク大公。さらにその隣が財務省長官のシュロム伯爵。さらに軍務省長官のハルディナ侯爵に総務省長官のヤクル伯爵。最後に教育省長官のフィアラ大公。



 ……何となく教育省長官ウルシュラだけ場違いのような気がするのは気のせいだろうか?



「みなさん、急に呼び出して申し訳ありません。緊急事態です。耳に入っている方もいらっしゃるでしょうが、一週間後、スヴェトラーナ帝国からお客様がいらっしゃることになりました」

「一週間後とは……急ですな」

 軍務省長官のハルディナ侯爵が目を見開きつつ言った。エリシュカがうなずく。

「ええ。ですから緊急事態なのです。いらっしゃるのは皇太子のロジオン殿下」

「……」

 みんな言葉もなかった。事の重大さがわかるからこその沈黙だ。スヴェトラーナ帝国も、皇太子が来るならもっと早くに連絡を入れるべきである。非常識と言っても過言ではない。


 それとも、レドヴィナ王国が見下されているのだろうか。ああ、なんだかそんな気がしてきた……。


「皇太子殿下を迎え入れる準備を、速やかに、かつ、完璧に整えなければなりません。というわけでハルディナ侯爵」

 エリシュカが軍務省長官の方に目を向けた。ハルディナ侯爵が姿勢を正す。


「宮殿の警備を見直し、後で皇太子殿下をご案内する施設一覧を提出するので、その施設の警備体制を考えてください。人選はお任せいたします。必要とあれば、近衛も貸し出しましょう」


 エルヴィーンたち近衛騎士は女王直属となるので、軍部を統括するハルディナ侯爵の指揮下ではないのだ。そのため、女王は貸し出すと言う言葉を使ったのである。それに対し、ハルディナ侯爵は「御意に」と短く答えた。エリシュカは内務省長官に声をかける。


「オルシャーク大公。わたくしはしばらく忙しくなります。先に処理できる書類はすぐにわたくしのもとへ。それからの指示はまた後程出します」

「わかりました」


 通常業務に関しては、女王、宰相が手が回らなくても、オルシャーク大公がいれば大丈夫なような気もする。続いて外務省長官。


「チェルーストカ侯爵。あなたにはスヴェトラーナ帝国からいらっしゃる外交官のお相手を頼むことになると思います。歓待、資料等の準備をお願いします」

「承知いたしました」


 さらに総務省長官。


「ヤクル伯爵。速やかにロジオン殿下滞在中のスケジュールを作ってください。大まかなもので構いませんので、できるだけ早く」

「御意。今日中にお持ちしましょう」


 すぐにヤクル伯爵が答えた。エリシュカがほっとした様子を見せ、財務省長官に話しかける。


「助かります……。シュロム伯爵。ハルディナ侯爵、チェルーストカ侯爵と相談の上、予算案を作ってください。でき次第、わたくしのもとへ」

「御意に。上限金額などはございますか?」

「シュロム伯爵にお任せします。それで、フィアラ大公」


 最後に一人だけ場違い感のある教育省長官に話しかけた。


「はい」

「あなたはわたくしとともに宮殿でロジオン殿下のお出迎えです」


 まさかの歓待側だった。そして、ついでに政務を手伝わせようと言う魂胆が見え隠れしている。


「……そう思いまして、すでに準備をしてきております」

「さすがです……みなさん、すぐに準備にかかってください。報告はわたくしかバシュタ公爵まで」

「御意に」


 パッとこの国の上層部のみなさんは女王の執務室から出ていった。一人残ったのはお出迎え役のフィアラ大公ウルシュラのみ。宰相と宰相補佐は残っているが、まあ、彼らは人数に入れなくてもいいだろう。

「さて……フィアラ大公。すでに準備をしてきている、ということは、あらかじめロジオン殿下がこちらにいらっしゃることを知っていたのですね?」

「まあそうですが……知ったのは昨夜ですね。うちに私信が来ていました」

 これ、とウルシュラはスヴェトラーナ帝国の国章である双頭の獅子が描かれた封筒を見せた。ちなみに、レドヴィナ王国の国章は赤薔薇に杖だ。


 エリシュカもウルシュラも、宰相補佐のフォジュト子爵の目があるからか、堅い口調だ。バシュタ公爵の前では砕けた口調で会話していた気がするから、フォジュト子爵の目を気にしているのだと思う。


「中には『そちらに行くのでよろしく』的なことが書かれていました。たぶん、ロジオン殿下の直筆ですよ。見ます?」

「いいんですか?」

「別にみられて困るようなことは書かれていませんから、いいですよ。おそらく、ロジオン殿下は私が陛下に手紙を見せることを予測していたのでしょうね」


 はい、とばかりにウルシュラはエリシュカに手紙を差し出した。エリシュカは神妙な表情で受け取り、中身を読んだ。表情を見るに、ウルシュラが言ったようなことを回りくどく書かれていたようだ。

「……やはり、ロジオン殿下も従妹には気を使うのでしょうかね」

「従妹に気を使ってどうするんですか。あっちは大帝国の皇太子。私は一国のしがない貴族ですよ」

 大公という立場がしがない立場かはわからないが。確かに、大帝国の皇太子が気を使う相手ではないな。たとえ、従兄妹いとこ同士であっても。


 ウルシュラとスヴェトラーナ帝国のロジオン皇太子は従兄妹同士にあたる。ウルシュラの母親がロジオン皇太子の父親の妹だからだ。つまり、ウルシュラはレドヴィナ王国の一貴族でありながら、スヴェトラーナ帝国の皇位継承権を持っていることになるのだ。

 身内であるウルシュラがロジオン皇太子を出迎えるのは当然のことと言っていい。そのため、宮殿に寝泊まりすることになるのも仕方のないことなのだろう。


「まあ、冗談はさておき。フィアラ大公、本当に頼みますよ。わたくし、実はあの方、苦手なのです」

「……まあ、そうでしょうね」


 ウルシュラはエリシュカの発言に同意を示した。表情を見る限り、ウルシュラもあまり得意そうではないが、この二人がいれば大丈夫な気がするエルヴィーンである。


「とにかく、ロジオン殿下の来訪まであと一週間。速やかに準備を進めましょう」

「了解」


 その場にいた護衛を含む六人の声がそろった。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


来訪日程って、どれくらい前に伝えるべきなんだろう……。


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