『悲しき乙女のレクイエム』【4】
第2章『悲しき乙女のレクイエム』後半ですが、大幅に加筆修正させていただきます。
ほとんど別物と言っていいほど変わっております。それでも大丈夫! というかたのみお読みください。
翌日、スラニナ子爵夫人が拘束、逮捕された。屋敷の使用人からの証言もあり、自白を待たずに逮捕となったのは僥倖だろう。
しかし、同時に殺人を指示したとして名が挙がったのがウルシュラだった。ここまで来るとすでにお決まりで、驚きも少ないが、さすがに裁判が開かれるとなった時は大丈夫か、となった。
「まさか本当にフィアラ大公が指示したわけではないですよね?」
そんなことを尋ねたのはもちろんラディムだ。エリシュカも少し悩み気味に「何か考えがあるんだと思うんだけど」
何を考えてるかわからないのよね、とエリシュカ。頭のいい人は考えることが良くわからない、と言うのは世の心理だ。
とりあえず、ウルシュラが犯人である可能性はない。彼女が冤罪でのこのこと法廷に引きずり出されるとは思えないので、彼女は自分から法廷に出ることにしたのだろう。
「私にはよくわからないのですが、この場合は刑事訴訟になるんですか?」
エルヴィーンが尋ねると、エリシュカがキョトンとした表情になった。彼女にもわからないらしい。
「ええ……民事訴訟では、ないものね。たぶんそうだと思うけど、私はあまり詳しくないのよね……こういうことは、ウルシュラの方が詳しくて」
と言ったあたりで、エリシュカは「あ」と言う表情になった。
「そう言えばあの子、法学者だったわね。法廷は彼女の領域だわ。うん。心配するだけ損ね」
と言うことで落ち着いた。下手に関われば巻き込まれる。ウルシュラが無実なのは間違いないのだから、彼女の好きにさせておこう。
スラニナ子爵夫人が捕まった三日後、法廷が開かれた。原告は検事……要するに、警察局の法務担当者。被告人はウルシュラであり、通常は弁護士を付けるところであるが、彼女は一人だった。だが、一人であると言うのに存在感は三人いる検事に勝っていた。さすがである。
ちなみに、レドヴィナでの裁判は陪審員制をとっている。そのため、裁判長のほかに十二人の陪審員が上座にいる。
ここで忘れてはならないのが、ウルシュラが大貴族である、と言うことである。一応筆頭貴族であるフィアラ大公である彼女は、本来なら女王以外に頭を下げる必要のない人間だ。そんな彼女が下段にいる、と言うのはおかしな話である。そのためか、彼女のいる被告人の台は原告側より少し高く作られていた。
「それでは、開廷いたします」
そう宣言した裁判長は、宰相のバシュタ公爵。女王に罰を決するような重荷を背負わせられない、と言う言い分であるが、これはこの国が女王制をとりながら、女性に決定権を与えていない典型的な例と言える。
原告側がウルシュラのその日の行動について一つ一つ確かめていくが、彼女の口調によどみはない。オペラを見に行ったときにエリシュカが一緒だったことだけは口にしなかったが、通常、被告人には黙秘権が与えられるので、彼女が答えなくても問題はない。
「あなたは、スラニナ子爵夫人に彼女の夫を殺害するように命じましたか?」
「いいえ」
ついにこの質問がなされ、ウルシュラは即答した。公聴席にいる貴族たちが「嘘だ!」などとのたまっているが、バシュタ公爵が「公聴席は静かに!」と一喝した。
ちなみにであるが、こうして解説を行っているエルヴィーンは、女王エリシュカと共に裁判長より高い席で裁判の行方を見守っている。もちろん、ラディムも一緒で今日も護衛である。
「では、仮に私が犯人だとして。動機は? 殺害した方法は? それらを示唆する証拠はありますか。それらを提示できなければ、私を有罪にすることはできないでしょうね」
法廷でも偉そうな女性だ。だが、だからこそと言えばいいのだろうか。無駄に安心感がある。この女ならやる、という安心感。
そもそも、大公である彼女が大法廷で裁かれる、ということ自体がおかしなことなのだ。本来なら、『嫌疑』だけで大公を裁ける状態ではない。
「まず、動機についてですが、スラニナ子爵は人事局の副局長でした。教育省の長官であるフィアラ大公は、彼の人事が気に入らなかったのでしょう。実際に、彼女は教育省の官吏を何人も罷免しています」
検事の一人が意気揚々と発言する。さらに動機についてぺらぺらと話している検事を横目で見つつ、エルヴィーンは小声でエリシュカに尋ねた。
「もしもフィアラ大公が有罪判決を受けた場合、どうなるんですか?」
エルヴィーンの問いに、エリシュカは一瞬黙ったがすぐに答えた。
「考えてもみなかったわ。どうなるのかしらね……あとでウルシュラに聞いてみましょう」
「……」
やはり、エリシュカはウルシュラが有罪判決を受けるとは思っていないようだ。まあ、エルヴィーンも、おそらくラディムも考えていないだろうけど。
「殺害方法としては単純です。スラニナ子爵の遺体を調べた結果、胃の中から毒物が見つかりました。遅効性の猛毒であるツレクが使われていました。これは水に混ぜて飲ませることができるもので、比較的簡単に手に入ります。フィアラ大公なら簡単に手に入れることができたでしょう。そして、これを子爵に飲ませるように子爵夫人に命じたのです」
確かに、ツレクは比較的簡単に手に入るし、フィアラ大公ならなおさらだろう。粉末状の物を水に溶かして飲ませることができるし、『大公』という立場なら子爵夫人に命じることもできるだろう。一応、殺害方法としては成り立っているように思われた。
だが、『命じた』というあいまいな現象は、立証するのが難しい。なので、初めからウルシュラに分がある裁判なのだろう。エルヴィーンはそう思った。
「証拠としては、スラニナ子爵夫人を証人として呼んでおります。弁護士が同席することをお許しください」
検事がそう言ってスラニナ子爵夫人と弁護士を招き入れたのだが……。
「……」
エルヴィーンは何度か瞬きをしてスラニナ子爵夫人の隣にいる弁護士を見た。頭もふってみるが、間違いない。スラニナ子爵夫人の愛人の法律家だった。
名を確認する宰相バシュタ公爵の言葉にうなずいたスラニナ子爵夫人であるが、その後の反応は皆無であった。代わりに、法律家が返答している。裁判に置いて、承認の黙秘権も認められているので、確かに話したいことだけ話せばいいのだが。
「子爵夫人は私にだけは話てくださいました。オペラ座で、フィアラ大公に毒薬の瓶を渡され、夫を殺害するように強要されたと言っていました。相手は大公と言うことで、断ればどんなことをされるかわからず、子爵夫人は泣く泣く指示に従ったそうです。そのため、夫人には情状酌量の余地があることも申し加えておきます」
台本を読み込んできたかのように滑らかな口調で法律家は言った。エリシュカを挟んで反対側に待機しているラディムが顔をしかめた。
「ぺらぺらと……さすがのフィアラ大公だってそこまで性悪じゃねーだろ」
ウルシュラを嫌っているラディムであるが、彼の中にはそれくらいの信頼はあるらしい。まあ、彼はウルシュラが犯人ではない、と知っているわけで、どの信頼も当然のことかもしれないが。
その他、オペラ座での目撃証言などが出されるが、もちろん、ウルシュラは身に覚えがないだろう。彼女はオペラが閉幕するまで一度も席を立たなかったのだから。ただ、彼女の黒髪はさほど珍しい色ではないので、誰かをウルシュラと『間違えて』見たと言っている可能性はないわけではない。
「以上、フィアラ大公がスラニナ子爵を殺害した可能性はかなり高いと思われます。裁判長、検事からの報告は以上です」
バシュタ公爵が一つうなずいた。彼の視線がそのままウルシュラに向く。
「フィアラ大公。何か反論はありますか」
「あります」
ウルシュラは強い口調で即答した。もちろん、あるに決まっているだろう。むしろ、ここからが彼女の腕の見せ所。
「確かに、スラニナ子爵の死因はツレクによる中毒死で間違いないでしょう。しかし、私を犯人だと断定する証拠が弱すぎます」
「なんだと」
検事が剣呑な表情で反論しようとするが、バシュタ公爵が「静粛に」と静かに宣言してしゃべらないように釘を刺した。
「フィアラ大公、続けてください」
「はい。まず、動機に関してですが。私はこれ以上の地位を望んでいません。そもそもフィアラ大公家は筆頭貴族。これ以上の身分を望んで何になりましょう?」
ウルシュラがさりげなく論点をすり替えようとしている。検事たちがしているのは貴族としての爵位の話ではなく、官吏としての地位の話だ。さすがに、ここで話をそらされるほど検事たちも間抜けではない。
「我らがしているのは、あなたが今以上の官位を欲しているのだ、と言う話です」
「あら、これは失礼いたしました。ですが、私は今の地位で満足しています。そもそも、今以上の権力を欲していたのなら、三年前、女王候補を降りたりしていません」
父親のクーデターの件があったので、彼女は女王候補を降りて大公位を継いだ。爵位を持っていても女王になれるので、彼女は自分の意志で女王候補を降りたのだ。
当時、下馬評ではウルシュラが女王になるだろうと言われていた。父親がクーデターを起こしてはいたが、それでもエリシュカといい勝負をしただろう。権力を欲していたのなら、最後まで女王候補としてエリシュカと争えばよかったのだ。
「そもそも、地位が欲しい、と言うだけで人事局の副局長を殺すなんて。そんな短絡的なことをしても、大公である私の地位は変わらないはず。というか、私の配属先は人事局が決めているわけではありませんからね」
確かに、大公より上……つまり、女王がその配属を決める。もしくは、宰相が。
「それに、私が教区省長官になった当初、大量の官吏を罷免したのは彼らにやる気がなかったからです。もともと、閑職と言われていた教育省です。そこに十九歳の小娘が長官としてやってきたとなれば、反発も当たり前。その上で、私はこのまま私の下で働くか、異動願いを出すか決めるように言いました。そして、多くの官吏が異動願いを出しました。おそらく、それこそ人事局が適性を見て再び配属を決めようとしました。その上で勤務態度の悪いものや軽犯罪を侵していた者などを罷免して行きました。これは、人事局の公式記録に残っています」
と、ウルシュラは資料をばん、と机に置く。
「しかしまあ、これだけでは私が犯人でないとは言い切れないのは事実ですね」
「そ、そうだ」
ウルシュラ自身がそのセリフを言ったので微妙な感じになっているが、ここまでウルシュラが犯人でない可能性を示してきたが、それだけで判決がウルシュラに有利になるとは思えない。
やはり、証拠がいる。強固な証拠が。
「ですが、私は犯人ではありません」
「情に訴えようと言うのなら無駄だと思いますよ」
先ほどからちょくちょく口を挟んでいたのだが、スラニナ子爵夫人の愛人である法律家が言った。ウルシュラは今度こそ彼の方を向く。彼女はにこっと笑った。悪い笑みだ。
「もちろん、情に訴えなどしませんよ。そんなことをしては、法学者の名が廃ります」
あ、法律家がびくっとした。ウルシュラが法学者であることは、あまり知られていない。それ以外が有名すぎるためだ。どこに行っても、彼女は最初に『フィアラ大公』として認識されるから当たり前だが。
ここからウルシュラは、法学者と法律家の直接対決を行うつもりなのだろう。
まあ、その内容が法律の内容であるかははなはだ疑問であるが。
「まず、スラニナ子爵夫人が夫であるスラニナ子爵を毒殺した……ということで間違いありませんね」
子爵夫人は震えたが、答えなかった。法律家が「誘導尋問ですよ」と言うが、ウルシュラは「あらごめんなさい」とどこ吹く風だ。見ているだけなのになぜか腹が立った。
「しかし、夫人はすでに自白していらっしゃるので、そう言うことで話を進めさせていただきます。まず、ツレクの入手ルートですが」
ウルシュラがどん、と机に資料を乗せた。どこから集めてきたその資料。
「市場に監査を入れさせてもらいました。もちろん、非公式です。ですが、商人の名はしっかりと記録してありますのであしからず」
本当に転んでもただでは起きないな、この女は! たぶん、エルヴィーンと同じことを多くの人間が思っていたと思う。
「全部で七つある流通ルートですが、この中の一つを使い、東方から取り寄せられたもののようですね、子爵の殺害に使われたのは」
そこまでわかるのか……。どうやって調べたかは、考えないようにしよう。心の平穏のためだ。
「一応調べましたが、東方の商人とスラニナ子爵家はかかわりがないようですね」
と言うことは、やはりスラニナ子爵夫人は誰かから毒をもらったことになる……まあ、おそらくそこにいる法律家にだけど。
「オペラの上演中を犯行に選んだのは容疑者を絞りにくくするため。まあ、実行犯は罪の意識に耐え切れずに自白したわけですが……」
ちらっとウルシュラがスラニナ子爵夫人を見た。睨んだわけではないが、夫人は再びびくっとした。
「いくら愛人がいたとしても、夫人に夫を殺すほどの勇気はないでしょう。人を殺すと言うのはかなり覚悟が要りますからね」
……まあ、一応ウルシュラも経験者なわけで。無駄に説得力がある。
「私でなくても、誰かが殺害を教唆した可能性が高い。私もそれには同意いたします。では、犯人はだれか?」
ウルシュラはまっすぐに法律家を見た。すでに関係ない話になっているのに、誰も止めない。エルヴィーンもさすがに気づいたが、この裁判自体が罠。と言うことは、検事やほかの関係者たちも先に事情を把握していたのかもしれない。
「民間法律家イザーク・トマン。スラニナ子爵夫人の愛人であるあなたが、殺人教唆犯の可能性が高いと、私は見ています」
法律家ことイザークは目を見開いて固まった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
2014年verではウルシュラが法律を強行しましたが、修正verでは謎解き風に裁判で行こうと思います。
この話で終わるつもりだったのですが、思ったより裁判が長引きそうなので二つに分けることにしました。




