第五話 ちょっと殴りたくなりました。
「さて、落ち着いたようですし戻りますか」
その言葉でさっきまでの泣きじゃくっていた自分を思い出した。
「えー」
せっかく童顔を見て心を和ませたのに。
「すみません、確認行為なので・・・今なら他の人もそんなにいないと思いますが」
う、人がいないなら・・・
「あ。でも、さっきのお巡りさんたちはいるんでしょ?」
「お巡りさん?」
私が首を傾げたら、八橋さんも同じ方向に首を傾げた。
「ああ・・・ええ、警察官はまだ何人かいるはずですよ、証拠品をなくすわけにはいかないですし」
やっぱり。
「でもお巡りさんというのは一般的に交番に勤務する人のことですし、私たちは警察官とそのまま呼んでいただけると・・・」
私にはどっちも変わらないわよ。
私の考えが伝わったのか、彼は最後までは言葉を続けなかった。
「えーと、では行きましょうか」
「あの渡瀬とかいうお兄さんもいるんですか」
あの人顔は良かったけど感じは悪かった。
「渡瀬君?」
ああ。という低い呟きが聞こえた。おお、この人こういう声出してりゃ格好良く見える。
「悪気はないんですよ、ただちょっと性格がひねくれているんです」
ハッキリ言っちゃったよこの人。
「仲悪いの」
「いえ、彼は有名ですから」
有名?
「なにが?」
「性格の悪さが」
なにそれ?
「彼、あの顔でしょう? 配属当初から女性職員に人気でしてねえ」
確かに、顔はよかった。きっと昔から女にかこまれていそうな顔。
八橋さんは金魚鉢を抱えたまま、起用に二つのカップをさげた。どこで洗うんだろう?
「はじめの頃は毎日大変だったみたいですよ。たくさんの女性に囲まれて羨ましいというよりは、怖かったですね」
可哀想でした、とか言いつつ何ですかその笑顔は。絶対カイワイソーとか思ってない顔だよ。
「そのうち我慢の限界がきたんでしょうね。それまではわりと遠慮していたようですが、ある日突然怒り出してしまって」
なんとなく想像できる。
私たちは埃っぽい資料室を出た。鍵はかけないみたい。
「大変そうでしたよ。一時期その噂で持ちきりでしたしね」
ふふふん。
八橋さんの楽しそうな声が廊下に響く。一階に上がるまでは薄暗かった廊下も、上がってしまえば自然光が明るい。
「暴れちゃったの?」
「いいえ、群がる女性たちに対して遠慮しなくなっただけですよ」
だけって・・・
「それは気持ちが良いほどハッキリと女性たちを拒絶していくので、彼は女に興味がないのでは、という噂が流れるほどでした。実はこっちなんかじゃないって」
こっちって、どっちだ。女嫌いはわかったけど。
「ふうん」
私たちが廊下を歩けば、道行く人がよける。何故か皆顔を背けて見てはいけないものでも見たような表情だ。
「ねえ」
「なんです?」
抱えた金魚鉢を嬉しそうに撫でながら言葉を返す。
「何で、皆私たちを避けるの」
「避けているのではないですよ、道をゆずってくれているだけです」
それを避けるって言うんじゃないですか?
「その金魚鉢はなんなの」
「おや、僕のことが気になりますか」
こいつ、殴っていいですか。
「ふふふん、これが気になるとはお目が高い」
いや、殴ったら手が汚れるわ。
どこかに丁度良い棒でもないかしら。
「この金魚鉢は素晴らしい出来でして、特注で作ってもらったのですが、届くまでに二ヶ月もかかってしまいました」
私がキョロキョロとこの男を殴るための棒を探している間、ずっと金魚鉢の自慢が続いた。
金魚鉢の滑らかなガラスが美しいとか、実際水を入れたときの光の屈折が美しいとか、でも魚は苦手だから金魚は飼ったことが無いとか。
そんなわけわかんない事を横でベラベラ喋られているうちに、体育館に着いてしまった。