第五十話 好きな人でも辛いかもしれない場所
ヴァレンタインフェアは地獄でした。
主に徹さんにとって。
「大丈夫ですか?」
ベンチに座り、口元にハンカチを当てて蹲る徹さんに声を掛けるが反応がない。
「あの、私、冷たいドリンク買ってきますね。あ、そうだ。カフェにでも入りますか?」
反応のない彼に言うが本当に聞こえているのだろうか、先ほどからちらちら通行人の視線が痛い。
「徹さん?」
私はそっと彼の顔を覗き込んだ。
あ、ダメだ。目が死んでる。
「私が我儘を言ったばかりに・・・ごめんなさい、徹さん。甘いの苦手だったんですね」
「・・・いえ、苦手ではないですが、今日苦手になりました」
フロア全体に漂うチョコレートの香りと、それを買い求める大勢の女性たちの化粧品と香水の香り。慣れていない徹さんにとってそれは信じられない空間だったようで、しまいにはイートインコーナーでチョコレートパフェを見た瞬間、慌てて飛び出していった。
トイレでも我慢していたのかとあまり気にしなった私は、おいしくパフェを頂き、いつまでたっても戻ってこない彼を心配してフロア中を探した所、ベンチで蹲っている彼を見つけたのだ。
こういう時、心配する他の客はいない。特にこのヴァレンタインフェアでは毎年こうして蹲る人が女性の中にもいるし、付き添ってやってきた命知らずの男性では珍しくない光景だ。一日に、二、三人は見かける。
だから誰も心配しない。この空間を離れて時間が立てば症状は治まるからだ。
「・・・帰りましょう、徹さん。外の空気を吸えば元気になりますよ」
本音を言えば、もう少しチョコレートを見ていたかった。あかりへのお土産も選んでいないし、自分用も見ていない。けれど、彼をこのままにはできなかった。
「透子さん、僕のことはいいので、楽しんできてください」
さっきしっかりパフェを楽しんだとは言えない空気だ。
「そうだ徹さん! この上に小さな水族館があるのをご存知ですか? よかったらそこに行きませんか? 気分が変わるかもしれません。それに、ヴァレンタインフェアはうちの職場でもやってるから、大丈夫ですよ! 気にしないでください」
徹さんは弱弱しく顔を上げた。
「・・・いいんですか?」
「はい」
「・・・じゃあ、上に行きたいです」
「はい、いきましょう!」
彼はそっと私の袖をつかんだ。
「どうせなら、手をつないだ方がマシとか言ってませんでした?」
にやりと笑えば、真剣な顔で返された。
「いいんですか?」
今更なんだって?
「・・・いえ、そうですね。立ち上がれないので手伝ってください」
「はーい。よいしょっと」
意外な甘え方に驚く。でも甘えられる程には仲が進展しているのかもしれない。いや、なんだ仲って。
「透子さん。ここの水族館は熱帯魚を主に飼育しているようですよ。実は初めてなんです」
「え。珍しいですね、近場の水族館は全部行ってるんだと思ってました」
いかない場所もあるんだなぁ。くらいに思っていると、水族館に入ってすぐに腕を引っ張られた。なんだいったい。
彼の視線の先には見覚えのある後頭部。
あの寒そうな頭は!
「休日はよくここに出没するらしいんです。だから来られなかったのに!」
悔しそうに呟く徹さんの顔をちらりとみやる。
「徹さん。今日は絶対気付かれないと思いますよ。仕事の時と雰囲気全然違うから」
彼はそっと首をかしげた。
「そうですかね?」
「そうですよ」
だから堂々と行きましょう。
そういえば、逆にショックを受けたような顔でうなずいて歩き出した。
なんだ、今度はなにがあったの。




