第三話 はじめまして、金魚鉢
「え、・・・え?」
私の顔より大きなガラス。丸くて大きい。夏によく見るやつ。
「どうぞ」
静かな声と、白いハンカチがふってきた。
シルバーの、お洒落なデザイナーズ眼鏡にオールバック。スーツのシャツには糊付けされて清潔感がある男。そして、右手に抱えた大きな金魚鉢。
・・・金魚鉢?
「あ・・・どうも」
つい受け取ってしまった。
「あちらでコーヒーでもいかがですか」
あちらってどちらだ。
「ちょうど新しい豆を入手したばかりなのですよ」
ふふふん。
なんだその笑いは。
「おや、紅茶のほうがいいですか?」
いや、どっちでも・・・
「もちろん、紅茶もありますが・・・今日はコーヒーが飲みたいですねえ」
何も言ってないんだけど・・・
「ということで、コーヒーにしましょう」
なんだこのマンペース人間。顔はわりと良いのに変な男。
「行ってきなよ、きっと落ち着くわよ」
あかりが手を振っている。こいつ、来ないつもりね。
「ちょっとあかり、私一人でこの変な男の相手させるつもり? なんで金魚鉢なの!」
あかりの腕を引っ張って、内緒話するように小声で言うと、あかりも声を潜めた。
「知らないわよ金魚鉢! 顔はいいけどちょっとマイペースっぽいもん。てゆーかこの人警官?」
それこそ知らないわよ。なんか高そうなスーツ着てるけど、こんな警察官なんかやだ。
それに、この人が現れてから周りの人がどっか行っちゃった。なんで・・・
「警察官じゃないならなによ」
おもわず涙も引っ込んだ。
「変質者?」
こんな警察署のど真ん中でそれはないだろう。
でも変人という言葉は似合いそう。
「どうしました?」
ふわり。笑顔に音をつけるならきっとこうね。とても綺麗な笑い方をする男の人。
「い、いえ・・」
首が痛くなるほどぶんぶん横にふったら、ドンッと背中を押された。
「女は度胸だ、当たって砕けろ!」
砕けたら終わりだろうが!
「ぶぎゃ」
「危ないですよ、コレが壊れたらどうするんです」
男の胸に飛び込む形になり、危うく窒息死するところだった。
「なんつー色気のない声。友人として嘆かわしいわ」
「余計なお世話よ!」
本気で嘆いているような顔をしなくてよろしい!
というよりこの男、いきなり飛び込んだ(不本意だ)私より、金魚鉢のほうの心配ってどうなの、男としてより人間としてどうなの!
「はあ、よかった。無事みたいだ」
こっちは良くないわよ。
「じゃあ行きましょうか」
しっかり手を握って。って、なんで手を握る必要があるの。
初対面の人間と手を握るなんて! しかも男と!
「耳まで真っ赤」
小さな声が背中のほうでした。あかりのやつ、絶対笑ってる! 後ろは見えないけど声が笑ってる!
男は私のことなんて全く気にしていないようで、しきりに金魚鉢を見ては安心して笑っている。
そんなに大事ならどこかに飾っておくか隠せばいいのに。
でも何で金魚鉢?
案内されたのは、狭い地下室だった。
なんで地下室に? 休憩所ならさっきの体育館にもあったのに、どうしてわざわざ?
「ここは?」
男はニッコリ笑って自己紹介を始めた。
「申し送れました、八橋と申します。ここはまあ・・・資料室ですよ。見てのとおり」
いや、資料室でコーヒー飲むつもり?
照明に照らされた室内には数え切れないダンボールと、茶色く変色した紙の束が大量につまれているけど。埃っぽいのにここでコーヒー?
「案外落ち着くものです」
そりゃあんただけよ。
「それで、あなたは?」
「あ、道長透子と言います。今日は・・・ええと」
あの体育館にいた人間なら事情はわかるだろうけど、これって説明が必要かしら、それとも名前だけでいいのかな?
「事件の被害者ですね」
あ、名前だけで良いんだ。
「九十二名も被害者が出るなんて。我々は最初十数件しか報告を受けていなかったのです」
溜息をつきながらも手際良く二つのカップを用意する。あの金魚鉢を持ったまま。
すいません、私も通報しなかった一人です。
「犯行はここ一年足らずのようですね、よく一年でここまで出来たものだ」
うわあ。一年かけて集めたいほど好きなのか、犯人は。
「どれだけ女の下着が好きなんですかその変態は」
「・・・」
私の言葉に、何を思ったのかジッと顔を見つめられた。




