第十九話 お食事しましょうか。
「様子はどうですか?」
渡瀬とはあの日以降会っていない。二人が忙しいのはわかっているけど・・・
「別に、変わりないです」
ここで私がムッとしてしまうのはよくないだろうけど、というか、どうしてムッとしてるの私。
「すみません、もっと早くに来たかったのですけど」
「お仕事が忙しいんですから仕方ないですよ」
仕事が終わって別のデパートに入ると、八橋さんはまるで影のようについてきた。
なんだ、この関係は。
「あ、ペットショップありますよ。猫可愛いですね」
ペットショップなんて、どうせ見飽きているくせに。
「あ、あそこのパン屋さん。おいしそうですねえ」
だから何よ。
「ここの本屋、大きくしたんですねえ。久々に来てみると色々かわってるんだなあ」
しみじみ言わないでよ。あんたはおじいちゃんか!
「そうだ。今夜は夕食をご馳走しますよ。何を食べたいですか?」
笑顔にほだされるほど子供じゃないわ。
「理由がないもの」
「気になることもあるので、少し遅い時間に帰ってほしいのですよ」
気のせいか、笑顔が黒い。
「じゃあ、ラーメンで」
「・・・え?」
どうしてそんなに驚くの。女だって、ラーメン食べるわよ。
「じゃあ、ハンバーガーでいいわ」
高いものを奢ってもらう気はない。
「・・・」
「な、なによ。おいしいのよ、たまに食べると!」
あのテリヤキバーガーの味は結構くせになる。やっぱり日本人ならテリヤキよ。
「あの、そういうのは身体にあまりよくないのでは・・・」
この金魚鉢、もしかしてかなりお坊ちゃま育ち?
「食べたことないの?」
「仕事中に食べましたよ。時間がないときに」
その受け答えはどうかと。
「仕事中にしか食べたことないの?」
「ありませんよ」
そんな、ハッキリと。
「あなた人生七割方損してるわよ!」
「・・・どうしてそうなるんですか。というかなんかリアルな数字を出さないでください」
道端に立ち止まって、わけのわからない言葉を続ける私たちを、通り過ぎる人々が不思議そうに眺めている。
「どうせさっきのラーメンだって、へんなこと考えてたでしょ!」
その言葉に、さすがに八橋さんもムッとした。
「へんなことって、なんです? ただ、ちょっと・・・もう少し他の食べ物を考えましたけど」
「ほら!」
他のものって、なにを考えたんだろう?
「よし、決めたわ。ちょっと遠いけど、いきますよ!」
この坊ちゃん育ちに、おいしいものを教えてあげなくては!
「は? どこへ・・わっ」
八橋さんの金魚鉢をつかんで歩き出す私に、彼は慌ててついてきた。
「ちょっと、ああ、ガラスが汚れます! せめて手をつなぐとかにしてください」
せめて? せめてって、何よ。どういう意味。
「あんた、感じ悪いわよ」
「人のこと金魚鉢って呼んでる人に言われたくありません!」
気付いてたんだ!
「あああ! だから手を!」
「わかったわよ。ちゃんとついてきてよね。地下鉄乗るわよ」
手をつなぐのも、なんだか負けた気がして嫌だったので素直に手を離した。金魚鉢に負けたっていうのも、変な話よね。この男が変人だから悪いのよ。うん、そうよ。私が金魚鉢に負けるとか許せない。人間として負けた気がする!
「あれ? 手を握ってくれないんですか?」
握って欲しいのか・・・
「八橋さん。まわりからも金魚鉢って呼ばれてるんですか」
「そうなんですよー。だれも本名をフルネームで呼んでくれないんです」
寂しいんですよー。とか言いながら手を繋ぐのやめてください。
「だって呼びやすいし・・・てゆーか、苗字しか知らないです」
本当は、名刺に書いてあったから知ってはいるけど、今更呼ぶのは少々抵抗がある。
地下鉄の改札まで来て、足を止める。彼も釣られて立ち止まった。
「どこまで行くんですか?」
にやっと笑うと、何を感じ取ったのか八橋さんの足が一歩下がった。
まあ、失礼しちゃうわ。
地下鉄で三駅ほど行ったところにあるラーメン屋に連れて行くと、物珍しげに店内を見渡す彼をよそに、禁煙席のボックスに座った。
都会のいいところは、あまり他者に気を使わないところだ。良い意味でも、悪い意味でも、電車の中ではあまり目立たずにすんだ。
「こういうところ、慣れてないですか?」
「思ったより綺麗で驚きました」
本当に驚いたように、席についても周りを見渡す姿に、ちょっと優越感。
「最近のラーメン屋は、女が一人でも来られるように綺麗なんですよ。知りませんでした?」
「へえ」
店員が水とメニューを持ってくる。
「結構食べられる自信あります?」
「それなりに」
また、にやっと笑うと、八橋さんは怪訝そうな瞳を向けてきた。無視する。
「今日はお連れ様がいらっしゃるんですね。ご注文はお決まりですか?」
何度か通って顔見知りになった、学生風の若い店員が笑顔で聞く。
「私はいつもの赤トンコツ。彼にも。ついでにミニ鉄板チャーハンと、ギョーザで」
「かしこまりました!」
爽やかな笑顔で頷いて去っていった。
「顔、覚えられるぐらいには通ってるんですか?」
「月に二、三回ですかねえ。ここのは本当においしいですよ」
あかりには、そんなに食べると太るわよ。と言われたことがあるけど。
「そんなに好きなんですか?」
「好きですよ。というか麺類全部好きです!」
もう三食麺類でもいいぐらいだけど、そう言うとあかりに怒られるので口にはしない。
以前、二時間にわたって説教されたことがある。正座で、頭ごなしに怒られた挙句、約一月ラーメンを禁止された。逆らうと怖いので従ったけど、あれは苦痛だった。
わざわざメニューを考えて、毎日通ってきては料理をするあかりに文句は言えなかったけど。あの子、実はかなりマメな性格なのよね。
「八橋さんって、普段は何を食べてるんですか?」
「徹です」
「はい?」
何を言い出すんだ、いきなり。
「徹です、名前。これからは徹と呼んでください」
私もいい加減人の話聞かないけど、この人も聞いてないわよ。絶対。
「あ、そういえば、透子さんと似てますね」
まるで今気付きました、みたいな顔で何を言い出すんですか。
「いや、どうでもいいし」
「名前は大切なものですよ? ということで、呼んでください」
理解不能だ。
「あ、ちなみに普段は和食中心です」
その言葉と同時に、食事が運ばれてきた。