第十五話 意外と手際がいいようです。
アパートの前まで来ると、中から一人の若い男が出てきた。下の階に住んでいる人であいさつ程度はするが相手からの反応はほとんどない。
「あ、こんにちは」
手櫛で整えただけの頭は後ろがはねていた。ジーンズに白いティーシャツ。もともと白かっただろうスニーカーは薄汚れていて、緑のカバンを背負っている。地味でおとなしい彼。管理人さん以外の住人と喋っているところも見たことがない。
彼は私を見ると少しだけ頭を下げ、次に八橋さんを見てわずかに口を開く。でも何も言わずすぐ立ち去ってしまった。
八橋さんはそんな彼の様子を少しだけ気にしたようで、しばらく後姿をジッと見ていた。
「八橋さん?」
「今のは?」
警察官だから色々気になるのかな?
「私の部屋の下の階に住んでる子です。シャイなんですよ、多分」
そういう年頃なんだろうと思っている。
「シャイ・・・・ですか。名前は?」
「え? うーん・・・・・・・・えーと・・・・」
「いえ、いいです。気にしないでください」
八橋さんは、ご近所の名前も覚えていない私を責めなかった。
「さ、行きましょう」
そして私達は部屋にもどった。
新しい鍵は、案外簡単に設置できた。
「まあ、こんなものでしょう」
ふう、と息をついて額の汗をぬぐう八橋さん。
「お茶が入っていますから、どうぞ」
「ありがとうございます」
昨日と同じマグカップを出すと、彼はまた不思議そうにそれを見つめた。
「そんなに気に入らないなら、他のカップにします?」
「え?」
どうしてそう、心底不思議そうな顔をするのだろう。
お互いソファーに座らずに、猫の顔の形をしたカーペットにちょこんと座っている。八橋さんが正座だから私も仕方なく正座をして。
「好きですよ」
「・・・・・・は?」
何を言い出すんだ、この男。
「マグカップ。女の子らしくて可愛いですね。僕の家は男しかいないので、こういう部屋はまるで別世界です」
あんたの頭が別世界だ。
「はあ・・・?」
男しかいないっていうのは、男の家族しかいないのだろうか?
「母は自由奔放な人で、世界中を飛び回っているので何年も会っていませんし、家に帰ることもないですし。前回あったのは何年前だったかなあ」
どんな家庭環境よ?
どこか遠い目をした八橋さんにどういう言葉をかければいいかわからない。
「女性用の家具も道具も、一切ありませんしね。全て父が家事をまかなっていますから、どうしても色使いが・・・」
部屋を見回しながら言わないでください。何気に恥ずかしい。
「で、それを気に入ったと?」
「はい、可愛らしいですね」
ニコニコ笑われても・・・
「あ、そういえば、明日はどうしても仕事が抜けられそうにないので渡瀬君が来てくれるそうです」
渡瀬さんって・・・女嫌いの?
「・・・女嫌いなのに?」
「そうなんですか?」
いや、私に聞かれても・・・
「だって、そういう噂があるって、あなたが言ったんじゃない」
初めて会った日にそういう話をしたことは、まだ記憶に新しい。
「まあ、ともかく来てくれるそうですから」
笑顔で押し切られた。