第十二話 マグカップ
「ええと、犯人ですか? とくに心当たりはないです。最近は彼氏とかもいないし、そもそもどうしてこうなったかなんて」
最近というか、ここ何ヶ月かですが。
「ふむ、そうですか」
一つ頷いて、八橋さんは白いハンカチを取り出すとテーブルの上の金魚鉢を拭きだした。
・・・何故拭く?
「犯人はあなたの知人とは限りません。とりあえずはしばらく様子を見ましょう、今日することは出来ましたし」
することって、安全確認?
「そうだ、最後にベランダを拝見してもよろしいですか?」
この人言葉遣いが丁寧だから、下手すると年下に見えそうだ。そういえば何歳なんだろう?
「はい、いいですよ」
返事をしてベランダへ向かう。窓を開けて足を止めた。
「あんた馬鹿でしょ」
後ろであかりが笑っている。どうして忘れていたんだろう。
「う、うるさい!」
ベランダに干しっぱなしだった洗濯物を慌てて取り込む。その中にはもちろん下着も外から隠すように干していた。
「だって、まだ昼間なら暖かいし、どうせならお日様の下に干したいじゃない!」
恥ずかしすぎて顔が熱い。きっと今私は顔が真っ赤だ。
「あんた、そのせいで下着盗まれたんじゃないの」
秋の陽射しもなかなかに暖かいので昼間なら十分外に干せる。
「今日は昼には戻るから平気だと思ったんだもん!」
両手いっぱいに抱えた洗濯物を、急いでクローゼットに押し込む。変人金魚鉢とはいえ、男性にこんなところを見られるのは無茶苦茶恥ずかしい!
「一度狙われた人はまた狙われる危険性がありますから、気をつけてください。いくら犯人が捕まったとはいえ、安心するのは危険です。ここは二階ですから、その気になれば簡単に盗めますよ」
隠していても・・・とご丁寧に教えてくれた。
「・・・以後気をつけます」
一度体育館で見られたけどそれでも恥ずかしいのに、一切顔色変えられないのも辛いわ。あんたしっかり見たでしょ、今。私の下着! ああっ、どうせなら可愛いの干しとけばよかった! 相手変人だけど!
「とーこ、いつまでクローゼットに抱きついてるつもりよ。あたしに新しいお茶淹れなさいよ」
まるで部屋の主はあかりだ。
「抱きついてないわよ! ちょっと、ドアを守っていただけよ。だいたい、あんたお茶ぐらい自分で淹れなさいよ!」
ここは私の部屋よ、と叫んでみる。そんな努力は無駄と知りつつ。
「なんでクローゼットを守る必要があるのよ。顔、赤いわよ」
「うるさい!」
絶対この女にお茶なんか淹れてやるものか!
「下の階はどのような方が住んでいらっしゃるのです?」
私たちが言い合う間、この人はちゃんとベランダを見ていたらしい。
「大学生ぐらいの男の子です。それがどうかしましたか?」
顔も名前も覚えていないような存在だ。普段いるのかもわからないぐらい静かで、時々一階に人が居ると忘れてしまうこともあるほどだ。
「・・・いえ、何か知らないかと思いまして」
怪しい物音とか、と言われて気付く。そうか、近所の人なら何か知っているかもしれない。でも。
「ひ、人にこんなこと言うのはちょっと・・・」
面識もほとんどない相手に相談できることではないし、正直変質者に侵入されているなんて知られたくない。
「・・・そうですか、わかりました」
何がわかったんだろう?
「とーるちゃん。用心棒でもしてあげなよ。正義の味方のけーさつかんでしょ」
警察は正義の味方か? むしろ悪・・・
それにしても、とーるちゃん?
「そうですね、わかりました」
だから何がわかったの?
「じゃあこれを」
そう言って差し出されたのは一つの包み。
「常に持ち歩いてください」
「これは?」
中には可愛らしい小さな金魚のぬいぐるみのキーホルダーと、ガラスの金魚のキーホルダー。
何故に金魚。しかもぬいぐるみ?
「ぬいぐるみを持ち歩くのは・・・」
「ぬいぐるみは防犯ブザーで、ガラスのほうは発信機です。可愛いでしょう?」
いや、可愛いけどこれ、わざわざ買ってきてくれたのかな?
「知人に頼んで作ってもらいました。材料さえあればすぐに作れるようです」
ぬいぐるみは僕のお気に入りです。と笑顔で言われてもどう反応すればいいのよ。
「持ち歩いてください。あるのとないのとでは、全然違いますから。」
そう言われたら頷くしかない。
二人はその後、淹れなおしたお茶を飲んで帰っていった。八橋さんはやっぱりマグカップを不思議そうに眺めていた。