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第二章

「では『祈祷』させていただきます」

 その日、駆除したのは、軽度のウイルスだった。呪符一枚で仕事は終わり、謝礼を受け取って、辞す。

 なんとなくペースを乱される気がして、霄悟とはあれ以来顔を合わせないようにしている。あの四人の中に入っていくのは、自分ではない気がした。『家』の期待を背負って、父のしたことを追いかけていくのが自分の仕事だった。だから、慣れ合いは必要ない。誰かと一緒にいなくてもいい。

 けれど、あの寺から学校に行き、霄悟と別れて授業を終えて帰った自分の部屋は、妙にがらんとして見えた。引っ越したばかりだから、ものが少ないのもあるが、元々ものを増やすのは好きではない。それなのに、この奇妙な寂しさはなんだ。気を紛わせようとスーパーに行こうとして、カイに会ったら嫌だと思い、コンビニでおにぎりをふたつ買った。

 仕事も順調にこなしている。分家からの圧力も慣れている。『ここ』での仕事が終われば、元の場所に戻る。それまでの小さな隙間。あんなことがあったからペースを乱されたのだと、掴まれた手を振り払わなかった自分を今更責めた。

 そんなことを思いつつ、電車を降りて、アパートに向かい歩いていると、見覚えのある色素の薄い髪が見えた。玄だ。しかも法衣姿なので、紅と同じく仕事帰りだろう。顔を合わせたら嫌だと思って、わざと顔を背けたのに、玄はじっとこちらを睨んでくる。やめてくれ。そう思って通り過ぎようとすると、ぐいっと腕を掴まれた。

「すみませんが、善如寺まで連れて行ってもらえませんか。私はそこの住職の善如寺玄です」

 突然の言葉に、紅は「ハア?!」と声を上げた。誰だこいつ。こんな下手な態度を取る男だったか、この男は。

 その紅の声に聞き覚えがあったのか、玄は眉を顰めて、じっと顔を近づけてくる。「ちょ! 近い近い近い!」 紅が叫ぶと、やっと玄は顔を離した。

「なんだ、お前か」

 途端にふてぶてしくなった態度に、紅がむかついて「何が『お前か』なんだ!」と声を上げれば、玄はあらぬ方を見て、「コンタクトを落とした」と一言言った。




 玄の話によれば、月参りの家家を回っていたのはいいが、最後の家で、まだ幼いその家の孫息子が思いっきり玄にぶつかってきたらしい。玄はそのときにコンタクトレンズを落とし、その家の者と一緒になって探したものの、結局見つかったレンズはふたつとも破け、使いものにならなくなっていた。寺まで送るという檀家の言葉を断って、帰宅しようとしたのはいいものの、予想以上に周りが見えず、迷子になった。そこに人影が現れたので助けを求めれば、紅だったという顛末だ。

「最初から送ってもらえば済んだ話じゃないの」

 前が見えないという玄の手を引いて歩きながら、紅はぶつぶつと言った。

「馬鹿。仮にも俺は住職だぞ。檀家相手にそんなみっともない真似ができるか」

「迷子になって道行く学生に助けを求めるほうが、ずっと恥ずかしい」

 紅は言いきると、玄を導きながら善如寺の階段を上った。ここで玄が足を踏み外して落下したら、紅も道連れだ。それこそ恥ずかしい。紅は慎重に階段を上った。

 僧坊まで辿りつくと、玄が差し出した鍵で扉を開け、玄が滑らないようにたたきで草履を脱がせる。洗面所まで連れて行けと図々しく言うので、連れていくと、玄は手探りで洗面所を漁って、眼鏡を取りだした。それをかけてやっと目の焦点が合ったらしい玄は、紅を見下ろして、「御苦労」と言った。とても労っているように見えない顔である。

「あー。じゃあ、私、帰るから」

「おい」

「まだなんかあんの」

 さっさと出ていこうとした紅を、玄が引きとめる。玄は「茶ぐらい飲んでいけ」と言ってキッチンに入った。しぶしぶ、玄のあとを付いていく。すると、キッチンがひどい有様になっていた。シンクには食器が積み上がり、コンロの上には焦げ跡のついたフライパンなど。居間を見れば、衣服が散らばっている。

「……なにこの惨状」

 思わず紅が呟くと、「いつもこんなもんだ」と玄は飄々と言ってみせた。

「カイが細々と世話をしに来るが、あいつが二日来ないとこんなもんだな」

「なんという……」

 湯を沸かすぐらいはするのか、玄はさっさと湯を沸かして、お茶を淹れている。ちなみにティーバッグだ。カイはちゃんとした茶葉で淹れていた。

「おい。甘いもん、食えるか」

「……それなりに」

「なら、持て」

 そう言って厨子棚から出した菓子箱を差しだされる。それを持つと、玄は湯のみをふたつ持って、居間を通り過ぎて縁側に出た。まだ日は高いので、少し遅いお八つ時といった風情だ。

「……霄悟は」

 ずずっとお茶を啜りながら聞くと、さっさと煙草を取りだした玄は「知らん」と答えた。

「高校生の男なら、世話を焼かれるほうがいやだろう。俺も口出しは面倒臭え。勝手にやってろってな」

「ふうん」

 檀家からのお裾わけなのか、出された饅頭はいい餡と生地が使ってあり、美味しかった。お茶もティーバッグなので、そうそうまずくなりようがない。なんとなく嫌な沈黙が降りた。

「お前、煙草の煙、嫌がらねえな」

 その沈黙を嫌がるように、玄が言った。

「そう?」

 紅は庭を見たままで返す。

「ショウゴはガキの頃から俺も螢明も……俺の父親も吸ってたから、気になんねえんだろうが、お前らの年なら、嫌がるだろう」

「幹部会で分家のオヤジどもが散々吸うからね」

 紅が答えると、玄は「そうか」と言って煙草をもみ消した。紅はそれを横目に見る。

「お前は何歳で家督を継いだ」

「十歳」

「そりゃあ、年季も入るな」

「まあね」

 それから、玄はやっと切り出した。

「ここに来たのは『あいつ』のせいか」

「そうなる」

 紅はこの圏まで、あるクラッカーを追ってやってきた。クラッカー登録番号はNN505。通称は――。

「『四罪』」

 玄が言った。紅も頷く。

「高度な技術を持つクラッカーになるほど、宗教を意識して名乗る。『四罪』という名の語原を知る人は、神仏関係者か、クラッカーの一部くらいだと思う」

「そうだな。実際に腕もいい」

「ねえ」

 紅は玄を見た。玄も紅を見ている。

「私はクラッカーを狩る権利を所有した陰陽師。あなたは?」

「はっ」

 玄は息を吐き、次の煙草に火を付けた。

「クラッカー狩りの住職が月参りなんかするかよ」

 玄の言葉に、「……そう」と紅が頷いたとき、庭の向こうから「ああーー!!」と大きな声が聞こえてきた。

「饅頭!! 俺の分は!!」

 霄悟だった。「煩ぇぞ!」 玄が隣で怒鳴り、霄悟は饅頭を目指して、ものすごい勢いで庭を駆けた。




 のちに第二西暦元年とされる彼の誕生日を持つ一人の天才プログラマーの出現によって、第一西暦は終焉を迎えた。プログラマーの名は『ヨシュア』。彼を名付けた母親の名前は『マリア』であった。

 ヨシュアは以前から開発が進んでいた人工知能の技術を別の観点から使った。人工知能自体を人間の脳に移植し、人間の脳のキャパシティを上げ、更には人間の脳を『コンピュータ』化する技術だ。勿論、その技術は様々な波紋を呼び、人道面、医療面、多岐に渡る議論が行われたが、それがどういう結果となったかは『第二西暦』という名を冠した現在の年号から押して測るべしである。

 脳自体がコンピュータ化し、ネットワークに繋がったことから、脳自体へのサイバー攻撃が可能になり、また、徐々に宗教観が変わっていった。ネットを介して脳に攻撃を仕掛けるものは、『悪霊』と呼ばれたり、『悪魔』と呼ばれるようになった。第二のキリストの出現により世界は崩れ、また再構築された。世界を構築するものは偶像の『神』ではなく、コンピュータという絶対的な『神』であり、それを侵すものは『悪霊』や『悪魔』。そしてそれを『狩る』もの。バスターである。

 バスターはそのウィルスを多くの人が宗教と結び付けて呼ぶことから、やがて『宗教関係者』と呼ばれるようになり、そのバスターたちも自分たちの記号として『宗教関係者』という呼称を受け入れた。宗教関係者はクラッカーを『狩る』権利を世界政府から貸与され、また『狩る』実力がなくなった、もしくは死亡した際に権利を返還する。

 クラッカーの犯罪は軽度から重度のものまで、様々なものがある。私怨でクラッキングを学び、対象を『呪い殺した』例も多々あり、または軽度の悪戯目的のクラッカーも存在する。クラッカーから被害者を救出するには、ウイルス駆除のパッチが開発されるか、クラッカー自身からウイルスのデータを引き出すか、どちらかの方法しかないが、新しいウイルスが次々に開発されていく現在の状況では、犯行を行ったクラッカー自体を『狩る』ことが手っ取り早い対処方法である。

 勿論、『宗教関係者』は第二西暦前の『宗教』が行っていたような『儀式』―例えば結婚式や葬儀など―も行うが、広義の意味での『宗教関係者』以外の一般人は元々の『宗教』を忘れ去ってしまった。偶像としての『神』の概念を理解できなくなった。

 紅も『神』の概念が理解できない。『神』とは何ぞや。そう問われれば、『わからない』の一言しか返せない。ただ、これだけは言える。

 世界に神など存在しない。




 『四罪』は一年ほど前から台頭してきたクラッカーのグループである。構成メンバーの圏籍も人数も知れないが、『四罪』は中国神話に登場する悪神たちの総称である。共工きょうこう驩兜かんとうこん三苗さんびょうの四神が上げられる。『四罪』の神は『四凶』と同一とされることもあるが、『四凶』は書経と左伝に分かれ、左伝のほうが有名であるので、敢えて『四罪』を名乗るのだろう。

 『共工』は人面蛇身に朱色の髪を持つと描写される姿を持ち、洪水を起こす水神とされている。ジョカの時代から時代を超えて何度も現れる悪神であり、それが描かれた背景には政治的な側面もあるのではとされている。

 『驩兜』『鯀』『三苗』の三体に関しては、現存する詳しい資料をまだ発見できていない。

 また、なぜこのクラッカーが『四罪』を名乗るのかはわかっていない。しかし、手口が非常に周到で悪質であるのは宗教関係者の中では周知の事実だ。『四罪』の犯行と判明しているものの中で、三件がメインマシンに『四罪』のウイルスの侵入を確認され、被害者は現在も昏睡状態に陥っている。それ以外にも、実証実験がてら十数件から数十件の事件を起こしているのだろうというのは、紅の私見である。

 『四罪』と名乗るのだからか、やはり中華圏での犯行が多く、紅は実際に中華圏まで来たが、紅がこちらに来てから『四罪』が行ったと思われるものは軽度の『呪い』であり、『四罪』に手は届いていない。

 今日もただの『呪い』だった被害者を払って、紅は帰路に着いた。日本文化圏の陰陽師である京田の存在がこちらでも使えるのは、昔から培ってきた『京田』のネットワークありきと言えるが、『四罪』の件から中華圏に渡った宗教関係者は『京田』だけではないと思われる。確認はしていないが安部や賀茂辺りも偵察程度は送っているだろうし、EU辺りからの視察もあると思われる。しかし、当主自身が出てきているのは、恐らく自分くらいだ。

 使えないのだと、紅は嘆息した。分家の連中は内部で権力争いばかりしていて、仕事には向かない。広報面と軽度の祓いくらいは任せておけるが、重度のものを扱えるのは、京田の中では紅くらいだろう。紅も、自身のことに精一杯で、誰かに助けを求めたり、教育をしたりすることができなかった背景がある。それなので、あまり強いことは言えないのだが、もう少し役だってくれてもと思うのは仕事帰りだからだろう。

 紅が選んだこの街は、星がよく見える。本家の『本屋』もそういう場所にあったので、空を見上げるのは好きだった。善如寺辺りは高度が高いし、街の明かりに邪魔されずによく星が見えるかもしれない。これから行ってみようか。そう思い、善如寺に足を向ける。別に、霄悟や玄に会わなくていい、境内で星を観測するのは、参拝者の自由だろう。

 などと思いつつ、善如寺まで来た。善如寺の前には小さな駐車場のようなものがあるが、そこに車などが止まっていたところは、紅は今のところ見たことがなかった。しかし、今日は車―それも軽トラだ―が一台停まっている。誰か、他に参拝者がいるのだろうか。それならやめようかと、例の苦行の石段を見上げると、そこから人影が降りてきた。

「紅ちゃんじゃなーい」

 軽い口調で言ったのは、紗仍だった。

「どったの。シズカ? ショウゴ?」

「あ、いえ……」

「こんな時間に来るなんて、あの二人とそんな仲になったの? 妬けるねえ。でも、どっちか、邪魔じゃね? お互いに気を利かせて出ていくタイプじゃねーし」

「紗仍さん!」

 どんどん進んでいく誤解に、紅は遮って声を上げた。紗仍はハハっと笑い声を上げる。

「冗談よ、冗談。でもこんな時間に、ほんと、どったの?」

「……星を観に」

 確かに聞かれても仕方のない質問に、紅が顔を背けていやいや答えると、「星?」と紗仍は繰り返した。

「天体観測が趣味なの、紅ちゃん。確かにあそこは暗いから、天体観測にはいいかもな」

 紗仍は笑いながら言い、「でも」と付け足した。

「紅ちゃんみたいな女の子が一人であんな暗い場所にいたら危ないでしょ。俺がもっといい場所に連れてってやるよ」

「いや、そっちのほうが危ないのでは」

 思わず紅が言うと、紗仍は「よくわかってんね」と言って紅の頭をぐりぐりと撫でた。

「お兄さんは危ないお兄さんじゃないから、安心しなさい。大体、軽トラデートなんてロマンの欠片もないじゃん」

 やっぱりあの軽トラは紗仍のものなのかと思いつつ、紅は導かれるままに軽トラの助手席に座らされた。煙草の匂いが染みついて、埃っぽい。紗仍は運転席に座ると、軽自動車特有の軽い音のエンジンをふかして、アクセルを踏んだ。私、行くなんて、一言も行ってない。紅は思った。




 連れてこられたのは、夜の海だった。半月が海に反射して、蜂蜜色をしている。月が明るいせいで星はあまり見えなかったが、十分にきれいな空だった。

「ほい」

 紅が防波堤に座って空を見ている間に買ったのか、コーヒーを渡される。「辛党みたいだから、ブラック買ったけど、よかった?」 「はい。ありがとうございます」 紅は返事して、缶を受け取る。かしゅんとプルトップを上げる。缶コーヒー特有の酸っぱさと苦みが口の中に広がった。

「空が好きなの?」

「はい」

「なんでか聞いても?」

「いいですよ。私は地元では、普段は街中の『本家』に住んでるんですけど、昔から京田の家に伝わった家が山中にあって。『本屋』ってそれを身内で呼ぶんですが、そこが星とか、空がとてもきれいに見えるんです。ここを活動拠点に選んだのも、交通の便が悪くないのと、そこそこに田舎だったから。地元で『本家』に縛られてるときより、空が見えるかと思って」

 そこまで喋って、喋りすぎだと思ったけれど、言ってしまったものは戻らなかった。紅は沈黙した。黙ってコーヒーを飲む。『本屋』は父がよく連れて行ってくれて、そこで様々な遊びを教わった。母がお弁当を作って持ってきてくれて、三人でそれを食べた。幸せな空間だった。

「紅ちゃんは『今』でも縛られてるって思ってるの?」

「今ですか?」

 紅が横に立っている紗仍を見て聞くと、「そ」と紗仍は返した。

「ここまで来た『今』」

「……そうですね」

 ここにいる『今』。たった少しの隙間。隙間だから。

「自由かもしれませんね。あんな馬鹿騒ぎの中でお酒を飲むなんて、初めてでしたし」

「そりゃ、よかった」

 紗仍が言ったので、紅は「ありがとうございます、紗仍さん」ともう一度お礼を言った。すると紗仍は困ったような顔になって、「下の名前で呼ぶの止めてくんねえかな」と言った。

「『紗仍』って女みたいな名前で、正直、恥ずかしいんだわ」

 体格もいい大人の男がむず痒そうに言うので、紅は思わず笑ってしまった。




 ほいっと弁当箱を差しだされたのは、購買に行こうと席を立った瞬間だった。

「カイちゃんから。カイちゃんは週に二回、俺に弁当作ってくれんの。紅にも持っていけって」

「あ、ありがと……」

 紅は恐縮しつつ、弁当箱を受け取った。霄悟の弁当箱の半分以下の大きさである。つまり、一般的な弁当箱より霄悟の弁当箱は半分以上大きいということになる。

「昨日、シノと海に行ったんだって?」

「あ、うん」

 『シノ』というのは、紗仍のあだ名である。紗仍は自分の名前を呼ばれるのを嫌って、『篠崎』か『シノ』と呼ばせているらしい。カイだけは例外で『紗仍』と呼んでいるらしいが。

「カイちゃんが心配してたよ。『紗仍は手が早いから紅さんに気を付けるように言っておいてください』って」

「手が早いって……」

 あの人は女子高生は守備範囲内なのか? 紅は疑問に思いつつ、弁当のふたを開けた。霄悟もここで食べるようである。紅の前の席の生徒に席を借りていいか聞いて、椅子に腰かけた。弁当はバランスよく作られていて、カイが女の人だったら、良妻賢母なのになあと思った。ややおしつけがましいが。

「シノは遊び人だぜ? そこら中に女作って遊んでるし、その割に一人に決めないし、でもまたその割に恨まれないし」

「そうなの……」

 昨日、名前で呼ばれて恥ずかしいと言った男とは同じ人物とは思えなかった。「でもシノさんはいい人だよ」 紅は思わず言っていた。「そーだよ」 霄悟はなんでもないように答えた。

「シノはいい奴。だから女を一人に決めないし、だから恨まれない。シノがいい奴ってみんな知ってるから、誰もシノの『イチバン』になりたがらねーの」

「それって、……寂しくない?」

 紅が聞くと、おにぎりを頬張っていた霄悟は、ごくんとそれを飲み込んでから言った。

「寂しくても、それがシノの性分なら、シノの勝手だしな。別にいいんじゃね?」

 霄悟って、結構ドライなんだなと、紅もおにぎりを頬張りながら思った。




 霄悟は紅が食べ終わるまで待っていてくれて、弁当箱を回収すると、今度また善如寺に来るように言って、教室から去っていった。紅と霄悟の奇妙な組み合わせは物珍しかったらしく、周りからじろじろと見られたが、紅は気にしなかった。

『紅』

 本家の式から通信が入る。

『わかってる』

 紅は式神に答えた。




 柏はもう存在を知られているので、らいという虎型の式を左へ。普段は黎を脇に控えさせて、騎乗もできるようにしているが、今はそれはできない。イツという柏より少し体格がちいさめの狼型の黒い毛並みの式を右から回す。左手には抜刀していない日本刀。呪符は今は必要ないので、リアライズしていない。二体の式の視界を確認しながら、動きをコントロールする。周辺の地図は既にマシンにインプットしてある。上。紅は刀を引き抜いて振りかかってきた『もの』を払った。ひゅんと風が鳴る音がして、棒状のものが飛んでくる。ヌンチャク、いや、棍か。カンカンとそれを弾き飛ばし、一歩踏み込んで刀を振る。棍の持ち主は紅の頭上を越えて跳躍し、紅は振り向きざまにざっと刀を払った。「っと!」 聞こえた声に、やはりと思い、「柏!」、式を呼び出した。リアライズされた式はその人物の後ろから襲いかかり、振り向いて防御を取ろうとした人物をそのまま引き倒した。しっかりと肩と足を押さえて、動けないようにしている。

「……霄悟」

 柏に引き倒された男を見て、紅は言った。霄悟が若干笑いながら紅を見上げる。

「それに、カイさん、シノさん、玄さん」

 二体の獣に追い立てられるようにこの路地に引き込まれた三人を見る。カイは太刀を持っており、紗仍は戟―槍の一種―を肩にかけている。玄はリボルバー式の拳銃を一丁持っていた。紅のマシンが解析をする。全て、本物ではない。『リアライズ』されたクラッカー討伐用サブマシンである。

「バスター権限を持って発令します。あなたたちがしていることは、違法行為であり、また、それらのサブマシンの保持も違法となります」

 クラッカーを『狩る』ということが実際にどういうことなのかと言えば、クラッカー自身のメインマシンに『ハッキング』をバスターが行い、そこから情報の抽出や意識の混濁、体の自由を奪うことである。ネット経由という手もあるが、それはよっぽどの愚図に対してか、ネットを使ったハッキングに長けたバスターにしか行えない。一番手っ取り早いのは、クラッカー自身のメインマシンに、バスターが直接サブマシンで『ハッキンング』を行うという方法だ。紅が『祓い』とする行為は、侵入したウイルスをサブマシンで『ハッキング』し、駆除するというものだ。

 その『ハッキング』をするためのサブマシンは世界政府からの『貸与』となる。バスターの権利をなくすということは、『ハッキング』用のサブマシンを返すということになる。紅は『ハッキング』用のサブマシンを世界政府から五体貸与されている。三体は式に使った。一体は『祓い』用の呪符。最後の一体がクラッカーのメインマシンに『ハッキング』を仕掛けるためのこの日本刀だ。

 四人が持っている武器も、『ハッキング』用のサブマシンには違いない。しかし、これらは世界政府から『認可』されていない。つまり彼らは――

「不認可バスターの『狩り』も私たち認可バスターの仕事です。こちらには一人、人質がいます。私がこの男に『ハッキング』を仕掛ける前に投降を示しなさい。警察への連絡はすませてあります」

「いやだなあ。紅さん」

 言いきった紅に、カイが笑いながら言った。後ろにいる二体の肉食獣にも気後れした様子がない。

「警察に連絡なんかしてないんですよね? じゃなかったら、なんで『偽の情報を流した』んです?」

「あなたたちだという確証がなかったから」

「『僕ら』だったら許してくれるんですか?」

「許しません。それが私の仕事です」

「嫌だなあ」

 カイはにこにこと笑っている。「もういい」 玄が言った。

「情報が偽だったのなら、ここにいる意味がない。その女にもだ」

 冷たい瞳。最初からこうだったらよかったのにね。紅は思い、日本刀を振り上げる。カンと霄悟の頭に付きつけた。

「待ちなさい」

「待たない」

 そう言い、玄は銃をこちらに向けた。咄嗟に構えて、弾丸を刀の平で受け流す。なるほど、降参する気はないということか。紅は笑った。

「ライ! イツ!」

 式の名を呼べば、それだけで二体の獣は三人に襲いかかる。霄悟は柏に抑えられたままだ。カイと紗仍は短中距離、唯一長距離攻撃が可能なのが玄だ。たんとつま先で地面を蹴って銃弾をかわす。拳銃は長距離攻撃ができるものの、銃弾をリアライズさせるのに、個人差はあるが時間がかかる。多くて六発。最初の一発を外したので、紅の相手ではない。足を捻らないように横に跳躍し、壁を蹴って玄の頭上から刀を振り下ろす。玄は銃で頭をかばった。これで銃弾が残っていようと、もう打てないだろう。流石に不認可で『ハッキング』用サブマシンを二体持っていることはない。このサブマシンは非常に高価なのだ。メインマシンの中では元々霄悟を押さえていた柏も、黎も軼も、カイと紗仍を捕縛したことがわかる。

「……流石に、京田の『秘蔵っ子』だな」

 玄の言葉に、紅は「残念です」と言って警察に連絡を入れようとした、そのとき。

 パン。

 銃声が響いた。足に一瞬何かが掠ったと思った瞬間、じゅっと熱くなる。「っ!」 紅は体勢を崩した。突然の痛みにメインマシン自体が揺らぎ、他のサブマシンにも影響が出る。式が一瞬揺らいだ。その瞬間に、他の三人は式の捕縛から抜け出てしまった。

「そんな旧時代のものを……どこから……」

 足から血が流れ出ている。これはホンモノだ。地面に膝をついた紅は思った。リアライズされたものではなく、『本物』の拳銃。玄はそれを左手に構えていた。そしてもう一度、リアライズされた銃を紅の頭に当てる。もう銃弾の補填は終わっているだろう。

「形勢逆転だな、オヒメサマ」

 パン。

 その音を最後に、紅の意識は途切れた。


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