その一『塩まじない』一組/香坂恭子
え? 最初が私? あんまり怖い話でもないよ、幽霊も出て来ないし。
私の隣の家に…名前は伏せておくけど、Aちゃんって子が住んでるんだ。同い年で、幼稚園までは一緒だった。明るくて人懐っこい子で、今でもたまに家を行き来するんだ。Aちゃんはいわゆるお嬢様で、小学校から私立を受験して別々の学校になってしまったけど。でも、気さくに私とも接してくれたの。
Aちゃんとはよくお人形遊びとかしたなぁ。だんだん大きくなると、お互いの髪に綺麗な色のゴムを結び合ったり、紅茶を飲みながら好きな芸能人の話をしたり。
Aちゃんね、女の子らしい子だったの。ファンシー小物とかよく集めてたし、部屋は白やピンクでとっても可愛いんだ。服もお洒落で、レースとかあしらった綺麗めの格好とか好きだったな。そんな子だったから、当然のようにおまじないとか占いとか好きだった。
塩まじないって知ってる? Aちゃんに教えてもらったんだけど、願いが叶うおまじないなんだよ。やり方は簡単。まず紙に悩みや困り事を書いて、塩を一つまみ包んで、燃やすんだ。そして燃えカスを水に流す。トイレに流す事が多いみたいだね。ネットでも調べたんだけど、紙は特に色や大きさ、材質も関係なし。ただし、トイレに流す事が多いからトイレットペーパーや水に溶けるティッシュが良いみたい。ペンの色とかインクの種類も設定なし。書ければそれで良いみたい。あと、おまじないする曜日とか何日が良いとか、時間も指定なし。いつでも好きな時にやって良いみたい。あとは、燃やせない場合は無理に燃やさなくてもある程度の効果はあるみたいだよ。
ネットでは、これに『金欠』って書いたらスーパーのくじ引きで商品券が当たって生活費の足しになっただの、イジメて来る人の名前を書いたら転校してくれただの、願いが叶うと言うより、悩み事や困り事を解決してくれるおまじないみたい。塩で浄化、燃やす事で悩みを消し去る、水に流す事でそれに別れを告げる、って意味があるんだって。こう言うまじない関係だと当然、女の子は恋愛関係の悩みを書いたりする訳だけど、好きな人の名前を書いてしまうとその人とは結ばれなくなってしまうから、少し強引に『〇〇君が振り向いてくれない』とか『別れた彼氏と復縁できない』とか書くらしいよ。
あとこのおまじないには斜め上ってのがあるんだって。例えば『痩せない』と書くと病気になって食欲が湧かずに痩せてしまうとか、『金欠』って書くとケガをして保険金が降りるとか、『イジメ』って書くと職場をリストラされてイジメから解放される、とかね。要するに悩み事とは縁をきれるけど、自分も何らかのダメージを受けるって事ね。だからネット民には『健康的に痩せない』とか『宝くじが当たらない』とか『イジメて来る〇〇が職場に来る事』とか回りくどい書き方を勧めてくる人達もいるくらい。
Aちゃんも、この塩まじないを知ってからはハマったみたい。
Aちゃんのクラスに困った人がいたんだって。仮にBさんとしておくね。Bさんは周りの人をやたらとバカにしていて、クラスに馴染もうとせず、一人で黙々と漫画を描いてはネット販売をしているような人だった。Aちゃんも漫画とかイラストとか好きで、たまに書いてはクラスの子達や私に見せてたんだけど、Bさんがある日、Aちゃんの描いたイラストを皆が見ている前で破いてしまったんだって。何でも、Bさんはクラスメイトにはバカにして漫画を見せないのにAちゃんは皆に見せているから、Bさんは散々下手くそだのキモいだのわざと聞こえるように陰口を叩かれていたんだって。その八つ当たりみたいな感じだと思う。BさんはAちゃんのイラストを破いた後、何も言わずに自分の席に戻った。それからは誰もBさんには近寄らなかったし、聞こえよがしの陰口も言わなくなった。
イジメみたいな事を受けていたとは言え、Aちゃんに取っては相当ショックだったみたい。クラスメイトの仲良しグループを可愛くデフォルトしたイラストを描いただけ。Aちゃんは自分の方が上手いとも、Bさんがキモいとも言ってないって言っていたし、イジメには加担してないのにって。で、知ったばかりの塩まじないをその火の夜、試した。
次の日、Bさんは普通に登校して来て、何事もなかったように過ごしていた。他のクラスメイトもBさんを避けていた。でも、その翌日、Bさんは学校を休んだ。翌日もその翌日もBさんは休み続け、週が明けてようやく登校したBさんはかなりやつれて顔色も悪かった。
Aちゃんはそれを見て塩まじないの効果を確信したの。そして、何か困り事がある度に塩まじないをした。でも、Bさん以降は効果は出なかった。当然だよね。ネット上に拡散してる単なる噂だもん。それでもAちゃんは色々と調べて回って、願いを叶えようとした。
え? 何の願いかって? 中学生女子の叶えたい願いなんて大抵は色恋沙汰でしょうが、このメンバーは私を筆頭にそんなの興味なさげだから実感ないだろうけど。まぁ、とにかく、Aちゃんは塾で好きな男子が居たの。普通の公立中学に通ってる頭が良くて背が高くてイケメンで、絵に描いたような王子様タイプの子だってさ。仮にC君としとくわ。
AちゃんはC君に本当に夢中だった。いつも隣の席に座って、自分が苦手な理科を聞いたり、逆にAちゃんが得意な社会をアドバイスしてあげたり。それでも休憩時間になると、C君は他の男子と話したりする訳よ、Aちゃんをほっといて。C君にとっては単に理科を教えてあげる代わりに社会を教えてくれるだけの人だったんだよね。
そんな恋を叶えたくて、でも告って振られるのが怖くて、Aちゃんは『C君が私に振り向いてくれない』とか塩まじないしてた。そして、一週間続けても効果はなく、方法を変えてみた。掲示板で恋愛にはピンクの紙が良いと見付ければ百均てピンクの便箋を買って来て塩まじない。赤いインクが強い霊力を宿すと見付ければ赤いボールペンを百均に買いに走った。塩は天然の岩塩、それもヨーロッパ産が良いと見付ければ輸入雑貨店に行き、おフランスから取り寄せたと言う怪しい塩を大量購入。夜中の一時が効果が高まると聞けば無理して夜更かし。燃やすのはライターよりもマッチが…以下略。めんどい。
だが、一月やり続けても効果は出なかった。小学校入学組で受験勉強もしなかったAちゃんだから、睡眠時間削って煙りまみれのお部屋で…こんなん一月も続けたら当たり前に体壊すわ。久し振りに家の前で会ったAちゃんは体が一回り細くなり、髪はバサバサ、目の下には隈があるわ肌は荒れてるわで一瞬別人に見えた。人懐っこく『恭ちゃん、おはよう』なんて可愛い声で言ってたのに、何を言ってるか分からないけど、暗い声でぼそぼそって。私、心配で、その日は部活も伯母が来るとか嘘ついてサボる事にして、Aちゃんに学校が終わったら話でもしようって誘ったんだ。Aちゃんも塾のない日で快諾してくれて、で、その日の夕方、塩まじないについてとか、BさんやC君の事を聞いた。
驚いたよ。だって、あの女の子らしいAちゃんがオカルトじみた趣味を、だよ? 部屋に紅茶とカントリーマアムを運んで来たお母さんもかなり心配そうだった。部屋も凄い芳香剤の匂いでむせそうでさ。何でも掃除に入ったお母さんが煙の臭いがしたとか言ったらしくて、匂いのきつい奴を三つも置いてるの。帰り際にお母さんから、
「何か変わった事は言ってなかった?」
とか訊かれたしね。
「何か痩せたような気がしましたが、勉強疲れじゃないですか? 特に何も聞いてないです」
って言っといたけどね。まさかAちゃんはオカルトにはまって気がふれてます、なんて言えないでしょ。
その翌日、終業式の日の夜、厳密には日付を跨いでたから夏休み初日の未明か。Aちゃんはボヤ騒ぎを起こした。部屋で塩まじないに使う便箋を燃やしている時にカーペットに引火して床の一部が焦げただけで、Aちゃんの悲鳴を聞きつけたお母さんとお父さんが火を消してそれで済んだけど。とは言え、煙を吸い込んでぐったりしていたAちゃんは救急車で運ばれ、数日入院するはめに。更に運ばれた日のお昼にはトイレの水道管が破損。大量の紙の燃えカスが詰まり、錆びたためだって。原因は水に溶ける紙を使わなかった事と塩で水道管が錆びたため。
私はAちゃんのお母さんにAちゃんが塩まじないにはまっていた事を話して、何も聞いてないって嘘をついた事を謝った。
「良いよ、恭ちゃんのせいじゃないよ。色々と教えてくれてありがとうね」
お母さんにそう言ってもらえたのが唯一の救いかな。
そして昨日、Aちゃんは退院して、
「迷惑かけてごめんね。親とも話して、もうオカルトには手を出さないって約束した。冷静になって考えたらC君の事もどうでも良くなった。夏休みはどっか行ったりして遊ぼうね」
って言ってくれた。これで良かったと思う。
ちなみに彼女には私が『Aちゃんが塩まじないにはまっている事』と書いて塩まじないした事を黙っているし、話す気にもなれない。