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ランナーズ・ハイ  作者: 灯月公夜
第二章 中傷
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07:「…………お前、最高だよ」

「それじゃ、早速明後日から頼むね、藤原くん」

 駅前のコンビニ店長である柏崎かしわざきが、そのひょろっちい見た目からは想像できない力強い声で言う。

「はい、お願いします」

 俺はそれに頭を下げ、同時に見えないところでニンマリと笑みを浮かべる。こうも簡単に話が運ぶとは、初めて瀬川に感謝しなくちゃならなくなったな。

 コネを持っているという瀬川の話は本当で、あいつの紹介だと店長に話をして、その後は何故か今やってるワールドカップの話をして(俺はサッカーはあんまり詳しくねえが、有名どころの選手はそれなりに知っていたのでそれで話を合わせた)、適当に店長をおだてて共感して首肯してやったらすぐに採用が決まった。正直言ってザルすぎる。だがまあ、今回はそのザル具合に感謝しねえとな。これで北条とヤルための足掛かりが出来た。

 俺は店長に頭を下げ、これからバイトがあるという瀬川と別れ一人で帰路に着く。九月とはいえ、まだまだ蒸し暑い。ただでさえこの船波ふなは町は海が近いから、蒸し暑さもひとしおだった。

 俺は目の前の駅に向かって軽く鼻歌を歌いながら向かう。そこそこ気分が良かった。

 午後七時を過ぎて、徐々に日が短くなった夕暮れの道を歩く。ひぐらしのもの悲しげでどこか懐かしい泣き声をバックに適当にハミングしていく。

 すると俺の前方に、今行ってるいる寿ことぶき高校の制服を着た女子生徒がいるのが見えた。そいつは明確な目的地がある迷いのない足どりで独りで歩いていた。


 見間違いようのないその存在感。学生鞄の他に少し大きめの手提げかばんを持ったその女は北条香織だった。


 その後ろ姿を見て、また真由姉の助言が思い起こされる。

『北条香織という一個人をすべて知り尽くしたいと思うほどに』

 そして俺は北条を付けることに決める。どうせなら家を突き止めてやる。昼間と違って本当の文字通りの意味での尾行で、ストーカー行為だ。

 タッタッタッとリズミカルに歩みを進めていく北条の後ろを着けて歩く。エレベーターに乗り、改札口を抜け、ホームへ降りる。どうやら北条は俺のうちとは反対方向らしい。しかもここらでは都市部の方だ。巷で百万以上稼いでいるだけあって、そこそこの金持ちらしい。

 俺は北条を視界に収められる程度の距離を取り佇む。七分ほどして電車が到着して、同じ車両の一番端と端になるように陣取る。北条はドアの傍に立ち外を眺めていた。その横顔は神秘的で同時に力強い。眺めているうちに俺もうっかり本気になりそうだった。

 ガタンゴトン。電車は景色を飛ばしてひた走る。ガタンゴトン。すでに一時間近く電車に揺られている。都市部に近づくにつれ人が多く乗ってきた。俺は北条を見失わないように端から真ん中の方へ移動して、なんとか視界の端に北条が見えるようにする。この程度の満員電車とか、東京の満員電車になれた俺にとってはどってことなかった。

 電車が停止し、北条が駅に降りる。傘井門かさいど駅。結局一時間以上かけて、県庁所在地付近の駅までやってきた。人工の規模も街の規模も船波町を大きく上回る街。ここまで来てしまえば、俺も何故北条がこんなところまでやってきたのか見当が付いてきた。

 俺はスマホに入れてる音楽を再生しながらなおも北条の背を追う。ここまで来たらもう当初の予定とは少し違うがかまやしない。もはや北条の家を突き止めるのは今夜は無理だろう。その代わり北条に『別のこと』を知ることになるに違いない。だがそう思っても俺の心境に何ら変化はない。むしろ超おもしれえ。なんとなく気まぐれでやり始めたストーカー行為が、まさかの展開を連れて来てくれるとは。思わず胸が躍った。

 北条は相も変わらず迷いのない足どりで歩いていた。手に持った少し大きな手提げかばんを構うそぶりも見せず、タッタッタッと歩き続ける。

 しばらく歩き続けた北条が百貨店に足を運ぶ。ここで待ち合わせか?俺はわくわくしながら後を追いかける。しかし予想とは裏腹に北条は女子トイレに入っていく。そのまま十分、二十分、一時間と時間が経つ。待ちながら俺のイライラのボルテージが上がる。腹でも下したのか?それとも生理か?女ってめんどくせえんだな。

 とりあえずその女子トイレが見えるところで見張っていたが、全然まったく出てくる気配のない北条に俺はマジ切れしそうだった。と、その時俺の脳裏が閃く。


 ――まさか、今ヤッてるんじゃねえのか?


 だとしたら女子トイレでやる野郎というのが不可解だが、一時間も出てこないとなるとそれぐらいしか考えられねえ。見逃しちまった!俺は慌ててそこから出て女子トイレに向かおうとした。

 そんな時、見計らったかのように一人の絶世の美女がトイレから現れた。体の綺麗なラインを見せ胸を控えめに強調しながらも、ゆったりとした上着を緩く着た美女。胸を強調しているのに下品さはなく、むしろ百合のように淑やかでなおかつ上品だった。思わず見惚れ、その次の瞬間俺は目を細めた。

 似てる。どことは言わねえが、あの女に似てる。全然違うようにしか見えねえのに、何かが引っ掛かる。

 後に思えばこの時俺はとんでもない過ちを犯していた。見惚れた直後考え込んでしまったがために、俺はその美女から隠れようとしていなかったのだ。だからその美女が俺の方へ真っ直ぐ向かってきたのを確認した時、らしくないほどドギマギしてしまった。

「まさかこんなとこまで付けて来てるとはね。今度こそストーカーで訴えたら勝てる気がする」

 その聞き覚えのある涼やかで力強い声音と毒のある言葉。しかし、メガネはない。だから俺は目を白黒させながら、その名を呼んだ。

「お前……北条、なのか?」

「ええそうよ。高額援交少女の北条香織さんよ」

 学校では一度も見たことがないような、上品かつ包容力のある笑みを浮かべる北条。それはあからさまに俺をからかっているのがわかって、しかし嫌味を微塵も感じられず、だからこそ逆に嫌味に感じられて俺の現実が戻ってくる。

「驚いた……女って化けるっつーが、ほんとだったんだな。化けたっつーか、もはや別の生き物だわ」

 俺の混じりっ気なしの本音を聞いた北条が呆れたようにため息を吐く。

「それを最初に言う?あんたやっぱり頭イカれてんじゃないの?」

「俺ほど自分に正直で、己のためにしか動かない人間はいないと思うがな」

「あらびっくり。自分がおかしい自覚はあるのね」

 メガネのない、薄く艶やかに品良く化粧が施された顔で、しかし名残のあるクールビューティーな冷たい顔で北条が言う。

 いやはや、コイツはマジですげえわ。マジ最高。おもしれえとかいう次元の話じゃねえ。マジ最高だよ、お前。マジで惚れそうだわ。

「これから『仕事』か?」

「ええ、『仕事』よ」

 俺の問いに、気負うことなく北条が答える。

「どうしてそんな恰好してんだ?」

「女子高生の服着てホテル入ったらもしかしてがあるじゃない。あたしのクライアントは『もしかして』があると困るのよ。あとは希望されたオプション」

「というと?」

「上品にしか見えない女がド淫乱で貪ってくるのが最高なんですって」

「なるほど、超わかる」

「まっ、そういうことよ」

 それだけ行って北条が踵を返す。

「じゃ、仕事の時間に遅れるから。これ以上付いて来てもあんたが虚しくなるだけよ」

 そのまま再び迷いのないタッタッタッという力強い歩みで北条は歩き始める。俺はその背をただ見送った。

 見えなくなった背を見つめて、俺はぽつりと呟いた。

「…………お前、最高だよ」

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