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ランナーズ・ハイ  作者: 灯月公夜
第一章 冷笑
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03:「だから二十万。それであたしの身体売ってあげる」

 クラスを軽く凍らせた自己紹介から、あっという間に三日経った。

 結論を言おう。この学校も大したことねえ。

 確かに勉強に優越感を感じる奴や、肩書を鼻にかける連中はほとんどいなくなった。だが、逆に人生をなんとなく過ごしている奴、理念も信念もねえ奴らが一気に増えた。

 正直に言って、うんざりする。

 なんでそんな風に生きられるのか、周りがそうだからそう生きるなんて意味の解らない生き方が出来るのか、俺にはまったく理解不能だった。

 俺は俺だ。他の誰でもない、唯一の俺だ。俺の考えは俺だけのものであり、俺の人生は俺が決める俺だけのものだ。

 こんな一斉に右倣えしかできねえ連中の中に、これ以上いたくねえ。いっそのことアメリカにでも行くのも良いかもしれえとすら思う。

 そんなことを思い、うんざりしながら教室のドアを開ける。制服はもうすでに適当だ。注意も受けたが、だからどうしたってんだよ。気に入らなければ退学させればいい。

 ここにいる理由も、真由姉の義理だけになっちまうのかな。

「お、大雅おはー」

 ドアを開けると、真っ先に瀬川に見つかる。

 フルネーム瀬川充せがわみつる。何でもバスケ部のエースで、次期キャプテン候補らしい。正直こんなのが主将で大丈夫かと思うが、まあ知ったことじゃない。

 性格はちゃらんぽらんで、女好きのスケベ野郎。これでもそこそこモテるのだから、女子高生の趣味というのはよくわからん。スケベを大目に見れば爽やかなスポーツマンだからだろうか。

 そんなこんなで、名前の通り高校生は充ちているようだ。人生に関してはまったく空っぽの木偶の坊だが。

「ああ」

 適当に挨拶を交わして席に座る。あー、くそつまんね。腕を着きながら胸中でごちる。そろそろ何か面白そうなこと始めるか。

 そんなことをぼんやりと考えていると、視界の隅に三日前から気になっている背中が映った。

 名前は知らない。俺が転入した時からすでに俺に微塵も興味を抱かず、黙々と勉強していた女だ。

 その女をここ三日観察して、いくつかわかったことがある。

 一つ、休み時間も基本的にいつも勉強しているということ。一心不乱、とでも言えるほど、どこか切実さが見え隠れしている。

 二つ、友達がいない。どころか、あからさまに周りから嫌われているように見受けられる。少なくとも、かなり遠巻きに、そして関わり合いたくないと思われているようだ。

 そして三つ。これがなによりも重要なことだが、胸が超デカい。

 俺はその女の背中を眇める。その背は、超然としていて、凄然としていた。明らかに瀬川なんかのバカと一線を画している。太い幹があり、それを貫いているのがわかる。

 端的に言って、そろそろ俺の我慢も限界に近い。あの女を知りたい。どんな価値観を持ち、それを貫いているのか。興味がある。

 そしていざ立ち上がろうとした瞬間、瀬川が話しかけてきた。

「なあ、大雅。昨日のドラマ観た?」

「見てない。じゃあな」

 うっとしい。死ぬほどウゼえ。

 しかし、そんな俺に構わず瀬川は構ってくる。

「相変わらずつれないなー。なに、誰かのとこ行くん? コクるの?」

「まあな。あの女のとこに」

 そう言ったらさっさと引くだろうと思って、俺は一心不乱に勉強しているあの女の背中を指さす。

 案の定、瀬川の動きが止まる。

「……ガチで?」

 瀬川が急に声を潜めて、大人しくなる。それが俺には少し気になった。

「なんで北条ほうじょうんとこに?」

 へえ、あいつの苗字って北条っていうのか。これは思いがけない収穫だな。

 俺は浮かせていた背を椅子に戻す。もう少しあの北条について情報を仕入れるか。

「あいつがどうかしたのか?」

 そう言うと、瀬川は不愉快そうに眉を少し顰めた。そして声を落として、内緒話の体を示す。

「あいつ、確かに顔は良いし胸デカいが、あいつは止めといた方が良い。マジそのつもりならやめとけって」

「あいつは何をしでかしたんだ?」

 そう聞くと、一瞬瀬川は口ごもる。しかし、さらに声を潜めながらその答えを口にする。

「あいつ、街中の親父掴まえてヤってんだわ」

 俺はその答えに、片眉を上げる。

「ヤってるって?」

「援交」

 瀬川が唾棄するようにそれを告げる。

 俺は改めて北条とかいう女の背中を眺める。

「あいつさ、うちの高校の上ともヤってるってもっぱらの噂でさ。だから見つかっても退学にさせられないんだって」

「ほう」

 そう相槌を打ちながら、俺は目を細めて北条を見る。

 あの女が援交を夜な夜なヤってる。

 禿げた脂ぎった親父に身体を売り、金銭を得ている。

 しかもこの高校の上層部ともヤってる、と。

 へえ。

「ちょ、どこ行くんだよ」

 俺はその制止を無視して、北条の席へ向かう。北条の前に立ち、勉強している姿を見下ろす。

 俺の存在に気付いた北条が、めんどくさそうに顔を上げる。

 俺は初めてその時、北条という女の顔をしっかりと見た。

 髪を後ろでポニーテールでまとめ、知性を感じるメガネをしている。確かに顔の造作はかなり良い。何もなければクールビューティーで通っていて間違い。あと胸がデカい。援交してるだけあって、仕草一つとっても高校生離れした色香が伺える。なるほど、これは顔にしろスタイルにしろ色香にしろ、世の男を虜にする要素を、若干十七歳にして十二分に備えている。

 しかし、そんな要素は俺にとってどうでも良かった。それよりも強く惹かれたものがある。

 その瞳だ。

「よう」

 俺は片手を挙げて挨拶する。しかし、北条はすでに勉強に戻っていた。

「何か用」

 素っ気ない、しかし涼やかな声がその口元から零れる。

 俺は零れそうになる笑みをかみ殺しながら口を開いた。

「お前、援交してるんだってな」

 北条のシャーペンが止まるまで、一瞬の間があった。関係のない瀬川が向こうで「なっ」という声を漏らす。俺の発言を聞いたところから、教室が徐々によそよそしくなっていく。

「だったらなんだっていうの?」

 そんな教室をまったく意に返さず、北条はシャーペンを走らせ続ける。

 俺は内心でニンマリとした笑みを浮かべた。

「お前を買いたい。いくらだ?」

 俺の声を聞いていたクラスの連中が、その一言で小さな声で騒ぎ始めた。

 北条がシャーペンを置く。そして、うっとうしそうに顔を上げ、俺を見上げた。

「正気なの?」

「ああ、クソ正気だ」俺はニヤリと笑う。「ダメか?」

 北条が俺を値踏みするように、頭から下をざっと流し見てくる。その不躾な視線が、いっそ気持ち良かった。

「あんた、経験は?」

「ねえな」

「そう」

 俺の即答に、小ばかにするでも呆れるでもなく、北条は口を開く。そのまま数秒黙考して、口を開いた。

「二十万」

「……は?」

「だから二十万。それであたしの身体売ってあげる」

 俺は北条の顔をまじまじと見つめ、その瞳を覗き見た。

 間違いない。この女は、正気で、真面目に、きちんと損得をつけて、その上で言っている。それは、俺が二十万を払ったら、本当に身体を売ることを意味していた。

 ついに笑みを堪えきれず、俺は噴き出す。

「流石に二十万は高けえわ」

「そうよ。あたしは高いの。そこら辺のバカ女と一緒にしないでくれる?」

「なるほどな!」

 俺は大声を上げて笑った。

「ちなみになんでその値段なんだ?」

 北条は事務的に、しかし血の通った声で返答する。

「ヘタクソな童貞を相手にするのよ。こっちが大して気持ちよくならないし、その上早い。もっと言えばイッパツじゃ済まないだろうし。だから、イッパツじゃなくて、丸一晩いくらでも相手してあげる」

「そりゃありがてえ!」

 唖然としているクラスの連中を無視して、俺は言う。

「だが、学生の俺に取っちゃあ、二十万は相当の大金だ。丸一晩と言えどな。当然、それ以外の相応のオプションはつくんだろうな?」

「……そうね」

 北条は俺から視線を逸らし、再びシャーペンを握る。

「最高の夜と、しばらくあたしの身体から逃げられないほどの快楽を。これでどう?」

「よしっ、買った!」

 俺は堪らず大声を上げる。しかし、俺とは対照的に北条はあくまでクールだった。

「そう。支払いはいつでもいいから、二十万貯まったら教えて」

「了解した」

 俺は笑みを抑えきれず、くつくつ笑いながら席に戻る。

 すでに視界と聴覚は、唖然となって騒ぎ始めたクラスメイトを捉えていない。

 大声で笑いださないのを抑えるのに必死だった。

「ククク」

 おもしれえ。クソおもしれえ。

 俺は北条の背中を見つめる。

 この高校に残る、確かで強烈な理由が出来た。






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