ギターが繋ぐ二人の手
「よし!今日もいい天気だ!」
ゴールデンウィークが終わった翌日に、大抵の人はかなりどんよりした気分でむかえるはずの朝を、その少女は小さな子供がクリスマスプレゼントをもらったような顔で晴れやかに玄関先で迎えていた。
「うーん!」
手を大きく上にあげ、つま先立ちをして、つまり伸びをしながら
「あいたっ!?」
そのまま前に倒れてコンクリートの地面に顔からダイブした。
痛くて動けなくなった少女を初夏の爽やかな風が優しくなでる。
「ん・・・今日はもうコケたから!もうコケなくていいんじゃないかな!」
かなりポジティブに考え、起き上がる。
「よしっ!じゃあ、今日も1日学校頑張ろっかな!」
改めて気合を入れ直して揚々と学校に向かおうとして
「あっ・・・」
生徒手帳を机の上に放りっぱなしであったことに気づいて今一度家に入るのであった。
「おはよー、アキ」
朝のHRに5分ほど余裕を持たせて学校に到着した、先ほど玄関先で一人コントをしていた少女、陽菜にクラスメイトが声をかける。
陽菜は3年2組の生徒であり、3月に高校受験を控える公立の中学生であった。
「おはよー」
片手をあげて挨拶に答える。
立ち止まることなく自分の席に向かい荷物を降ろす。
「おー、アキにしては続くねー」
「へへんだ。秋の文化祭にはすっごいの聞かせてあげるんだから!」
「アキだけに秋の文化祭?」
「別に上手くないし、聞き飽きた」
陽菜のツッコミに笑い声があがる。
置いた荷物の中にひとつ大きなものがある。アコギのケースだ。もちろん中身も入っている。
去年の文化祭で先輩のバンドがやってた演奏がとってもかっこよく見えてその時からアコギを買って、初めてギターというものに触れてそろそろ8ヶ月目である。部活ですら1ヶ月と続けれなかった陽菜には、そもそも何かを長く続けたという経験がすくない陽菜にはとても珍しいことであった。
本当はエレキギターが欲しかったのだけどあれを演ろうとすると色々揃えなければならず、高校生にすらなってない陽菜のお小遣いでは買うことができなかったのだ。
陽菜の練習時間と場所は放課後の学校である。使われていない第2音楽室を無断占拠し、練習場所としているのだ。家はアパートで楽器なんてできないし音楽教室などに通う気なんて更々ない。
今のところは誰にも迷惑をかけていない状況なので先生や他の生徒が放置しているのだが陽菜自身は誰にもバレていないと思っている。
そこで思いのままに好きな曲をコードで―アルペジオでは元来不器用な陽菜は半ば諦めている。性格的にもコードでジャカジャカやっている方が性に会うのだ―弾いて歌っている。
その日は梅雨時らしいどんよりした空でじめじめした、湿度が高くいつ雨が降ってもおかしくないような日であった。
いつもどおりコードでジャカジャカやってるとプツン、と音がして2弦が切れた。
「あー・・・どうしよ。私、自分で弦張り替えたことないんだけどなー」
見ると、他の弦も少しサビついていてそろそろ張り替えどき、というよりも少し遅いくらいであった。
「おっちゃんとこの楽器屋行ったのもけっこう前だしなー・・・」
実は近所のおじさんが楽器屋をやっていて、そこでアコギを安く買ったのである。その店主にギターのメンテをタダで頼むあたり、この少女なかなかいい性格をしている。
「今日、おっちゃんとこの楽器屋休みだしなー。なんで今日に限って・・・あー、そういえばこの前旅行に行くとか言ってて1週間くらい休みにするとか言ってた!なんでこのタイミングなのよ、あのおっさん!」
気のいいおっちゃんから気のきかないおっさんに格下げである。しかも今日までメンテに持って行かなかったのはただ陽菜が面倒がっただけであり自業自得なのだが陽菜にそんな反省はない。
「たしか替えの弦はあったはず・・・」
ケースをゴソゴソ探すとあるにはあったが、箱から興味本位で出してそのまま直さずごちゃごちゃに直していて・・・
「どれがどの弦だかわかんないー!それにこの器具なんだろ・・・」
黒色で取っ手がついたぐるぐる回る器具もあったが何に使うか陽菜にはわからない。
「あー・・・もう!とりあえず弦全部外してみよ!」
ピンを力ずくで抜こうとするあたり知識の少なさを露呈させているがそれを指摘する人はここにいない。露呈させる人物もいないのだが。
「ピンは・・・ピン抜きで抜いたほうが・・・楽」
誰もいないはずの第2音楽室に知らない声が陽菜に声をかける。
「あ、あなたわかるの?ちょっと手伝ってくれない!?」
いきなり現れた人物に物怖じすることなく手伝えと言う陽菜。
陽菜に忠告した人物は少し迷うような素振りを見せたが、陽菜がお願い!と手を掲げ頭を下げ拝み倒したら、こくりと頷いてくれた。
頷いた人物は陽菜が通っている中学の制服をまとった女の子だった。その女の子は陽菜の握っていたギターを受け取り器用にピンを抜いていく。
「ねえ、名前は?何年生?ギターの弦張り替えられるのなら趣味は音楽?」
「それは・・・出会い厨みたい」
「ぅ・・・」
陽菜が己の発言を反省し、押し黙る。
「3年5組の井出桃花。あなたは・・・3年2組の音無ヒナさん・・・?」
「あはは。よく間違われるんだけど私はアキナって読むんだよ」
話しながらでもギターの弦を変える手を止めない桃花。ありがたいのだが陽菜にはどうしても気になる点があった。
「ねぇ、なんでここで私がギター弾いてるってわかったの?」
「え・・・なんでって、毎日この部屋からギターの音が漏れて聞こえてたし・・・。この教室の近くを放課後に通る人なら皆知ってるよ?」
「えー!?」
誰にもバレていないと思っていた陽菜には驚きの事実である。いや、それよりも
「なんで毎日って知ってるの?ここって普通の教室からは遠いはずなんだけど・・・」
「この隣の空き教室で毎日本を読んでるの。他人もほとんど来ないし、あなたのギターがグラウンドからの喧騒をかき消すいいBGMになってるから」
「そう・・・なんだ」
少しだけ聞きに来てくれていることを期待した陽菜だったがあっさり打ち砕かれた。
「ねぇ、ギターの弦変えれるんならギターとか弾けたりしない?一緒にしようよ!」
「はい、終わったよ。音合わせくらい自分でしてね」
桃花は陽菜の言葉に取り合わずギターを渡すと第2音楽室から出ていこうとする。
「ねえってば!」
「私も、昔はバンド組んでたの。でも私のせいでバラバラなっちゃった。だからもうしないの」
少しけ寂しそうに笑って答えた。
「じゃあ、私にギター教えてよ!それで一緒にするかしないか決めて!」
「バンドが解散した理由がっ!・・・私が厳しかったから・・・なんだ。だからあなたも嫌になる。だからそれはしないほうがいい・・・」
「私は嫌にならない。あなたが教えてくれるならついていく」
陽菜は見ていた。弦を変える手つきに迷いがないこと。爪が短かったこと。左手の指先だけ豆が硬くなっていたこと。つまりまだギターを続けているのだ。
「そこまで言うなら・・・じゃあ1週間だけ・・・」
陽菜の押しに負けた形で桃花は了承するのだった。
それから1週間は桃花の特訓が続いた。桃花はギターを持たずに教えた。ほとんど口だけで時々指を抑えるのを手伝う程度だった。
それでも陽菜は格段に上手くなった実感ができるのだからよほど教え方が上手なのかよほど下手だったのだろう。
「よほど下手だったのよ」
とは桃花の言葉。
本人が言うとおりギターの教え方は厳しく途中で何度も弱音を吐きそうになったが、上手くなる実感を得ることで喜びに変わった。
期限の1週間の最後の日、桃花は自分のギターをもって現れた。
「今日が最後の日よ」
「え・・・。1週間はお試しでそれからどうするかでしょ?まだ、教えてよ!」
「私が嫌になったのよ。最後はセッションしてあげるからレベルの差を知りなさい」
そういうと桃花はアコギを持ち陽菜を一瞥すると
「1、2、3、4・・・」
カウントをとり弦を弾き始める。
陽菜は1小節遅れで入り込み必死についていく。
陽菜が食いつき桃花がテンポを早める。追いかけっこが続いた。
しかし、1曲続かずに陽菜の遅れが目立ち始めついにピックが弾かれる。
「ほら・・・私と同じくらいになったら一緒のステージで演ってあげる」
そう言い残し、桃花は自分のピックを陽菜に放り陽菜の弾かれたピックを取って陽菜の方を一度も見ずに去っていった。
それから、本当に桃花は放課後になっても第2音楽室に来ることはなかった。それでも陽菜は桃花との1週間を思い出し一人でひたすら練習を繰り返していた。
しかし2週間過ぎると陽菜は我慢ならず―桃花のクラスへ行ってみてもいつも居ないのだ―桃花のクラスの担任に直接尋ねることにした。
朝のHRが終わり、1限目までの時間に職員室を訪ねた。
「先生、桃花ちゃんって今日来てます?」
「ん・・・?音無、井出と交流あったか?」
「はい。」
「まあいいか・・・。井出なら入院したぞ。持病が悪化したみたいでな」
個人情報の保護が叫ばれてるご時世に実にあっさりした情報の開示であった。人が人なら怒られていたかもしれない。
しかし陽菜の頭にそんなことが浮かぶ余裕などなかった。
「先生!桃花ちゃんはどこの病院に・・・?」
その日の放課後は第2音楽室に寄ることなく先生に聞いた病院へ向かった。
コンコン―
ドアを2回ノックする音が病院の個室に響き渡る。部屋の、今の主は読んでいた本を閉じて応じた。
「どうぞ」
ドアが開き、そこに立っている人影を認めて桃花はため息を吐いた。
「あの先生も案外口が軽いわね・・・」
「桃花ちゃんひどいよ!私、何か気に障ることしたかと思ってずっと考えてたのに!」
「あら、ホントに私が愛想を尽かしただけかもしれないわよ?」
桃花が意地悪そうな顔で言っても陽菜は首を横に振った。
「桃花ちゃんはどんなに下手でも口は悪いけどちゃんと根気強く教えてくれた。私が投げ出さない限りあなたは教えてくれる。そういう人だってことくらい1週間でわかっちゃったから」
陽菜の言葉を聞き桃花はため息を再度つく。
そして陽菜とは反対の方を向き窓から外の景色を眺めつつ今更ながら説明を始めた。
「私は1年ほど前にこの病気を発症したの。それから入退院を繰り返してるの。原因も不明。治療法も不明の難病なんだそうよ。あなたに話したら、私のこと気遣って練習をやめそうだったから言わなかった。あなただったらあんな別れ方したら見返してやろうって反骨心で練習を続けてくれそうだったから。そうじゃない?」
いたずらが上手くいったような子供のような顔で言った。
「あなたはきっと上手くなる。だから私のことなんか気にせずにギターを続けて?」
「桃花ちゃんも一緒にしよ・・・?」
「私は無理よ。今度の入院はちょっと長くなりそうなの。だから文化祭には間に合わない」
「ううん。一緒に」
陽菜は首を横に振って、ニィッと笑って
「ピックと弦を桃花ちゃんのを使う。私のギターと私の歌で演奏する。これなら一緒にやってる気がしない?」
桃花の顔に驚きの表情が走るがすぐにいつもの憮然とした表所に戻して
「自己満足ね」
と突き放すように言って。近くにあったカバンを寄せて何かを取り出す。
「はい、弦。それで気が済むならいいわ。持って行って」
言葉は冷たいが顔には本当に使ってくれるのか、それ以前に受け取ってもらえるのかビクビクしているという表情が隠せていない。
その桃花の顔の表情と言葉があべこべなのに陽菜は笑って弦を大事そうに受け取った。
「絶対これで成功させる。映像もちゃんと持ってくるね。あ、ねえねぇ、二人のステージなんだからさ!バンド名つけようよ!どうしよう?」
「・・・black bird」
「ん?黒い鳥?」
「意味は、いつか教えるわ・・・」
「桃花ちゃんがいいならそれで決まりだね!」
「・・・あなたは、もうちょっとモノを考えて行動したほうがいいわ」
「桃花ちゃんは最初からその口調の方がいいんじゃない?」
お返しとばかりに陽菜。
「いいのよ!一言一言区切ったら、十分に考えてモノを言えるから少なくとも自分から事を荒立てないで済むわ」
「あはは・・・」
陽菜からすると気を置けない仲としてもらえるのが嬉しいが、もうちょっとオブラートに包んで欲しい気もするので少々複雑である。
「次に来るときは文化祭の映像を持ってきてからにしてね。それまで待ってるから」
「え・・・でもそれだと何ヶ月間かここに来れないよ」
「いいのよ、それで。あなたと話していると疲れるのよ」
「あー、ひどい!そんなこと言っちゃうんだー」
顔を見合わせ笑う。
「わかった。次は映像持ってきてそれ見せて、あっと驚かせちゃうんだから!」
わざと拗ねたような声色で陽菜。
「ええ、楽しみにしてるわ」
「待っててね」
「早く行かないと。ほら、バス来たわよ」
答えず陽菜を追い出しにかかる桃花。
受け取った弦を大事そうに学校指定のカバンにしまい立ち上がる陽菜。
「じゃあ、文化祭のあとに」
「はいはい」
陽菜が出ていき扉が閉まる。
白一色の病室に再び静寂が訪れる。
二人の邂逅はあの時が最後だった。
2日間の文化祭が終わった後に担任から封筒を手渡された。そこには井出桃花の住所と病死の旨が書かれていた。
井出家を尋ねると母親らしき人が説明してくれた。
持病が悪化したこと、他の病気を再発したこと。それらが担当医でも予想外であったこと。何より、最後までギターを手放さず陽菜とのステージを諦めなかったこと。
「あの子が、文化祭が終わるまで生徒には知らせないで欲しいって。そして、絶対に文化祭が終わってからでないと音無さんに知らせたくないって言うものだから・・・」
なんでそんな言伝を残したかくらいは陽菜でもわかる。しかし、それでも、さよならくらいは言いたかった。もっとおしゃべりしたかった。もっとギターを教えて欲しかった。何より、一緒にステージで弾きたかった。
後悔と無念が波のように押し寄せ、そのたびに涙の勢いが増す。
「あの・・・お線香あげさせてもらっていいですか」
やっとの思いで小さく呟く。
「ええ、あの子も喜ぶわ」
お線香をあげているときも涙が止まらなかった。
「そんなに悲しんでもらって桃花もよかったわね・・・。音無さんにあの子から預かり物があるの。ちょっと待っててくださいね」
そう言って持ってきたものは桃花のギターと一通の手紙であった。
「これをあなたにって。そして・・・よければだけど、あなたのギターを遺影の近くに置いといて欲しいって・・・」
陽菜は自分のギターを取り出し、遺影の横に立てかけ桃花のギターと手紙を受け取った。
「大切に・・・します」
涙でぐちゃぐちゃの顔で絞り出すような声で言った。
手紙には『ごめん、ありがと』という文字が弱々しい筆圧で書かれていた。
「あの、文化祭の映像を今度持ってきてもいいですか・・・?桃花ちゃんに見せる約束してて・・・」
再度溢れ出す涙を拭うこともせずに陽菜は問いかける。
「ええ、ぜひ。あの子も楽しみにしてたわ」
「ありがとうございます。・・・また後日、連絡して持ってきます。今日は失礼します」
帰り道も帰ってからも陽菜は泣き続けた。周りの目など知ったことではなかった。
1週間後に陽菜は約束の文化祭の映像を井出家に届けた。その頃にはようやく涙を抑えることはでき、少々作りながらも笑うことはできていた。
「楽しそうね・・・」
桃花の母親の呟きに陽菜はハッとした。
そう、ライヴ自体はかなり盛り上がったのだ。クラスメイトに驚かれるくらいには。
それは成功と言っていいのではないだろうか。
桃花も喜んでくれたのではないだろうか。ならば、あの子なら、1回で終わるはずがないのではないだろうか。
「次は・・・次は!桃花ちゃんのギターでもっと!盛り上がります!」
目が輝き、久しぶりの作らない笑みであった。
「ええ・・・楽しみにしてるわ」
その変わりように目を見張り、しかし笑みで答える桃花の母親に決意を固めた。
「Hinaさーん、そろそろ出番です」
スタッフの声が聞こえる。
「はーい」
スタッフの声に返事をし、いつもと変わらぬピックをいれたお守りを持ち
「さあ、桃花ちゃん。『black bird』として今日もこのおっきな会場を沸かせようね!」
使い込まれたアコギ1本を片手にステージに登っていく。