003 始まり(1)
受験生が悪夢に魘され、充血した目をこれまでかという程に見開き、ひたすら机に向かう、最も苦しむ冬休みが始まった。
だが蛍子は冬休みを満喫していた。蛍子は推薦で大学を受験し、受かったので気持ちにも余裕が出来、受験生が悶絶している冬休みに太陽のアパートに遊びに来ていた。
何カ月ぶりだろう、兄のアパートに来たのは。以前来た時は母と一緒だったが、その時は掃除をしただけですぐに帰ってしまった。今回も不精な兄に代わり蛍子が掃除をしなくてはならない。だがその後に東京を案内してもらえるのだ。初めての東京なので色々な所を見て回りたいと考えている。お洒落な服に可愛い小物、美味しい物に有名な場所、想像するだけで笑みが溢れてくる。
蛍子は2泊ほどする予定で切符を買っておいた。
アパートの鍵を事前に預かっていたためインターホンも押さずにドアを開けた。不躾だと言われても仕方ない所業だが、別に兄だからいっか、と気楽に考える。
「に~いさん、来たよ」
部屋はそれほど汚くないだろうと高を括っていた。
だがドアを開けた瞬間、生臭さと消臭剤のジャスミンが混ざった臭いがした。思わず、うっ、と声が漏れる。
何、この臭い・・・。
兄の存在を確認するよりも早く部屋の中に入って窓を開けてベランダに出た。
「おっ、ケイ、来たのか」
「来たのか、じゃない。何なの、この腐った臭い」
呑気に日光で色あせ薄汚れたソファーに座る兄を一瞥する。ベッドがあるのに。わざわざそこで寝ているのかご丁寧に毛布まで横に置いてあった。
「えっ、普通じゃないか」
とうとう嗅覚もイカレタらしい。この部屋に年中いたら確実にそうなるが。このままでは蛍子もこの兄と同じように鼻がイカレルかもしれない。
「ま、いいよ。どうせ分かってたことだし」
鞄からマスクを取り出して顔に装備し始めた。
まず、鼻から顎を覆う大きなマスクをつけ長い髪を一纏めにして、手にはゴム手袋を装着する。エプロンを羽織り、戦闘態勢のできあがりだ。
「よし、始めますか」
蛍子が働いているのに部屋の主はゲームを始めようとし、また片づけている傍らでポテチの袋を開け、綺麗にした所を汚していく太陽を外に放り出して一人で黙々と掃除をし始めた。