014 雲の上
「ゲンさん、また頼むよ。おう、ケイコじゃないか、今日も頑張れよ」
黒髪の浅黒い男に話しかけられた蛍子はターバンのようなものを頭に巻き、手には薬草が一杯入った篭を持っていた。
彼は蛍子を見つけると、いつものように頭をがしがしと撫でた。
あまりにも強い力なので蛍子は顔をしかめながらターバンが取れないようにしっかりと両手でおさえた。
ゲンが薬を調合している間に蛍子は必要な薬草を瓶から出してゲンに渡したり怪我人の包帯を変えたりして動き回っていた。
蛍子はお辞儀だけして彼が連れてきた黒髪の相棒にゆっくり座るように手を貸した。
ここは黒の騎士団専用の診療所。そのため黒髪の筋肉系の人しか来ない。
「まだ次の太陽様が現れねぇな」
目に見える太陽は三日月の形をした黒い影に覆われている。
呟いた声を聞きとめた蛍子は首を横に傾けるだけだった。
「お、わりぃわりぃ」
ここに置いてもらって早一ヶ月、ここに置いてもらう代わりに蛍子はゲンの仕事を手伝ったり、ご飯を作ったりした。最初はゲンも断ったが老体のため、最近は満足に動かすことのできない身体には勝てなかった。
そして最初に決めたことは髪を隠す、だった。
蛍子の黒髪は濃すぎるし、ゲンはそもそも街に下りないため染料など持っていなかった。
次に口を絶対に聞かないことだ。そうすれば変に質問されることはないからだ。
最初、黒騎士に出会った時は驚きでつい口を開きかけたがゲンの容赦ない脛蹴りになんとか思い止まった。
ゲンは蛍子を自分の姪だと話し、一切の質問を受け付けなかった。
ここに来る人はゲンの無口さと頑固さを分かっていたので蛍子にとっては好都合で、何も聞かないでいてくれた。
ただ彼女の名前はケイコであり、『地』に追い出されたと聞かされただけだ。最初は不審に思ったが気配りが出来る蛍子をここに来る黒騎士の人たちは何も言わなくなった。
ゲンはただの治療しかしてくれないが蛍子は笑いながら包帯を優しく巻いたり、痛み止めを持たせてくれたりする。
やはり無口で痛い薬しか出さない医者よりも、明るい笑顔を見せる娘の方が男達は嬉しいのだ。
「ゲンさんもケイコが来てからは柔らかくなったな」
ゲンは話せない蛍子の変わりに、いつもより多く話さなければならなかった。
蛍子は分からないことは、すぐに聞き一度で覚えてしまう。そのことにゲンは驚いたが口うるさい蛍子をまるで自分の娘のように扱った。
ありがとう、と言うように蛍子はほころぶ様に笑う。
むさくるしい部屋に女の子がいるだけで痛みが和らぐ気がする、と言ってくれるのは嬉しい。ここに辿り着いて漸く女扱いを初めてされた。
連れられた黒騎士の中で蛍子は噂の的となり、ほんの少しの傷でもゲンに見てもらおうとして蛍子を見に来るのだ。
だがゲンもそれを分かっているので、ただのかすり傷で来た男には激痛の薬を塗ってやることにしている。
だが、それでも来る男はいるので困っている。ゲンはそう蛍子に話すが蛍子にはどうしようにも無い。
「ほい、ケイコ。今日はお前の好きなカンザシの実を持ってきたぞ」
怪我人を連れてきたのは黒騎士2番隊の3席であるフッチェ。黒騎士2番隊は質実剛健で有名な隊だ。フッチェは蛍子を妹のように可愛がってくれている。そのため蛍子にものすごく甘く、今日も蛍子の好物を持ってきた。
カンザシとは赤い果物で中に黒い粒が入っている。皮は固くて食べれず、中の黒い粒を食べる。粒はチョコレートに似た味で蛍子は気に入っていた。
「また近くに戦争が起こりそうだ」
「またか」
「もしかしたら次期太陽様は『地』の方にいるかもしれないって王宮は気がたってるみたいだ」
蛍子はカンザシの実を食べながら話を聞いていた。
近々、『天』と『地』の戦いが始まるらしい、太陽は大丈夫だろうかと不安に思う。
「『地』には最近あの男がいるから危ないな」
「あの男?」
ゲンが怪訝に尋ねた。有翼人に匹敵する人物など今までいなかったはずだ。
「名前は知らんが俺たちと同じで黒髪で黒い瞳だそうだ。そいつが俺らと同じ、いやそれ以上の力を持っているそうだ」
蛍子の持っていたカンザシの実が音を立てて落ちた。一斉に皆が振り向くため、蛍子は胸が苦しいというように蹲った。
「ケイコ、大丈夫か」
ゲンは顔色が真っ青になった蛍子に近寄り部屋で休むように言った。
蛍子は部屋の扉を閉めるとその場に崩れ落ちた。
――――兄さん。
あぁ、どうやったら太陽に会えるんだろう。どうやったら『地』に行けるんだろう。
兄さんは死なないで生きていてくれるだろうか。
ものすごく会いたい。会って無事を確認したい。
ここは遠い遠い雲の上、蛍子は太陽に会える方法も戦争を食い止める方法も思いつかなかった。