錬金術学園、異常無し!
「で、どういう状況なんだこれは」
少年は惨状を目の当たりにしながらも、できるだけ冷静を装い、そう呟いた。
「見ての通りだが」
対する少女は淡々と、何の感情も抑揚も無く答えた。
国立、錬金術学園高等科のとある一室。生徒の研究に貸し出されるその部屋は、普段ならば雑多な錬金道具や素材、論文や資料で埋まっている筈だった。
だが今は別な物で埋まっている。“大量の触手である”
白く、長く、オマケに太い触手がその表面を自らの粘液でテラテラと光らせながら卑猥に蠢いていた。
少年と少女は部屋の隅に追い詰められていた。触手は尚も増殖を続け、あと数分もすれば今二人がいる僅かなスペースも簡単に飲み込んでしまうであろう。
少年は大きく息を吸い込むと、吠えた。それはもう全力で吠えた。
「何が見ての通りだよおい! なんで! 部屋が! 触手で埋まってるんですか! ええ!? ほら、簡潔に述べてみろよ!」
「実験して、失敗した」
「簡潔すぎだよ! もうちょっと詳しくだな!」
「何だ、簡潔にと言われたからそうしたのに、面倒くさい奴だな君は」
少女は呆れ顔で呟いた。
「聞こえてるぞ……って危ね!」
バシリと少年の足元を触手が襲った、咄嗟に片足を上げ、何とか躱す。少女はそんな様子の少年を気にも留めず続けた。
「いや何、日常生活の補助に役立つように、自我を持った触手を数本作ろうとしたのだが。薬の量を適量の百倍近く入れてしまってな、それはもう盛大に、くしゃみをした拍子に瓶ごと錬金釜へドボンだ。私ってばお茶目だろ? てへ」
口調とは裏腹に相変わらず少女は無表情だった。
「それは分かった、じゃあ次の質問だ。なんでこの触手はさっきから俺だけ狙ってくるんですかねえ?!」
少年は唸りを上げて襲ってくる触手の一本を、木製の椅子で器用に弾き返しながら叫んだ。少女は顎に手を当て興味深そうに答える。
「ふむ、私は創造主だから襲われないとして、一応その触手はある特定の者に反応するようになってる」
「なんだ? 男とかか?」
「いや、美少女だ」
「は?」
少年は少女が告げたその言葉で固まった。
「おめでとう、君は触手に美少女認定されたようだ。さすが昨年の学園美少女コンテストで男性でありながら三位に入賞しただけあるな」
少女はぱちぱちと拍手をしながら少年を称えた。出来の悪い新人の舞台役者のように、酷く棒読みであったが。
「トラウマ抉るな! あれもお前のせいだろうが!」
その時の事を思い出し、少年は身震いした。コンテストで入賞した後、何をトチ狂ったのかしばらくの間男から告白され、あげく、ギラギラとした視線を向けられるようになったのだ。今でも少年は、夜道を一人で歩かないようにしていた。
「あ」
だが、状況は少年に厳しかった。先ほどまで少年がギリギリまで神経を研ぎ澄まし、ようやく防いでいた触手群は少年のその隙を逃さなかった。少年は触手に掴まれ、逆さ吊りにされてしまう。隣で少女はガッツポーズをしている。どうやらこれが狙いだったらしい。
「おいこら、離せ! 男の触手プレイとか誰得だ」
獲物を得たり、とばかりに触手は次々と少年に絡みついてくる。
「むむ、これは保存せねば」
少女はどこから取り出したのか映像保存する為の水晶を取り出した。表情は相変わらずの無表情だが、心なしか少し頬が紅潮し、呼吸が荒かった。少女は興奮していた。変態だった。
「そこ! 何撮ってんだ! あ、ちょ、そこは、駄目……おい、マジで助けて。このままじゃ男として……色々終わる」
少年は涙目になりながら少女に懇願する。
「ふむ、まあ中々堪能した。こんなところか」
名残惜しそうに水晶を懐にしまうと、少女は代わりに親指大程の筒を取り出した。そのまま少女は筒の先端にある出っ張りをカチリと押しこみ、
――触手が、爆散した。
ドン、という校舎を揺るがす爆音と共に、生臭い血のような雨が部屋に降り注いだ。少年は尻餅を付いたまま、その雨に打たれている。少女は傘を差し、鼻歌交じりに少年へと近づいた。
「無事か。うむ、怪我は無さそうだな」
少年は呆然と少女を見上げていたが、徐々に正気を取戻し、そしてまた、吠えた。涙目で。
「あ、あんなのがあるなら最初から出せ! そもそも、なんで俺を呼んだし!」
「いや、誰かに研究を見て欲しくて」
「先生でも呼べよ」
「学園の教師ならば誰でもこの触手群も一瞬で消せるだろう。それではつまらん。その点、君は鋭い突っ込みに、身体を張ったボケまでこなす素晴らしい逸材だ。今回も堪能させてもらった」
少女は悪びれる様子も無く答えた。少年は尚も吠えている。ふと、部屋のドアが蹴破られ、見慣れたオールバックの中年男性が勢いよく飛び込んできた。少年と少女の担任であった。担任は少年と少女を一瞥すると、呆れた表情を浮かべため息を吐いた。
「またお前らか、夫婦でコントも大概にしろ、毎度毎度問題を起こしおって」
「夫婦じゃないですし、コントでもありません! むしろ俺は被害者です」
「先生、まだ私たちは清いです、まだ籍も入れてませんし、その……まだ処女です……」
少女はモジモジと身体をくねらせ、そう言葉を紡いだ。少年は全く会話が成立しない少女に対し心底絶望し、
「もうやだこいつ! 今度こそ縁切る! 絶対に切るからなぁぁぁ!」
少年の絶叫が学園に木霊した。それを聞いた他の生徒達は「またか」と苦笑した。こうして、国立錬金術学園高等科の日常が過ぎていく。余所からきた者にとっては異常だが、ここに通う者にとっては異常無し。平常運転だった。
余談だが、少年のこの絶縁宣言は今年度が始った二か月余り、数えて32回目の宣言であった。
終
何か書いてて楽しかったです。