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9、長い友情の終わり

 2人の自宅に近い児童公園。

 話があるなんて言いながら、浩平は学校からここに至るまで、一言もしゃべらなかった。

 私の手を掴んだまま、半歩前をズンズン歩いている。

 滅多にないくらいの彼の怒りを感じて、私は彼の背中を見上げながら、ただ彼の後を小走りで追う。


 ああ、もうすっかり足の調子も良くなったみたいで良かったとか、また少し背が伸びたんじゃないかとか、関係のないことを考えながら。


「…大沢桐人との噂…どこまでがホント?」


 浩平は公園のベンチに腰を下ろすと、隣に座るよう目で促した。


「ち、ちがう! 全部間違い! あれは…美術室で桐人くんが目が痛いから見てって言われて…見てあげたら、教室入ってきた子がキ…キスしてるって勘違いして…とにかく誤解なの!」


「……」


「桐人くんも誤解、解いてくれるって言ってたし! 変な噂なんてすぐに…」


「早希が携番教えたら? そんなのダメだよ。それじゃ、まるっきりあいつの計略に嵌ってるようなもんじゃない」


 浩平にスッパリきっぱり言われて、グッと言葉に詰まる。


「で、噂どうこうより早希の正直な気持ちは? 大沢桐人が好きなの?」


 大沢桐人が好き?

 浩平にそう聞かれて、キュンと胸が痛んだ。

 

「そんなの浩平には関係ない」


「関係あるよ。それに大沢のヤツ、これっきり大人しくなるなんて思えない」


「思えないって…それって…どういう…」


「…まあ、早希はあまり気にしなくていいけどね。牧先輩もガードしてくれるだろうし。早希があいつと対等にやり合えるなんて思ってないから。そんな女なら、こんな長い間、引きずったりしないし…」


 浩平の想いを示す重要なキーワードは、あまりに容易く浩平の口から零れたが、私はその時その意味をすんなり理解できなかった。


「なんか…こんな事になるような気がしていたんだ」


 髪をかき上げそう言ったきり、ふっつりと浩平が黙り込んだ。

 気まずくて、私もそのまま黙り込む。


 まだ明るい日差しの公園に、子供の笑い声が聞こえる。

 真剣な顔をしている浩平の前で、時間の確認はできないが、まだ4時半くらいだろうか。

 真冬にしては、穏やかな日だったせいか、まだ滑り台の近くで遊ぶ幼い子ども達の姿、少し離れた鉄棒の傍に、その母親らしい若い女性達の姿が見受けられる。

 ふと砂場でプラスチックのスコップで、仲良く砂山を作っている幼稚園くらいの男の子と女の子に目が行く。

 すごく懐かしい光景のような気がした。

 幼なじみの浩平と私も幼い頃は同じように、この公園でよく遊んだから。


「俺らも小さい頃、ああやってよく一緒に遊んだよね。覚えてる?」


 浩平がポツリと呟く。

 浩平が同じ事を考えていたのを知って、少し嬉しくなる。


「うん。あの頃浩平は私の後をいつも付いて回ってたもん。かわいかったよね。守ってあげたいって感じだった」


 浩平とは誕生日がたとえ一週間違いでも、学年は私の方が1つ上だったから、必然的に私が姉貴風を吹かせていた。

 浩平が他の男の子とケンカをして泣かされて帰ってきたりすると、いつも私が相手に食ってかかったものだった。

 あの頃は一緒にいるのが居心地が良くて、自然で。

 どうして成長するにしたがって、それが難しくなってしまうのだろう。


 浩平はチラリと私を横目で見ると、もう一度子ども達に視線を戻した。

 いつになく真剣な表情の浩平に戸惑う。


「俺は早希のそんな気持ちが悔しくてさ。幼いながらも、守ってもらうより、俺が早希を守りたいって思っていたんだ。だから空手も始めた。いつも早希には笑っていて欲しかった。早希の一番近くにいるのはいつも俺でありたかった。強くなればそれが叶うように思っていた。俺は……」


 嫌な予感がした。

 その先を聞いてしまったら…今まで築いてきた2人の関係が壊れてしまう予感。

 かけがえのない物を失ってしまうような予感。


「や、…それ以上言わないで!」


 だけど、浩平は私の願いを聞いてくれなかった。


「俺にとって…もうその頃から、早希は…特別な女の子だったんだ」


「やめて!」


「俺は…早希が好きだ。ずっと好きだった」


 いつか浩平が言った言葉。


 『俺、好きなヤツ、いるもん―――』


 それが私自身を指すとは考えなかった。 

 だけど、今思い返せば、私に向けられる眼差しや、さり気ない素振りや、言葉の中に、時々ハッとするような優しさを感じることは、確かにあったのだ。

 ただ、知らない振りをしてきた。

 ずっと目を背けていた。

 そんなことに気づきたくなかったから。


 浩平の存在は私にとってかけがえのないものだ。

 だけど、それは恋じゃない。

 私が浩平の気持ちに気が付いて、その想いに応えられなければ、彼は離れていくだろう。

 それが怖かった。

 

 私は2人の関係を壊したくなかった。

 いつまでも今の状態が続けばいい。

 居心地の良い関係を保っていきたい。

 ずっとその事だけを願っていた。


「本当はこんなに急ぐ積もりじゃなかった。もっと早希の気持ちを大事にして。待てるつもりだった。…噂なんかがこんなに気になって…こんなに簡単に振り回される自分だとは思わなかった。ホント情けないけど……」


 浩平は薄く笑うと、表情を改め、私の顔を覗き込む。

 私はその瞳を見返すことができなかった。


「……ねえ、橘桐人や琴音さんに捕らわれずに大沢のことを考えてみて。そして、年下とかに捕らわれずに俺のこと考えて。早希の気持ちはどこにあるの?」


「そ…そんなの、わかんないよ!」


 浩平は今まで絶妙のバランスの上にあった、2人の境界線を踏み越えてしまった。

 私ももう気づかない振りをするのは許されない。


「浩平のことは大事に思ってる。…だけど、それは恋とかじゃないの…」


「…今はそれでも良い。でも、これからは? ずっと俺には望みはないの?」


 浩平の傷ついた瞳の色に、胸がズキンと痛む。

 だけど嘘はつけない。嘘を付くことは今以上に浩平を傷つけることになる。


「ダメ。私、浩平のこと…幼なじみ以上には思えない」


 声がかすれる。

 呼吸が上手くできなくなる。

 涙が出そう。

 そんな私の頭を、浩平はいつものように大丈夫というように、ポンポンと軽く撫でた。

 顔を上げると、浩平が私を真っ直ぐ見つめていた。寂しげに微笑を浮かべながら。


「そっか……わかった」


 そしてベンチから立ち上がると、私に背を向けながら、言葉を紡いだ。


「俺、もう足、大丈夫だから。水曜の『卒業生を送る会』の演奏が終わったら、空手も再開するつもりだから。明日から送り迎えはいらない……」


 頭を殴られたようなショックを受ける。

 でも、震える声を絞り出す。


「でも、でも私達…これからも、仲の良い友達…だよね?」


 だけど、浩平は一言「…ごめん」と呟くと、2度と振り返ることなく、私から遠ざかっていく。

 私は呆然とその姿を見送りながら、しばらくはベンチから立ち上がれなかった。




 * * * * *




 次の日から全く浩平と会わなくなった。

 遠くから姿を見かけることも。声を聞くことも。


 今までは私の傍に浩平の姿があることは、珍しいことではなかった。

 たわいない話でも、言葉を交わさない日の方が少ないくらいだった。

 私は全然気づかなかったが、それは浩平の努力の賜でなかったかと思い至る。

 そして、浩平はもう努力をすることは止めたのだ。


 ひょっとしたら私のことを避けているのかも知れない。

 そんな自分の考えに、酷く傷つく私がいた。


「…お~い、早希! 早希ってば!」


 杏子が呼ぶ声にハッとする。

 窓際の席で、ぼんやり窓の外に視線を彷徨わせていた私は、声の主に注意を向けた。


「…授業、終わったよ…」


 気が付くと、教壇に先生はいなくて、みんなガヤガヤと帰り支度をしていた。

 杏子は既に支度を終えて、鞄を手に、私の席の前の椅子に横向きに腰掛けていた。

 ボーっとした頭で、机の上の化学Ⅱの教科書を見つめる。

 だけど、きれいに授業の記憶は頭の中になかった。


「ねえ、大丈夫? 顔色悪いよ。今日一緒に帰ろうか?」


「…大丈夫だよ。それに杏子は部活があるじゃない」


「もう最後の試合も終わったし。ちょっとくらいサボっちゃっても良いって。ねえ、甘いのもでも食べに行かない?」


「…ありがと。…でも…今日は用事があるから真っ直ぐ帰る。また今度誘って?」


 用事なんてないが、帰りに寄り道する気分でもなかった。

 それに杏子にまで迷惑はかけられない。

 私は手早く帰り支度をする。

 鞄と教室の後ろのロッカーに入れていた荷物を大切に手に持つと、杏子と連れだって教室を出た。

 

「ねえ、浩平君のこと後悔してるんじゃないの?」


 何気ない様子で、杏子が尋ねる。


「ううん。…だって、浩平の気持ちに応えられない以上、遅かれ早かれ同じ結果になっていたんだと思う。いつまでも子供の頃みたいに一緒にはいられない。仕方ないよ」


「…私は早希は浩平君のこと好きだと思っていたけど?」


「浩平に対する『好き』は恋人を想うような『好き』じゃないもの。幼なじみや家族に対するような『好き』だもの」


「どうして…『恋』じゃないと思うの?」


「だって、浩平と一緒にいるのは、一緒にいてドキドキと苦しいような感じじゃない。見つめられて頬が赤くなったりしない。寝ても覚めても、その人の事しか考えられないなんてこともない」


「ドキドキしないと『恋』じゃないの?」


「だって……」


 そこで私はグッと詰まる。

 今までドキドキと苦しい恋なんかしたことがない。

 だけど、友達の話を聞いても、恋愛小説なんかを読んでも、『恋』ってそういうもんじゃないの?


「『恋』なんて心次第でしょ? 人が10人いれば、その心も十人十色。『恋』の在りようだって、10通りじゃないのかな?」


 杏子の言葉に、先日朋姉が私にしてくれたアドバイスを思い出す。


“好きっていう気持ちなんて、あんまり難しく考えたらダメよ。すっごく嬉しいとき、悲しいとき、辛いとき、ピンチの時、ふとその人の笑顔が心いっぱいに広がったり…って、そんなモノなんじゃないのかな。”

 

 金曜日に公園で浩平の告白を断って。

 土曜・日曜ともちろん会うことはなくて。

 なのに、月曜・火曜と、無意識に浩平の姿を視界の中に捜している。

 授業中も、いつしか視線は窓の外に向けられ、体育でグランドを駆ける集団の中に彼がいないか確認している。

 自分でも、こんな状態になるとは考えていなかった。

 今までどんなに浩平に依存していたか思い知る。


 だけど、私の行動は間違ってなかったはずだ。

 浩平は物心付いた頃から、ずっとそばにいたのだ。

 その期間があまりに長かったから、彼がいない光景に、まだ身体が慣れないのだ。

 慣れてしまえば、きっといつも通りの私に戻れる。

 うん。そうに違いない。


 そのためにも、浩平の好意に頼っていた物はちゃんとケジメをつけよう。

 私は右手に抱きかかえていたものに視線を落とす。

 それは、橘桐人のスケッチブックだった。

 浩平にこのスケッチブックを借り、枕元に置いて寝るようになって、変な夢を見ることなく、ぐっすり眠れるようになった。

 だけど、これは浩平に返そうと思う。

 浩平にあんな辛そうな顔をさせた。

 私には彼の好意に甘える資格はない。

 せめて自分の抱える辛さには、自分自身で向き合わなくては。


 浩平を見かけたら、彼に返すつもりで、このスケッチブックを持ってきた。

 


 その時――――。

 ちょうど廊下から階段の踊り場に差し掛かった時だった。


 聞き慣れた声に、思わず鼓動が跳ね上がる。

 思わず視線を向けた先、上方の中階段の踊り場に、ここ数日捜していた姿を見つける。

 浩平が階段の上を見上げて、誰かに声をかけているところだった。


 だけど、浩平と呼ぶ声は、次の瞬間喉の奥で止まってしまう。

 浩平に続いて踊り場に姿を見せたのは、笑顔の神崎さんだったから。


 私は咄嗟にクルリと体の向きを変え、浩平の視界に映らないように、早足で廊下を行き過ぎた。

 そのまま立ち止まることなく、教室から一番遠い階段に向かう。

 遠回りになるけれど、浩平と神崎さんと顔を合わせ、言葉を交わす余裕はなかった。 


「早希? 大丈夫?」


 杏子が後ろから声をかける。

 浩平から声の届かない距離まで離れたことを確認して、私はそっと振り返った。


「…うん、大丈夫」


 杏子は私の顔を見て、ホッとため息をつくと、小さく呟いた。


「…なんか今の早希って、突然居心地の良かった水槽から出されて、酸欠状態になってる金魚みたい……やっぱ今日は一緒に帰ろ?」


 私は何も言えず、渡せなかった腕の中のスケッチブックをキュッと抱きしめた。

 神崎さんの言葉に、軽く笑顔を見せている浩平の姿が、思いがけず凄くショックだった。

 





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