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8、策略にはまる

 日曜日。

 朋姉と楽しく過ごした帰り道。

 いつものように律儀に家まで送ってくれた浩平が別れ際にポツリと呟いた。


「今週の木曜日まで、絵のモデルやるんだろ? あいつには気をつけろよ」


「あいつって大沢君? 大丈夫だよ。悪い人じゃないし」


「…早希って、自分じゃ自覚してないけど、メッチャ隙だらけだから。ホント心配だわ」


「大丈夫だって!」


 あの時。

 なんだか暗い表情の浩平の背中をバシバシ叩いて、浩平の心配を笑い飛ばした私。


 まさか、それから1週間も経たないうちに、浩平の予感が当たって、窮地に追い込まれることになろうとは、その時は全く予想もしていなかった。 




 * * * * * 




 月曜から水曜までは、何事もなく過ぎていった。

 月曜と水曜は美術部の活動日だったが、先週絡んできた女の子達も、その後私に接触してくることはなかったし、他の美術部員達は友好的で、居心地悪く感じるようなことはなかった。

 むしろ大沢桐人が思ったより親切で、逆に居心地良く感じてしまったくらい。

 彼は絵を描きながらも、しきりに私に話しかけてきた。


「早希はどんな音楽が好きなの?」とか、

「早希の好きな食べ物は何?」とか。


 どうしてそんなことを聞くのと尋ねたら、「自分の好きなモノを考えている時って、表情が優しくなるでしょう?」とニッコリ微笑んだ。

 

 ああ、私が緊張しているから、気を使ってくれてるんだ。

 桐人くんってちょっと俺様キャラだけど、やっぱり基本的にはいい人だよね。


 単純にそう思ってしまった。

 だから油断したのかもしれない。



 大沢桐人にモデルになる約束をしてから、ちょうど1週間目の木曜日。

 私は美術室で、キャンパスに向かう彼の前で、椅子に腰掛けポーズをとっていた。

 美術部は部活のないだから、教室には私達以外の人影はない。

 今日で約束の期間が終わることに、内心ホッとする。


「何? 今日は表情が柔らかいね。ひょっとして今日で終わりだなんて安心してる?」


「え?」


 図星を指されて笑顔が引きつった。


「僕としてはちょっとは寂しく思ってほしいところだけど。だって、明日からは唯一の会う口実がなくなっちゃうんだよ」


「で…でも最初から1週間の約束だったし…」


「校舎も離れているし、話をするにも口実が必要になる」


「……」


 何て答えて良いのかわからない。

 私と瓜二つだった琴音の恋人だった橘桐人は大沢桐人と重なる部分が多い。

 夢の中で私に「この世に魂があるかぎり、俺はおまえを探し続ける。俺は、おまえをあきらめないから」と囁いた人。

 大沢桐人が橘桐人の生まれ変わりなら、私たちは運命の恋人同士なのかもしれない。

 だけど、実際私は彼に恋心よりも戸惑いを強く感じているというのが正直な気持ち。

 もっと知り合えば、私はこの人のことが好きになるのだろうか。



「あっ!」


 突然大沢桐人が声を上げ俯く。


「どうしたの?」


「痛てぇ! 何か目に入ったみたい」


 しばらく軽く目を擦っていたが、痛みは治まらないらしく、彼は左目を押さえながら、空いている手で私を手招きした。


「睫毛か何か目に入ったのかなぁ。悪いけど、ちょっと見てくれない?」


 私は大沢桐人に近づくと、屈み込んで彼の瞳を覗き込んだ。

 少し涙目になっているようだが、赤くはない。

 茶色がかった瞳に私が映っている。

 長いまつげ。まるで女の子みたい……。


「見た感じ、何もないようだけど…」


「目尻のあたり。ここがコロコロした感じがする。もっとよく見て」


「うん…」


 大沢桐人が指さす辺りをもっとよく見るため、私はさらに顔を近づけ、彼の瞳を覗き込む。


「やっぱり何も見あたらないよ…」

 

 そう呟いたとき、ふと両肩に重みを感じた。

 大沢桐人の両手が肩に置かれたのだと察したとき、突然、これ以上ないくらいの至近距離に彼の顔があることに気が付いた。

 呼吸を感じる距離。

 とたんに顔が熱くなって、パニックになった私は、彼から身を離そうとしたが、両肩に置かれた手がそれを許そうとしない。

 彼の目が面白いモノを見るように、スッと細められた。


「ホント楽しいね、早希は」


「え?」


「きっとすごく大事にされて育ったんだろうね、君は。裏も表もなくて、疑うことも知らない」


「……?」


「だから君に惹かれるのかなぁ。君は僕にはないものばかり持っているから」


「…き、桐人くん?」


「悪いけど…僕は君みたいに素直じゃない。会う口実がなければ、無理矢理にでも作ってしまうようなヤツなんだよ…」


 大沢桐人の最後の言葉が零れた、その刹那。



「大沢君! 頼まれてたヤツだけど……」


 ガラッと美術室の扉が開いて、女の子の甲高い声がした。

 背後でハッと息を呑む気配がする。

 恐る恐る顔だけで後ろを振り返ると、女の子が三人、呆然とした顔をして、こちらを見ていた。

 次の瞬間、彼女たちは「ごめん!」と言い捨てると、ピシャッと扉を閉めた。


「誤解されちゃったかな」


 大沢桐人がクスリと笑う声を、私は悪い夢を見ているような思いで聞いていた。




 * * * * *




 翌日、いつものように浩平を誘い、彼と一緒に学校へと向かう。

 浩平の足は、まだテーピングはしているようだが、見た目は全くケガをしたことが分からないくらい回復していた。

「鞄を持ってもらうのはカッコ悪い」と言って、今では浩平は鞄を自分で持っているので、私が付きそう必要もないようだが、お医者様に完治と言われるまでは、と思って一緒に登校している。


 その日は、何だかいつもより人の視線を感じるような気がしていた。

 全然面識のないような人も、チラチラ私を見ているような? なんか変だとは感じた。


 教室に入ると、杏子が血相を変えて、駆け寄ってきた。


「ねえ早希、大沢桐人と付き合ってるってホント? あんたったらそんな話今まで一言も…」


「ちょ、ちょっと待ってよ、杏子!」


 全然話が見えない。

 大沢桐人と付き合うって? 私が? モデルの約束も昨日で終わり、その後の約束すらしていないのに、なぜそんな話になるのか。


「だって、昨日、放課後の美術室でキスしてたって噂になってるよ」


 キス?

 なぜそんな噂が立つのかと考えて、ハッとした。

 放課後の美術室と言えば、大沢桐人が目が痛いと言って瞳を覗き込んでいたとき、突然ドアを開けた女生徒がいたっけ。

 後ろからあのシーンを見れば、キスをしていたように見えたかもしれない。


「あ、あれはキスじゃないよ。大沢君が目が痛いと言ったから、見てあげてただけ。誤解だって。大沢君に聞けば、嘘だってわかるよ」


「…見た当人達が実際に彼に聞いたらしいよ。でも、否定しなかったってさ。だから、すごい噂になってんじゃん」


「否定しなかったって…なんで?」


 何が何だかわからない。

 杏子ははぁ~と一つため息をついた。


「うん、早希の話でおよその流れはわかった。やっぱ曲者だったねぇ、大沢桐人。ま、別にやましいところがあるわけじゃなし。堂々としてれば、そのうち噂なんて消えちゃうって」


「うん。…そうだね」


「でも当分はヤツから接触してきても二人きりで会ったらダメだよ。その時は私も一緒に行ってあげるから、さ」


 杏子が向けてくれる笑顔が凄く嬉しい。


「ありがとう」


 それにしてもこんな噂が浩平の耳に入ったら…って考えると、気が重くなる。

 隙だらけだから心配だって言われたばかりだったのに。

 何だか浩平の怒った顔ばかり浮かんできて、その日の授業はちっとも頭に入らなかった。

 



 * * * * *




 放課後。


「じゃあ、明日の試合頑張ってね!」


「ありがと。頑張るわ」


 クラブ活動に向かう杏子と教室の前で別れ、以前通り図書館に向かう。

 杏子の所属する空手部は、明日三地区合同の大会がある。

 私を庇ってケガをしなかったら、浩平も出る予定だった試合だ。


 浩平がピアノ伴奏を頼まれた『卒業生を送る会』も来週の水曜日。

 だから、音合わせができるのも、今日を合わせて後三回しかない。

 浩平は『卒業生を送る会』が終わったら、医者の許可を得て、クラブ活動を再開するつもりだ。

 そうしたら、私には浩平と登下校を一緒にする理由がなくなる。

 あと、何回一緒に帰れるのかなと思うと、少ししんみりした気分になった。


 図書室でテーブルについて本を読んでいると、前の席に誰かが座る気配がした。

 顔を上げると、今回の騒動の根元、大沢桐人がニッコリ笑顔でこちらを見ていた。


「な、なんで? 今日はクラブ活動がある日でしょう?」


「うん。でも、僕に何か言いたいことがあるんじゃないかと思って」


 そう、言いたいことはいっぱいある。

 

「そうよ。変な噂が流れて、すっごく迷惑してるんだから。あなたと私が付き合ってるとか。キ…キ、キ……」


「キスをしたって?」


「そう! キ、キスしてたなんて間違った噂が…」 


「ふ~ん」


「ふ、ふ~んって。そんな噂が流れたら困るでしょ!」


「僕は別に困らないよ。いっそのことホントに付き合っても良いけど?」


「付き合いません!!」


 思わず大きな声で怒鳴ってしまい、ハッとする。

 そうだ。ここは図書館だった。

 恐る恐る周りを見回すとこちらに向けられているいくつかの冷たい視線。

 仕方なくへラッと愛想笑いで誤魔化して、ペコリと頭を下げる。


 それを見て、プッと大沢桐人が吹き出した。

 なんて失礼なヤツ。一体誰のせいだと思ってるの!?

 私がムッとしていると、「ごめん。…やっぱ早希は面白い。ホント感情を揺さぶってくれる」と彼は左手で顔を覆うようにして、肩を震わせていた。

 

「だいたい昨日誤解した人達に聞かれたんでしょ? その時にちゃんと本当の事を言ってくれれば、こんな困ったことにならなかったんじゃない」


「…困ってるの?」


「当たり前でしょ? 朝から謂われのない好奇の目に晒されて、迷惑してるんだから。なのに面白がってるなんて卑怯だわ!」


「卑怯? …う~ん、そうかもしれないなぁ」


 大沢桐人は悪びれる様子もなく、シレッとそんなことを呟く。


「だって僕はこういう方法しか知らないから。生まれてからこの方、待っていて欲しいものが手に入ったことなんてないもの。欲しいものがあれば、自分の持つ力と頭、全てを使って手に入れる。ずっとそうやってきたんだ。お金で買えるモノもそうでないモノも、ね」


「そうでないモノって?」


「例えば人の気持ちとか。友達…親の愛情とかも…かな」


「…そんなの、何かおかしい」


「…早希は親にも周りの人にもずっと大事にされてきたから、そう感じるんだって。僕の両親なんて、仕事第一で元々自分が一番可愛い人たちだから。子供は自分の居場所を作るために相当な努力をしなくちゃいけない。そういう家庭もあるって事だよ」


「……兄弟とか…いないの?」


「2歳年上の兄がいるけど…こいつがこの世で一番嫌いだね」


「……」


「って…どうして君が泣くの?」


 視界の中で歪んだ大沢桐人が驚いた顔をして私を見つめている。

 どうしてって聞かれても、私にもわからない。

 ただ何だかすごく切なくなってしまった。


「ホント君にはまいるな」と大沢桐人が渡してくれたハンカチを目頭に押し当てる。


「早希も良くも悪くも、これで僕と向き合うしかないわけでしょ? 超鈍感な君相手に、気持ちが傾くのを待っていたら、10年かかっても無理だね。僕にはあいつみたいな忍耐力はないよ」


「…あいつ?…」


 チラリと顔を上げたが、大沢桐人はその問いには触れず、ニヤッと笑うと、「だけど、早希が困るのは僕の本意ではないよ」と囁く。


「…じゃあ、キスしたり、付き合ったりなんて事はないんだから、現実になかったことはちゃんと否定して」


「いいよ。君がそう望むのなら」


 私は思ったよりすんなり彼が了承してくれたことに一瞬ホッとする。

 だけど、大沢桐人の言葉には続きがあって―――――。


「だけど…君の望みを聞くんだから、僕の望みも聞いて欲しいな」


「…桐人くんの望み?」


「うん。…早希のケーバン、教えてよ」


「え?」


「携帯の番号、教えて欲しい」


 どうしよう。

 杏子が二人で会ったらいけないって言ってたけど、案の定、拙い展開になっているような気がする。

 だけど、それで変な噂がなくなってくれるのなら―――――。


「…ケーバン教えたら、ホントにちゃんと言ってくれる?」


「うん。約束するよ」


 私は制服のポケットから携帯を取り出すと、自分のナンバーを表示しようと操作しかけた。

 その時。


「ダメだよ」


と、声が降ってきて、私の携帯がサッと取り上げられる。


「…え? 浩平?」

 

 上を見上げると、浩平が怖い顔をして大沢桐人を睨みつけている所だった。


「なんでここにいるの? まだ練習始めたくらいの時間でしょ?」


「…今日は用事があるから、中止にしてもらった」


「中止って、あと三日しか練習できないのに。用事って?」


 用事があるなんて話、聞いてない。

 少なくとも朝別れたときには、いつも通りの待ち合わせをしたはず。


「ひょっとしたら、僕の行動読まれてたかな?」


 大沢桐人が薄く笑いながら、口を挟む。


「牧先輩からメールをもらって、多分今日のうちに早希に接触してくると思ってた。教室にいるときは牧先輩のガードがあるからね。たぶん放課後早希が一人でいるときを狙うだろうとは思ったよ」


「ふ~ん。なかなか鋭いね」


 なるほど。杏子が浩平に連絡してたのか―――――。

 って、私ってそんなに頼りなく見えるのかな。

 まあ、いつも自分で困った状況に陥ってしまうのは事実だけど……。


 私が取り留めのないことをグルグル考えているうちに、浩平は私の鞄を自分の鞄と一緒に持つと、「じゃあ、早希、帰るよ」と空いた手で私の手を持ち立ち上がらせる。


「え? 浩平? ちょっと待って」


「何?」


「だって、桐人くんとの話も途中……」


 浩平が眇めた目で私を見る。

 今までの長い付き合いから、浩平が完全に怒ってるモードに入っていることを察し、言葉が詰まる。


「……その話はもうこれで終わり。それより、俺も早希に話があるから―――」


 そうして、そのまま私は浩平に手を引かれ、呆然と引きずられるようにしながら、図書館を後にしたのだった。




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