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3、動き出した歯車

 見えないものが見えてきて

 見えてたはずのものが見えなくなる。


 何が真実で、何が偽りか、

 何が正しくて、何が間違っているのか、


 次第に境界線があやふやになっていく。


 ただ分かっていることは、

 一つ歯車が動き始めると、それは全てを巻き込み、もう元へは戻れないって事――。




 * * * * *




 放課後の学生食堂。

 テーブルの端っこに腰掛け文庫本を読んでいた私は、パサッと本をテーブルに置いた。

 すっかり冷めてしまったレモンティーの残りを飲みほすと、私はぐるっと辺りを見回す。

 隣のテーブルには文化系クラブと思しき一団が、缶コーヒー片手に、何やら熱心に話し合いをしている。

 運動クラブの休憩と思われる人たちやら、一目で恋人同士とわかるようなカップルやら。


 放課後の学食は思った以上に混み合っていたが、私のように一人で暇そうに時間を潰しているような人間は他にいなかった。

 私は部活に入ってない。

 浩平と違って何をやっても『並』でしかない私は、ピアノも、中学生の頃頑張っていたテニスも結局長続きしなかった。

 いつもなら早々に帰宅の途についているはずだが、浩平のケガが治るまでは、私には浩平を自宅に送る義務がある。


 今、浩平は神崎さんと『卒業生を送る会』に演奏する曲目の練習をしている筈だった。

 セッションの練習が終わるまで、私は学食で時間を潰そうと考えたのだが、30分も経たないうちに、なんとなく居づらい気分になっていた。

 私は鞄に文庫本をしまうと、レモンティーの空き缶を手に、席を立った。


 まだ、浩平の練習が終わるまで、小一時間かかるだろう。

 これ以上は学食で時間を潰せない。 

 一般教室は既に暖房が切られている。

 一月半ばのこの時期、暖房のない部屋で1時間近くも過ごすのは、はっきり言って拷問だ。


 仕方がない。

 浩平の練習しているピアノ室で待たせてもらおうかな。

 久しぶりに浩平のピアノも聴いてみたい気がする。

 だけど……。


『……だから、誤解しないで下さいね、川瀬早希先輩――』


 今朝の神崎さんの言葉を反芻する。

 私は彼女のことを知らなかったが、彼女は私を知っていたようだ。

『誤解しないで』という言葉をその通り解釈すると、〈浩平とはただのクラスメイトだから、心配しないで〉というふうに受け取れる。

 私には浩平を心配するような義理はないが、神崎さんが浩平に特別な感情を持っているなら、まさか本人がいる前でそんな言い方はしないはずだと思う。

 そう考えると、私がただの幼なじみだと言い切った後、彼女が妙に嬉しそうに見えたのは、気のせいだったのかもしれない。

 変に気を回す必要もないだろう――。


 そう考えながら、私は学食の入口にあるダストボックスに空き缶を投げ入れると、ごく軽い気持ちで、音楽科の校舎に足を向けた。




 

 私の高校には音楽科・美術科・普通科が併設されていて、校舎もそれぞれが独立している。

 音楽科棟の1階には、個人的なレッスンを受けたり、放課後ピアノを練習するための6畳ほどの部屋が10部屋ほど用意されている。各部屋にはグランドピアノが用意されており、専科の生徒が自由に使えるようになっていた。

 浩平は5時半まで、そのピアノ室を予約していると言っていた。

 音楽科の校舎には毎週水曜の3、4限にある選択音楽の時間以外には訪れる機会がない。


 放課後の音楽科棟の1階廊下。

 両サイドは教室のため、照明が落とされていている廊下は、少し暗いが、教室の磨りガラス越しに入る明かりのため不便なほどでもない。

 時折すれ違う生徒の制服のリボンやネクタイは、みんな音楽科のカラーであるブルー。

 当然私のように普通科を示す赤いリボンをしている人間は他にいないわけで。

 なんか場違いな空気に少し緊張しながら、私はピアノ室のドアにある小さなはめ込み式のガラス窓を覗きながら、浩平の姿を探した。


 3つ目の窓を覗き込むと、目の前にストレートの長い黒髪が見えた。

 その向こうにグランドピアノと向き合う見慣れた横顔が見える。

 神崎さんと浩平だ。

 神崎さんはバイオリンを胸の前で抱えている。

 ちょうど休憩中だと思った私は扉をノックしようと、右手を上げ、ふと手を止めた。

 思い詰めたような声が聞こえたからだ。


「…橘君には迷惑かもしれないけど、さ」


 神崎さんのくぐもった声。

 スライド式の扉が5cmほど開いている。 


「私、今日、やっぱり橘君のことあきらめたくないって思った」


 浩平のことをあきらめたくない――どういうことなんだろう?

 全身が耳になったみたいにサッと緊張する。


「この3年間、橘君の良い友達になろうと、私なりにかなり頑張ってきたつもり。橘君が幸せなら別に私が一番でなくてもいいと思ってたし、困らせたくなかったし。でも、こんな中途半端な状態は良くないと思った。私にとっても、橘君にとっても。……3年前告った時と、私の気持ちは変わってないから――」


 何? これ―――!?

 私は反射的に扉の前を離れて、踵を返す。

 心臓がドキドキしている。

 一刻もこの場を去ってしまいたかった。


 私は薄暗い廊下を引き返しながら、ポケットから携帯を取り出し、浩平にメールをする。


『図書館にいる』


 それだけ打って送信した。

 その直後、突然大音響で鳴り出した自分の携帯の着信音に、ギョッと飛び上がる。

 電源を切ろうとしてうまくいかず、私は制服のブレザーのポケットに携帯を突っ込むと、両手でそれを押さえつけ、ダッシュでその場を去った。



 * * * * *



 普通科棟、美術科棟、音楽科棟を繋ぐ校庭のほぼ真ん中あたりに共同図書館はある。

 課題を調べたり、本を読んだり、自習をする生徒で、テーブル席はほぼ満杯状態だった。

 雪は積もることなく止んでいたが、空はどんよりと曇り、気温は午後になっても上がらなかった。

 間違いなく、今年一番の寒さ。

 それゆえ、暖房の効いた図書館で時間を過ごす者は、いつもより多いのだろう。

 仕方なく、私は鞄を手に書架のあたりをブラブラした。


 『文学』の書棚で2、3冊パラパラとページを捲っては元に戻す。

『社会』『政治』『経済』…書棚のプレートを眺めながら、足は何となく奥の書棚に向かう。

 ふと『美術』の棚の前で足が止まった。


橘桐人たちばな・きりとっていって、美大在学中から色々な作品展に入選して、結構将来の期待もされていたらしいけど、若くして亡くなっちゃったんだって…』


 今朝の浩平の言葉を思い出す。

 若くして亡くなっていても色々な作品展に入選している画家ならば、もしかしたら文献の片隅にでも「橘桐人」の名が書かれているかもしれない。

 私は『美術』のコーナーにある本の背表紙を眺めていく。

「画家別 近代日本絵画」という結構分厚い専門書に目がとまった。

 手を伸ばすが、上方の棚にあるその本には届かない。

 背伸びをしたら、かろうじて背表紙に指が触れたが、ピョンピョンその場で跳んでみても、隙間無く並べられた本の1冊を抜き出すことは難しかった。


 諦めかけた時、「この本、見たいの?」と声がした。

 私の背後から延びた手が、軽々とその本を抜き出し、目の前に差し出す。


「ありがとう」


 振り向いた私は、礼を言ってその本を受け取った。


「どういたしまして」


 声の主は目を細めると、私の瞳を覗き込んだ。

 ドキッとする。

 意志の強そうな茶色の瞳を隠すように延びた色素の薄いサラッとした前髪。

 160cmの私より、さらに20cmは背が高い。

 まるで女性のような、端正な顔立ちをしている男子生徒。


「君……朝、松葉杖の男の子と一緒に登校してた子だよね」


「え…?」


「ちょうど雪が降ってきて、君、掌を差し出して舞い降りてきた雪、受け止めてたでしょ?」


「……」 


「すごく印象的な光景だったから、覚えてる。いいなと思って」


 いいなと思ってって―――彼の言葉に過剰に反応する。

 慣れてないシチュエーションに、私は恥ずかしくなって、頬を染めて俯いた。

 彼はそんな私の様子を見て、「まずい」と思ったのかもしれない。


「あっ! ナンパとかそんなんじゃ無いから。ほら、僕、美術科で絵を描いているような人間だから、絵になる構図っていうの? そういうのについ敏感だったりするわけで…」


 確かに彼の制服のタイは緑。それは美術科の生徒であることを示していた。

 彼の慌てように、思わず笑みが零れる。

 彼もホッとしたように微笑むと、言葉を継いだ。


「…で、その時も思ったんだけど…どっかで会ったことない? 僕たち」


「は?」


「なんか以前会ったことがあるような気がするんだけど、思い出せなくてさ。ねぇ、名前教えてくんない? 僕の名前は大沢桐人おおさわ・きりと


 桐人!…琴音さんの恋人と同じ名前だ。

 琴音さんが亡くなって、後を追うみたいに死んだ若き画家の名前。

 その時、私は何気なく思い出していた。

 浩平の家の蔵にあったスケッチブックの荒々しい文字。


『琴音、おまえをあきらめない―――』


 桐人さんは、私が名乗った川瀬早希という名前には覚えがないようだった。

 そのまま、私は苦笑いをしつつもう一度お礼を言うと、彼は爽やかな表情を浮かべ、他の書架に移って行った。


 私は空いた席に腰を落ち着け、「画家別 近代日本絵画」に没頭した。

 神崎さんと浩平の事が気になって、気になる自分が許せないような気持ちがある。

 振り切るように、かなり厚い文献の中に“橘桐人”の名前を捜す。 

 練習を終えた浩平が図書館に来て、私の傍らに近づき、この肩に手を置くまで。余計なことは考えなくていいように。

 だけど、その文献に、橘桐人の名前を見つけることはできなかった。




 * * * * *




 学校からの帰り道。


 二人分の鞄を重ねて胸の前で持ち、松葉杖の浩平の速度に合わせてゆっくり歩く。

 気まずい。

 私は神崎さんのことを気にしていた。

 あの告白の後、浩平はなんと返事をしたんだろう。

 浩平がいつものように話しかけても、私は上の空で、当然会話は長続きしない。

 彼がチラチラ横目で私を見ているのには気づいていたけど、器用に何事もなかったように振る舞うことはできなくて。


「俺、歩くの疲れた。ちょっとここで休憩しない?」


 浩平は私を振り向くと、道路端のカフェを指さした。





「…でなに注文する? クリームソーダ?」


 窓際の席に向き合って腰を落ち着けると、浩平はメニュー片手に私に尋ねる。

 年下のくせに、なんか私のこと子ども扱いしてない?

 私はカチンときて、「自分で選ぶ」と素っ気なく言うと、浩平からメニューを受け取った。

 一通りメニューを目で追ったが。 


「…えっとぉ…やっぱ、クリームソーダ…」


 私がメニューを返しながら、小さな声で呟くと、浩平はクスリと笑って、クリームソーダとコーヒーを注文した。


「で、何が言いたいの? 俺に」


「べ、別に…言いたいことなんかないもん!」


 ふーんと言いながら、浩平は目を逸らさず、俯く私の瞳の奥をじっと覗き込む。

 私はこのまっすぐ射抜くような浩平の目に弱かった。

 はぁ~っとため息をついて、観念する。


「…今日、浩平、告られてたよね?」


「……告られてったって、どれのこと?」


 私は弾けるように顔を上げ、浩平の顔を見た。


 どれって!?

 1日に何回も、女の子に告白されたりしてるってこと?


『浩平君って、もてるよ――』


 杏子の言葉を思い出す。


『空手で、1年で全国狙えるってだけでもかっこいいのに、ルックスも性格も特に欠点ないじゃん。今まで彼女がいないって方が不思議じゃない?』


 それは私も認めるけど、浩平は今まで告白されたなんて、ただの1度も私に話したことなんて無いわけで。

 だから、私も浩平がもてると聞いても、リアルな話とは、全然受け取ってなかったわけで…。

 ま、もちろん浩平が私に『恋愛相談』なんてする柄じゃないのはわかってる。

 だけど、ホント青天の霹靂ってヤツ?

 今朝の杏子の忠告にも関わらず、まるっきり心構えのなかった私は、かなり真剣にパニクってしまっていた。


「…神崎さん、前から浩平のこと、さ…えっと…その…」


「……やっぱり早希、あの時聞いていたんだ。あの着メロ、そうじゃないかと思ったよ」


 “海の見える街”だっけ? 「魔女の宅急便」の挿入歌? 今時の女子高生で早希と同じ着メロのヤツっていないよなぁ、なんて言ってる。


 放っておいてよ! 私、宮崎アニメのファンなんだから!

 って、今は私の着メロが問題なんじゃなくて―――。


「別に、わざと盗み聞きしたわけじゃないんだからね。たまたま聞こえたんだから!」


 頬が熱をもっているのがわかる。

 たぶん…というか間違いなく、今私は真っ赤になっているに違いない。


「わかってるよ。早希が盗み聞きするようなヤツじゃないってことぐらい。俺たち、物心ついてから、一体何年の付き合いなのさ」


 浩平は何か面白いものでも見るように、ニヤニヤしながら私を見た。


「神崎には友達としてしか付き合えないって返事した」


「……」


「他の誰に告られても、返事は同じ」


「……」


「だって、俺、好きなヤツ、いるもん」


「…え!?」


 一呼吸おいて、私はもう一度「ええ~~~~っっっ!!?」と叫んだ。

 しかも驚愕のあまり、浩平を指さして。


「でも、でも…私、そんな話、聞いたこと無いよ」


「そりゃあ、誰にも話したこと無いもん」


 注文したクリームソーダとコーヒーがテーブルに置かれ、少し会話が中断した。

 浩平はいつも通りブラックのまま、コーヒーカップを口元に運ぶ。

 だけど、私はクリームソーダを味わうような気分じゃなくて    。


「誰? 相手の人…」


「……秘密」


「……」


「…気になる?」


「――……」


『早希は浩平君の側にいるの、あたりまえのように思ってるけど、彼女ができたらそういうわけにもいかなくなると思う』


 杏子の言葉が急に現実味を帯びてきた――――。



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